宛がった矢を力強く引けば、ぐに~…とした変な感触が伝わってくる。それでも懸命に飛天の滑車へ狙いを定めんと弓を引き絞っていた時、地面に叩き付けられた犬夜叉へ飛天がとどめを刺そうとした――その瞬間、かごめは大きく引いていた矢を勢いよく放ってみせた。
「!」
飛天が矢の存在に気付いた直後、カカ、と甲高い音を立てて射ち抜かれた滑車が真っ二つに砕け散った。まさか自分の放つ矢が狙い通りに当てられるとは思ってもいなかったのだろう、かごめは砕け散る滑車を見つめたまま「きゃっ、当たったっ!?」と大きく目を見張るほど驚愕を露わにしていた。それに
彩音が「ナイスかごめ!」と激励すると同時、片側の滑車を失った飛天の体がグラ、と大きく傾いた。
「(今だ!!)」
飛天のバランスが崩れた瞬間を見逃さなかった犬夜叉はすぐさま起き上がり飛天へと飛び込む。そしてガッ、と勢いよく雷撃刃の柄を掴むと、途端に我に返った飛天が大きく眉を吊り上げた。
「バカが、黒コゲにしてやる!」
そう叫んだ瞬間、飛天は雷撃刃へ凄まじい雷を迸らせた。以前よりも強いその雷。それが全身を駆け巡る犬夜叉はとてつもない痺れや痛みに襲われていたのだが決して放そうとはせず、それに信じられないと言わんばかりの声を真っ先に上げたのは、訴えかけるように何度も大きく飛び跳ねる冥加であった。
「無茶じゃ犬夜叉さま。いくら犬夜叉さまが頑丈だとて…手を放せバカもーん!」
「…って、冥加じいちゃんいつの間に…」
「また逃げてきたくせに偉そうな…」
かごめの前でぴょんぴょんと跳ねながら言う冥加の姿に
彩音は強い呆れの表情を露わにする。先ほどまで犬夜叉の肩で彼の闘いを見守っていたはずなのに、いつの間に逃げてきていたのか。相変わらずなその姿にため息すらこぼせずにいると、雷撃を全身に浴びる犬夜叉が不意に忌まわしげな目で鞘を見つめ始めた。
「くっ、この鞘…邪魔だ!!」
「わあっ大バカ者、誰が鞘を手放せと言ったー!」
「この方がいいんでい!!」
そう言い放つ犬夜叉は鞘を投げ出し、その手で拳を握る。すると彼は雷撃刃の柄を強く引きながらその拳をバキ、と音が響くほど強く飛天の頬へ叩き込んでみせた。強引な力技。それに一同が愕然とする中、殴られた勢いによって飛天は強く地面へ打ち付けられ、頭から激しく地を滑っていった。
「思い知ったかこのデコ助!」
地表へ降り立った犬夜叉は肩を上下するほど息を荒げながらそんな声を上げる。
そんな時、まさか犬夜叉があんな方法をとるとは思ってもみなかったかごめと七宝が「殴り飛ばした…」「簡単だけどすげえ…」と揃って唖然とする様子を見せていた。それには
彩音も同じ思いであったが、目の前でぴょんぴょん飛び跳ねる冥加が彼女に先立って感心の声を上げた。
「さすがは犬夜叉さま、体力勝負に持ち込んでしまわれた」
「…って言うけど、あんたさっきまで思いっきりバカ呼ばわりしてたよね?」
相変わらず調子よく言葉を変えて逃げてしまう冥加にすかさず突っ込みながら呆れの目を向ける。
それと同時、飛天から「ふ…」と吐息交じりの笑みが漏れた。それに振り返れば飛天はわずかに体を起こし、シュウウ…と小さな音を立てながらその身を白く染め始めていく。
「ツラを殴られたのは…生まれて初めてだ…」
そう呟いた飛天は雷撃刃を拾い上げて犬夜叉の前に立ちはだかり、途端に白く大きな湯気を巻き上げた。どうやら彼自身が発熱しており、その熱気によって激しい湯気が発せられたらしい。
体の内側から光り白くなる飛天の表情にはただひとつ、なによりも強い怒りだけが湛えられていた。
「終わりだよてめえ!!」
「ちっ」
