17

「亡くなった娘たちの死魂(しにだま)を、連れ去る妖怪…?」 「はい…魂が昇天する前に…何人もが目撃しております」 日が傾き、空が茜色から紺碧色に染まり始める夕暮れ時。大きな屋敷の一室で、涙ながらに語る主人の話を聞いているのは真剣な表情を見せる弥勒であった。 ――この主人と出会ったのは、旅の途中で立ち寄った小さな村でのこと。相談があると声をかけてきた主人について行った一同は悲しげな雰囲気に包まれる屋敷へ招かれ、主人の口から姫が亡くなったのだと知らされた。 どうやら相談というのはその姫に関わることのようで。 いましがた語られた、最近辺りで見かけられる妖怪。主人はそれに姫の死魂を盗まれてしまうのではないかと心配し、一同に屋敷へ留まって助けてほしいというのだ。 それを告げられる弥勒は神妙な面持ちを見せ、主人の気持ちに寄り添うよう真剣な声を返す。 「ご安心ください。姫さまの魂は必ずや、お守り申し上げます」 「彩音さま。私はあなたが帰ってきてくれて本当によかったと思っております」 「はあ」 戸を開け、縁側に腰掛けながら語る弥勒の隣。呼ばれるままそこに座った彩音は月を見上げる彼の横顔を見ながらぼんやりとした返事をした。 「あの時は本当に、このまま会えなくなってしまうのかと不安でした。失って気付くもの…とでもいうのでしょうか。だからこうして今、あなたが私の隣にいることが本当に幸せです」 弥勒は優しくそう語りながら、穏やかな表情でこちらへ振り返ってくる。 恐らくその言葉に偽りはないのだろう。彼の瞳からそれだけは感じられたが、彩音はいまいちそれに向き合えず。つい「んー…」と小さな声を漏らしながら視線を外しては、再び彼を見やりながら言った。 「そう言ってもらえるのは嬉しいんだけど…なんで今?」 「ようやく落ち着いて二人きりになれましたので」 「どこが二人きりじゃいっっ」 笑顔で平然と言ってしまう弥勒に背後の七宝が痺れを切らしたよう吠え掛かる。 そう、弥勒は二人きりだと言ったがそれは真っ赤なウソ。確かに縁側に座るのは弥勒と彩音の二人だが、そのすぐ後ろの部屋には亡くなった姫の妹とそれに抱きしめられる七宝がいたのだ。 こんな状況になってしまった原因は、数分前に遡る。亡くなった姫が美人であることを知り、妹姫もさぞかし美人なのだろうと期待した弥勒が遺体の護衛を犬夜叉とかごめに任せてこちらの護衛へきていた。 それまではよかったのだが、いざ対面してみれば妹姫は父親似。いわゆる平安美人といった顔立ちをしていて、それにひどくがっかりした弥勒が妹姫へぬいぐるみを与えるように七宝を押しつけ、現実逃避と言わんばかりに彩音と話を始めてしまったというわけだ。 そのため彩音は真面目に話してくれているのであろう弥勒の話に身が入らず。しかも“二人きり”と言いながら呼び名をきちんと使い分けている辺り確信犯だな、と呆れを通り越してしまうような思いに駆られていた。 すると不意に、「あ~んやっぱり怖い~」と声を上げた妹姫が七宝を放して飛び込むように弥勒に縋ついてしまう。 「法師さま、守って~」 「だって。守ってあげなよ」 「こっ…今回は死魂を連れ去る妖怪なので…生きているお方を守る必要はないかと…」 平然と妹姫の肩を持ってしまう彩音に少し戸惑いながら、それでもなんとか妹姫から逃れようとそう話す弥勒は彼女の手を引き剥がそうとする。だが妹姫は弥勒の着物を手放さないどころか、ひしっ、と体を密着させた。 「やだやだ助けて~怖いわあ~っ」 「姫も十分怖うございます…」 「あ~んひどおい~」 もはや涙を流しオブラートに包むこともなく拒否する弥勒に対して姫は挫けず体をより一層すり寄せていく。 