27

「あの狼野郎。とっ捕まえて四魂のかけらぶん取ってやる!」 苛立ちを露わにした声を上げる犬夜叉がゴッ、と風を切りながら無骨な岩山を荒々しく駆けていく。その背にはかごめと七宝の二人が、並走する弥勒の背には彩音が乗せられ、中でもかごめと彩音の二人は不機嫌な犬夜叉の様子を窺うように見つめていた。 かと思えば、犬夜叉の顔を覗き込んだかごめが「ねー犬夜叉、」と呼び掛ける。 「いつものことだけどー、あんまりかっかしないでね」 「おれは冷静だ!」 「犬夜叉はかっこいいと思うよ。強いし…」 「そうだよ。犬夜叉は最高にかっこいいし最強だし、す~っごく頼りにしてるんだからね」 宥めるように語り掛けるかごめが唐突に褒め始めたのに続き、なにやら彩音まで同調するように声を投げかけてくる。 突然なんだと言うのか。理解できない彼女たちの言動に犬夜叉が困惑していれば、彩音に顔を振り返らせる弥勒がどことなく不満を感じさせる声で言った。 「おや、彩音さま。私のことは褒めてくださらないのですか?」 「え。あー…ほら、いま弥勒にまで言っちゃうとややこしくなるから…ね?」 「はあ。犬夜叉だけ特別扱いですか」 言葉を濁す彩音に弥勒はわざとらしく白けた表情を見せる。きっと分かってやっているのだろう、そう思うが一人だけを贔屓するような状況に彩音はつい「ごめんって…」と小さく手を合わせた。 するとその“犬夜叉だけ特別扱い”という言葉を聞き逃さなかった犬夜叉がぴく、と耳を揺らして。ほんのりと頬を紅潮させるなり、くすぐったそうに唇を結んだ。 こうして褒められることは嬉しい、が、いまは必死に鋼牙を捜しているのであってこんな風に持て囃されるタイミングではないはず。だからこそ犬夜叉は彼女たちの真意が分からず戸惑い、つい照れを滲ませながら尋ねてしまう。 「お前ら…こんな時になに言ってんだ?」 「そ、それは…」 「犬っころと言われて犬夜叉が傷ついとるから、必死に慰めておるんじゃろ。二人の優しさじゃ」 ぐさ。 突然彩音たちの耳にまで届いた、犬夜叉の胸に強く深く突き刺さる音。せっかく彩音が上手くかわそうと口を開いたのだが、それよりも先に七宝から容赦なく現実を突きつけるような言葉が向けられてクリーンヒットしたようだ。 おかげで少し淡い期待のような思いを抱いていた犬夜叉にかなり大きなダメージが入り、次の瞬間には七宝の頭に大きなたんこぶが膨らんでいた。 「余計なこと言うから…」 「黙っておけばよいものを」 納得いかないといった顔で涙を滲ませる七宝を見ながら彩音と弥勒が呆れて肩を落とす。 だがその直後、弥勒の表情がなにかを訝しむようなものに変わった。異変でも感じ取ったのか、辺りに視線を巡らせながら「この辺り…どうも妙な雰囲気ですな」と声のトーンを落として言う。 すると背後の珊瑚も同じ思いを抱えていたようで周囲へ警戒の目を向けながら弥勒に問いかけた。 「法師さまもそう思う?」 「嫌な妖気が漂っている。狼とはまた違うような…」 「別の妖怪がいるってこと?」 弥勒の言葉に珊瑚が問い返す。そんな二人の言葉を聞いて彩音も辺りを見回してみるが、それらしい姿はどこにも見当たらない。どこかに身を潜めている妖怪でもいるのだろうか。そしてそれは狼の仲間か、否か… 得体の知れない気配に警戒する珊瑚たちが眼光を鋭くさせる頃、一方で犬夜叉は仏頂面を浮かべるまま不機嫌そうな声音で彩音に呼び掛けた。 「おい彩音。狼野郎を片付けたらおれと来い。話がある」 「え゙っ。…え~? な、なに~? 話なんてある~?」 「色々言いてえことがあんだよお前にはっ」 「私からもお話したいことがありますからね、彩音さま?」 「うぐっ…み、弥勒まで…やだーっ、私は話したくなーーい!」 二人のまくし立てるような気迫に“これは絶対に怒られるやつだ”と悟った彩音が泣きごとをこぼす。 どうやら先延ばしになっただけで説教は免れられないらしい。それを思い知らされた彩音が落胆するように頭を垂れた――その時、前方の崖の陰に足を止める三頭の狼の姿が目に付いた。