「! (桔梗…)」
鉄砕牙を襲った光の軌道を辿るように振り返れば、そこにはよろめく体を律して弓を構えた桔梗の姿。犬夜叉がそれをしかと目にした直後、鉄砕牙を伝って方角を変えた矢は遥か上空の小さな穴へ向かって飛んでいく。
――カカッ、
矢が穴へ到達したか否かの瞬間、穴を広げるよう天井を破壊してしまうとともに突如放たれた眩い光が空洞を強く照らしつけた。次の瞬間、底に立ち込めていた深く濃い邪気が外へ吸い出されるかのように激しく抜けていく。
「封印が…解かれた…」
大きく口を開いた頭上を見上げながら妖怪が呟く――その時、突如洞穴全体が地響きのような音を轟かせて大きく震動した。
一体なにが起ころうとしているのか。状況の理解が追いつかない一同が驚愕の表情で狼狽えるよう辺りを見回していると、巨大な妖怪を始めとした周囲の残骸が犬夜叉たちを巻き込みながら一斉に天へと引っ張り上げられた。
「な…」
否応なく強引に巻き上げられていく妖怪たちの塊を前に弥勒が愕然と短い声を漏らす。
横穴に身を置く彼は巻き込まれなかったのだが、目の前に見えたのは残骸に取り込まれるよう引き上げられる
彩音たちの姿。はたと目が合った
彩音に思わず「
彩音っ!」と声を上げながら身を乗り出さんとするほど強く手を伸ばしたのだが、それが届くことはなく。彼女たちは身動きをとることさえ許されないまま上部の穴の外へと吸い出されてしまった。
まるで渦を巻くように激しく混ざり合う妖怪の残骸の中、それに揉まれる犬夜叉は顔を歪めながら「くっ」と小さな声を漏らす。その時、
「い、犬夜叉っ…!」
「!
彩音! かごめ!」
不意に聞こえた声に振り返れば、同様に残骸に埋もれ動けなくなった
彩音とそれに抱き留められるかごめの姿。それを目にした犬夜叉はすぐさま手を伸ばし、こちらへ伸ばされる
彩音の腕を掴み込んでかごめ諸共強く引き寄せた。
咄嗟に「大丈夫か!?」と声を掛けるが、犬夜叉はすぐさま必死に周囲へ視線を巡らせる。
「(桔梗は!?)」
唯一見つからないその姿に不安を募らせかけた――その時、ようやく離れた場所に彼女を見つけ出す。だが再び気を失ってしまったらしい彼女は自分たちよりも下に、今にも落ちてしまいそうなほど不安定な場所にいた。
すぐにでも助けに行きたい、だがそんな犬夜叉の思いを邪魔するように、突如として足元の残骸たちが先ほど闘っていたあの巨大な妖怪を先頭に一点へ向けて急降下を始めてしまった。
――そして見えたのは、向かう先に佇む何者かの影。人らしきその影へ近付くにつれ、やがてそれの正体に気が付いた犬夜叉たちは息を飲むように大きく目を見開いた。
「奈落!?」
(なんでここに!? それにあの体は…!? 奈落の体はあの時、確かに私が打ち砕いたはずじゃ…)
目に留めたその姿に揃って信じられないといった驚愕の色を露わにする。
どういうわけか奈落は失ったはずの体を取り戻しており、迫りくる妖怪たちの塊を待ち受けるよう鋭い瞳で見据えていたのだ。
いくら奈落といえど、回復したというにはあまりにも早すぎる。それを思った
彩音が険しい表情を向けていると、先頭の妖怪の瞳がギロ…と奈落を捉えた。
「貴様か…我らを封印していたのは…引き裂いてくれる!」
怒りを爆発させた妖怪は否応なく引き寄せられる勢いに乗せてその巨大な腕で奈落の体を両断するようバキッ、と薙ぎ払ってしまう。その瞬間宙を舞った奈落の体は着物を散らし、そこに隠されていた素肌を露わにした。
それは明らかに人のものではない、血の通わない作りもののような質感――
「(あの体は…傀儡!!)」
見覚えのある土くれ色に犬夜叉が悟ったその時、奈落の体から勢いよく伸ばされた太い触手が容易く妖怪の首を捕えた。かと思えば途端に力を込め、呆気なく圧殺してしまう。
それを見やる奈落が静かに長い髪をざわつかせた――その瞬間、素早く引き込まれた妖怪の体とそれに纏わりつくよう続いていた残骸たちが一気に吸い込まれるよう奈落へ降り注ぎ、バキバキバキと激しい音を立てながら一点へと集まっていった。
