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どこからか水が激しく打ち付けるような音が微かに聞こえてくる。鳥妖怪を撒いてしばらく走っているが、どうやら鋼牙はその水音の元へと向かっているようだった。それを悟った頃、ようやくその音の正体が彩音の視界に飛び込んでくる。 そこに見えたのは大きな滝壺。聞こえていた音はずっと高いところから勢いよく流れ落ちる滝が鳴らしていたもののようで、地鳴りに程近いそれを響かせながら薄く白い水煙を上がっている。 しかし、なぜこのような場所へ赴いたのか。そう疑問を抱く彩音たちとは裏腹に、鋼牙は迷いなく真っ直ぐにその滝へと進んでいった。 「鋼牙だ」 「若頭が戻った!」 滝の音に混じって不意に聞こえた二人の男の声。釣られるように視線を上げてみれば、滝の傍の岩に鋼牙とよく似た装いをした男たちがいて鋼牙の姿に表情を明るくさせていた。 そんな彼らの存在に彩音がわずかながら眉をひそめそうになると同時、あの流れ落ちる滝が瞬く間に眼前へと迫っていることに気が付いた。 「えっ、ちょ…わぷっ」 「きゃっ、冷た…」 まさかと思うも束の間、「さー着いたぞ」と口にしながら当然のように滝へ飛び込んでしまう鋼牙によって二人はあっという間にずぶ濡れにされてしまう。 突然誘拐された挙句、前置きもなく全身ずぶ濡れにされるとは…。この手荒い仕打ちについそんな思いを込み上げさせた彩音は今度こそはっきり文句を言ってやろうとすぐさま顔を上げた――が、喉元まで出かかった不満の声は濡れた前髪越しに広がる光景にぐ、と堰き止められた。 (な、なにここ…まさかこいつの…妖狼族の巣…?) 滝を抜けたそこに広がるのは、外からでは窺い知れない大きな洞窟。そこには無数の狼と、先ほど滝の傍にいた男たち同様鋼牙に似た装いの男たちが何人も居座っていて物々しい空間となっていた。 辺りを見回せば至るところに動物や人間の骨が転がり、周囲の男たちは物騒な武器の手入れをしている様子。 見渡す限り敵が蔓延るこのような場所に連れ込まれては、逃げ道など断たれたも同然だ。そう感じざるを得ない状況に言葉を失くしていれば、不意に鋼牙の肩から降ろされて傍らに立たされる。だが息をつく間もなくぞろぞろと近寄ってきた男たちに取り囲まれ、文字通り飢えた獣のようなぎらついた視線を注がれた。 「おおっ、美味そうな女どもじゃねえかっ」 「お、おれたちにも喰わせてくれ」 「この女は餌じゃねえっ。盗み喰いした奴はぶっ殺すぞ!」 捕食者の目をした男たちに鋼牙が牽制するよう強く言い放つ。 どうやら、いまのところは危害を加えるつもりはないようだ。それを察してひとまずの安堵に胸を撫で下ろせば、隣の鋼牙は不意に自身の尻尾を掴んで男たちへ見せつけるよう持ち上げて言う。 「てめえらはこれでも喰って我慢しとけ。くっついてきやがった」 「え゙」 「あ゙」 彩音とかごめが思わず揃って短い声を上げてしまう。そんな彼女たちが目にしたもの、それは怯えた表情でひどく硬直しながらも懸命に鋼牙の尻尾にしがみついている七宝の姿であった。 彼はかごめとともに犬夜叉の背に乗っていたため、二人を助けようと咄嗟に尻尾を掴んだのかもしれない。しかしその小さな体ではどうすることもできなかったようで、ついには鋼牙に尻尾を掴み上げられながら「かっ、かごめ~彩音~~」と悲しげで情けない声を上げてしまっていた。 その姿に慌てたかごめが「ちょっとやめてっ」と声を上げて身を乗り出すのに続き、我慢ならなくなった彩音が反発するよう鋼牙に詰め寄った。 「七宝を放して! 大体、なんでかごめまで攫ったの!? どうせあんたの狙いは私でしょっ。二人は関係ないんだから巻き込まないで!」 