20

そうして一行は珊瑚の誘導の下、再び里の外れにある鍾乳洞へと足を運んでいた。未だ長く歩くことができない珊瑚は犬夜叉に背負われ、それを囲むようにして歩く一行はかごめが手にする懐中電灯の明かりを頼りに奥の空間へと向かっていく。 まるで知っているかのように足を進める一行の様子を見て、珊瑚は視線を奥へ向けるまま問いかけた。 「あんたたち、この鍾乳洞の奥にあるもの…見たんだね?」 「あー、ありゃ妖怪の木乃伊か?」 「そう、それも…無数の妖怪がひとつに固まって力を増したもの…竜や土蜘蛛や鬼なんかがね」 そう語られると同時に辿り着く開けた空間。その中央に鎮座する巨大な物体はやはり不気味で、何度見てもおぞましいと感じてしまう代物であった。それを目前に地面へ降ろされた珊瑚はゆらりと視線を上げて言う。 「たった一人の人間を倒すために…」 「人間を…?」 「そして…妖怪どもはその人間に喰らいついた」 「では…やはりこれは人間…」 珊瑚の体を支える彩音とかごめの代わりに、弥勒が呟きながら犬夜叉とともに木乃伊との距離を縮めていく。その目が見上げたそこには、今にも飲み込まれんばかりの髪の長い人間がかろうじて人の形を保つ姿があった。 「古い鎧を纏っている…昔の武将ですか」 「違う。それは…女の人だよ。何百年も昔の…巫女だって」 “巫女”、その言葉に彩音とかごめはドキ…と心臓が跳ねるような錯覚を抱く。同様に犬夜叉もなにかを感じ取ったのか、得も言われぬ顔に小さく汗を伝わせながら珊瑚へ振り返っていた。 しかしそれもすぐに木乃伊へ向け直されると、彼はわずかに眉をひそめながら納得するよう呟いた。 「なるほどな。妖怪相手なら、巫女は侍百人分くれえ強いからな」 (…じゃあこの人も…生きてる時はずっと妖怪と戦い続けてきたのかな…桔梗と、同じように…) 彩音は犬夜叉同様に木乃伊を見上げながら、脳裏に桔梗の姿を思い浮かべる。 そこに甦る記憶の中の彼女は弓を持ち、周囲へ警戒の眼差しを向けていた。それが不意に構えを取ると、迫りくる妖怪を破魔の矢で消し飛ばしてみせる。そうして桔梗はこちらへ振り返り、なにか囁きながら優しい微笑みを向ける―― ――その時、突如はっと息を飲むように我に返った。 (い、いまの…なに…? 桔梗のあんな姿…見たことないはずなのに…なのに、確かにこの目で見たような…) 知るはずもない桔梗の姿が鮮明に甦ったことで鼓動がひどく音を立てるほど激しさを増す。 いつか夢で見たことを覚えていなかっただけだろうか、そう考えるもそんな夢を見た記憶はどうしても思い出せず、デジャヴといった感覚もない。まるで本当に、いつかの記憶が甦ったかのよう。 どうしてこんなことが…そんな思いで狼狽えるよう一点を見つめ続けていれば、不意にかごめが不思議そうな声色で名前を呼んできた。 「どうかしたの? 顔、強張ってるわよ」 「あ…な、なんでもないよ」 気にしないで、と続けながら手を振るえば、かごめは未だ気にかけながらも「そう…」と返してくる。どうやらかごめ同様に彩音の様子を気にしていたらしい珊瑚も木乃伊へ視線を戻すと、彼女はその大昔の巫女の話を語ってくれた。 「まだ貴族が世の中を治めていた頃――戦や飢饉が重なって人がたくさん死んで…死体や弱り切った人間を喰いながら、一気に妖怪が増えていったんだって。色んな坊さんや武将が妖怪退治してたらしいけど、中でも翠子(みどりこ)という巫女は――妖怪の魂を取り出して浄める術を使い――十匹の妖怪を、一度に滅するほどの霊力を持っていた…」 「魂を取り出して浄める…?」 「うん、なんでも…この世のものは人間も動物も木も石も、四つの魂でできてるんだって」 (四つの魂って…四魂…!) 