08

その後、石畳が元通りに直されると集まっていた全ての人たちが自分の仕事へと戻っていった。それと同様に彩音や犬夜叉、楓もその場を離れ、共に楓の家へ身を移す。 そうして囲炉裏を中心に腰を下ろした三人が揃って見つめる先には、彩音の前に寝かすように置かれた件の刀、燐蒼牙があった。 「彩音。わしにその刀を見せてくれんか」 ふと楓がそう言いだしてはこちらへ手を伸ばしてくる。その声に頷いた彩音は燐蒼牙を拾い上げると、少しばかりの緊張を伴いながら楓の手にそっと乗せやった。というのも、自分以外が触れても大丈夫だろうかという心配があったのだ。だがそこに異変が起こる様子はなく、どうやら守護の鳥は完全に鎮まったのだということが分かる。 それに安堵しながら楓を見れば、彼女は受け取った燐蒼牙を確かめるように様々な角度から見つめていた。 蒼い柄巻(つかまき)に白い目貫(めぬき)の柄、真っ白な鞘。これといった装飾などはないシンプルな造りだがとても美しく感じられ、目を奪われる感覚さえ抱くような代物であった。 しかしそれを両手で掴んだ楓が顔をしかめる。刀身を確かめるつもりのようだがどうしてかその両手が離れることはなく、力を込めても一定の距離を保ったままだ。 それに気が付いた犬夜叉は楓同様に顔をしかめ、どこか呆れた様子で楓を見やる。 「なに遊んでやがんだ? 楓ばばあ」 「誰が遊んでおるのだ。この刀、なぜだか全然抜けんのだよ」 「そんなわけねえだろ。貸してみな」 そう言って犬夜叉が手を差し出せば燐蒼牙はそちらへ渡る。すると犬夜叉は早速柄と鞘をそれぞれ握り、楓と同じように刀を抜こうとした。だが変化があったのは犬夜叉の表情だけ。燐蒼牙は変わらず鞘に収まったままで、犬夜叉がどうにか抜こうと試行錯誤するもがっちりと固定されているかのよう微動だにしなかった。 「えっ、本当に抜けないの?」 「ああ…こいつ、どんだけ強く引っ張ってもビクともしねえ…」 「なにそれ…でも、抜けなきゃ刀の意味ないよね」 貸して、そう続けた彩音は自身も試してみようと燐蒼牙へ手を伸ばす。それを受け取って柄と鞘を握り締めると同時、外から小さな足音が聞こえてきた。どうやらその足音は冥加を肩に乗せた七宝のもののようだが、彩音は気付いておらず。いざ抜かんと手に力を込めようとしたその瞬間、彩音の姿を見つけた七宝が途端に嬉しそうな様子でその背中へ飛び掛かった。 「遅かったではないか彩音! おらは心配したぞっ」 「わっ!? …あ」 「え゙」 「ん? どうしたんじゃ?」 どんっ、とぶつかられた衝撃に彩音が、続いて犬夜叉が声を漏らし七宝が首を傾げる。彩音も犬夜叉も、そして声を出すことすらできなかった楓も、三人は揃って見張った目を彩音の手元に向けていた。 それもそのはず。なぜなら彼女の手の中で、どうしても抜けなかったはずの燐蒼牙が鈍く光を反射させる刀身を露わにしていたのだから。 またも抜けない刀を抜いてしまった。それに一同が呆然とする中、七宝の肩で大きく跳ねた冥加が「ん!?」と驚愕の声を上げた。 「彩音っ、それは美琴さまの燐蒼牙ではないかっ」 「冥加じじい、この刀知ってんのか?」 「知ってるもなにも、これは犬夜叉さまの父君の牙から作られたものですぞ!」 「親父の牙から?」 冥加の思わぬ言葉に犬夜叉が目を丸くする。その間にも冥加は高く跳ねながら刀身に飛び移り、自分の真下のそれを眺めては「やはり…」などと一人納得するように呟いた。 「間違いなくこれは燐蒼牙。犬夜叉さまの父君の遺言により、美琴さまに渡った刀じゃ」 「犬夜叉のお父さんが美琴さんに…?」 「左様。父君が直接名指ししたわけではないがな…それより彩音、燐蒼牙は刀が主と認めた者…美琴さまでないと抜けない、繊細かつ凶暴な刀であったはずじゃ。あまり刀身を晒しておかぬ方がよい」 「え、わ、分かった…」 そそくさと刀身から飛び降りる冥加の言葉に彩音は慌てて燐蒼牙を鞘に納める。特に危険な気配はしなかったが、先ほどあの不死鳥のような鳥を見たばかりだ。なにが起こっても不思議ではないうえ、燐蒼牙のことを知っていた冥加が言うのだからここは素直に従っておくべきだろう。そう考えた彩音は大人しく燐蒼牙を床に寝かせておいた。 するとその様子を見守っていた冥加がふう、とため息をこぼし、腕を組みながらしみじみと言い聞かせるように言う。 「燐蒼牙はなにがあるか分からん刀じゃ。扱いには十分気を付けなければならんぞ」 「……もしかしてそれ…私に言ってる?」 「当然じゃ。なんせ燐蒼牙を抜くことができたのは彩音だけ。