その叫び声と同時に雷撃が放たれる――その寸前、ドカ、という鈍くも凄まじい音が
彩音の目の前で響かされた。視線の先には鉄砕牙の切っ先。思わず大きく強く目を見張った
彩音に触れんばかりの距離で迫る鉄砕牙は、満天の体を確かに貫いていた。
満天の向こうに見えた犬夜叉が、狙い通りと言わんばかりに強張った表情をこちらに向けている。それに気付いた瞬間、雷撃の光を失った満天の体が大きく傾き、そのままズウゥゥン…と地響きのような音を轟かせて地面に沈んでしまった。
後ずさり、それを目の前で見届けた
彩音はただ呆然とそれを見つめることしかできない。だが、不意に聞こえた「う…」という声で我に返るとそれに釣られるよう振り返った。
すぐ傍に、苦しげな表情で気を失う七宝の姿。慌ててその小さな体を抱き上げると、わずかな反応を見せる七宝が弱々しく掠れる声を微かに漏らした。
「お…おとう…」
(! もしかして、あの毛皮が七宝のお父さんの…)
顔を上げて目についたのは満天の腰に巻かれたキツネの毛皮。もしこれが七宝の父のものならば、幼くして理不尽に親を奪われた彼のために回収しておくべきだろう。当然、満天の体に残る鉄砕牙もだ。そう考えた
彩音はすぐさまかごめの元へ駆け寄り、七宝を彼女に押し付けるよう引き渡した。
「かごめ、七宝を連れて逃げて!」
「え…でも
彩音は…」
「私もすぐに行く! だから早くっ」
「わ…分かったわ」
まるで追い払うように強く言えば、かごめは七宝を抱きしめて言われるがままにその場を離れていく。それを横目で確認した
彩音は満天の腰からキツネの毛皮を解き取った。その時――
「満天ーっ!!」
突如飛天の叫ぶような大声が響かされる。同時に「ばかっ
彩音! そこから離れろ!」という犬夜叉の声が届き、はっと目を見張るように顔を上げた。そこにはこちらへ勢いよく迫る飛天の姿。血相を変えて飛んでくる彼に焦燥感を駆られた
彩音は錆び刀に戻った鉄砕牙を慌てて掴もうとした。
「ちくしょーっ」
鉄砕牙に手が触れかけた瞬間、悲鳴にも似た怒声を上げた飛天が
彩音へ容赦なく雷撃刃を振るう。幸いにも直撃は免れたものの、放たれた雷撃は地面を爆発させるように激しく破壊し、その衝撃で
彩音と鉄砕牙をそれぞれ大きく吹き飛ばしてしまった。
「
彩音!!」
地面に打ち付けられ転がる
彩音に声を上げた犬夜叉が慌てて駆け寄っていく。すぐにその体へ手を掛け「おいっ、生きてるか!?」と揺さぶれば、
彩音は苦しげに歪めた表情を確かに犬夜叉へと向けやった。
「ごめん…もう少し、だったのに…」
「ん?」
「鉄砕牙…間に合わなかった…」
「(…それでグズグズしてたのか)」
犬夜叉に体を起こされるなり申し訳なさそうに項垂れる
彩音。そんな彼女の様子に犬夜叉は安堵したような、それでいて呆れたような表情を見せていた。だが
彩音はやはり悔しげに、ボロボロの手でギュ…と小さく拳を握りしめた。
「本当にごめん…犬夜叉は助けてくれたのに…私、なにもできなくて…」
「けっ、くだらねー心配してんじゃねえ! 刀なんぞなくたってあんな奴…」
「うおおーひでえーーっ!満天が死んじまったーーっ!!」
不意に飛天の悲痛な叫び声が響き渡る。それに驚き振り返れば、満天の亡骸を抱きしめる彼の頬にはくっきりと涙が伝っていた。まさかあの飛天がこれほど感情を露わに泣き叫ぶとは思ってもみず、二人は戸惑うように眉をひそめながらその姿を見つめる。すると飛天は抱きしめていた満天の体を横たわらせ、「ううう…かっ…可哀想に…」と呟きながらその体へ縋りついた。
そして彼は突如、思いもよらぬ行動へ走り出す。
鉄砕牙に貫かれた満天の胸へ指を潜り込ませ、なんの躊躇いもなく満天の心臓を引きずり出したのだ。それに繋がる血管や神経がブチブチと千切れる音を鳴らし、大きなそれを両手で包み込むように顔の傍へ持ち上げる。
「あんちゃん、いつまでも一緒にいてやるからな…」
心臓を目の前にしてひどく涙をこぼしたその言葉の直後、どういうわけか飛天は迷いも躊躇いもなにひとつなく満天の心臓へ勢いよく喰らいついてみせた。
とても正気とは思えないその行為。それに目を見開き口元を押さえた
彩音は、絶句しながらも目を離すことができないまま愕然と震える声を漏らした。
「な、なんで…心臓なんか…」
「妖力を喰ろうておるのじゃ。飛天の奴、一人で満天の力をも得てしもうたことになる。犬夜叉さま、用心なされよ」
