08

翌日。数学の補習のために勉強をしているかごめの部屋で、彩音はベッドに腰掛けたままぼー…と窓の外を眺めていた。 考えるのは昨日見た女の子のこと。彼女は夏に真冬の装いという奇妙な見た目をして不気味さを駆り立てていたが、思い返してみてもその小さな体から妖気を感じた覚えはなく、彼女が妖怪ではないかという線は薄く思えてくる。 しかしそれならばあの女の子は一体何者なのか、なぜあのように全身煤けていたのか…痛いくらい晴れ渡る空を眺めながら、彩音はただぼんやりとあの女の子のことを考え続けていた。 「…彩音彩音ってば」 「えっ」 不意に自分を呼び掛ける声にはっとする。すぐに振り返ってみれば、机に向かっていたはずのかごめが椅子を回してこちらに体を向けていた。どうやら気付かない間に何度か呼び掛けてきていたらしい。 「どうしたの? ぼーっとしちゃって。なにか考えごと?」 「んー…ちょっとね」 かごめにも相談しようかと思うも、彼女の手に握られたシャーペンが目に留まっては誤魔化すように笑い掛ける。ただでさえ戦国時代に行かされて勉強がままならなくなっている彼女だ、こっちにいる間だけでも余計なことは考えさせたくない。 そう思って不思議そうにするかごめをやり過ごそうとした時、不意に部屋のドアが開かれてその向こうからかごめの母が顔を覗かせてきた。 「かごめ、彩音ちゃん、ちょっといい?」 「なーにママ」 母の姿が見えた途端、かごめは今まで止まっていた手を隠すようにばっ、とノートへ向き直る。そんな姿に思わず苦笑を浮かべてしまいそうになりながら、彩音もかごめに続くよう「なんですか?」と返事をした。 するとなにやらリビングへと呼び出されて。不思議に思いながらも素直について行けば、そこには二人を待っていたらしい草太の姿があった。 「え~っ草太の付き添い!?」 「お友達のお見舞いに病院まで」 呼び出された理由を聞いてはかごめが思い切り不満そうな声を上げてしまう。やはり勉強で忙しいかごめは嫌なのだろう、「そんなっ…子供じゃあるまいし」とまで言ってしまうほど抗議をしていた。だがそれは「思いっきり子供だよー」という草太の言葉に一蹴され、かごめはより不服そうな顔で草太を見やってしまう。 「えっと…じゃあ私が行ってこようか?」 かごめの嫌そうな表情を眺めていた彩音が小さく手を挙げる。するとかごめは「えっ」と驚いた声を漏らしながらも、どこか助かるといった様子で表情を明るくさせた。 「行ってくれるの? 彩音」 「うん。私はすることもないし、泊めてもらってる分のお返しだってしたいから」 「あら、お返しなんていいのに…でも助かるわ。それじゃ草太のこと、お願いできるかしら?」 かごめの母に遠慮がちに頼まれては「はい」と答えてみせる。どうやら草太もそれに不満はないようで、かごめと草太とその母から揃ってよろしくといった言葉を掛けられた。 それがなんだか慣れなくて、気恥ずかしい。そんな思いを抱えて照れ笑いを見せた彩音は、やがて草太と共に友達が入院しているという病院へ向けて日暮家をあとにした。 * * * 電車に揺られ、辿り着いたのは隣町。道中でお見舞い用の花束を購入した彩音は草太の半歩後ろをついて歩くようにしながら見慣れない風景を眺めていた。すると不意に、千羽鶴を抱える草太が「彩音姉ちゃん…」とどこか様子を窺うような声を向けてくる。 「悪霊って…本当にいるのかな?」 わずかに不安を覗かせる表情で口にされる疑問。あまりに突拍子がなく、関連性も見えないそれには彩音も一度耳を疑うように「え?」と短い声を漏らしてしまった。 なぜ草太は突然そのようなことを言い出したのだろう。学校でそのような話でもあったのだろうか――彩音にはそれくらいしか考えつかず、 「悪霊か…どうだろうね」 と小さく苦笑するように答えることしかできなかった。 ――それ以降草太からその話題が持ち出されることもなく、やがて二人は目的の病院へと辿り着くなり草太の友達がいるという病室へ赴いた。ノックをして開いた扉の向こうには、人工呼吸器に繋がれて眠る男の子とその傍に立つ母親らしき女性の姿が見える。 その人は見慣れているのだろう草太の姿に気付くと、「あらっ、草太くん」と立ち上がり優しく表情を緩めた。そしてその視線は、初めて見る彩音の方へと向けられる。 「あなたは…草太くんのお姉さん?」 「あ、いえ…その友達です。ちょっと手が離せないみたいなので、私が代わりに」 「そうなの。悟のためにごめんなさいね。わざわざありがとう」 悟の母はそう言い、少し申し訳なさそうにしながらも温かい笑顔を向けてくれる。その様子に彩音が優しそうな人だな、と感じていれば、その間にもベッドの中の悟を覗き込んだ草太がその母へ問いかけた。 「おばさん、悟くんの具合どうですか」 「体はもういいんだけど、意識が戻らなくてね…半年間眠ったまんま…今でもお見舞いに来てくれるの草太くんだけよ。ありがとう」 「だって友達だもん」 わずかに表情を陰らせる悟の母へ草太は当然のように言い切る。すると草太はベッドの向こうの彼女の元まで歩み寄り、「おばさんこれ…」と持っていた千羽鶴を差し出した。それにもお礼を口にしながら悟の母は笑顔を見せる。 何気なくその姿を眺めていた彩音であったが、ふと千羽鶴を受け取る彼女の手に目を留めてしまった。