26

――殺生丸が未だ動くこともできないまま、再び日の出を迎えた。 森をざわめかせるよう吹き抜ける風を受けながら、今日もまた回復を待つ。そんな彼の傍で、深い眠りから目を覚ました彩音は自らの足で立つことができるほどに回復していた。 先日の食事と十分な休息が功を成したのだろう。 まだ足取りが覚束ない様子ではあるが、木に手を突きながら周囲を探るように歩き回り続ける姿にその並外れた治癒力を痛感する。それとともに、一定距離を保ち続け、果てには傍へと戻ってくる彩音に殺生丸は怪訝そうな声を向けた。 「貴様…なぜ離れん」 それほど歩けるようになったのであれば、もう犬夜叉の元へ戻ってもいいはずだ。 そんな思いを込めた瞳を向ければ、彩音はきょとんとした顔を見せながらまたも傍へ戻ってくる。そうして腰を下ろすと、思案するような顔で「確かに頑張れば戻れなくはないんだけど…」と小さく漏らし、やがて困ったような笑みを浮かべてみせた。 「動けない殺生丸を置いて行くなんて…なんか気が引けるじゃん」 「構わん。行きたいのなら勝手に行け」 フン、という声が聞こえてきそうなほど素っ気ない様子で顔を背けられる。 そんな殺生丸に相変わらずの態度だな、なんて思ってしまっては乾いた笑みを浮かべるが――ふと、感じるものがあった。その感覚を確信付けるようにしばらく殺生丸を眺め続けていた彩音は、立てた両膝に頭を預けながら彼の背けられた顔を覗き込む。 「殺生丸ってさ…勝手に行けとか言うけど、追い払おうとはしないよね」 「…なにが言いたい」 どこか不思議そうに向けられた言葉に殺生丸は訝しげな目を向ける。すると彩音は変わらず殺生丸を見つめるまま、普段と変わらない落ち着いたトーンで言葉を続けた。 「案外優しいなーって思って。ほら、私が気を失ってた時も私をどかせて放っておくことだってできたはずでしょ? なのに、ずっとそのままにしててくれたじゃん」 「……そんな余裕があったと思うか」 「それは…確かになかったかも…。でもそれだけじゃなくてさ。いまだって手で追い払ったり、“どっか行け”とか“失せろ”とか言えもするのに、“行きたいなら”って私に選ばせて好きにさせてくれてるじゃん。だから優しいんだなーって感じたんだよね」 なんだか嬉しそうに表情を和らげながら朗らかに述べられる言葉。どうしてかそれは殺生丸の記憶の奥深くを漁るような、掘り返そうとするような不思議な感覚があった。 なにかを思い出しそうな気配。その感覚に気が付いた刹那、「あ、でも…」と口を開いた彩音が我に返ったように難しい顔を見せた。 「殺生丸はこんなこと言われても嬉しくないか…。えっと…怒ってない…? 私はいいなと思って言ったんだけど…もし気分悪くしてたらごめんね」 心底気遣うように眉を下げながら小さく手を合わせる彩音。良かれと思って伝えたことだが、こと殺生丸においては逆に怒らせてしまったのではないか、と感じたのだ。 ――だが当の殺生丸は気分を害すことなく、そんな彼女の言葉に目を丸くしていた。 というのも、掘り起こされたのだ。先ほど思い出しかけていた、かつての巫女との記憶が。 「殺はこんなこと言われてもあんまり嬉しくないと思うけど…殺って結構、優しいところがあるんだよ」 ――いつだったか、美琴から向けられた言葉。不思議と親しくなった彼女から不意にそのようなことを言われたが、当時は納得がいかず「ふざけたことを抜かすな」と一蹴した覚えがある。 それをまさか今頃になって、それも、当事者ではない者の言葉から思い出すことになろうとは。 思いがけない出来事にわずかに開いた唇を、やがて静かに閉ざす。吸い込まれるように見つめていた少女から視線を外しては、それを地面へ向けるまま傍の少女と記憶の中の彼女を脳裏に並べていた。 「(この女は美琴の体を持っているからか…時折あれを彷彿とさせる言葉を口にする。