襲い掛からんとする飛天の姿に犬夜叉はすぐさま跳び、地面へ投げ出していた鞘を握り締める。そして振り下ろされる雷撃刃をそれで受け止めてみせるが、その瞬間犬夜叉の目の前でピシ、という嫌な音が小さくも確かに響いた。
「げ!」
「さ、鞘にヒビが~っ」
「犬夜叉っ!」
たまらず各々が思い思いの声を上げる。それもそのはず、冥加の言葉通り犬夜叉が構える鉄砕牙の鞘に大きな亀裂が走ったのだ。このまま押し込まれたら鞘は折れ、犬夜叉は――ここにいる者は皆、殺されてしまう。誰しもの脳裏にその思いがよぎり、滲んだ冷や汗が音もなく頬を伝った。
しかし飛天は無慈悲にも雷撃刃で犬夜叉を抑え続け、忌々しげにその表情を歪める。
「この半妖野郎が、散々悪あがきしやがって」
「くっ…」
飛天の力に犬夜叉の小さな声が漏れる。飛天が変わらず雷撃刃を押し込もうとするのに対し、犬夜叉は亀裂を深めないためにも必要以上に押し返すことはできず、且つその手を緩めることもできなかった。
鞘が折れるか、それを避けて自身が受けてしまうか。そのどちらかしかないような状況に息を飲むことすらできずにいれば、
彩音の肩に乗った冥加がひどく不安げな声を漏らした。
「い、いかん。万が一鞘の結界が破れたら、いくら頑丈な犬夜叉さまでも…」
「っ…」
冥加の言葉に最悪の結果を想像しかけ、唇を噛みしめる。この状況を脱するにはやはり犬夜叉に鉄砕牙を渡すことがなによりの得策なのだが、その鉄砕牙は
彩音たちとは対になる場所で倒れる満天の亡骸の傍だ。さらに間には飛天がいるため、回収に行くのはほぼ不可能だろう。
一体どうすれば…と
彩音が拳を握りしめた時、突如自身の傍から小さな影が飛び出した。
「おらが刀を取ってくる!」
「七宝ちゃん!?」
「なにして…あっ!? 待ってかごめ!」
先走る七宝を連れ戻そうとしたのか、目を見張る
彩音の隣からかごめまでもが飛び出して行ってしまう。咄嗟に呼び止めようとするも二人が止まる様子はなく、唇を噛んだ
彩音は七宝の父の毛皮を手にしてそのあとを追いかけた。これがあれば七宝を呼び戻せるかもしれないと。
だが
彩音がもう一度七宝たちを呼び止めようとした時、熱気に三つ編みを揺らめかせる飛天の目がそれらへ向けられた。そして「くくく…」と妖しげな笑みを漏らしながら開かれた飛天の口に雷が溜め込まれる。
――これは、満天の雷撃。
「危ねえーっ!!」
すぐに悟った犬夜叉が張り裂けんばかりの声を上げるも、ほぼ同時に放たれた雷撃は目を見張る
彩音たちを襲う。その瞬間、無骨な岩さえ焼き消すその一撃はあっという間に三人諸共、周囲の全てを容赦なく飲み込んでしまった。
「へっ、ざまあみやがれ!」
地面を穿つほど消し飛ばし、その向こうで大きな炎に巻かれながら横たわる
彩音たちの姿を見据えて吐き捨てる。そんな飛天同様そこを見つめる犬夜叉はただ言葉もなく目を向けていることしかできず、やがてその行為すらも拒むように視線を背けた。それを前に向き直る飛天は変わらず雷撃刃で犬夜叉を抑え、挑発的な嘲笑を浮かべる。
「残念だったなあ半妖野郎、女もガキも死んだぜ」
「てめえ…許さねえっ」
唇を強く噛んだ犬夜叉は突如押し返すようにダダッ、と飛天へ駆け込んだ。その不意打ちに飛天は少しばかり後ずさってしまうがすぐに踏みとどまり、「くっ…」と声を漏らしながらも再び雷撃刃で彼を抑え込んだ。それでも犬夜叉は抵抗し、強い力で押し合ううちにビシ…と嫌な音が鳴る。鞘に雷撃刃の刀身がめり込んだのだ。
「バカが…鞘が割れるぜ…」
「それがどうしたあ!!」