なんとも弥勒が可哀想に見える光景だが、下心丸出しで自ら近付いたのだからこれくらいは当然の報いだろう。そう考えた彩音は逃げてきた七宝を抱き上げながらため息交じりに弥勒を見ていた。 ――その時、突然姉姫の部屋の方から騒がしい物音が聞こえてくる。それほど大きな音ではないが、なにかがあった様子。 まさか件の妖怪か、そう予感した彩音は燐蒼牙の柄に手を触れながら弥勒へ顔を振り返らせた。 「弥勒、私たち向こうの様子を見てくる!」 そう言い残して駆け出してしまえば、表情を硬くさせた弥勒から「え゙」と声が漏れる。しかし妹姫から弥勒を救い出す時間も惜しいと感じたのだろう、彩音は彼を助けることなく七宝とともに姉姫の部屋へ向かって廊下を駆けていった。 すると廊下を曲がった先、そこに部屋から出てきたかごめと犬夜叉の姿を見つけては「二人ともっ」と声を上げた。 「なにかあったの!?」 「彩音っ。あそこ見て!」 彩音の説明を求める声に振り返ったかごめが慌てた様子で空を指差す。その指示のままに顔を上げてみれば、膨らみのある下弦の月を背にして飛ぶ細長い妖怪の姿がいくつも見えた。それは青白く昆虫のような姿をしており、その手には死魂と思われるぼんやりとした光の玉を抱えている。 それらは皆同じ方角へと向かっている様子。どこかへ死魂を運んでいるのだろうか。そもそも死魂を持ち去ってどうするつもりなのだろうか。浮かぶ様々な疑問に眉をひそめたその時、不意に彩音の背後から強い足音となにかを引き摺る音が聞こえてきた。 「追いましょう今すぐっ」 突然切羽詰まった様子でそんな声を上げながら姿を現したのは弥勒。よく見れば彼の左腕には未だ妹姫が縋るようにしがみつきながら涙を浮かべている。どうやら意地でも弥勒に守ってほしいようだが、対する弥勒は意地でも彼女を撒きたいようだ。 なにも変わらない二人の攻防に彩音が乾いた笑みを浮かべると、同じくそんな彼らを見た犬夜叉は眉をひそめながら「…なにしてたんだ」と正直な声を向けていた。
* * *
夜が明けて日が煌々と輝く空の下、のどかな河原。そこにはレジャーシートを敷きお菓子や飲みものなどを広げる犬夜叉たちがぼー、とした雰囲気で座り込んでいた。 「ねえ、もう行かないの? 昨日の妖怪捜し…」 「女の人たちの死魂助けに行かなきゃ…」 和やかなムードのまま立ち上がる素振りもない男たちへ呼びかけるのは彩音とかごめの二人。いつまでも動く気配を見せないその姿にいても立ってもいられなくなり、こうして言葉にして促しにかかったのだ。 だが、それでもやはり腰を上げる様子のない犬夜叉はぼんやりした表情を見せながら「だからどこに」とやる気のない声を返してくる。 それに答えることができたなら彼らを動かすこともできただろう。だが残念なことに彩音もかごめもそれに明確な答えを出すことができなかった。 というのも、 「見事に見失ったからのー」 キャンディを舐めながら簡素に言ってしまう七宝の言葉通り。昨晩妖怪を追っていた彩音たちは素早いそれらを捕まえることができず、挙句の果てには完全に見失ってしまったまま手掛かりさえなにひとつ得られず仕舞いで終わったのだ。 そのためこの場にいる誰一人として、妖怪に関する情報は持ち合わせていない。 しかしこのままではまた複数の女の死魂があの妖怪に奪われてしまうだろう。それを思っては早く居場所を突き止めて阻止したいのだが、主力である犬夜叉がすっかり呆けてしまっており、もはやこちらと目を合わせることすらしてくれない状態となっていた。 「犬夜叉…あんた、もう妖怪捜すのが面倒くさくなったんでしょ」 「考えてみりゃなんの得があるんだよ。