25

ゴロロロ…と低く唸る暗雲が立ち込める空の下、とある村で自らの畑を見て回る男たちがいた。それらはひどく肩を落とし、なにやら浮かない表情を見せている。 「こっちもダメじゃ。全部枯れとる」 「どうなっとるんじゃ」 「ここひと月で急に…」 畑に並ぶしなびた作物を見やりながら重く話し合う。 原因不明の不作。これまでは問題なく順調に育っていたはずの畑が突如として作物を枯らすようになってしまい、いつしかこの村全ての畑が死滅したように機能しなくなっていた。 しかしそのような事態に陥る原因や出来事などに心当たりがない。この理解できない状況に男たちは深いため息をこぼすしかなく、ただただ落胆を露わに目の前の畑へ視線を落とした。 そんな時だった。空がまたも大きな唸りを上げ、とうとう小さな滴をいくつも落とし始めたのは。 「ん?」 「雨…血みてえに赤い…?」 パラパラパラと降り注いでくる雫が手に触れたのを見れば、それは雨と呼ぶには似つかわしくないほど真っ赤なもので思わず眉をひそめる。あっという間に強さを増すそれに自分たちが赤黒く染められていく中、強い違和感から空を仰いだ男たちの視線の先になにかの小さな影が複数迫ってきた。 それぞれ歪な形をした、なにかの影。怪訝な表情で目を凝らしてみて分かったのは、それが複雑に引き裂かれた様々な妖怪たちの肉片であるということ。そしてそれが示すのは、雨だと思っていたこれもその妖怪たちの血であるということ。 それを瞬時に悟った男たちは空を見上げたまま、降り注ぐ妖怪たちの肉片に絶叫に等しい悲鳴を上げていた―― 「妖怪の残骸が降ってきたと…?」 「はー、もう気味悪いのなんのって」 後日、暗雲の消え去った空が朱色に染まりゆく頃。犬夜叉たち一行が件の村へ訪れて話を聞いていた。 一行はこの周囲を通りがかった際に異様な邪気を感じ、なにか情報を得られないかとこの村へ訪れてみたのだが、法師である弥勒を見た村人たちの方から助けを乞うようにこうして話を持ち掛けられたのだ。 そして彼を中心に並び、この村で起こった異変を聞き出している。 「時に皆さま、お体の調子は?」 「はー、年寄りや子供…弱い者からバタバタ倒れとります」 「でしょうな。この近辺になにか強い邪気の元があるはずです」 怯える村人たちへ弥勒はまるで予想通りだと言わんばかりの様子で返す。 ――そうして一行はその邪気の根源を捜すため、村をあとにしては周囲に感じられる邪気を辿るよう歩を進め始めた。が、犬夜叉だけはそれに不満げな様子を見せる。 「ってまた人助けかよ。おれたちこんなことやってるヒマ…」 「犬夜叉、なんか忙しいの?」 「用事とかあったっけ?」 「奈落を捜すんだろーがっ」 しれっとした様子で問うてくるかごめと彩音に犬夜叉がすぐさま吠え掛かる。 彼の言うことは確かに一理あるだろう。だがこの場では誰も彼に賛同することなく、むしろ弥勒からは言い聞かせるような否定の言葉を向けられた。 「奈落はしばらく立ち直れないでしょう。なにしろあの時かごめさまと彩音さまの矢で…あれだけの深手を負っているのですから」 そう告げられる弥勒の言葉で当時の光景が呼び起こされる。 あの時確かにかごめが矢を放ったあと、彩音のとどめを刺さんとした矢が奈落の首から下のすべてを打ち砕いたのだ。いくら仕留め損ねたとはいえ、体を全壊していれば相当のダメージ。あの奈落といえどもそう易々と復活できるものではないだろう。 それを思い返すように考えていれば、ふと弥勒が「それに…」と口にして懐からぢゃら、と音を立てた。 「お礼の銭までいただいてしまったのですから。お助けせねば」 「まーた弥勒は…」 「いつの間に…」 「いただくなよてめーは」 束ねられた銭を堂々と見せつけてくる弥勒へ揃って呆れ顔を向ける一同。だが珊瑚だけは一人背を向けて深く黙り込み、どこか浮かない様子を見せているようであった。 「どうしたの? 