見た目ゆえにそう感じさせられているだけなのか、それとも…)」 果てなく遠くに行ってしまった彼女を傍の少女に感じるたび、抱く疑念。 体が持ち主に影響を及ぼしているのか、持ち主が元より近しい思想を持っているのか――それらの答えは分からなかったが、以前よりも彩音という存在が美琴に近しいものとなりつつあるような気がしていた。 そのせいだろうか。以前はそれほど意識していなかった彼女の“美琴との選択の違い”が、少し気になってしまったのは。 「…貴様は、なぜ犬夜叉とともに行く」 ほとんど無意識のうちに、ふとこぼれ出た問い。 これまで彩音がどんな道を選ぼうがあまり気に留めていなかったのだが、どうしてかいま、それを知りたくなったのだ。 その問いを向けられた彩音は殺生丸を見やるまま、わずかに開いた口から“え…”と微かな声を漏らしそうになる。 その視線の先の殺生丸は地面を見つめるまま。彼の横顔になにかの感情が秘められているようには見えなかったのだが、このようなタイミングで向けられたからにはなにか思うところがあるのだろうと察せざるを得ない。 そう考えた彩音は、かつての出来事を思い出した。 ともに来るかと誘われた、あの時のことを。 「そういえばあの時…返事できてなかったね。あの時はごめん…私さ、犬夜叉たちと一緒に四魂のかけらを集めろって言われてて…私が玉を割っちゃった手前、その責任から逃れるようなことはできなかったんだ。だから、犬夜叉との旅を選んだの」 返事をできず仕舞いだったこと、そして提案に乗れなかったことを謝りながらあの日伝えられなかったことを口にする。 恐らく殺生丸は美琴のことで自分を傍に置いておきたいはずだ。それは分かっていたし、できるなら協力はしてあげたかった。だが犬夜叉やかごめとともにかけらを集めろという指示を無視できず、仮に殺生丸について行き四魂のかけらを集めたいと伝えても、きっと取り合ってはくれなかっただろうと思う。 それを思い含ませた言葉だったが、どうやら殺生丸もそれを理解したうえで否定するつもりもないらしく、ただ静かに目を伏せた。 サア…と風が葉を鳴らす。そっと静まった空気に気まずい沈黙が訪れるかと思われたそんな時、「でも…」と小さく口を開いたのは彩音だった。先ほどまでとは違う、どこか頼もしげな表情を浮かべて殺生丸に向き直る。 「案外、一緒に行かなくて正解だったかもしれないよ。私は桔梗と出会って美琴さんのことを聞けたし、燐蒼牙だって見つけた。だから二手に分かれた方が、美琴さんを目覚めさせる方法も早く見つかりそうな気がするんだよね」 「そう思わない?」と続けながら笑みを見せるその姿に、殺生丸は思わず彼女の姿を目に留めるまま言葉を失くしてしまう。 ――以前から感じるところがあった。どうして彩音はこうも他人に手を尽くそうとするのか。例え自分が犠牲になる可能性があるとしても、気丈に振る舞い厭わずに尽くそうとするのか。 なにひとつ理解できないそれが不思議で不可解で――やはりどこか、“彼女”と通じている気がして。そんな思いを抱いた途端、殺生丸はその思考を封じ込めるように深く瞼を沈めた。 よそう。考えたところで、比べたところで“彼女”を取り戻せるわけではない。面影をいくら見つけたところで、“彼女”の存在を証明できるわけではない。…むしろ、遠い記憶の中だけの存在となってしまいそうな気さえする。 こんなこと、考えるだけ不毛だ。まるで言い聞かせるようにそう思い直しては、封じ込めた思考を掻き消すままフイ、と顔を背けた。 「そう思うのなら早く戻ったらどうだ。貴様に残られてもやかましいだけだ」 背後の木に深く体を預けながら素っ気なく言い捨ててやる。すると彩音は唐突な切り捨てに少し面食らったよう目を瞬かせ、次いでは不服そうにじとー、と殺生丸を見据えた。 「まーたそういう冷たい言い方する。