お主以外に託すことなどできんじゃろう」 「はあ…」 有無を言わせず燐蒼牙の管理を押し付けられる様子にげんなりとした返事をしてしまう。まだ美琴のこともよく分かっていないのに、彼女が持っていたという――それも危険だという刀を預けられても困ってしまうばかりだ。 ついため息を漏らしそうになりながら燐蒼牙へ視線を落としていれば、不意に訝しげな表情をした犬夜叉がそれを指差した。 「待てよ冥加じじい。美琴じゃねえと抜けねえってんなら、なんで彩音に抜けたんだ?」 「おらには分かるぞ。彩音が生まれ変わりだからじゃろ」 「いや…燐蒼牙はたとえ生まれ変わりとて、主以外には心を開かぬはず…」 自身ありげに言う七宝だが冥加は大きく首を捻りながら不思議そうに語る。しかし彩音はそれに対して首を傾げ、傍の燐蒼牙を撫でるように触れた。 「そんな違い、刀が分かるものなの?」 「燐蒼牙は精霊を秘めておると聞いた。恐らくその精霊が判別しておるのじゃろう」 「精霊…」 冥加の言葉に先ほどの鳥の姿が脳裏に甦る。思い返せばあれは彩音に対して“我が主”と言っていたうえ、刀を守る役目を終えるなり刀の中へ溶けて消えていた。ということは、あれが冥加のいう精霊で間違いないのではないだろうか。 そう考えては辻褄が合うような気がして納得できたが、しかし、結局のところなぜあれが美琴ではない彩音を主と判断したのかは分からず、誰もその答えに辿り着くことはできなかった。そのため、あれが従った以上燐蒼牙は冥加の言う通り彩音が管理することとなり、幸か不幸か、彩音はこうして新たな武器を手に入れることができたのである。 だが初めて手にする刀に彩音はやはり怪訝な顔をしていた。 「私が持っておくのはいいけど…刀ってどう持ち歩けばいいの? この制服じゃ難しくない?」 「ああ、それならわしが腰紐をこしらえてやろう。すぐに持ってくるから、少し待っているといい」 そう返してくれる楓が腰を上げるなりどこかへと出ていく。彩音はその背中にお礼を言いながら見届けていたが、やはり表情は変わらず晴れないまま、燐蒼牙へどこか不安そうな顔を向けていた。 「私に刀なんて使えるのかな…しかも、凶暴なやつ…」 手に取って持ち上げてみれば、弓より断然しっかりとした重量を感じる。これを扱うなど想像もできず、柄を握ってはやっぱり諦めるように手を緩めてしまう。するとそれを見ていた犬夜叉が床に横たわり、どこか呆れた様子で彩音に言いやった。 「ま、おめーは破魔の矢で充分だろ。そっちも練習が必要だけどな」 「わ、分かってるよ…いざって時にだけ、これを使えばいいんでしょ」 「そういうこった」 犬夜叉はそれだけ言うと大きなあくびをこぼす。ようやく落ち着いたことで気が緩んだのだろうか。こっちはまだ落ち着いた気がしないのに… そう思ってしまう彩音が燐蒼牙を再び床に置くと、七宝が突然思い出したように「そうじゃ」と言い出した。 「彩音。もう犬夜叉から聞かれたのか?」 「ん? なにを?」 「飛天の奴に抱えられて赤くなっておった理由じゃ」 さらっと向けられたそんな言葉に彩音と犬夜叉が揃って「「なっ!?」」と声を上げる。しかしそれぞれ驚いた理由は違うようで、途端に食い掛かるよう七宝へ迫った二人は口々に言いやった。 「えっ、え!? 私あの時赤くなってた!?」 「七宝てめえっ、なに言い出しやがるっ。それじゃおれが気にしてたみてーじゃねーかっ」 「気にしておったではないか」 「気にしてねえっっ」 「ちょっと待って、私本当に赤くなってたの!?」 こちらの問いかけにも構わず言い合う犬夜叉と七宝に彩音はもう一度問い質すような声を大きく荒げてしまう。すると七宝がこちらを見上げてきてはっきりと頷いた。 「確かに赤くなっておったぞ。おかげで犬夜叉が飛天の奴になにか言われたのではないかと心配して…いでっ」 ごんっ、と強くも鈍い音が大きく響く。どうやら耐え兼ねた犬夜叉が七宝の頭にゲンコツを落としてしまったようで、タンコブを膨らませた七宝はすぐさま「彩音~っ」とこちらへ縋りついてくる。その時彩音自身も自分で気が付いていなかったことを指摘されて戸惑っていたのだが、それでも七宝を抱き留めるなり一応といった様子で「こ、こら犬夜叉!」と彼を叱りつけた。しかしその犬夜叉は負けじと吠え掛かるように反論してくる。 「こいつが勝手に変なこと抜かしやがるからだろっ」 「そ、それは私も驚いたけど…でも…う、嘘じゃないんでしょ?」 信じがたく思いながらもそう問いかければ、七宝は再びしっかりと頷いてみせる。