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刀々斎が絶句している間にも犬夜叉と殺生丸は互いに距離を詰め、「食らえっ!」と声を上げた犬夜叉が先んじて鉄砕牙を振り下ろした。直後、ドガ、と凄まじい音を立てて地面へ叩き込まれるが、眼前の殺生丸には掠ってさえいない様子。それどころか目にも留まらぬ速さで真横へ回り込まれ、嫌な音を響かせるほどの威力で強く顔面を殴り飛ばされた。 それを見ていた刀々斎が思わず「あ゙」と驚くような不安がるような声を漏らす中、殺生丸は地を蹴り再び犬夜叉へと距離を詰めていく。 「どうした犬夜叉。刀々斎の頼みで、この兄を成敗するのではなかったのか」 「くっ」 「相変わらず手数が少ないな」 冷めた様子を示す鋭い目を見せると同時に振るわれた殺生丸の爪が容赦なく地面を抉る。だが犬夜叉はそれを瀬戸際でかわし、「この野郎!」と声を張り上げながら鉄砕牙を強く振り降ろした。 「!」 「ふん、掠りもせんわ」 そう言い捨てる殺生丸は犬夜叉の視界の端へ軽々と着地する。目の前の鉄砕牙が捉えたのは派手に抉り返された地面だけで、殺生丸の言葉通りその刃が彼に届くことは一度たりともなかった。 すると一連の動きを見定めていた刀々斎が元より大きな目を一層大きく見開いて愕然とし、絶望に似た表情を浮かべてしまう。 「うそ…全然だめじゃん。くぉら、冥加! ほんっっとに犬夜叉は鉄砕牙を使いこなしたのかっっ!?」 どうやら犬夜叉の鉄砕牙の扱いが刀々斎の想定を下回っていたのだろう、彼は自身の肩で飛び跳ねる冥加へ疑いの目を向けて必死に問い質す。それに対して汗をにじませた冥加が「だから一度だけ…」とどこか言い訳紛いの言葉で濁そうとしたのだが、それを聞いていたかごめが突如抗議するように声を張り上げた。 「ウソじゃないわよっ。それにいつだって…最後は必ず殺生丸をやっつけてるんだからっ」 「か、かごめっ。そんなこと言ったら…」 はっきりと言い切ってしまうかごめに慌てた彩音が止めようとするもすでに手遅れ。その声をしかと耳にした殺生丸がじろ、とかごめを睨みつけ、彼女は途端に「きゃ~っ、こっち見たっ!」と悲鳴を上げながら彩音の背後に隠れてしまった。 おかげでその視線を受けることとなった彩音は居たたまれず、つい「ち、違うよねっ」と否定の声を上げる。 「殺生丸はやられてるんじゃなくて、トドメを刺さないであげてるというか…そう、身を退いてあげてるんだよね! 殺生丸なりの優しさってことだよっ。うんうんっ」 「な゙…おい彩音っ。てめーどっちの味方してんだ!」 「えっ。だ、だって…ねえ…?」 咄嗟に殺生丸へフォローの言葉を向けるも犬夜叉に怒鳴られてしまって思わず狼狽える。 確かに犬夜叉の言いたいことは分かるのだが、一方的に言われっ放しはなんだか可哀想な気がしたし、放っておけなかったし…と口にすることのできない思いを抱えてしまって、口籠りながら人差し指同士をちょんちょんと合わせていた。 これが美琴の影響なのか、それとは関係なくなのか。それは彩音自身には分からなかったが、どうしても黙っていられなかったのだ。 …とはいえ、相手はあの殺生丸。もしかしてこのフォローは余計に怒らせてしまったのでは…と彼の表情を窺ってみると、その彼はなにも言うでなくただ静かにこちらを見据えていた。 だがそれもどこか呆れた様子で呆気なく視線を外されると、その目は隣の刀々斎へと静かに向け直された。 「刀々斎よ…鉄砕牙が憐れだとは思わんか。この犬夜叉は力任せに刀を振り回すだけ…それでは名刀も丸太と同じだ」 「って、なに頷いてるのよっ」 「ゔ~む、もっともな意見」 殺生丸の言葉が的を射ているのか、刀々斎があまりにも素直に納得して頷いてしまうものだからすぐにかごめが声を荒げる。しかし刀々斎は犬夜叉に対してすっかり落胆した様子で頭を抱え込んで縮こまっており、それを横目にした犬夜叉が「けっ!」と強く吐き捨てた。 「なに弱気になってんだじじい! 闘いは始まったばかりだぜ。覚悟しやがれ!」 「何度やっても同じこと。毒華爪!」 犬夜叉が即座に鉄砕牙を掲げながら殺生丸へと駆け出すが、迎撃せんとする殺生丸の毒爪が犬夜叉の右腕を容易く捉えてしまう。同時に食い込んだ爪はジュー…と肌を焼くような音を立て、犬夜叉の腕を溶かし始めていた。 「どうだ刀々斎! まだこの殺生丸の刀打つ気にならんか!」 「えーと…やなこった」 わずかな間を開けた反論のその瞬間、刀々斎の両頬が風船のように膨れ上がり、傍にいた彩音たちは驚きのあまり咄嗟にすざっ、と大きく後ずさる。