不満を爆発させるように捲し立てると同時に七宝を取り戻すべく手を伸ばす。だが鋼牙はそれを避けるように七宝を高く掲げながら不敵に口角を吊り上げた。 「お前ら同じ着物で紛らわしいからな。両方攫っときゃ間違いはねえだろ? それに、このちっこいのは自分から巻き込まれに来たんだ。文句があるならこいつ自身に言いな」 意地悪くそう言い捨てる鋼牙は七宝をこちらへ見せつけるように掲げる。そんな理不尽で横暴な言動に強く言い返したい気持ちはあったが、胸のうちに込み上げる自責の念に彩音はグ…と唇を噛みしめていた。 二人が巻き込まれてしまったのは、きっと自分のせいだ。自分が鋼牙と接触した時にかけらを持っているだろうと言ったから、体にかけらが仕込まれていることを彼の前で明かしてしまったから。だから鋼牙に目を付けられ、同じ制服を着ているかごめと、彼女と一緒にいた七宝まで巻き込んでしまった。 そう思い悩んで強い後悔に拳を握りしめると、彩音はその思いを振り切るように顔を上げ直して鋼牙へ迫った。 「私はあんたの言うことに従う。だから、二人には絶対危害を加えないで」 「へっ。こりゃ話が早えな」 彩音が自ら服する姿勢を見せたためか鋼牙の口元に胡乱げな笑みが浮かぶ。すると彼は呆気なく解放するように七宝を投げ渡してきて、すぐさまそれを受け止めた彩音は彼の無事を確認するなりその小さな体をギュ…と抱きしめた。同時に、鋼牙を鋭く睨むよう見据える。 そんな彩音の姿に鋼牙はフッ、と小さく笑んだ。 「そんなに睨まなくても約束は守ってやる。さあ、向こうに行きな。お前の仕事を教えてやる」 そう言いながら鋼牙は洞窟の奥を指し示して移動を促してくる。それを見ていたかごめが「彩音…」と不安げな声を向けてくるが、彩音は彼女に「大丈夫、任せて」と口にしながら小さく微笑みかけた。 巻き込んでしまった以上、自分が二人を守らなければ。不安に汗を滲ませながらもそう決意を固めるとともに、彩音は鋼牙の指示通り洞窟の奥へと足を踏み出そうとした。 ――その時、突如荒々しく滝を駆け抜ける音が聞こえたかと思えば、同時に焦燥を感じさせる大きな声が響かされた。 「どけどけーっ。ケガ人だ、そこを開けろーっ」 「おいっ。どうした、しっかりしろ! 誰か水持って来い。早くっ」 先ほどまでの静けさが一変、なにやら慌ただしい様子で男たちがざわめき始めた。そのただならぬ様子に鋼牙だけでなく彩音たちもそちらへ振り返ってみれば、複数人に囲まれる男二人が運び込まれるのが見える その物騒な雰囲気に眉をひそめた彩音はたまらず鋼牙とともに男たちの元へと駆け寄った。 見れば運び込まれた男はどちらも重傷を負っているようだ。その痛々しい姿に誰もが傷を見やる中、鋼牙は一人の男の手に握られた三枚の羽根を見逃しはしなかった。 「あいつらか?」 「ああ。見回り中に突然襲われたようだ。どうにか逃げ延びたのはこの二人…残りは谷底にもつれ合って、落ちてったそうだ…」 「……」 男の説明を耳にしながら、彩音は苦しげに歪んだ男たちの表情に静かに眉根を寄せる。握られた羽根を見るに、先ほど彩音たちも接触したあの鳥妖怪が相手だろう。それと争ったという二人の男のひどい有り様に居ても立ってもいられず、彩音は抱えていた七宝をかごめに預けて足を踏み出した。 「ごめん、ちょっと通して」 そう口にしながら目の前の男たちを押し退けて向かったのは横たわる男の傍。両膝を突いて屈むなり男の体へ向けて両手をかざした。 途端、周囲からは「なんだ?」「なにするつもりだ」と様々な疑心の声が口々にこぼされたが、彩音はそれらに構うことなく傷だらけの男にかざした手へ強く意識を集中させていく。 その仕草に覚えのあるかごめと七宝は驚くままに疑いの声を上げた。 「彩音!?」 「ま、待て彩音っ。こやつらの仲間を助けるのか!?」 