奈落が全てを吸収している――それを悟った犬夜叉たちが咄嗟に残骸から伸び退いた直後、奈落の体に異変が訪れた。妖怪の禍々しい腕は人間のそれの形へと変化し、様々な妖怪の部位が凝縮されるように奈落の体を形作っていく――
「あいつ、妖怪を取り込んで…」
「妖怪が奈落の体に…!?」
「くっ…奈落ーっ!」
今まさに目の前で復活せんとするその姿に叫び上げた犬夜叉が鉄砕牙を引き抜きながら地を蹴る。そしてうずくまるように人型となっていく無防備な背中へ鉄砕牙を振り下ろした――その瞬間、それはバチバチと激しい音を立てて見えない壁に阻まれてしまった。
「(結界!)」
刀が届かず、掠り傷さえも与えられなかった状況に表情を歪め飛び退る。すると人間のものと同等に変わり果てた体をググ…と反らした奈落は、不敵な笑みをその口元に湛えてこちらを見据えてきた。
「ふっ…貴様ら…山の邪気に引かれて、我が封印の穴に紛れ込んでいたらしいな」
「(あの妖怪は…蠱毒は…奈落の体になるために作られていた!?)」
奈落の口から語られる真実に犬夜叉が嫌な汗を滲ませる。まさかそんな目的によって設けられたものだとは露ほども予想しなかったのだ。
それに悔しさを滲ませるよう微かに歯を食い縛る。するとその時、奈落の視線が静かに滑らされたかと思えば傍らに横たわる桔梗の方へと向けられた。
「! 桔梗!!」
その視線を追うことで同様に気が付いた犬夜叉が叫ぶ。しかし彼女は死魂を失った影響で未だ気を失っているのか、深く目を閉ざしたまま微かな反応さえ見せなかった。
その姿を、奈落は冷たい目で見据える。
「…この女が中から封印を破ったのか。つまりこの女のおかげで、この奈落は、新しい体を無事手に入れたということになる」
「なっ…」
犬夜叉の屈辱を煽るように嫌な笑みを湛え告げられる言葉に彼は表情を歪める。しかしそれに黙っていられなかった
彩音が唇を噛みしめ、すぐさまザッ、と足を踏み出し奈落を睨んだ。
「バッカみたい…なに勘違いしてんの? あの時桔梗が矢を射ってくれなかったら、犬夜叉は妖怪を殺して融合するところだった…だからだよ。あんたのためなんかじゃない!」
「そうよ! だから桔梗は、犬夜叉を守るために…」
言い聞かせるように説く
彩音に続いてかごめが声を荒げるよう言い放つ。するとそれを耳にした奈落はわずかに目を細め、その足を桔梗の元へ運ぶと彼女の頭をグイ、と持ち上げてみせた。
「…どうやらこの女、本当に…五十年前に犬夜叉…貴様のあとを追って死んだ桔梗らしいな…」
「くっ…てめえっ、薄汚え手で桔梗に触るな!」
眉間に深いしわを刻んだ犬夜叉が弾かれるように飛び掛かる。だがその瞬間奈落の体から大量の瘴気が溢れ出し、犬夜叉を拒むよう波のごとく押し寄せてきた。
それには犬夜叉も飛び込むことなどできず、咄嗟に後方へ飛び退いてしまう。そんな犬夜叉を嘲笑うように瘴気を渦巻かせた奈落は途端に天へ昇り、瞬く間にその身を彼方へと遠ざけ始めていた。
「くくく…桔梗の霊力…貴様なんぞに渡すのは惜しい…」
「くっ、桔梗ーーっ!」
追うこともできないほど瞬く間に離れていく桔梗に目一杯叫び上げるがその思いが昇華されることはなく。奈落の瘴気はあっという間に空の彼方へと消え去ってしまった。
奈落が新たな体を手に入れた。そのうえ、桔梗まで連れ去られてしまった。その事実に
彩音は悔しげに唇を噛みしめながら、桔梗が消え去った彼方を見つめる犬夜叉の背中を見ていることしかできなかった。
そして同様に彼を見つめるかごめは、どこか悲痛さを滲ませる表情を浮かべる。
――その頃、奈落は自身を瘴気で包みながら空を駆けていた。己の城へと向かうその道中、
彩音たちに向けられた言葉を思い返しながら不可解な思いに眉根を寄せる。
「(分からん…もし真実桔梗が犬夜叉を救おうと思ったなら…封印を破って、蠱毒の体を外に逃がすよりも…もっと確実な方法があったはずなのだ。それをあえてせずに…この奈落に新しい体を与えた…?)」
よぎる可能性に奈落は一層眉間のしわを深くする。全く理解ができない、意図が読めない彼女の行動にただ静かに懸念を抱くばかりであった。
腕の中で桔梗が鋭く睨みつけていることにも気が付かないまま――