07

「あっうめえっ。かごめっ、うめーなこれっ」 「そお…よかったわね…」 「あんたカップ麺食べられるんだ…」 目を丸くしながら弾んだ声を上げる犬夜叉に対し、かごめと彩音の二人はどこか呆れた様子で冷めた目を彼に向ける。 ――現在、三人は戦国時代で四魂の玉のかけらを捜す旅を再開していた。しかしそれもしばらくして犬夜叉の“腹が減った”という言葉により中断。かごめが現代から持ち込んだカップ麺を渋々取り出し、犬夜叉一人が食事を始めたところで現在に至るというわけだ。 そんな彼の姿を彩音はただ静かに見つめやる。すると一向に食事をとろうとしない彼女を不思議に思ったのか、犬夜叉が顔を上げるなりきょとんとした表情を見せて問いかけてきた。 「彩音は食わねえのか」 「むしろこんなところで食べられるとお思いで?」 本当に不思議そうな顔をする犬夜叉に大きく眉をひそめながら言ってやる。 それもそのはずだ、ここは食事をするというにはあまりにも場所が悪すぎる。随分前に戦があったのか、辺りには大量の人骨や鎧、武器が散乱していて見るも無残な有り様。そのうえ荒らすように集まる無数のカラスががーがーげーげーとやかましく鳴き合っている始末だ。とても落ち着けるような場所とは言えないだろう。 「もっと花畑とかさあ…景色の綺麗な場所で休んでもよかったんじゃない?」 「花畑だあ? おめーそんな可愛い趣味してねーだろ」 「え、なに? ケンカ売ってる?」 さらっと腹の立つことを言ってくる犬夜叉に思わず拳を握り締める。だが犬夜叉はカップ麺を夢中でずびび、と啜っていてこちらのことなど気にも留めていない様子。そんな姿を見ては怒るのも馬鹿らしく感じて、彩音はたまらずため息をこぼしながら握っていた拳をおろした。 そんな時だった。どこからともなくゴオオォ…と風の唸るような音が聞こえ、辺りが瞬く間に深い闇を広げ始めたのは。 「な…なに? いきなり暗く…」 「! ねえ、あそこっ」 なにかに気付いた彩音が咄嗟に指を差した場所。そこにはチロチロ…と揺れる炎が渦を巻いている不思議な光景が窺えた。 「これは…狐火…?」 一同が揃って視線を向けると同時に、犬夜叉の肩に乗る冥加が訝しむような声でそう呟く。 “狐火”というからには、恐らくこの炎を作り出しているのは狐なのだろう。そう察するも安堵できずにいるのは、現れた狐火が一同の視界を埋め尽くさんばかりに拡大したからだ。さらにそれは一同を脅すように不穏な声を向けてくる。 「貴様ら…四魂の玉を持っているな…」 「なにい!?」 気配を嗅ぎつけられたか、四魂の玉のかけらを持っていることを見抜かれては犬夜叉が眉をひそめるほど強く声を上げる。やはりこれはただの狐ではない。かけらを狙うということは妖怪の類か。 そう悟った彩音とかごめが犬夜叉同様に身構えようとした――その瞬間だった。 「寄越せ~~」 ぽーん、 そんな軽快な音を響かせて現れた、ピンク色の大きな球体。まるで風船のようなそれはなんとも間抜けな顔をしていてどこか愛嬌すら感じてしまうような、お世辞にも怖いとは思えない姿をしていた。 あれほど不穏な雰囲気を持っていた狐火。そこから出てくる妖怪はとても恐ろしいものだろうと身構えていた三人はたまらず拍子抜けしてしまい、ただ呆然と硬直するように目の前のピンク球を見上げていた。 しーんと、変な間さえ空けてしまいながら。 「殺すぞ~」 反応らしい反応がなかったためか、ピンク球はもう一度そのような声を上げながら犬夜叉に近付き、かぷ、と頭へ噛みついてくる。当然、それは痛くも痒くもない微妙な攻撃。 そんな妖怪相手に呆れ果てたのか犬夜叉は若干困ったようにこめかみをぽりぽり掻くと、突然ぱぁん、と大きな音が響くほど強く平手打ちを叩き込んだ。同時に漏れる「あ゙ゔっ!」という情けない声。それを最後にピンク球は空気が抜けるよう萎んでいき、ついには三人の前でほんの小さな子供の姿へと変わり果ててしまった。 