「…色々思うことはあるけど…目の前でこんなに苦しんでるのに、放ってはおけないから…」 信じられないと言わんばかりの二人に振り返ることもなく答える。すると彩音は静かに目を伏せ、やがてその手のひらから柔らかな蒼い光を溢れさせた。それは男の体に染み込むよう伝わり、無数の傷をたちどころに光の泡と変えて消してみせる。 その瞬間、周囲に大きなどよめきが広がった。みるみるうちに傷を消していくその力を前に疑心は歓喜と驚嘆に変わり、「す、すげえ」「なにが起こってるんだ」といった感動の声が次々に降らされていく。 それらの声に包まれながらも彩音は口をつぐむまま集中し、やがてもう一人の男にも治癒を施し始めた。だが―― (あ…やば…) 治癒の最中、突如強い眩暈のような感覚に襲われる。 思えばつい先日まで寝たきりであった自身の治癒に相当体力を使っている状態であるうえ、いままで複数人を続けて治癒したことなどなかった。そのため力の制御と限度が分からず、無意識のうちに限界を迎えるほどの力を使ってしまったようだ。 朦朧とする頭の片隅で曖昧ながらそれを理解するも、すでに限界は間近。治癒の止め方さえ分からなくなってしまうほど頭が霞みがかっていくような気がして、ついにはフラ…と体が大きく傾く感覚に襲われた。 ――だが、それは誰かにしかと受け止められ、優しく頼もしい力で背中を支えられる。 「おい、大丈夫か?」 もやがかかったような意識の中、自分のすぐ傍から向けられた声は鋼牙のものであった。どうやら彼が受け止めてくれたようで、顔色の優れない彩音を気遣うような、これまでの横暴な彼からは信じられないような優しさが垣間見える表情を向けられる。 こいつもそんな顔、するんだ。 予想外なその姿にぼんやりとする頭でそう思ってしまいながら、彩音はいつしか疲労に身を委ねるまま「ごめん…」と口にしていた。倒れて気を遣わせてしまったこと、もう一人の仲間を完全に治すことができなかったことを思って。 だが鋼牙はその言葉に不思議そうな顔を見せ、 「なに謝ってんだ。お前はおれの仲間を助けてくれたんだろ。どんな術使ったのか分かんねえけど…本当に助かった。ありがとな」 そう続ける彼は頼もしく優しい表情を見せながら、まるで労わるように彩音の手をぎゅ、と握りしめる。 いままで向けられていた敵対者へのそれとは違う、真逆とさえ言える表情に彩音は少しばかり驚かされていた。 この鋼牙という男…荒々しく横柄な奴だとばかり思っていたが、もしかしたら本当は仲間思いの優しい性格をしているのではないだろうか――なんて、そんなことを思ってしまうほどに。 しかしその思考は我に返るなりすぐさま否定するよう掻き消す。こいつは自分たちを誘拐した敵なのだと、改めるようにそう考えては早く体を持ち直そうと地面に手を突いた。 「あ、あれ…」 手を支えに力を込めているはずなのに、どうしても体がうまく持ち上がらない。それほどまでに力を使いすぎてしまったのだろうか。まるで殺生丸と回復を待っていた時に戻ったように自由に動かせない体へ顔をしかめた彩音は、戸惑いながらも必死にもがいて体を起こそうとした。 ――のだが、そんな彩音の様子を見兼ねたらしい鋼牙が突然その体を掬うようにひょい、と抱き上げてしまう。 「えっ。ちょ、ちょっと…」 「体が動かねえんだろ。運んでやるから大人しくしてな」 突然のことに戸惑う彩音に対して鋼牙は構わないとばかりの様子で歩き進めていく。その足が洞窟の奥、毛皮が敷かれた場所まで運ばれると柔らかなそこへそっと寝かせるように降ろされた。 (な…なんか…思ってたのと違う…) 目の前の彼を見上げながら、たまらず抱いてしまう思い。これまでの彼の姿からもっと一方的で荒々しく、強引で無慈悲な扱いを受けると思っていたのだ。