もっと優しい言い方してくれてもいいと思うんですけど」 「ふん。“失せろ”の方が良かったか」 「なっ…全然優しくなってないっ。それに、あれは例えばの話だから!そう言ってほしいわけじゃないからっ」 まるで望み通りの言葉だぞと言わんばかりに素っ気なく告げる殺生丸に納得がいかず、彩音はすぐさま食い下がるよう反論する。 ――その時、不意にガサ…という物音が聞こえた。 いつもの場所。またあの子供だろうか。そう思い彩音と殺生丸が同様に音の元へ視線を向けてみれば、やはりいつもの木の陰から覚えのある少女が現れた。 しかしその顔には今までにはない、殴られたような青痣がいくつもつけられている。 「なっ…その顔…」 只事ではない様子が明らかなその姿に思わず嫌な鼓動を響かせた彩音が声を漏らす。それと同時に、少女はこれまでと変わらない様子でまたも大きな葉を手にして駆け寄ってきた。そして二人へ差し出してきたのは、皿代わりの葉に乗せたネズミとトカゲ。 “人間の食いものは口に合わん”と言った殺生丸を考慮してのことだろうが、彩音の分までそれになっていることに微かな違和感を抱く。しかし殺生丸はそれにも構わず顔を背け、 「いらん」 と短く言い捨ててしまった。すると少女はこれでもダメかと言わんばかりに大きく肩を落とし、は~…と深いため息をこぼす。 その様子に彩音がまたも「ごめんね」と声を掛けてあげれば、殺生丸がこちらを向くこともなく少女へと問いかけた。 「顔をどうした?」 ただ少し、気になっただけだった。だから問うてみたのだが、少女はきょとんとした顔を持ち上げただけで、返事をするでもなく殺生丸の顔を見つめ続けている。 「…言いたくなければいい」 ――この娘…口が聞けんのか。 なにか言いたげではあるもののこれまで一貫して声を発しようとしないその様子からそれを悟った殺生丸は、確かめるように向けていた視線を再びそっぽへ投げる。だがそれは、突然にこっ、と浮かべられた満面の笑みによって再び引き付けられた。 とても柔らかな、嬉しそうな笑顔。 「(なにが嬉しい。様子を聞いただけだ)」 心配したわけでも、気遣ったわけでもない。だというのに明るく破顔する少女の様子に心底不可解だと感じさせられた。 それは先ほど彩音にも抱かされた感情―― 「(…揃いも揃って、分からん奴らだ)」 この少女も、彩音も、全てが理解できない。そう思わされ呆れ果てる殺生丸はそれ以上少女へ声を掛けることはなく、ため息すら出ないといった様子で再び顔を背けていた。 * * * 「私は彩音っていうの。君は…って、声が出ないんだっけ…ごめんね。せめて筆談でもできたらよかったんだけど…」 そう話しながら小さな少女と手を繋ぎ歩く彩音は初めて森を離れていた。少女の痣を見て心配した彼女が様子を見るためにも家まで送ると言い出したのだ。殺生丸もそれを止めることはなく「勝手にしろ」とだけを返し、変わらずあの場所で回復を待っている。 放っておいたら黙って行ってしまいそうだな、と思いながらも少女とともに行くことを選んだ彩音は村への道を歩き続ける。そんな時、ふと思いついたように「そうだ」と声を漏らした。 「ごめんね、ちょっとだけいい?」 なにやら上機嫌な様子の少女にそう声を掛けては目線を合わせるように屈み込む。そうして不思議そうな顔をする少女の顔へ手を伸ばした瞬間、その小さな体がビクッ、と揺れて強張ってしまった。 それに彩音がもう一度謝りながら「大丈夫。怖いことはしないよ」と微笑みかければ、少女は恐る恐る警戒を解いて身を委ねてくれる。 その姿にもう一度笑みを浮かべてはそっと少女の目元に手をかざし、そこへ力を送るよう意識を集中させる。すると柔らかく溢れ出した淡い光が少女の痣を溶かすように虚空へ昇り始め、やがてそこにあった痛々しい色は嘘のように消え去っていた。 「どう? 少しはよくなった?」 