ひょーい、と姿を現した冥加が説明と同時に深刻な表情で犬夜叉へ忠告の声を向ける。だが当の犬夜叉はというと、肩に乗ってきた冥加へ訝しげな視線を注ぐばかりだった。
「それはいいが冥加じじい、今までどこにいたんだよ」
「え゙」
「まーた安全なとこに避難してたんでしょ。いつものよおに」
犬夜叉だけでなく
彩音からも疑いの目を向けられ、このように言及されるとは思ってもみなかった冥加は明らかな焦りを見せて後ずさった。それでいて二人に顔を迫らされるほどその額の汗を増やしてしまう様子に、
彩音は図星だな…と一層強い呆れの表情を浮かべる。するとそれに続くよう、犬夜叉がさらに追い込まんばかりに冥加へ大きく顔を迫らせた。
「都合のいい時だけしたり顔で出てきやがって、いつかツッコンでやろーと思ってたんでい」
「え~い、細かいことをグチグチと…」
冥加がやけくそ気味に反論の声を上げたその時、突如ドン、という凄まじい音と共に激しく眩い光が三人へ襲い掛かった。それは咄嗟に気配を感じ取った犬夜叉のおかげで免れることができたが、先ほどまで自分たちが立っていたはずの地面は焼き尽くされたように穿たれ、大きく深い穴を刻み込まれていた。
その向こうに見えるのは激しい妖気を溢れさせる、怒気に満ちた飛天の姿。
「てめえらよくも可愛い弟を…絶対に許さねえからな」
「(雷撃刃の威力が増してやがる…弟の妖力取ったってのは本当らしいな)
彩音、かごめと七宝連れてできるだけ遠くに逃げろ」
振り返ることもなく飛天を見据えたままそう告げる犬夜叉の言葉に眉をひそめる。そして背後へ振り返れば、そこには岩陰で不安そうにこちらを見つめてくるかごめの姿があった。
確かにこのまま犬夜叉の傍にいても足手まといになるだけだ。ならば彼女たちと共に逃げるべきだろう。そう考えはするものの、明らかに今まで以上の計り知れない力を見せる飛天にどうしても不安を抱いてしまい、
彩音は小さく犬夜叉を呼びながらその背中へそっと身を寄せた。
「絶対死なないって、約束して…」
ギュ…と犬夜叉の衣を握り締めてそう囁きかける。彼が死ぬなど考えたくもない、だがいまの飛天を前にしてはそれすらも脳裏をよぎり不安で堪らないのだ。
だが犬夜叉は
彩音に背を向けたまま、彼女の不安を吹き飛ばすかのように「けっ、」と吐き捨て、はっきり言い切ってみせた。
「このおれが死ぬわけねえだろ」
「……うん」
素っ気なくも力強いその言葉。それにわずかでも安心した
彩音は小さな笑みを残し、すぐさまかごめたちの元へと駆け出した。
――直後、
「ぶっ殺してやるっ!」
「!」
怒号と共に犬夜叉目掛けて放たれる、視界を埋め尽くさんばかりの凄まじい雷撃。鉄砕牙が手元にない犬夜叉には避けることで精一杯だと言うのに、それすらも許さないほど巨大な雷撃が迫る状況に“避けきれねえ!!”と直感的な絶望を覚えた――その時、肩の冥加が緊迫した声を咄嗟に上げてきた。
「犬夜叉さま、鉄砕牙の鞘を使いなされ!」
「鉄砕牙の鞘だと!?」
「必ずや雷撃を防げるはず!! さあ、騙されたと思って…」
「分かった、騙したらぶっ殺す!」
そう返しながらも冥加の説得に押し切られるよう腰に携えていた鉄砕牙の鞘を抜き取った。鞘にそれほどの力があるとは思えないが、他に手もない犬夜叉は藁にも縋る思いでそれを握り締める。
「半妖野郎、
満天の怨み思い知れ!」
鬼気迫る表情の飛天がそう言い放った直後、鞘を構えた犬夜叉へ凄まじい雷撃が襲い掛かった。だがそれは鞘に遮られるよう激しく光を散らし、その向こうの犬夜叉へは一切届かない。その間にも無防備な地面を抉り激しく音を響かせる雷撃は次第に虚空へ溶けるよう消えていく。
そうして周囲の地面だけを消し飛ばし、中央の犬夜叉には掠り傷さえ負わせられていない光景を目の当たりにさせられた飛天は「なに!?」と驚愕の声を上げた。
――だが、驚いているのは彼だけではない。
「こ、これは…」
激しい湯気と土煙の混ざったものが漂う中、犬夜叉は自分の手に握る黒い鞘を飛天同様愕然とした様子で見つめていた。あれだけ強大な雷撃を防いでみせたどころか、その鞘に小さな傷の一つも入っていない。そんな目を疑うような状況に立ち尽くす犬夜叉に対し、肩の冥加はどこか安心したような声色で言い出した。
「思った通りじゃっ。妖刀鉄砕牙を納める鞘であるからには、雷獣ごときの妖力を封じられぬはずはない!! わしの予想がズバリ当たった」