叫ぶように言い返したその瞬間、犬夜叉は雷撃刃を押し切るほどの勢いで飛天の額に激しく頭突きを叩き込んだ。それを見守っていた冥加が思わず「ず…頭突き…」と驚愕の声を漏らすように、飛天も不意を突くまさかの一撃によろめきながら、変わらず睨みつけてくる犬夜叉と対峙するよう向き直った。
「こ、この野郎… (半妖のくせに、下手な妖怪よりしぶとく歯向かってきやがって…なんなんだこいつ…)」
今までにない諦めの悪さに飛天の表情が強張る。半妖は妖怪以下の存在だと、そう思っていた飛天にとって彼のしぶとさはあまりに想定外で、未だ立ち向かってくるその姿に汗を滲ませずにはいられなかった。
対する犬夜叉は強く歯を食い縛り、満身創痍でなおその目に決意を湛えて鞘を握り締める。
「てめえをぶっ倒すまで…おれは死なねえ!」
「ふっ、女を殺されて頭に血が昇ったか。鞘ごと真っ二つにしてやらあ!」
そう叫ぶと同時に距離を詰めた飛天が勢いよく雷撃刃を振り下ろす。犬夜叉は反射的に鞘を構えそれを防いだ――が、鞘からミシッ、という一層不吉な音が大きく鳴り響いた。
「おっ、折れるー!」
「勝った!」
――ドクン、
冥加の悲鳴と飛天の声が重なったその時、犬夜叉の手の中で今にも割れんばかりの鞘が大きな鼓動を響かせた。それに驚き目を見張る犬夜叉。なぜ鞘が鼓動を打ったのか――その理由を考えるよりも早く、“それ”は飛天の背後から勢いよく飛び込んでくる。
「(鉄砕牙!?)」
満天の亡骸の傍にあったはずの鉄砕牙が、犬夜叉を目掛けて独りでに飛んでくる。否、それが目掛けるものは犬夜叉でなく、彼が持つ“鞘”であった。身の危険を感じた鞘が、自ら鉄砕牙を呼び寄せたという。
「くっ」
咄嗟に鞘を投げ捨てては鉄砕牙を受け止める。それを両手で強く握りしめると瞬く間に牙の刀へと変化を遂げ、白い刀身が大きく広がった。
「でーい!!」
勢いよく振り切られた鉄砕牙が飛天の構えた雷撃刃の柄へ叩き込まれる。するとほんの一瞬の間のあと雷撃刃が真っ二つに分かたれ、飛天の四魂のかけらを埋め込んだ額から右肩に掛けて深紅の線が走った。
「(え…!? おれが…負けた…? 半妖に…)」
信じられないと、まさかと目を見張る飛天は真っ赤な鮮血を溢れさせながら体を傾けていく。そして地面へ沈むこともなく、彼は鎧だけを残して空気に溶ける蒸気の如く消え去ってしまった。
それに伴い、飛天が我がものにしていた四魂のかけらがキィーン、と小さな音を立てて地面に転がる。「おっと、四魂のかけらじゃ」と声を上げた冥加がすぐにそれを拾いに跳ねるが、いつもならすぐに飛びついてくるはずの彼が近付こうともしない様子に訝しげな顔を上げた。
「犬夜叉さま…?」
「ちくしょう…」
冥加が呼び掛ければ犬夜叉は崩れ落ちるように膝を突く。やはりその目は一度もかけらに向けられることなく、ただ悔しげに歪めた表情を俯かせていた。
「(
彩音…かごめ…おれがもっと早く飛天を倒していれば…)」
「犬夜叉…よかった、無事で…」
「
彩音…?」
不意に自身を呼ぶ声に振り返る。怪訝そうにひそめた眉の下で丸くした目は、青く大きな炎に包まれて立つ三人の姿を捉えていた。優しささえ覚えるその炎は彼女たちの髪や衣服を緩やかに揺らし、その姿を儚げに見せる。それに目を見開いた冥加が突如、慌てるように犬夜叉の肩へと飛び乗った。
「こっこれは…三人の魂じゃ。最期の別れを言うために…」
「なっ…」
涙さえこぼしながら告げられる冥加の言葉に犬夜叉の顔色が変わる。これが本当に三人の魂なのか、疑心を抱きながらもそれを肯定するかのような儚い光景に嫌な緊張が走る。それでも三人は安らかにも見える表情に微笑みを浮かべ、真っ直ぐに犬夜叉を見つめ続けていた。