彩音が首を傾げながらそう問いかけると、少女は腫れて開くこともできなかった目をぱっちり開き、何度も瞬きをする。 まだ自身の体を癒した疲れが残っているために完治させることはできなかったが、それでも少女は瞬く間に傷を癒してしまったその力に感動するよう目を輝かせる。その様子に成功を確信し安堵した彩音は再び立ち上がり、「行こっか」と手を繋ぎ直して少女の村へと向かって歩き出した。 ――思えばセーラー服など、村の人たちに見られたら警戒されてしまうのではないか。遅れて思い出した不安を抱きながら恐る恐る村に踏み込んでみたのだが、どうやら幸い夕食時だったようで外を出歩く人に出会うことはなかった。 それに胸を撫で下ろしながら少女に案内される方へ歩いていくと、やがて大きな池のほとりへと辿り着く。するとそこには建物と呼べるかすら怪しいほどの歪な家があった。 村の人々とは少し離れた場所でこのような場所に住まわされているのか。たまらずそのような思いとともに彼女の境遇の苛酷さを感じてしまうが、当の少女は気にした様子もなく彩音の手を引いてそこへと向かっていく。 そうして彩音を招き入れるよう灯りもない真っ暗なその中を覗き込んだ――その時だった。 「!?」 「なんだ? 変な格好の女…このあばら屋おめえらん家か?」 少女が驚いた様子で足を止めると同時、家の中にいた男が問いかけてくる。片目が潰れたその男、一目見た瞬間こそは知り合いかと思ったが、男の言葉と少女が後ずさる様子からそれは間違いであることが明確に伝わってくる。 しかもこの男――四魂のかけらを持っている。 常人には見えないそれをはっきりと視認しては悟られないよう静かに燐蒼牙へ手を伸ばす。だがその瞬間、家々が立ち並ぶ村の方から「うわあーっ! 狼だあーっ」という凄絶な叫び声が響いてきた。 「ちっ、もう追いつきやがったか」 男が村人の悲鳴に忌々しげな声を漏らしたかと思えば、それは突然彩音たちを押し退けるようにして外へ飛び出してしまう。しまった、かけらが――そう瞬時によぎった思いに駆け出しそうになるが、振り返った先で村の人々が無数の狼に襲われていく光景を目にしてはたまらず足を止めてしまった。 彩音は咄嗟に少女の視界を遮るよう立ちはだかる。その時、少女の家から逃げ出した男は慌てた様子で村とは逆に位置する池の中へ駆け込んでいった。 どうやら男はあの狼たちから逃げているらしい。だがその慌ただしい水音は却って狼の注意を引いてしまい、数頭の狼たちが一斉に顔を上げては途端に男の元へと勢いよく駆け出した。 「うわあっ!」 躊躇いなく池に飛び込んだ狼たちに押さえ付けられる男の悲鳴紛いの声が上がる。すると村の方から何頭もの狼を引き連れた見知らぬ少年が姿を現し、男が池から引き上げられていく様子を愉快げに眺めるようほとりへと歩み寄ってきた。 「へっへっへ、捜したぜ。この盗っ人野郎」 「こ…鋼牙…」 (! あいつも四魂のかけらを…) 狼たちに引き上げられた男が弱々しく名前を口にしたその少年に彩音は目を見開く。 “鋼牙”と呼ばれた、黒髪のポニーテールが印象的なこの少年。彼にも四魂のかけらの光を見たのだ。しかし彼はこちらに目をくれることもなく男の元へ歩み寄り、足元のその頭をガキッ、と強く掴み込んだ。 「さあ、盗んだ四魂のかけら、大人しく出しな」 「わ、分かった。もう逃げねえよ」 ぐきぐきぐきと頭を握られ軋まされることに恐怖し観念したのか、男は怯えた様子で懐を漁り小さなかけらをひとつそっと地面へ置いた。震えを刻む指先をゆっくりと離せば、無邪気に笑む鋼牙がすぐさまそれを拾い上げて「へっへっへっ」と嬉しそうな笑い声を漏らしながら男に背を向ける。 かけらが戻ったことがよほど嬉しいのかそのまま離れていこうとする彼の姿を見上げた男は、心の底から安堵したようにほー…と大きく深いため息を漏らした。 「鋼牙…見逃してくれるのかい?」 