それに彩音は羞恥心がこみ上げてくるようないたたまれなさに苛まれてしまうが、真実ならば仕方ないと、少し反省するような思いで「そっか…」と呟いた。 するとそれを見てか、犬夜叉が突然「じゃー聞かせてもらうが、」と開き直った様子で言ってくる。 「彩音。おめーなんであの時赤くなってやがった」 「え…そ、それはだって…あんな風に抱かれて近かったし…その前に飛天が“おれ好みだ”とか、変な言ってきたから…」 「なっ…!? そ、そんなこと真に受けたのか!?」 「受けてないよ! 初めてそんなこと言われたから、ちょっと驚いただけっ」 愕然としてしまう犬夜叉に慌てて否定の声を上げる。実際あの時はいつ殺されてもおかしくない状況であったため、あのようなことを言われても嬉しく思うことなどできるはずもなかったのだ。それを伝えるように犬夜叉を見つめれば、なにやら疑心を抱いているらしい彼は訝しむ目でこちらを見つめ返してくる。 「ま…まさかおめー…あの時のく、口付けも、嬉しかったとかいうんじゃねえだろうな」 「はあ~っ!? 嬉しいわけないでしょバカっ。第一あのあと気絶させられてんだからね!?」 「だ…だよな。だろうと思ったぜ。おら、聞いたか七宝っ」 彩音の勢いに圧されながらもどこか安堵したような犬夜叉はそう言いながら七宝を見やる。しかしその七宝は少しばかり呆れた様子で犬夜叉を睨むように見据えた。 「なーにが“聞いたか”じゃっ。おらはただ彩音が、あんな飛天相手でも口付けされたからにはぞっこんになっておるかもしれんと心配をしておっただけじゃ。もちろんおらは彩音を信じておったのに…お前が勝手に決めつけて彩音を疑っておったんじゃろーがっ」 「てっ、てめー…もう一発殴ってやろうか!」 威勢よく反論する七宝へ犬夜叉がいまにも殴り掛からんばかりの勢いで拳を握り見せつける。その瞬間七宝は一層彩音にしがみついて助けを乞うが、その時不意に、外からチリンチリン、と自転車のベルが鳴り響いてきた。途端、覚えのある音にはたと動きを止めた一同は揃って音の元へ振り返る。するとその視線の先、簾の向こうから相変わらず大きく膨らませたリュックを背負うかごめが姿を現した。 「あれ? かごめ、勉強してたんじゃ…」 「区切りもいいし、用事が気になったからもう来ちゃった。用事って…その刀?」 「うん。突然見つかったみたいで…冥加じーちゃん曰く、美琴さんの刀なんだって」 不思議そうに見つめてくるかごめに彩音は七宝を降ろして燐蒼牙を渡してみる。そしてそれを眺める彼女に「ね、ちょっと抜いてみて」と提言した。そんな突然の要求にかごめはほんの少しの戸惑いを見せるが、すぐに頷いて柄と鞘を握り締める。 「あら?」 力を込めた途端、困惑するように目を瞬かせるかごめから短い声が漏れる。その手に握られた燐蒼牙はやはり鞘に納まったまま。どうやらかごめにもそれを抜くことはできなかったようだ。 やはり美琴とそれに関係する彩音にしか扱えないのか。そう考える彩音が感慨深そうに見つめる中、事情を知らないかごめは訝しげな顔をして首を傾げながら彩音を見た。 「なんなのこれ? ドッキリアイテム?」 「違う違う。なぜか私以外には抜けないみたいでさ、かごめはどうなんだろうと思って試してみたの。ごめんね」 「そういうこと…変わった刀ね」 「ほんとにねー」 かごめの声に改めて実感するような思いを抱いていたその時、突然背後でごんっ、と鈍い音が鳴った。それに驚いた二人が振り返れば、そこには仏頂面を浮かべる犬夜叉と泣き喚く七宝の姿。どうやら七宝が犬夜叉にべー、と舌を出して挑発してしまいこうなったようだが、それを見ていなかった彩音は「ちょっと犬夜叉っ」と声を上げ、それに続くようかごめがすかさず“おすわり”を炸裂させた。 「なんで七宝ちゃんをいじめるのよっ」 「も、元はと言えばこいつがだな…」 「かごめ、二人はさっきまで言い争いしてたんだよ…とはいえ、犬夜叉はもう少し大人になりなさい」 「あのなあ…そもそもおめーがあんな奴相手に…」 「なに? 私のせいにする気? へーそう。おすわり」 「ぎゃんっ」 途端に冷めた様子で容赦なく言霊を放つ彩音に犬夜叉が深く沈められる。それに七宝が「ざまあみろ」と意地の悪い顔をして彩音とかごめが共に犬夜叉へ「そうやってすぐに怒らない」「せめて殴るのはやめなさい」などとくどくど言い聞かせていた。 ――そこへ腰紐を持って戻ってきた楓は目の前に広がる珍事に立ち尽くし、ただ呆然と目を瞬かせてしまう。 「わしがおらぬの間になにがあったのだ…」

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