珊瑚」 「奈落の他にも…こんな強い邪気を発する妖怪がいるのかな…と思ってさ」 彩音の問いへ、ただ冷静に告げられた珊瑚の言葉。それを受けた一同は顔をしかめるでもなくただ静かに口をつぐんだ。 確かにこれほど強い邪気はいままで奈落以外に感じたことがない。しかし先ほど弥勒が言ったように、奈落はまだ動き出せるほどの復活は果たせないはずだ。 ならばこの邪気の正体は一体… 一行はそれを思うと同時に、得も言われぬ疑念に近い感覚に包まれていた。 風が吹き抜ける音が高く響く山岳地帯。一行はいつしかそこに辿り着き、無骨な岩肌を見せる山を登っていた。自転車を担ぐ犬夜叉を筆頭に、かごめと七宝と珊瑚が雲母の背に乗りながらその隣を弥勒と彩音が歩む形でゆっくりと邪気の元を目指していく。 「そろそろ国境(くにざかい)ではないか?」 「近いな。瘴気のせいで、草木一本生えてねえ」 怪訝そうに眉をひそめる犬夜叉の言う通り、辺りには小さな雑草すら生えておらず寒々しい景色となっていた。それが一層不気味さを醸し出しているような気がして彩音が思わず息を飲めば、やがて前方に梁で補強された採掘場跡のような洞穴が見えてくる。 一見ただの洞穴だ。だかそこが異質そのものであることを隠しきれないほどの邪気が濃く立ち込めていることを感じては、つい小さく顔を歪めてしまうほどの躊躇いを抱かされる。 そんな時、犬夜叉が自転車を地面に降ろすと中へ進もうとしていた彩音の行く手を阻んだ。 「彩音は外で待ってろ」 「えっ、なんで?」 「たかが妖怪退治…みんなでぞろぞろ入ってくこたねーだろ」 そう言い切る犬夜叉はまるで意気込みを現すかのように拳を覆いバキッ、と慣らしてみせる。確かに犬夜叉は頼りになる、だがどうしてもこのただならぬ邪気に不安を抱いてしまう彩音が「でも…」と食い下がろうとすれば、不意に背後へ回った弥勒がそっと両肩に手を添えてきた。 「なるほど。では私は彩音さまの護衛に…」 「て・め・え・は・お・れ・と・来・る・ん・だ・よ」 平然と残ろうとする弥勒へ犬夜叉がいまにも殴りかからんばかりの形相で凄む。かと思えば彼は弥勒の袈裟を掴み込み、かごめから懐中電灯を借りるとそのまま洞穴の中へ強制連行していってしまった。 ――おかげで結局待たされることとなった彩音たちはそんな二人を見送り、四人並んで洞穴の近くに腰を下ろした。そんな時、彩音はふとなにげなく空を仰ぎ見る。 辺りは太陽に照らされ清々しいほど明るいのに、洞穴の中は対照的なほど真っ暗だ。まるで邪気が色を持って埋めているかのようにも見えてしまう。 それを感じて再び不安を胸のうちに渦巻かせていれば、不意に珊瑚が顔を歪めてうずくまるように縮こまってしまった。 「あ…大丈夫? 珊瑚」 「邪気にあてられたのね」 苦しげに背中を丸めてしまう彼女を摩りながら彩音とかごめが案ずるように声を掛ける。すると珊瑚は防毒面を着けながら信じられないといった様子で彩音たちを見た。 「…てゆうか彩音ちゃんたち、よく平気だね」 「んー…特になにも」 「今んとこね」 「おらもへーきじゃ」 汗さえ滲ませてしまう珊瑚とは対照的に依然としてけろっとした様子を見せる彩音たち。だが洞穴に入っていない珊瑚がこうなってしまうのだ、それを思っては一層不安を強めるように揃って洞穴の方を見つめた。 「中の邪気はもっとひどいはずだ」 「うん…そうね」 「……」 珊瑚の言葉に、同じく洞穴を見ていた彩音は眉根を寄せて黙り込む。 やはり心配でたまらないのだ。この邪気の中へ踏み込んだ犬夜叉と弥勒のことが。おかげで胸のうちのざわつきが一層騒がしさを増し、ついにはそれに耐え切れなくなったようすくっ、と立ち上がった。 「よし。やっぱり私、行ってくる」 「え゙。あ、危ないわよ彩音」 唐突な彩音の発言にかごめが驚き戸惑いを見せる。しかし始めから乗り込むつもりであった彩音の決意は変わることなく、彼女は洞穴を見据えながら静かに言った。 「二人が心配だし…ここにいる珊瑚がこうだもん。