「あ」 どこか感動さえ覚えたような男のその言葉に小さな声を漏らした鋼牙が立ち止まる。 その直後、鋼牙は振り返り際に振り下ろした爪でバキ、と男の首を刎ね飛ばしてしまった。 「ばーか。忘れてたんだよ」 鋼牙がどこか呆れたように、見下すように言い捨てれば、男の首がドシャ、と湿った音を立てて地面に落ちる。それを目の前で見せられる彩音は息を飲みながら少女を抱きしめるが、鋼牙は周りなど見えていないかのようにどこか愛おしげに狼たちへと振り返っていた。 「よーし仕事は終わりだ。おれは先に戻るからな。おめえら、村の奴ら好きなだけ喰っていいぞ」 彼が顔色ひとつ変えることなく平然とそう告げれば、狼たちはその言葉の通り村人たちを喰らいに走り出した。非力な人間である村人たちが一斉に襲い掛かってくる狼たちを追い払うことなどできるはずもなく、途端に数多の悲鳴と大量の血飛沫を上げながら瞬く間に無数の命が散らされていく。 それをしばらく見届けるよう眺めていた鋼牙がこの場を離れようとした――その時、不意に狼の甲高い悲鳴がひとつ上がった。 踏み出そうとした足を止めて振り返った先には、燐蒼牙を構えた彩音の姿。少女を守るよう背後へ隠したまま、襲いくる狼を切りつけ払ったのだ。 その状況を目の当たりにし理解した鋼牙はわずかに眉根を寄せるようにして彩音を見据える。 「女…おれの可愛い狼になにしてくれてんだ」 「人を襲わせておいてなに…!? あ、あんたの持ってる四魂のかけら全部出して、さっさとここを… !?」 強く言い返す言葉の最中、不意に背後から聞こえた物音にはっとして振り返る。どうやら気付かぬ間に背後から迫られていたようで、すでにこちらへ飛び掛かってきている狼の姿を目にしては咄嗟に少女をかばうよう抱き込んだ。 直後、狼の鋭い爪が背中を切り裂いた痛みに悲鳴紛いの声を上げ、彩音はその場に転がるよう倒れ込んでしまう。 「っ…逃げてっ。早く!」 「!」 強く歯を食い縛ると同時に少女の体を突き飛ばす。その勢いによろめく少女は一瞬躊躇うようにこちらへ振り返るが、彩音の強い眼差しと恐怖心に駆り立てられてすぐさま踵を返し駆け出した。 しかし当然狼たちがそれを見過ごすはずはなく、数頭のそれが少女を追っていく。 背中が燃えるように熱く、他の感覚が分からなくなるほど痺れるように痛む。それでもすぐに少女を追う狼をなんとかしようと、燐蒼牙を握り締めて必死に立ち上がろうとした。 だが支えとする腕を軽く払うように蹴られ、再びその場に倒れ込むと同時に燐蒼牙を押さえるよう踏みつけられる。 「お前…なんでおれが四魂のかけらを持ってるって知ってんだ」 「くっ……」 真っ直ぐに見据えてくる青い瞳。それに対抗するように、背中の痛みを押し殺すように強く唇を噛みしめて苦渋を滲ませる。 ――その時、突如鋼牙の背後から悲鳴とは別の騒がしさが響いた。それは村の中心から聞こえ、森の中へ逃げた少女が関わっているものではない様子。 ならば一体なにか。彩音がそう訝しむと同様に眉をひそめた鋼牙が音源へ振り返り目を凝らせば、その先からなにやら怒号に似た大きな声が響き渡ってきた。 「散魂鉄爪!」 聞き覚えのある声。それを耳にした彩音の表情は途端にわずかな明るみを差し込んだ。 それと同時に姿を現したのは、数頭の狼を散らしてみせる声の主―― 「犬夜叉っ!」 「彩音!!」 待ち望んでいた彼の姿に思わず大きな声が口を突いて出る。そして犬夜叉も同様に、あれ以来姿を見ることも叶わなかった相手の無事を確認し大きな安堵の色を滲ませた。 だがその周囲に散ったわずかな血飛沫と彼女の優れない顔色。それらに再び不安を煽られると、犬夜叉はすぐに彩音の前で燐蒼牙を踏みつけ立ちはだかる鋼牙へ深い警戒と怒りの色を露わにした。

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