しかしそれに構うこともなく頬を大きく膨らませた刀々斎は大きく跳び上がり、犬夜叉を抑え込む殺生丸へ向けて勢いよく業火を噴きつけた。 「な゙っ」 「! ちっ」 荒波のように迫りくる炎に目を見張った殺生丸は強い舌打ちとともに大きくその場を飛び退る。だがそんな彼とは対照的に不意を突かれて逃げ遅れた犬夜叉は見事に焼かれてしまい、咄嗟に刀々斎の元へ戻っては「なにしやがるてめえ!」と彼の頭を殴りつけた。 その時、刀々斎へ冷たい視線が鋭く向けられる。 「あくまでこの殺生丸を拒むか」 壁となって境界線を描く業火の向こうに立つ殺生丸が怒気を孕んだ瞳で刀々斎を睨みつけ言う。しかしその瞬間、これまで怯んでばかりであった刀々斎が突如がらりと顔色を変えた。 「やかましいわ! 大体貴様には、すでに立派な刀を一口(ひとふり)与えてあるではないかっっ!」 「!?」 我慢の限界だと言わんばかりに怒鳴りつける刀々斎の言葉に傍らの犬夜叉が目を見開く。これまで執拗に鉄砕牙を狙い続け、果てにはそれに匹敵する刀を打てという要求までしてしまう殺生丸がすでに刀々斎の刀を持っているなど、露ほども知らず考えもしなかったからだ。 だが刀々斎の様子からそれは紛うことなき真実なのだと思い知らされる。 「貴様の腰の天生牙! それもまた貴様らの親父殿の牙から、この刀々斎が鍛えし刀! 鉄砕牙に勝るとも劣らぬ名刀であるぞ!! 兄には天生牙を、弟には鉄砕牙を与えよと…これは親父殿の遺言でもある!」 「殺生丸の刀もおじいさんが…」 「しかし抜いたのを見たことがありませんな」 刀々斎の必死な訴えを耳にしたかごめと弥勒が殺生丸の腰に携えられた刀を見つめながらこぼす。その言葉の通り、いままで幾度も殺生丸との戦闘を見てきたにも関わらずその刀の刀身を拝んだことは一度もない。 それを思い返しながら殺生丸の様子を窺っていれば、彼は眉間にひどくしわを刻み込んでいままで以上に大きく妖気をざわつかせ始めた。 「ほざけ刀々斎。このなまくら刀が殺生丸に相応しいと抜かすか」 「怒っとる。逃げるぞ」 「な゙っ…」 突然大人しくなった刀々斎がひょい、と金槌を掲げながら呟いた言葉に耳を疑った直後、彼は高く跳び上がるとともに金槌を勢いよく振り下ろした。その軽々とした動きとは対照的なまでの威力で叩き込まれた地面は瞬間的にビシビシと悲鳴を上げ、深く大きくひび割れるよう亀裂を広げていく。 「!」 「げえっ、溶岩!?」 殺生丸が亀裂に目を丸くして身をかわすと同時、ようやく追いついた邪見が割れた地面から溢れ出す溶岩に驚愕しておたおたと後ずさっていく。その溶岩が瞬く間に量を増やし幅を広げ、まるで行く手を阻む川のように激しく流れる様を見据えながら、殺生丸は忌々しげに小さな舌打ちをひとつこぼした。 「ちっ…逃したか」 眉をひそめながら呟くその言葉の通り、あの一瞬のうちに溶岩の向こうにあったはずの犬夜叉たちの姿が跡形もなく消え去っていた。 それを確かに目にした殺生丸はそれ以上の深追いをやめ、呆気なく踵を返し歩きだす。それに慌ただしくついてくる邪見に振り返ることさえしないまま溶岩を離れると、やがて大きな岩へただ静かに腰を下ろした。 そうして追いついた邪見が正面に立ち、主の顔を覗き込むように真っ直ぐ見上げる。 「しかし初耳ですな。そのお腰の刀が父君の形見とは。一体どのような妖刀なので?」 「…知りたいか邪見」 「え゙!?」 静かに問い返されたかと思った次の瞬間、殺生丸はその刀を邪見の体へ躊躇いも容赦もなく勢いよく振り下ろしていた。 思いもよらない行動、迷いのなさ、鼓膜に響いたズドッ、という鈍い音。それら全てに翻弄されるまま「殺生丸…さま…?」とか細い声を漏らした邪見は目を大きく見開き、ついには力なく地面へと沈んでしまった。 そこに吹き抜ける風が、サワ…と地表の草を揺らす。だが殺生丸は顔色ひとつ変えることなく足元の邪見を冷めた目で見下ろすまま、 「バカか貴様。起きろ」 と呆れたような声で端的に呼び掛けた。それにより大口を開けたまま倒れていた邪見が「え゙?」と間抜けな声を漏らし、すぐさまその体を難なく起き上がらせてみせる。 「え? 斬れてない? なぜ!? 確かに斬られたのに…」 「分かったか。この天生牙は、」 殺せぬ刀なのだ。 そうはっきりと言い切る殺生丸の色のない瞳は、自身の手に握られた刀へ向けられる。 鉄砕牙のように錆びているわけでなく、大きな変化もしない。一見なんの変哲もないただの刀のように見えるそれは、美しく夕陽を反射させるほどに鋭利でありながらも一切血の味を知らぬほどに清らかな刀であった。

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