「いででで」 「ん゙?」 「子供…」 「この子が…妖怪?」 涙を浮かべながら赤くなった頬を擦る姿に思い思いの声を漏らす犬夜叉たち。どうやらこの小さな背丈の男の子が、先ほどの狐火や間抜け面をしたピンク球の正体のようだ。 それを暴かれてしまったのだが、男の子は屈する気がないのか顔を上げるなり犬夜叉を強く睨み付けた。 「あにすんだこの外道!」 「尻尾…」 「あ゙」 強気に食って掛かろうとするも、一切動じる様子もない犬夜叉に丸くふさふさの尻尾を掴まれ呆気なく持ち上げられてしまう。それほどまでに小さな体。犬夜叉はそれを一通り見回すと、なにかに納得した様子でなんともつまらなそうに言い捨てた。 「なんでえ子ダヌキが化けてたのか」 「キツネじゃっ」 犬夜叉の言葉に男の子がすぐさま強く反論する、そんな時。突然すぐ傍から「「かっ可愛い…」」という小さな声が二つ同時に漏れた。どうやらそれはかごめと彩音のもののようで、なにやら目を輝かせる二人はいそいそと揃って犬夜叉の方へ身を寄せていく。 「次抱かせてね」 「その次私っ」 「なに後ろに並んでんだよ。ん゙!?」 二人の行動に犬夜叉が訝しげな顔を見せた直後、男の子を掴んでいた腕が突然信じられないほど重くなり、犬夜叉はその場へ強引に屈み込まされるほど低く深く沈み込んだ。一体どういうことなのか、そう驚いた三人が揃って視線を向けた先には、どこからともなく現れた間抜け面の地蔵が犬夜叉の右手を潰すように鎮座する姿があった。 いまこの瞬間まで確かに男の子を掴んでいたはず。しかし肝心の男の子の姿はなく、近くにもそれは見当たらない。 一体どこへ消えたのか…と視線を巡らせようとしたその時、背後でなにかが荒らされるような騒々しい音が聞こえてくる。 「きゃっ、あたしの荷物…」 「あった! 四魂の玉のかけらじゃ」 咄嗟に振り返ればかごめのリュックを漁り、ついにはかけらの入った小瓶を手にする男の子の姿があった。いつの間に、そんな思いを途端によぎらせた彩音が焦りを覚えながらすぐさま駆け寄るが、その手が伸ばされた刹那、男の子は高く跳び上がると同時に彩音の手を阻むようもう一度大きな狐火を渦巻かせた。 「わはははもらったあ、さらばじゃ!」 「なっ…」 「消えた!」 瞬時に小さくなる狐火と共に男の子の姿が見えなくなる。彩音とかごめが逃げられたかと焦りそうになるが、対照的に犬夜叉は分かり切っている様子ですたすたと歩き出した。その視線の先には、不自然な尻尾が生えた動く頭蓋骨。 明らかに男の子が隠れている。考えるまでもなくそれに気付いてしまった直後、犬夜叉の拳がその頭蓋骨へ躊躇いなく振り下ろされたのだった。 「おらの名は七宝」 腕を組み、無愛想な顔を見せて名乗った男の子、七宝の頭には大きなタンコブが膨らんでいた。その手当てはかごめに任せ、一応話くらいは聞いておこうという結論に至った一同は彼を囲むように腰を下ろし視線を向けやる。 そんな中、絆創膏の封を開けるかごめが少しばかり厳しい口調で七宝に問いかけた。 「なんで四魂の玉狙ったのよ」 「おとうの仇を討ちたかったんじゃ」 「え、仇…? 七宝のお父さん、誰かに殺されたの?」 「ふーん、それでおめーは…この四魂のかけらで、妖力をつけようとしたってのか」 彩音がわずかに驚きながら問いかけるのに続いて、犬夜叉が呆れた様子のまま懐から小瓶を取り出す。どうやら七宝を殴りつけた時に取り上げていたようだが、それを見たかごめと彩音が呆気にとられるよう目を瞬かせる。しかし七宝はそんな様子に気付くこともなく、ただ犬夜叉へ言い聞かせるように反論の声を上げた。 「そんなもんの力借りなくたって、おらは強いわい。ただ…」 「ちょっと! なんであんたが持ってんのよ」 「あっ、てめえなにしやがる」 「かけらはかごめが持ってる方が安全なのー。あんたは持ち逃げしそうだからダメ」 「なんだとてめえっ」 七宝がまだ話を続けようとしているにも関わらず、三人はいつの間にか七宝の姿すら見ないまま小瓶の取り合いを始めてしまう。