27

夜空に薄っすらと光が滲み始める頃、彩音はようやく叶った仲間との再会に表情を明るくさせていた。だがその感動も束の間、目の前の狼妖怪の少年、鋼牙に透けて見える光にはっとしてはすぐさま犬夜叉へ声を上げた。 「気を付けて犬夜叉! こいつ…」 咄嗟に伝えようとする言葉を遮り、鋼牙が彩音の姿を隠すよう前に立ちはだかる。そして彼は踏みつけていた燐蒼牙を端へ蹴り飛ばすと、犬夜叉を睨視するまま狼たちへ合図を出して彩音を隔離するよう取り囲んでしまった。 どうやら彩音を逃がすつもりはないらしい。それが分かる様子に犬夜叉はひどく顔を歪め、ギリ…と歯を鳴らすほど強く威嚇の意思を露わにする。 「てめえが人喰い狼の親玉かい! 彩音を放しやがれ!」 「この女には用があるんだ。どこのどいつだか知らねえが、おれの可愛い狼たちを殺しやがって! 許さねえぞてめえら!」 犬夜叉に負けじと激昂した鋼牙が声を荒げる。 どうやら仲間の狼を殺されて怒り心頭のようだ。だがその狼は人を襲い喰らっていた獣。周囲に充満する酸鼻極まる臭いから狼たちに罪がないとは到底言えないことを確信していた犬夜叉は、眉間に深いしわを刻みながらすぐさま反発するよう声を張り上げた。 「やかましい! 人の血の臭いぷんぷんさせやがって。一体何人殺しやがった!」 「飯食わせただけだ、文句あるかこの犬っころ!」 「な゙っ…」 躊躇いのない“犬っころ”呼ばわりに思わず面食らったようたじろいでしまう犬夜叉。それに彩音は「い、犬っころ…」と復唱しながら目を瞬かせ、さらには犬夜叉の傍の弥勒と珊瑚が「犬っころですと」「分かるのか」とどこか感心するような眼差しを鋼牙に向けていた。 対して鋼牙は不快そうな表情を見せ、ぺっ、と唾を吐き捨てる。 「おれは犬の臭いが大っ嫌いなんだ。胸くそ悪いぜ」 「おもしれえ。だったらその胸真っ二つにして、風通しよくしてやろうじゃねえか!」 鋼牙のあまりの言い種に痺れを切らした犬夜叉が駆け出すとともに鉄砕牙を勢いよく抜いてみせる。どうやら犬夜叉も彼のことがひどく気に食わないのか早く始末してしまいたいようだ。 それが分かるほどの勢いで鋼牙へ詰め寄った犬夜叉は力の限りで鉄砕牙を振り下ろしてみせる。だが激しい破壊音を響かせたそこに鋼牙の姿はなく、はっと見上げた頭上にこそその姿があった。 「覚えときな! おれは妖狼族の若頭鋼牙!」 気迫ある剣幕で威勢よく叫び上げられる言葉。それを耳にした弥勒が「妖狼族…?」と呟きながら眉根を寄せては珊瑚へ目配せした。 「知っていますか珊瑚」 「退治屋の仲間から聞いたことがある。狼を操る妖怪で…人の姿に化けちゃいるけど、本性は狼と同じ荒っぽい連中だって…」 そう語る珊瑚が警戒の目を向ける中、鋼牙は落下する勢いを乗せて犬夜叉へ強く右の拳を叩き込む。犬夜叉はそれを寸でのところでかわしてみせるが、直後、間髪入れずして振り上げられた鋼牙の左脚に顔面を強く蹴り付けられてしまった。 闘い慣れた軽やかな動き。普段から使いこなしているであろう足技に驚愕させられた弥勒たちが目を見張る頃、鋼牙は地面に激しく叩き付けられた犬夜叉を蔑むように見下した。 「口ほどにもねえな。さっきの威勢はどうした犬っころ」 「はっ、この程度でなに威張って…」 「なに威張ってんの!? 実力で闘ってもないくせに!」 突如犬夜叉の言葉を奪うように響き渡った声。それは狼に囲まれながらも毅然とした彩音のものであった。 しかし“実力で闘っていない”とはどういうことなのか。驚くままに振り返った犬夜叉が「…どういうことだ?」と呟けば、眼光を鋭くさせる彩音は鋼牙を指差しながら声を張り上げた。 