覚えのある単語に結びついた途端、思わずドキ、と心臓が跳ねるような錯覚を抱く。たまらず視線を流せば、どうやら隣のかごめも同様の思いを抱いたようでじっと珊瑚を見つめていた。 するとその話に心当たりがあるらしい弥勒が真剣な表情を浮かべてこちらへと振り返ってくる。 「神道のひとつの考え方ですな。四魂とはすなわち…荒魂(あらみたま)和魂(にぎみたま)奇魂(くしみたま)幸魂(さきみたま)。これが揃って一霊となり、肉体に宿ったのが心であると。荒魂は勇であり、和魂は親、奇魂は智、幸魂は愛を司る。これら四魂が正しく働いた一霊は直霊(なおひ)といい、人心は正しく保たれる」 言葉を詰まらせることもなくすらすらと語り切ってみせる弥勒。だがそれに犬夜叉と彩音はぽかーん、とした表情を向け、かごめと七宝は目を回すほど混乱してしまっていた。 「おらさっぱり分からん」 「なんか…一度に言われても…」 「全然理解できないね…」 くらくらしてしまう頭を整理しようにも、聞いたことのない言葉ばかりでどこから整理すればいいのかさえ分からない。そう感じては彩音までもが二人同様に目を回し始め、いくつも汗を浮かべる犬夜叉が要約を求めるように弥勒へ詰め寄った。 「…それで?」 「悪行を行えば四魂の働きは邪悪に転び、一霊は曲霊(まがつひ)となり人は道を誤ります」 「……」 またもさらりと告げられてしまう難しい話に犬夜叉は顔を引きつらせ、さらに多くの汗を滲ませる。 「いっぺんに言うなーっ」 「もう一度言いましょうか?」 「つまり魂は良くも悪くもなるって話だよ」 「はい」 たまらず吠え掛かる犬夜叉に対して珊瑚が端的に告げ弥勒が頷く。その言葉によりなんとか簡単に理解できた彩音たちは苦笑を浮かべ、珊瑚に話の続きを促すよう視線を向けた。するとそれを受けた珊瑚は再び巫女の亡骸を見上げ、「とにかく、」と口火を切る。 「翠子という巫女は四魂を浄化し、妖怪を無力化する術を心得ていた。だから妖怪どもは翠子を恐れ、命を狙い始めた。だけど闇雲に襲っても浄化されてしまう。だから翠子の霊力に打ち勝つ、巨大で邪悪な魂を持つ必要があった」 「それで妖怪たちはひとつになったんだ…でも、色んな妖怪がいたんでしょ? それがどうやってひとつに…」 「見てごらん、あそこ…もう一人いるだろ?」 そう言いながら身を乗り出して木乃伊を指差す珊瑚の言葉に彩音とかごめが「え…!?」と声を揃える。これまで翠子以外の人間などおらず、そのほかは全て寄り集まった様々な妖怪だと思っていたからだ。 そのため信じがたい思いを抱えるが、珊瑚の言う通り示された場所を覗き込んでみれば、確かに陰になったそこにひっそりと人影がひとつあった。だがそれは妖怪の体から生えたような状態の頭部と右手しか窺えない。 「あれも…人間なの…?」 「翠子を秘かに慕っていた男がいたんだって。妖怪たちはその男の心の隙につけ込んで、取り憑いた。たくさんの妖怪がひとつに固まるには、邪心を持った人間を“繋ぎ”に使うのが一番簡単なんだって」 珊瑚から淡々と語られる話に彩音はギク…と震えのような感覚を迸らせる。それは確かに聞き覚えのある筋書きであった。しかし翠子ではない、もっと身近なところ。そう、それはまるで… そう考えた時、やはり弥勒も同じことを感じたようで神妙な面持ちを犬夜叉へ向けた。 「犬夜叉。いまの話はまるで奈落…野盗鬼蜘蛛が妖怪どもに体を差し出し、奈落に生まれ変わった成り行きと同じではないか」 「奈落が…?」 奈落の過去を知らない珊瑚が弥勒の話に険しい表情を見せる。だが当の犬夜叉は弥勒に言葉を返すこともなく、ただ表情を強張らせたまま翠子の木乃伊を見つめていた。 「続きを話せよ珊瑚。