というのも長袖に隠れるよう覗くその手に、痛々しいほどの火傷の跡がくっきりと残っていたからだ。決して軽いものではないそれに、ついなにがあったのだろう…と考えてしまったのだが、その視線に気が付いたらしい悟の母が手を隠すように握りながら言いだした。 「あ、ああこれ…半年前火事でね」 「え、あっす、すみませんっ。じっと見ちゃって…」 「大丈夫よ。それで悟も…」 慌てて謝罪する彩音に気を悪くした様子もなく、悟の母は優しい手つきで傍の悟を撫でる。 母の火傷、眠り続ける悟、全ては半年前に起きた火事が原因だという。それを教えられた彩音はその火事がよほど壮絶であったのだろうと考え、つい言葉を失くすよう口をつぐんでしまった。 ――その時、視界の端で悟に繋げられる点滴の管がギギ…と動いた気がして。それに気が付いた彩音がわずかに眉根を寄せた次の瞬間、悟の腕から点滴の針がむしり取られると同時、彩音のすぐ傍で点滴のバッグがパン、と大きな音を立ててひとりでに破裂した。 その唐突すぎる不可解な現象に一同が揃って短い声を上げるほど驚愕を露わにする中、彩音だけは足元でズ…と影が広がるのを垣間見た気がして。釣られるようにベッド下へ視線を向けては、途端に強くその目を見張った。 (なっ…!? この子、あの時公園にいた…) 見覚えのある女の子の姿にたまらず声を詰まらせるほどの衝撃を覚える。 年相応の無邪気さを感じる表情でこちらを見るその子はベッド下から上半身を覗かせ、悟から引き千切るようにして取った点滴の管をしかと握り締めていた。 一体なにを考えているのか。その子はしばらく彩音と目を合わせていたかと思うと、不意にどこか挑発的ともとれる笑みをニッ、と浮かべてみせる。 そんな時、 「まただわ、どうしてこんな…」 (え…!?) 不安と戸惑いを露わにした様子でこちらへ駆けてくる悟の母からこぼれた声。その“また”という言葉に心臓が嫌な跳ね方をしたような錯覚を抱いた時、突如目の前の女の子の体がス…と薄くなり、たちまちその姿は空気に溶けてしまったかのように見えなくなっていた。 ――消えた。しばらく彼女がいた場所を見つめてようやくそう確信できるような感覚を抱けば、徐々に鼓動が強まっていく言い表しがたい心地の悪さを感じ始める。 (あの子…悟くんのお母さんには見えてなかった…それに…こんなことをしたのも、きっと今日だけじゃない…) 先ほどの悟の母の言葉を反芻しては嫌な予感が胸のうちに広がりを見せて一層鼓動を激しくさせる。汗さえ滲み始めるほど強烈な不安に唇を硬く結ぶと、忙しない鼓動を抑えるように胸に当てた手を強く静かに握りしめた。 (このままにしておけない…これ以上なにかする前に、あの子をなんとかしないと…) ――胸騒ぎを抱えたまま帰宅し、数時間。空が深く暗い闇を落とす頃、夕食などを済ませて落ち着いた彩音はかごめと共に彼女の部屋にいた。 そこで彩音が持ち出したのは、例の女の子のこと。かごめならば先日公園で彼女の姿を垣間見ているため、相談にも乗ってくれるだろうと踏んだのだ。すると案の定彼女は嫌な顔ひとつせず話を聞き、彩音同様に考え込むよう難しい顔を見せる。 「うーん…確かに気になるわね…」 「でしょ。それにさ、病院に向かってる時、草太くんが少し気になること言ってて…」 「草太が?」 彩音の言葉にかごめは不思議そうな顔をする。それに彩音が頷きを返して「部屋に呼んでもいい?」と聞けば、彼女はすんなり承諾してくれて。すぐに草太を呼びに行った彩音は彼を連れて戻ってくると、二人揃ってかごめのベッドへ腰掛けた。 するとそれについてきたブヨが彩音の膝に乗ってすり寄ってきたのだが、それに苦笑した彼女は「ちょっと待っててね」とブヨの頭を軽く撫でやり、草太へ向き直るよう体を傾けた。 「草太くん。あの時私に悪霊がいると思うか聞いてきたよね。なにか…思い当たるようなことがあったの?」 そう問いかければ、草太は少し気まずそうに視線を落とした。やはりなにかあったのだろうか、まるで確信を得るような感覚でその姿を見つめていれば、草太は小さく呟くように言い出した。 「悟くん…悪霊に狙われてるんじゃないかって…」 「狙われてる…?」 「悟くん、半年前の火事からずっと意識不明なんだけど…最初のうちはクラスのみんなも、しょっちゅうお見舞いに行ってたんだ、でも…おかしいんだ…お見舞いの帰りに、階段から落ちたり…車に轢かれそうになったり…そんなことが続いて、みんな怖くなって寄りつかなくなっちゃってさ」 そう語りながら自身も不安なのか、草太は彩音の膝からブヨを持ち上げて抱え込む。その姿に彩音もかごめも大人しく耳を傾けていたが、深刻そうな表情を浮かべた草太の次の言葉に二人は揃って眉をひそめることとなった。 「その半年前の火事で…死んでるんだよね。悟くんのお姉ちゃん…真由ちゃん」 「「え…」」 たまらず漏れた声が重なる。それに釣られるよう顔を見合わせるが互いにそれ以上の声が出ることはなく、ただ強張らせた顔に冷や汗を滲ませるばかりだった。 胸のうちにあったわずかな可能性が、確信に変わったような気配を覚えて。

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