「予想っておい…出まかせか!?」
冥加の口から思いもよらない一言が漏らされて犬夜叉は思わず彼をじろ、と睨み付ける。だが冥加はそれを誤魔化すように「とにかくっ」と大きな声を上げ、犬夜叉へ訴えかけるように高く跳ね上がった。
「せっかく命拾いしたのじゃ、とっとと逃げましょうぞっ」
「冗談じゃねえや! こいつは使えるぜ!」
「え゙」
あの凄まじい雷撃を防げたことが自信になったのか、犬夜叉は冥加の言葉を聞かずして鞘を構えたまま駆け出してしまった。その余裕そうな犬夜叉が気に食わないのだろう、「しゃらくせえ!!」と声を荒げた飛天は再び犬夜叉へ雷撃を放ってみせる。
しかし鞘で防げることを知った犬夜叉は臆することなく跳躍し、真っ向から飛天へと迫っていった。
「懐に飛び込めば…ぶっ倒せる!!」
「バカかてめえ! おれは飛べるんだぜ!!」
そう言い放った飛天は犬夜叉の背後へ回り込み、彼の右肩付近へドカ、と雷撃刃を突き込んでしまう。その勢いに押されるよう落とされた犬夜叉の体は地面に叩き付けられ、「がはっ!」と苦しげな声を上げながら真っ赤な鮮血を大きく噴き上げた。
――その姿を岩陰から見守る
彩音は身を乗り出しそうになりながら不安げな表情を露わにする。今すぐにでも駆けつけたいが、自分が出て行ったところでなんの役にも立たないどころか足手まといになることは確実だ。それを分かっているからこそここで見守っているしかなく、なにもできない歯痒さに唇を噛みしめることしかできなかった。
「う…」
不意に、傍からそんな小さな声が聞こえてくる。それに気が付いた
彩音とかごめが揃って振り返れば、毛皮に包まれるよう横たわる七宝がゆっくりとその目を開いた。
「あ…? (おとうの毛皮…)」
「よかった、目が覚めた…七宝、体は大丈夫?」
「
彩音にかごめ…満天は…雷獣の弟はどうした!?」
「犬夜叉が倒してくれたんだけど…」
意識を取り戻すなり焦りを露わにする七宝へかごめが告げる。その視線が背後の岩の向こうへ向けられると、同様に七宝もそこを覗き込んだ。すると見えたのは飛天と闘う犬夜叉の姿。やはり強靭な鞘があろうと飛天の方が圧倒的に有利のようで、犬夜叉は今もなお振るわれる雷撃刃に押され続け、防戦一方といった様子を見せていた。
「犬夜叉、すごく苦戦してて…せめて少しでも飛天の動きを止められたらいいんだけど…」
変わらず不安な色を湛えた瞳で犬夜叉を見つめる
彩音。その言葉にかごめがはっと顔を上げると、途端に飛天の姿を見つめてなにかを指差した。
「
彩音、あれよ! 飛天の滑車…あれがなければ空も飛べないはず」
「! そっか、その矢で滑車を壊せば…」
かごめが手にする矢を指してそう言えば、かごめはその通りと言わんばかりに頷いてくれる。そうと分かればすぐに行動に移すべきだ、そう思った二人が互いの姿を見回して――黙り込む。次いでごそごそと各々が体をまさぐるがやはり言葉はなく、やがてぱちくりと目を瞬かせるようにもう一度しかと顔を見合わせた。
「「弓がない… 」」
もはや乾いた笑みすら浮かび、かごめに至っては涙すら流すほどは~、と落胆する。矢は満天の鼻先に刺さっていたものをかごめが取り返していたのだが、弓だけは連れ去られた時から持っておらずここに落ちているはずもない。
結局どうすることもできないことを思い知らされては呆然と地面に手を突いてしまっていたのだが、その様子を見つめていた七宝が不意に真剣な表情を見せてきた。
「おらに…任せろ」
「え…」
「ちゃんと恩返さねえと、おとうに怒られちまうもんな」
言いながら七宝は懐から取り出した葉っぱを頭に乗せ、毛皮に成り果てた父の姿を見つめて涙を拭う。すると途端に地を蹴って跳び上がり、炎を渦巻かせながら変化を始めた。そう、弓に化けてくれるのだ。そう考え表情を明るくさせた
彩音とかごめが期待の眼差しでそれを見守る――
――が、七宝が化けてみせたその姿に二人は目を瞬かせた。
「…カタツムリ?」
「いや…ナメクジじゃない?」
「…弓じゃ」
ぐにゃりと捻れたカタツムリのようなナメクジのような、なんとも言えない姿に汗を滲ませながら補足する七宝。確かに弦は張っているが、これで本当に矢を射ることができるのだろうか。そんな不安を抱きながらも一分一秒を争うこの状況で文句は言っていられないと、かごめは弓となった七宝の体を持ち上げた。