この巫女は…妖怪に勝ったのか負けたのか」 まるで息を飲むように問う犬夜叉。その声に、珊瑚は小さく汗を滲ませるまま話を続けた。 「戦いは七日七晩続いたんだって。そして、とうとう翠子は力尽きて体を喰われ…魂を吸い取られそうになった。その時翠子は、最期の力で妖怪の魂を奪い取って、自分の魂に取り込み…体の外にはじき出した。それで妖怪も翠子も死に…魂の塊が残った…それが四魂の玉――でも…肉体は滅びても、四魂の玉の中でまだ翠子と妖怪たちの魂は戦い続けているんだって…」 「え…」 彩音はつい小さな声を漏らしてしまうほどに耳を疑い愕然とする。それもそのはずだ、生前命を懸けて戦い合った者たちが、死してなお魂の塊の中で戦い続けているなど、にわかには信じられない話なのだから。 ただの作り話ではないのか、そう感じてしまってもおかしくはないものであったが、どうしてかそれが揺るぎない事実だと心の奥底で理解しているような不可解な感覚があった。 「本当はね、四魂の玉は持つ者の魂によって、良くも悪くもなるらしい。妖怪や悪人が持てば汚れが増し…清らかな魂を持つ者が手にすれば浄化されると…何百年の間、四魂の玉は色んな妖怪や人間の手を転々とし、あたしのじいさんの代に、この里に戻ってきた」 「戻って…?」 「退治した妖怪の体から出てきたんだよ。じいさんもその時の傷が元で、間もなく死んだけど…でもその時はもう四魂の玉は、ひどく汚れていて…」 「(それで…桔梗の手に委ねられたのか)」 珊瑚が言葉にせずとも、わずかに眉根を寄せる犬夜叉は話の先を悟ってしまう。 桔梗は巫女の中でも特に強い霊力を持つ者であった。恐らく退治屋たちはその噂を聞きつけ、四魂の玉を桔梗に託そうと決めたのだろう。 犬夜叉同様にそれを考えていた彩音であったが、その時ふと、頭の中でなにかが繋がりを見せたような気がした。 「じゃあ…桔梗が玉の汚れを浄化したから奈落が生まれた…ってこと?」 「恐らくそうでしょうな。奈落は玉を汚したがっていた。桔梗さまの心を憎しみで汚し、四魂の玉に怨みの血を吸わせようと…」 「玉が…繰り返させているんだ」 弥勒が語る言葉に続くよう、珊瑚が忌々しげに顔を歪めながら唸るような声を漏らす。とても信じがたい話だが、間違ってはいないのだろう。恐らく桔梗もどこかでそれに勘付き、全てを終わらせようと玉を持って死んだのだ。そして美琴も桔梗に全てを背負わせないため、玉の力を分けて姿を消した―― (それなのに…力を分けた玉は二つとも…私たちと一緒に時を超えてここへ戻ってきた…) 桔梗の生まれ変わりと、美琴の体を継ぐ者。それぞれが違う時代に生まれながら同じ時代に、同じ瞬間に揃って現れてしまった。因果関係は分からないが、珊瑚の話を聞く限りでは誰しもが四魂の玉に導かれているのだと考えてしまう。 だがそんな思考を沈黙ごと打ち消すように、突如犬夜叉が「けっ、」と強く吐き捨てるようにして言い放った。 「おれたちの方が、玉に操られてるみてえじゃねえか。冗談じゃねえ。玉の因果でひでえことが繰り返されているんなら、そんなもん、おれがこの手で断ち切ってやる」 握られた拳が、彼の決意を示すように持ち上げられる。その姿を目の当たりにした彩音は胸の奥深く、届かないどこかにざわつきのようなものを感じる。それは恐らく、この先に計り知れないほど恐ろしい出来事の数々が待っているかもしれないことを予感してしまったのだろう。 そう考えた彩音はそのざわつきを押し込めるように胸元で手を握り、犬夜叉ならばやってくれるという信頼に小さく笑みを滲ませてその姿を見つめていた。

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