「こいつの右腕と両足には四魂のかけらが使われてるの! だからさっきの攻撃は全部、こいつの実力じゃない!」 「!」 暴くように厳しく言い放てば鋼牙が強く目を見張る。だがそれは暴露されたことに対しての驚愕や焦りといったものでなく、なにか違うものを腹のうちに抱えるよう眉をひそめて彩音を見据える。 それとは対照的に「なっ…」と声を漏らした犬夜叉は信じられないと言わんばかりに丸くした目を彩音に向けて大きく吠え掛かった。 「ばかっ。なんでそれを早く言わねえ!」 「わっ、私は最初に言おうとして…」 「けっ、やたら態度がでかいから、どれだけ強えかと思ったら…四魂のかけらの力を借りてこの程度かい! 大したことねえなあ、このクズ野郎!」 「へっ、ひっくり返りながらキャンキャン吠えてんじゃねえよ! この犬っころが!」 彩音の弁明も聞かないまま罵倒する犬夜叉に対して同様に声を荒げる鋼牙。 一方が言い出せばもう一方も負けじと言い返す、そんな二人の隙もない勢い余る言い争いを目の前にする彩音はというと、 「こーやってあんたらが勝手におっ始めるからじゃん…」 と呆れを露わにするほかない状態であった。 どうやらそう感じているのは彼女だけではないようで、同様に二人を眺める弥勒が「うーむ、両名ともガラが悪いですなあ」と真剣そうに同調する。が、それは「人のことは言えんじゃろー」という七宝のツッコミに呆気なく切り捨てられてしまっていた。 しかしそんなやり取りが行われるも犬夜叉には無関係なようで、気に留めることもなく再び鉄砕牙を強く握り直してはザッ、と音を鳴らすほど勢いよく鋼牙へ駆け出した。 「てめえっ、その大口二度と叩けねえようにしてやる!」 そう言い放ち、鋼牙目掛けて力の限りで鉄砕牙を振り下ろす。だがそれが地面を捉える頃には鋼牙は軽く跳び上がっており、流れるようにすぐさま犬夜叉の頭へ膝蹴りを繰り出した。 しかしそれは犬夜叉も予想していたか、今度ばかりは食らうことなく咄嗟に突き出した左手でその膝をなんとか受け止めてみせる。直後、 「だーーっ!」 掛け声に等しい声を張り上げながら大きく腕を振り抜き、鋼牙の体を勢いよく投げ放った。対する鋼牙は「おーっと」と声を上げながらも物ともしない様子で着地し、容易く体勢を持ち直そうとする――が、犬夜叉の視線が自分ではないものを捉えていることに気が付いた。 どうやら鋼牙を大きく投げ飛ばした目的はただ攻撃を受け流すためだけではない様子。 「てめえら、そこをどけーっ!」 犬夜叉が怒声を上げながら鉄砕牙を掲げ向かうのは彩音の元。そう、先ほど鋼牙を投げ飛ばしたのは未だ狼に囲まれて脱け出せない彼女を助けるためだったのだ。 狼だけならば蹴散らすことなど造作もない。それを思いながら強く鉄砕牙を振り下ろせば、牙を剥き威嚇していた狼たちも蜘蛛の子を散らすように彩音から離れていく。 その隙に犬夜叉は彩音の手を取り、強引にその体を抱き寄せてはすぐさま後方へ大きく跳び退った。 「い、犬夜叉…」 「油断したなクズ野郎。彩音は返してもらったぜ!」 彩音が安堵を滲ませた瞳を向ける彼はその肩をしかと抱きながら鋼牙へ強く言い放つ。 まさか戦闘中に救助に向かうとは思っていなかったのだろう。鋼牙は「ちっ」と小さく舌を打ちわずかに不快そうな様子を見せた。だが、その足はすぐに踏み出される。 「だったら奪い返すまでだ!」 そう声を上げた鋼牙は凄まじい威力で地を蹴り迫ってくる。それと同時に彩音を背後のかごめたちへ引き渡した犬夜叉は「お前ら下がってろ!」と言いつけ、すぐさま鉄砕牙を両手で握り締めた。 「(ちょうどいい。鉄砕牙の練習台になってもらうぜ)」 彩音たちを背に隠すよう、鋼牙を迎え討つように立ちはだかり鉄砕牙を握る手に力を込める。 ――妖気の流れがぶつかってできる風の裂け目…風の傷。犬夜叉は以前の経験を思い出すように集中し、意識を研ぎ澄まして迫りくる鋼牙の姿を真っ直ぐに見つめた。風の傷を、探り当てるべく。 刹那、自身と鋼牙の間に渦を巻くような風の裂け目が視覚化する。 「(これだ。風の傷の匂い! この風の軌道を斬れば…鉄砕牙の真の威力が、) 食らえーーっ!」 確信とともに渾身の力を込めるよう強く叫び上げながら鉄砕牙を振りかざす。 ――だがその瞬間、鋼牙がなにかを察知したかのように大きく目を見開いた。 「危ねっ!」 「え゙?」 「引けっ、てめえら。なんかやべえ!」 鉄砕牙を振り下ろす間もなく、鋼牙は突如目の前で飛び退いたかと思えばすぐさま背を向けて狼たちとともに一目散に駆け出してしまう。その凄まじい勢いによって発生したつむじ風があっという間に見えなくなるほどの速度で立ち去ってしまう姿を目の当たりにさせられては、対峙していた犬夜叉はただただぽかーーん、と呆気にとられるばかりであった。 当然それは犬夜叉だけでなく、背後で見守っていた彩音たちも同様。あまりの引き際の良さに開いた口が塞がらない様子を見せていた。 「う…うそ…逃げた…? あんなに好戦的だったのに…」 「やけにあっさりしてるわね…」 「犬夜叉お前…風の傷を試そうと…?」 「ああ。あの野郎さっさと逃げ出しやがって。口ほどにもねえ」 たまらず弥勒が問えば犬夜叉は呆れ果てた様子でそう答えながら鉄砕牙を鞘へ納めてしまう。まるで鋼牙を見下すような態度さえ見せて。 しかしその犬夜叉を横目に見る弥勒はどこか警戒をにじませたような真剣な表情で「そうでしょうか…」と口にしていて、それが腑に落ちない様子の犬夜叉はわずかに厳しい視線を振り返らせる。 「なんだよ弥勒」 「あの鋼牙とやらは、鉄砕牙の威力など知らぬはず。直感で危険を察して逃げたとすれば…」 「ただ強いだけの奴より始末に悪いね」 弥勒に続き、珊瑚までもが同調するよう厳しい表情を見せて言う。 そんな彼らの言う通り、鋼牙はただ強いだけでなく圧倒的に勘が鋭いようであった。これまで遭遇した敵は策を考えあの手この手で凌ぎ圧倒してきたが、勘が鋭いとなればそれが通用しない可能性が大きくなってくるだろう。 「とにかく人喰い狼を操る輩に、四魂のかけらを持たせておくわけにはいきませんな」 「ったりめえだ! あのハッタリ野郎、おれを犬っころ呼ばわりしやがって。狼の臭い辿って、必ずとっ捕まえてやるっ」 そう怒りを露わにした犬夜叉が真っ先にとった行動――それは地面に這いつくばって鋼牙が過ぎ去った跡を探るように臭いを嗅ぐという“まさしく犬”なものであった。 (指摘したら怒られるんだろうなあ…) 彩音は思わず口を突いて出そうになる“犬じゃん”という言葉をぐ…と飲み込む。ツッコみたいがここでそれを口にすれば間違いなく怒られ、ついでにこれまでの行動についての説教まで始まってしまうような気がしたのだ。 ここは大人しく黙っていよう。そう決めてはかごめたちと同様に犬夜叉についていこうとしたのだが、ふと脳裏をよぎった不安に一人立ち止まった。 (あの子…大丈夫かな…) 森を見据えながら思い返すのは自分と殺生丸を助けようとしてくれていたあの少女の姿。 鋼牙に阻止されたため彼女を追う狼たちを止められなかったが、その後彼女は無事に逃げられただろうか。襲われてはいないだろうか。 犬夜叉たちがここへ辿り着くまでに近辺の狼を散らしていたというから、もしかしたら少女を追う狼だって散らしてくれているかもしれない。そんな期待に等しい思いを抱きながら森の奥を見つめる。 気掛かりなのはそれだけではない。