かごめが犬夜叉から取り上げ、犬夜叉がそれを奪い返し、彩音がさらに奪い取る。そんな慌ただしく騒がしい三人に、七宝は段々と我慢の限界を迎えるよう大きく肩を震わせていた。 「聞いてんのかこらっ」 「「「ん!?」」」 がたた、と自転車が大きく揺れる凸凹道。結局七宝の話は移動中に聞くことになり、戦の跡地を離れる一行はかごめの自転車を中心に進んでいた。そんな中、荷台に大荷物と七宝を乗せたかごめが大きな声が響く。 「えっ、七宝ちゃんのお父さん…四魂のかけら持ってたの!?」 「あいつら…かけら持ってる妖怪を倒してまわってるんじゃ」 「ねえ七宝、その“あいつら”って誰のこと?」 悔しげに表情を硬くしてしまう七宝に彩音が問いかける。すると七宝はわずかに声のトーンを落とし、「雷獣の兄弟…」と忌々しげに呟いた。それには彩音を背負って走る犬夜叉も微かに眉をひそめる。 「雷獣だと?」 「飛天満天のことかな? しょーもない乱暴者の兄弟だと聞いたが…」 「なんにしてもそいつらを倒せば、いっぺんに何個も四魂のかけらを取れるってわけか」 冥加の話に余裕と見たのか、犬夜叉は不敵な笑みを浮かべていつになくやる気を露わにする。しかしそれに対して「へっ笑わせんな」と馬鹿にするような声を上げたのは他でもない、腕を組んでふんぞり返る七宝であった。 「お前なんぞが勝てる相手じゃないわい」 「ん?」 「お前半妖じゃろ。人間の匂いが混ざっとる。下等な半妖のくせに、おらたち妖怪のケンカにしゃしゃり出てくんじゃねえ」 「なっ…ちょっと七宝! そんなこと…」 吐き捨てるように言ってしまう七宝を彩音が咎めようとしたその瞬間だった。犬夜叉が七宝に近付き、ばき、と容赦ない一発をお見舞いする。あまりに突然で、しかし自然にやってしまうその姿に七宝は呆然とするよう犬夜叉を見上げる。しーん、と辺りを包む不思議な沈黙。 それも束の間、犬夜叉はそのままばきばきばきと何度も七宝の頭にゲンコツを落とし、七宝から「わーん!」と大きな泣き声が上がってもなお容赦なく殴り続けていた。 「これっ、犬夜叉さま大人げないっ」 「それはやりすぎっ」 「犬夜叉っ」 いつまでも殴り続けてしまいそうな勢いの彼に三人が慌てて制止の声を上げる。するとそれによりようやく犬夜叉の手が止まった時、頭にいくつものタンコブを作られた七宝は慌てた様子で腰を低くして「すいませんすいません」と必死に謝り続けていた。それに対し、犬夜叉は無愛想な顔を見せながら腕を組んでしまう。 「けっ、分かりゃいーんだ」 「お詫びの印に…」 そう呟くように言いながら七宝が懐を漁り始める。かと思えば次の瞬間、犬夜叉の手の上にあの間抜け面の地蔵をズン、と落としてみせた。おかげで犬夜叉の体が突然低く落とされ、背中に乗っていた彩音は振り落とされるように尻餅をついてしまう。 「いっ、たあ…! こらっ七宝!」 「ひえっ」 叱り付けるように彩音が声を上げた瞬間、小さく飛び跳ねるほど驚いた七宝はそれでもしっかりと地蔵に一枚のお札を貼り付け、すぐさま逃げるようわずかな距離をとった。 「わ…わはははは、その札を剥がさん限り地蔵は動かんぞ!」 「てめえっ」 「おなごに手荒なマネはしたくなかったが…お前らもしばらく眠っていてもらうっ」 そう告げると同時、鋭い眼光を見せた七宝がすかさずかごめと彩音に飛び掛かる。気絶させるつもりだったのだろう、二人の首裏へどすっ、どすっ、と続け様に手刀を叩き込んでみせるが、二人は気絶するどころか七宝を叱るように勢いよく振り返ってきた。 「痛いでしょーっ」 「いー加減大人しくしろっ」 「ひっ。狐火!!」 重なるように大きな声を上げられて怯んだ七宝は慌てて狐火を渦巻かせる。その勢いと熱に二人は思わず後ずさりそうになるが、七宝が大きく跳んでいくと同時に目の前の狐火はあっという間に散るよう消えてしまう。