四魂のかけらが取れるわけじゃなし」 「確かにかけらはないかも知れないけどさ…」 「ね、人助けだと思って…」 「だから、そーゆーのがやだっつってんだ」 かごめが彩音に続くよう説得に入ってくれるが、それでも犬夜叉はつんけんとした態度できっぱりと断ってしまう。すると彩音はその姿に呆れたよう目を据わらせ、 「ほんとはお人好しなんだから、ダサい不良ぶってないで素直になりゃーいーのに」 とはっきり言いやった。それには犬夜叉も耳をぴく、と揺らし、すぐさま訝しむような目をこちらへ向けてくる。 「…彩音。てめえ、おれをバカにしてんのか」 「ぜーんぜん。むしろ褒めてるくらいでーす」 頭をぶんぶんと横に振ってなんとも適当な様子で否定する彩音に対し、犬夜叉はまるで睨みつけるかのようにしながら眉間のしわを深めていく。だがついにはその顔でさえ背けてしまい、犬夜叉は梃子でも動かないという意思を表しながら「けっ、」と吐き捨てた。 「おだてて丸め込もうったって…」 「なにあれ。あそこになんか流れてない?」 「って、聞いてんのかこらっ」 きっぱりと言い切ってやろうとしたところを見事にぶった切られてしまってたまらず声を荒げる。しかし当の彩音はもはや犬夜叉を見てもなく、傍で緩やかに流れる川の方を指差していた。 見れば確かに木箱のようなものに寄りかかるなにかが流れている様子が分かる。彩音の声でそれに気が付いた弥勒と七宝が隣へ並ぶと、同様にそのなにかへ目を凝らし始めた。 そんな彼らに振り返りながら彩音は不思議そうに首を傾げて問う。 「ね、あれなんだと思う?」 「タコじゃ」 「人でしょう」 「えっ人!?」 「た、大変っ!」 彩音の問いに暢気な掛け合いをする七宝と弥勒であったが、その答えに血相を変えた彩音とかごめは慌てて川へと駆け込んでいく。そうして漂流物へ近付いてみれば、確かにそれは人間の男で弥勒と同じような身なりをしていた。 七宝がタコと見紛うほど綺麗な坊主頭のこの男も法師の類だろうか。体を支えながら声を掛けてみるが反応はない。それに不安をよぎらせながら河原へ引き上げると、タオルを枕にしてその場へ横たわらせた。 すると男は目を固く閉ざしたまま、「うう…」と小さな呻きを漏らす。 「気絶しているだけですな」 「よかったー…もう手遅れかと思った」 「でもなんか、うなされてるみたい」 彩音が安堵に胸を撫でおろすのに続いてかごめが不思議そうに男を覗き込む。その言葉通り、男は苦しげに唸り声を漏らしながら時折顔を歪めるほどうなされているようであった。 一体この男になにがあったのだろう。彩音とかごめが同じ思いで男の様子を見つめていると、不意に男の目がゆっくりと開き始めた。 意識が戻ったか――そう安堵する間もなく、その目にかごめの顔が映り込んだ瞬間、男はビクッ、と体を揺らして強く目を見張った。 「うっ、うわああああっ!」 途端に顔を恐怖に歪め、男は張り裂けんばかりの悲鳴を上げて後ずさる。その反応に驚き目を丸くした彩音であったが、突然目の前で叫ばれたかごめはさらに驚いており、咄嗟に彩音の背中に隠れながら男へ抗議の目を向けた。 「なっ、なによ~」 「あ…」 焦りや警戒を露わにしたかごめの声に男が呆気にとられたよう肩の力を緩める。 彼の異常ともいえる怯えよう。突然人が目の前にいて驚いたのだろうか、そう考えるも、それだけであれほどまでに怯え逃げようとはしないだろうと訝しみを深める。 恐らくなにか事情があるはずだ。そう察した彩音は自分たちが無害であることを男に伝え、これまでの経緯を話すよう促した。 ――そうして語られる話に、弥勒が不思議そうな顔を見せる。 「かごめさまが…妖怪に似ていた?」 「まーっ失礼ねー」 要約するように弥勒が問えば、かごめが心外だと言わんばかりに男へ強く声を上げる。