「犬夜叉…色々ありがとう」
「犬夜叉ならきっとやってくれるって…信じてた」
「おらも…おとうの仇を討ってもらって嬉しかった…」
「!」
三人が空を仰ぎ見る。その瞬間、三人を包む炎が空へ吸い込まれるよう激しく立ち上った。まるで三人を空の向こうへ連れて行ってしまうかのように――
「ま、待てっ、行くなーっ!!」
途端に焦燥感を駆り立てられた犬夜叉は思わず叫び上げながら手を伸ばした。それが
彩音の手をグッ、と確かに握りしめた瞬間、彼女が驚いた表情を見せるも炎はキツネの頭を形作りながら細く高く空へと昇っていく。
間に合わなかった。そう愕然とした表情で消えゆく炎を見上げていた犬夜叉だったが、伸ばす右手に確かな感触が残っていることに気付いて視線を落とすと、「…ん゙!?」と声を漏らすほど目を見張る。
「…って生きてる…?」
「えーっと…行くなとか生きてるとか、どういうこと…?」
犬夜叉が目を丸くするのに続いて
彩音も呆然とするように目を瞬かせる。全く状況が飲み込めない二人が困惑するように見つめ合う中、隣でかごめに抱かれる七宝は物憂げな視線を空の彼方へと向けていた。
「(おとう…狐火でおらたちを雷撃から守ってくれたんだな…)」
視線の先でシュン…と渦巻くように姿を消す青い炎。それは七宝の父の魂そのもので、息子やその仲間を助けるという使命を終えたために成仏したようだった。
それを見てか、先ほどまで涙するほど真剣に語っていたはずの冥加がころっと表情を変えて一人納得するような声を上げる。
「うむ、まさしくあれは毛皮から発した狐火であった!」
「(三人の魂じゃなかったのか、コラ)」
呆気なく先ほどの発言をなかったことにしてしまう冥加の姿に犬夜叉はひどく引きつった顔を向ける。今この瞬間その身を潰してやろうかと、そう強く思うほどに。
しかしその手が冥加へ向けられるよりも先に、なにやらわざとらしい「まー」というかごめの声が聞こえてきて、振り返れば彼女は犬夜叉と
彩音の間を指差していた。
「そんなに仲良く手を握っちゃって。やっぱり二人とも、あたしが知らない間にずいぶん仲良くなってたんじゃない」
「えっ」
「なっ…だ、だからそんなんじゃねーって言ってんだろっ」
「照れなくてもいいのにー。七宝ちゃん、ちょっと二人きりにさせてあげましょ」
なぜだか楽しそうに笑顔を見せるかごめは不思議そうにする七宝を抱えたまま背を向けてしまう。その後ろ姿が徐々に離れていくのをぽかんと見つめる犬夜叉と
彩音だったが、引き寄せられるように顔を見合わせ自分たちの繋がれた手へ視線を落とすと、突然どちらからともなくぶん、と手を振り払った。
「てめーらが紛らわしーことするから、余計な誤解まで生んだじゃねーかっ」
「なっ、それはあんたが勝手に勘違いして手を握るからでしょ! 私に八つ当たりしないでよっ」
「八つ当たりなんかしてねえっ」
「してるじゃんっ」
ぎゃーぎゃーとやかましく言い合いを始める二人の姿。それをぽかんとした顔で眺めていた七宝は、至極不思議そうな様子でかごめへと向き直った。
「なにやらケンカを始めおったぞ」
「まあ…あの二人ならそうなるわよねえ」
「と、年頃というやつじゃろう」
甘い展開を期待していたかごめは苦笑し、かけらを運んできた冥加はどこか緊張した様子で誤魔化すように彼女の意見に乗る。そもそも犬夜叉が勘違いをしてしまったのは冥加の一言のせいで、それを理解している冥加は額に汗を滲ませながら決して犬夜叉と目を合わせようとはしなかった。
そんな三人の後ろ。絶えず言い合いを続ける犬夜叉と
彩音は、そんな状況でもしっかりと三人について歩いてきていたのだった。