間違いない、鋼牙の狼だ。 「いたぜ! 奴の手下の狼どもだ!」 確信した犬夜叉が声を上げると同時、狼は一行が自分たちの存在に気が付いたことを認識するなり軽々と踵を返してすぐさま逃げ出してしまう。 その様子に「逃がさねえっ!」と声を荒げた犬夜叉は一層速く駆けるよう地を蹴り跳んだ。 恐らく狼たちが逃げる先に鋼牙がいるはずだ。そう予測しながら距離を縮めんと大きく跳び駆ける中、不意に頭上でなにかが動くような気配がした。 次の瞬間―― 「い゙や゙ーーーっ!?」 「きゃああああっ!」 突如岩山の上から雪崩のように駆け降り迫ってくる無数の狼たちの姿に彩音とかごめが揃って悲鳴を上げる。 どうやら待ち伏せをされていてまんま誘い込まれたようだ。そんな状況に珊瑚と弥勒が愕然とすると同時、狼を目の前にした犬夜叉はすぐさま拳を固く握りしめる。 「しゃらくせえ! かごめ、しっかり掴まってろよ!!」 「う、うん」 「彩音さまは私の後ろへ。絶対離れないように!」 「分かった!」 犬夜叉のように背負ったまま闘うのは分が悪いと悟ったか、忠告とともに彩音を降ろした弥勒は彼女を隠すよう立ちはだかりながら錫杖を握り締めた。その背後に立つ彩音もまた腰紐から燐蒼牙を鞘ごと引き抜き、応戦できるよう構えてみせる。 その間にも狼は迫っていて、大きく振るわれる錫杖が一匹、また一匹と狼を叩き払う。その時犬夜叉の方からは「散魂鉄爪!」と声が上がり、いくつもの狼の悲鳴紛いの鳴き声が高く上げられていた。 なんとか襲いくる狼を払ってはいるが、それはまだほんの一部。狼たちは仲間が散らされようと物ともせず、絶え間ない波のように次々と一行へ襲い掛かった。 「大群だ!」 「(くそっ、何匹いやがるんだ。このままじゃかごめだけじゃなく彩音まで危ねえ)」 止むことのない狼の荒波に険しい表情を見せ歯を食いしばりながら爪を振るい続ける犬夜叉。 弥勒がいるとはいえこの大群相手では彩音の方だって心配だ。だがそちらを意識しながら自身の背中にいるかごめと七宝まで守りつつ振り落とさないよう闘い続けるのはかなり厳しいものがある。恐らく、少しでも体勢を崩されれば飲まれてしまうだろう。 気を張り詰めながら次々と襲いくる狼を振り払い続けていれば、突如複数の狼が犬夜叉を拘束するように腕や足など体中に噛みついた。それにより動きが鈍らされたと同時、「くっ」と短い声を上げた弥勒に視線を吸われる。 見れば彼の元にも狼が一気に押し寄せ、その手に構えられた錫杖を抑え込むよう食らいつかれたようだ。 犬夜叉だけでなく弥勒まで動きを制限された――この隙を狙ったか、押し寄せる大群の中から突如大きく跳ね上がった狼が弥勒の背後、彩音を目掛けて勢いよく飛び込んできた。 「なっ…」 思わず目を見張った彩音は咄嗟に燐蒼牙を平行に掴んで狼の牙を受け止めてみせる。だがその衝撃はあまりにも強く、咄嗟のことで踏ん張りが効かなかった彼女はよろけるように後ろへ押されてしまった――その時、体がガクン、と崩れ落ちるような感覚に襲われる。 「あっ!?」 しまった――その思いをよぎらせた時にはもう手遅れで。狼に飛び掛かられた衝撃で崖のふちから足を滑らせてしまった彩音の体は、無慈悲にも宙へ投げ出されていた。 「彩音さま!」 「彩音っ!」 その姿に気が付いた弥勒と犬夜叉が強く声を上げる。瞬間、弥勒が食らいついていた狼を強引に振り払うが、それよりも早く狼を蹴散らし地を蹴ったのは犬夜叉であった。 犬夜叉は咄嗟に崖を飛び出すと、狼とともに落下する彩音へ手を伸ばす。 ――その時感じた、山の側面を凄まじい勢いで駆けてくる気配。思わず振り返った先から真っ直ぐにこちらへ向かってくるその人影は―― 「へへっ、いただきいっ!」 「「え゙!?」」 「な゙っ…」 ――鋼牙だ。そう判断した時にはすでに遅く、犬夜叉が手を伸ばしていた先の彩音、そして背中にしがみついていたはずのかごめの二人がものの一瞬で大きく跳躍する鋼牙の肩に担ぎ込まれて驚愕の声を漏らしていた。 