殺生丸のことだって心配だ。 まだ動けるほどの回復に至っていない彼を森の中に一人きりにしてしまっている。狼にやられるような彼ではないと思うが、本調子ではないこともあってやはり不安は抱いてしまう。 …少しだけでも、様子を見に行くべきだろうか。 その思いに体が傾きかけたその時、不意に優しくも力強く手を握られた。は、と我に返るような思いで振り返ると、そこには固く手を結ぶ弥勒の姿。 「また勝手に立ち去ってしまうつもりですか?」 そう尋ねてくる彼の表情はどこか硬さを感じるもの。普段の微笑むような柔らかさが見えないその様子と“また”という言葉に、彩音の胸の奥で罪悪感のような後ろめたい感情がチク、と痛みを差した。 心配、させている。直感的にそう感じてしまった彩音は一度目を泳がせるように視線を落としてしまうと、すぐさまへら、と笑って空いている手を軽く振った。 「や、やだなー弥勒っ。そんなことしないよ。ほ…ほらっ、燐蒼牙拾い忘れてたから、取りに行こうとしただけ!」 言いながら指を差した先には確かに燐蒼牙が転がっている。鋼牙に蹴り飛ばされて拾うタイミングを失っていたため、誤魔化すように口走ったこの言葉も嘘ではないのだ。だから彩音は“ね?”と信用を乞うように弥勒を見る。 その様子に口を閉ざしたままやや彩音を見つめていた弥勒だが、ほんの微かなため息をふ、とこぼした。 かと思うと、改めるように笑みを浮かべてみせる。それも百八十度回ったかのように、にっこりと。 「そうですか。では、このまま捕まえていても問題ありませんね?」 そう話す弥勒の表情は爽やかさすら感じる笑顔だが、これは決して穏やかなものではない。むしろその逆、威圧感が隠しきれていない有無を言わせない表情――それに気が付いた時、彩音はだらだらだらと滝のような汗を流して目を泳がせた。 きっとこの手はしばらく放してくれない…そう確信してしまった彩音は弥勒に促されるまま燐蒼牙を拾い、案の定放してもらえない手を引かれるように犬夜叉たちのあとを追い始めたのであった。
* * *
「あ~ちくしょ。まだ体中の毛が逆立ってるぜ。あの犬っころ…ヘンな刀でなにしようとしやがったんだ」 そうぼやく鋼牙は狼たちとともに小高い丘に腰を下ろしていた。 狼たちの不安げな視線を受けながら“風の傷”を試そうとした犬夜叉の姿を思い返すが、その技を目にしたことのない鋼牙には詳細などなにも分からない。ただ直感で察した危険に苦い表情を見せるばかりであった。 「(それにしてもあの女――)」 ふと思い出し脳裏に浮かべたのは彩音の姿。狼に村を襲わせた時に出会い向けられた言葉――持っている四魂のかけらを“全部”、と言ったことから、まさか気付いているのかという半信半疑の念を抱かされてはいた。しかし体内にあるかけらなど分かるはずがない。だからこそ殺した部下から取り返したところを見られただけだろうと考えもした。 だがその疑念も、犬夜叉と闘ったあの時の言葉によって確信へと変わった。 「思った通り…あの女の目には、四魂のかけらが見えるのか。…となれば…」 ひそめられた眉の下で鋭い瞳が怪しく光る。そうして鋼牙は連れ添う狼たちへ優しくも心強く振り返った。 「お前ら引っ返して奴らを誘え。女を生け捕るんだ」 迷いなく告げたのはひとつの指令。頭である彼からのそれに狼たちはすぐさま表情を鋭くさせて振り返る。そうして続けざまに立ち上がった鋼牙は静かに空を仰ぎ、その彼方に彩音を見るよう不敵な笑みをにじませた。 「(女、おれのために働いてもらうぜ)」

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