だというのに実際の彼はそんなこともなく、むしろ扱いは良いのではないかという気さえする。 そんな思いを抱いていれば、慌てて駆け寄ってきた七宝とかごめが「彩音っ大丈夫!?」と心配そうに声を上げた。彩音はそれに「大丈夫。ちょっと力使いすぎちゃっただけだから」と笑いかけては安心させるように七宝の頭をそっと撫でる。 そうだ。かごめたちのためにも、ここで弱っていてはいけない。早く鋼牙の目的をこなしてここから逃げ出さなければ。二人の姿に改めてそう認識し直してはグ…と拳を握りしめた。 「本題に入ろう。まず、あんたの目的を聞かせて」 「そんな調子でやれんのか?」 「大丈夫。少し休めばなんとかなるから」 どこか気遣いを感じさせるような鋼牙の問いに彩音は半ば自分に言い聞かせるようにして言う。そんな彼女の姿に鋼牙は口をつぐんでわずかに思考するような様子を見せたが、やがて「…分かった」と目を伏せるなり彩音たちの前にあぐらを掻くよう深く座り込んだ。 「襲ってきた鳥どもがいただろう。極楽鳥といってな、おれら妖狼族の天敵みてえなもんよ。その極楽鳥の親玉が、四魂のかけらを持ってる。おかげで何人も仲間が喰われた」 「…それで…?」 「奴らの巣を襲い、四魂のかけらをぶん取る。親玉の体の、どこにかけらがあるか教えろ」 「……」 端的に告げられる苛酷な条件にわずかながら躊躇いを抱いてしまう。 鋼牙の口振りからして、極楽鳥と妖狼族の全面戦争になることは必須だろう。そんな状況の最中で四魂のかけらを捜せというのだ。決して無事ではいられない。そう分かっているからこそ、すぐに了承の声を返すことができなかった。 悩むように口を閉ざしていれば、それを見兼ねたらしいかごめが不意に鋼牙の顔色を窺いながら顔を寄せてくる。そして鋼牙に見えないよう手で口元を隠した彼女は彼に聞こえないほど小さくひそめた声でそっと耳打ちをしてきた。 「彩音。ここは素直に従うのよ」 「え、でも…」 「外に出れば犬夜叉に会えるかもしれない。ここにいるよりいいはずよ」 覚悟を決めたような眼差しでそう説明されては感心するように目を丸くする。 かごめの言う通り、外に出ていた方が犬夜叉も匂いを辿って来られるかもしれない。そうでなくとも、これほど囲まれて閉塞的な空間より開けた外の方がいざとなった時に逃げられる可能性がある。 学ばされるようにそれらに思い至ると、彩音は小さく頷いて鋼牙へ向き直った。 「分かった。その話…引き受ける」 「あたしもやるわ。あたしも四魂のかけらが見えるの」 「なっ…ちょっとかごめっ…」 「へえ。そりゃ便利だ。話は決まりだな」 突然の暴露に彩音が慌てるも、撤回させる間もなく鋼牙が承諾し勝ち誇ったような笑みをこぼす。彼がかごめの言葉を疑う素振りすら見せなかったのは、恐らく彩音というかけらが見える存在を目にしているから、仲間であるかごめも同じ能力を持っていてもおかしくないと思ったのだろう。 おかげでかごめまで危険な役目を負ってしまうかもしれない状況に彩音は“どうして”と訴えるような視線を彼女へ向けるが、当のかごめは「大丈夫よ」と口にして強気な表情を浮かべていた。 鋼牙が承諾した以上いまさら取り消すことはできず、彼女だって譲りはしないだろう。それが分かっているからこそ、彩音は決意した。その時が来たら、なるべく自分が前に出ようと。なんとしてでも二人を危険に晒さないように、いざという時には逃がせるようにと。 その思いを胸に人知れず拳を握ると、一刻も早く本調子に戻すべく自身の体力を取り戻すことに専念した。 以降ページは後日公開予定。 よろしければ感想などいただけると嬉しいです。
 

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