ただの威嚇か、そう感じながらすぐさま振り返ってみれば、背を向けて逃げ出す七宝の手に四魂の玉のかけらが入った小瓶が握りしめられているのが見えた。 「あっ四魂の玉を…」 「これで雷獣どもを誘き出すんじゃっ」 「なにバカなこと言って…待て七宝っ」 「返しなさいっ。怒るわよっっ」 躊躇いなく駆けて行ってしまう七宝に慌てた二人はリュックに備えていた弓矢を手にして追い始めた。その姿に一番目を丸くしたのは犬夜叉だ。なぜなら彼は七宝の術のせいで動けず、両手を塞がれているために自分で札を剥がすことさえできないのだから。 「おいお前らっ、札剥がしてから行けっ。こらーっ」 怒鳴るように大きな声を上げた犬夜叉だが、あっという間に遠ざかっていく二人にその思いが届くことはないのであった。 * * * なんとか七宝を見失わないようにと追い続けていた彩音たちだが、気付けば周囲には背の高い野草ばかりが目立つようになっている。七宝はそれを狙って逃げたのか、小さくてすばしっこいその姿は簡単に景色の中に隠れてしまい見えなくなっていた。 これでは簡単に見つけることはできないだろう。そう考えた二人は手分けして捜すことにし、それぞれが違う方角へと足を進め始めた。 「七宝ー! いい子だから出てきてーっ」 大きく呼び掛けながら茂みを掻き分けて彼を捜す。だが相手はまだ背丈の小さい子供、その姿は中々見つかりそうもなかった。もしかしたらすでにここを離れてしまっただろうか。そんな思いさえよぎった時、遠くからバキ、と鈍い音が聞こえた気がした。 一体なんの音か。微かに眉をひそめた彩音は茂みに隠れるよう体を屈め、音が聞こえた方角へゆっくりと近付いていく。すると目の前の茂みの隙間になにかの姿が見えてきた。 「おめー四魂のかけら持ってんだろ~出せよ~」 「くっ…」 見知らぬ妖怪の言葉、さらにそれの足元に倒れ伏す七宝の姿を目の当たりにして心臓が跳ねるような錯覚を覚える。体が一気に強張るような、ひどい緊張が体中を駆け巡った。 あの妖怪から微かに感じる、嫌な気配。恐らくあれはただの妖怪ではないだろう。もしかすれば、七宝の言っていた雷獣兄弟の一人なのではないか。そう悟った瞬間、その妖怪は「出さねえとお~…」と間延びした声をこぼしながら大きな口をわずかに開き、そこにパリパリと音を立てる電気のような眩い光を覗かせた。 このままでは七宝が危ない――悪寒をよぎらせた彩音は、茂みに身を潜めるまますぐさま弓を構えようとした。だが彩音が矢を放つ寸前、がくがくと震える七宝の上を一筋の線がよぎった。 「で!?」 ドス、と鈍い音を立てて妖怪の鼻の辺りに突き刺さる矢。その瞬間「あ…当たった…」と驚いたような声を上げたのは、彩音の向かい側に立ちはだかるかごめであった。どうやらかごめも七宝と妖怪に気付き駆けつけていたらしい。 それにほんのわずかながら緊張を緩めると、妖怪がかごめへ振り返るのに合わせて彩音も姿を現すよう立ち上がってみせた。弓を強く、引き絞りながら。 「大人しくしてもらおうか」 「動けば次は脳天をぶち抜くわよっ」 威嚇するように妖怪へ告げてはほんの一瞬の間、かごめと視線を合わせる。大丈夫、二人で挟み込んでいるこの状況なら相手も下手な動きはしてこないはず。そう伝え合うように小さく頷くと、互いに妖怪を睨みつけて矢尻を静かに妖怪へ定めてみせた。 ――その頃、一人残された犬夜叉はというと通りがかる人全員に札を剥がせと頼んでいたのだが… 「妖怪じゃあ~」 「逃げるなこらっ。札を剥がせっつってんだっっ」 誰もが人間ではない犬夜叉の姿に怯え、近付くこともなくすたこらと逃げ出してしまっていた。どれだけ呼び止めても説得しても誰一人聞いてすらくれず、犬夜叉の手の上の地蔵は、犬夜叉をバカにするようなその顔でただじっと彼を封じ続けていたのだった。

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