それだけではない。まるで犬夜叉があとを追えなくなるよう体を拘束する狼たちが再び何頭も犬夜叉へ飛び掛かり食らいついていく。 「! こいつら、足止めのつもりか…くそっ。彩音っかごめ!」 「えっ、ちょ、だっ誰かーーっ!」 「彩音ちゃん! かごめちゃん!」 目まぐるしい展開とまさかの事態に混乱する頭で必死に助けを求める彩音。その声にすぐさま駆け出したのは雲母に跨る珊瑚であった。 同時に狼を散らした弥勒が遠ざかる鋼牙の姿に振り返っては、思いもよらない展開に愕然と目を見張るまま立ち尽くしてしまう。 「(あの鋼牙とやら…最初から彩音を奪うのが目的で――)」 囮のような狼に待ち伏せ、そして自分たちから引き離すよう彩音を襲った狼の所業――嫌でも分かってしまう彼の目的を察してはギリ…と軋むほど歯を食いしばった。 思い返せば鋼牙は初めて出会った時から彩音に用があると言い、犬夜叉が助けてもなお“奪い返す”とまで言っていた。なんらかの理由で彼女を狙っていたのは明白だ。それを思えばこのような事態も予測できたはずなのに… そう感じてしまう弥勒は彼女を守れなかった後悔に苛まれるまま、すぐさま珊瑚に続くようその足を踏み出した。 ――だが、余裕げな笑みを浮かべる鋼牙の足は無情にも犬夜叉たちとの距離を離していく。そんな中で彩音とかごめは鋼牙の肩に担がれるまま必死に抵抗するよう喚き続けていた。 「きゃーーちょっとなによあんた!」 「変態! 放せバカーーっ!」 「やかましいっ、耳元で騒ぐなっ!」 「騒ぐわよっ、きゃーきゃーきゃーきゃー!」 「バーカバーカバーカバーーカっ!!」 吠えるように怒鳴りつけてくる鋼牙に対抗してかごめと彩音は一層大きく声を荒げる。そんな様子を遠目に見据えてあとを追う珊瑚は焦りを抑え込みながらも「急げ雲母!」と声を上げて必死に距離を詰めんとしていた。 だがその時、突如周囲で異様な騒がしさが現れる。 聞こえたのは大きな翼で羽ばたくような複数の音。それに気が付いた珊瑚が咄嗟に振り返れば、そこには大きな丸い頭に翼を生やした奇怪な鳥らしき妖怪がいくつも飛び交っていた。その頭に人間の上半身に似た体を生やしたそれはバサバサと音を立てて迫り、鳥頭の巨大な口を開いて珊瑚へと襲い掛かる。 その光景に気が付いた彩音は喚くことを忘れるほど愕然と目を見張った。 「な、なんなのあいつら…!?」 「ちっ、あのバカ鳥どもが…おれを狙って来やがったな。ちょうどいい、女、よく見ろ!」 「は!?」 「あの鳥どもの中に、四魂のかけら持ってる奴はいるか!?」 「はあー!?」 突如誘拐されたうえに訳の分からない妖怪まで現れて絶体絶命としか言えない状況で、さらに誘拐する男に四魂のかけらを捜せと指示までされる始末。 なぜこんな目に遭わされて指示に従わなければならないのか、当然反発してやろうと思ったのだが、鳥妖怪が迫りくる光景と「早くしろ!」と急かす言葉に気圧されては押し黙るように口をつぐんだ。 あの妖怪たちは鋼牙を狙っている。ということは、早くこの場を切り抜けなければ自分も、そしてかごめまで襲われてしまうということだ。それを悟っては観念したようにかごめと顔を見合わせ、小さく頷き合った。 そうしてすぐに鳥妖怪の大群へ目を凝らし見回してみるが、そこには四魂のかけらの光はおろか気配すら感じられない様子。 「ここにかけらはない!」 「間違いねえな! じゃー用はねえ! 飛ばすぜ!」 彩音の断言に笑みを浮かべた鋼牙はそう言うと、すぐさま二人の体を押さえ込んで一層凄まじい勢いでギャン、と駆けてみせる。 「へっ、ざまあみろ。てめえら逆立ちしたっておれの足には追いつけねえよ!」 勝気にそう宣言する鋼牙は先ほどまでとは桁違いの速度で走り、つむじ風を巻き起こしながら瞬く間に鳥妖怪との距離を大きく離していった。

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