彩音はそんなかごめをまあまあと宥めながら、傍に置いていたお茶を男へと手渡した。 それを恐る恐る受け取る男の話はこうだ。 ――男は師とともに悪霊祓いや妖怪退治をするため、様々な土地へ足を運んでいたという。そんなある日、小さな村の周辺で邪気を感じた師が村人に話を聞けば、邪気なんて感じない、うちは平和だと言う。それも“ある人物”がきてからは特に、と。 その人物が気になったという師がその者を見た途端、どういうわけか師はそれをこの世のものではないと言い出した。 修行が足りないと言われた自分にはそれが分からなかったが、強く怪しんだ師がその者に直接罠を仕掛け、正体を暴こうとした。だがその者はいとも容易くその罠を跳ね返してしまい、平然とした様子を見せていたのだ。 それどころか、罠である経文を全て消し飛ばしている始末。 その者は妖怪ではなかった。だが、それ以上に恐ろしい存在ではないかと怪しんだ師がその者の動向を探り始め、そしてついにその晩――それがとてつもなくおぞましい姿を見せたのだという。 「人の姿をしていたが…恐ろしい化け物でございました、あの巫女は…」 (え…かごめに似た、巫女…?) いくつもの玉の汗を浮かべるほどひどく怯えた様子で紡がれる男の言葉に眉をひそめ耳を疑う。もしそれが聞き間違いでなければ、嫌というほど覚えのあるものだ。 そっと犬夜叉の様子を窺ってみればやはり気に掛かったのか、彼はほんのわずかながら目を丸くして眉根を寄せ、横目に男を見つめている。 対する男は当時の光景を思い出しているのか、恐怖に塗り潰された表情のまま小刻みに体を震わせ、いまにも涙を溢れさせそうなほど怯えきっていた。 「あの巫女…法力を跳ね返して、私の師匠を殺した…名は確か、桔梗と…」 「なっ…」 嫌な予感が的中するような思いと同時に短く声を漏らした犬夜叉の表情がひどく強張る。 それもそのはずだ。彼は桔梗が崖から落ちていく姿を見たあの時からずっと、“桔梗は死んだ”と、そう思って過ごしてきたのだから。ゆえに生きているなど思いもよらず、男の言葉を到底鵜呑みにすることはできなかった。それどころか、途端に血相を変えて弾かれるように男の胸ぐらに掴み掛かる。 「てめえ! デタラメ抜かしやがると…」 「ウ、ウソではないっ! その女はおびただしい人魂を呼び集めて…」 犬夜叉の凄まじい剣幕に男は震える声で懸命に弁明する。その言葉に、彩音の中でなにかが結びつくような思いがあった。 先日退治し損ねた、虫のような妖怪。あれは女の死魂を持ち去っており、それらは全て同じ場所へと向かっていた。そして男曰く、桔梗は人魂を無数の集めていたという。それらの事象は話を聞く限り、どちらも同じ日の晩に起こっている。 それらを繋ぎ合わせれば――桔梗がどこかで生きていて、周辺の死魂を集めていたのが彼女であるということになる。 (でも…もしそうだとして、桔梗はなんのために死魂を…?) 「(桔梗お前…まだこの世にいるのか!?)」 同時に異なる思いを抱く二人はともに表情を強張らせる。だが犬夜叉の様子に気が付き顔を上げた彩音は、ほんのわずか、一瞬の間躊躇いながらも様子を窺うようにそっと問いかけた。 「ねえ犬夜叉…確かめに行くでしょ…?」 「……お前ら、ここから引き返せ」 「えっ…?」 予想外の返答に微かな声が漏れる。当然確かめに行くと、それも皆で行くと思っていた。だからこそ聞き間違いではないかと思いかけたのだが、犬夜叉は思い詰めたような複雑な表情を俯かせたまま、こちらに一度も目をくれることなく絞り出すような声で言った。 「一人で…行きてえんだ…」

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