きっと弥勒も相当参ってるだろうから、私の治癒でカバーしなきゃまずいんじゃないかなと思ってさ」 それに、私は平気だし。そう続けながらにっ、と小さく笑みを見せる彩音。その言葉と彼女の様子に閉口したかごめはしばらく黙り込み、やがて観念したように「分かったわ…でも気を付けてね」と言ってリュックから懐中電灯を取り出した。 それを受け取った彩音はお礼を口にし、すぐさま洞穴の中へと駆けていく―― ――その頃、洞穴の中では彩音の予想通り邪気に当てられた弥勒が吐き気を催し、うえ~…と蹲りながら壁に向き合っていた。そして懐中電灯でそれを照らす犬夜叉は平然としたまま、弱った弥勒に呆れの表情を向ける。 「なにやってんだよ弥勒。だらしねーなてめえは」 「う…うるさい。私は修業を積んでいるから、この程度で済んでいるんだ。普通の人間ならひとたまりもないぞ」 思いやりのかけらもない犬夜叉に対して弥勒は青くした顔を振り返らせながら反論する。だが、そのやり取りは突然洞穴の奥から響いてきたズウゥゥン、という重々しい地鳴りのような音によって容赦なく打ち切られた。 「(なにかいる! それも一匹じゃねえ!) 行くぜ!」 音ひとつで悟った犬夜叉は弥勒を強引に背負い込むが早いか、即時音の元へ向かって強く地を蹴った。 どうやらこの洞穴は一本道となっているようで、真っ直ぐに駆けていけば遠く前方にボゥ…と薄明かりが見えてくる。それを訝しみながら意気込むよう早く駆けていけば、薄明かりの中へ飛び込むと同時に目の前の景色が突如大きく開けたものへと変わり果てた。 「(中は空洞!?)」 崖のように道が途切れたその景色に大きく目を見張る。そこは山の内側を削ったような縦に長い空洞となっていたのだ。頭上を見上げれば天井に開いた穴から薄暗い空が覗き、底を見ればゴボゴボゴボと音を立てながら不気味に泡立つ奇妙な液体が溜まっているのが分かる。 「な…なんだあれは…」 犬夜叉の背から降ろされた弥勒が岩陰に身を潜めるようにしながら口元を覆い、犬夜叉とともに覗き込んだ底。光源が天井の穴しかないため薄暗く分かりにくいが、目を凝らしてみればそこに溜まる液体に様々な妖怪の残骸が浸っているのが見えた。 なぜそんなものが大量に、それもこのような洞穴の中に… そう思わされた刹那、突如泡立つ液体の中から二体の大きな妖怪が凄まじい音を立てながら勢いよく立ち上がるよう姿を現した。 不意を突くようなそれに思わず目を見張り体を強張らせたが、それらは犬夜叉たちに気が付くことなく、互いの姿を見とめるなり即時激しい闘争を始めてしまう。 その姿を見据えながら、弥勒は再び口元を覆い眉根を寄せた。 「元々は…何百という妖怪がいたらしいですな…」 「ああ。あの残骸は負け組だ」 「里に降り注いだというのは、この残骸どもですな。恐らくあの穴から吐き出されて…」 立ち込める強い邪気と目の前に広がる景色からそれを察する。だが弥勒の頭の中には強い違和感があり、“一体…なんのためにこんなことを…”と疑念を抱かずにはいられなかった。 得体の知れない洞穴の構造、妖怪たちの闘争。全てが不可思議で理解できず、ただ様子を窺うように表情を歪めながら妖怪たちへ視線を落とす。 するとその時、鬼のような姿をした妖怪が相手の首を抑えると同時に体を強く殴りつけ、たった一撃で首をもぎ取ってみせた。そして、それを呆気なく投げ捨ててしまう。 ――その瞬間、底の液体がまるで殺された妖怪の死体に群がるよう一層の泡立ちを見せ始めた。かと思えば死体は運ばれるように流されていき、生き残った妖怪の体へビチビチと嫌な音を立てながら飲み込まれていく。 「こっ、これは…」 「体が混ざった…?」 二体の妖怪が瞬く間に一体の屈強な妖怪と化した恐るべき光景に目を見張る。それは今しがた殺した妖怪の背中に生えていた無数の長い棘のような装甲を同じ場所に現し、同じく腹部にあった凶悪な顔を同様に腹部に生やしたのだ。 恐らくそれら以外に見える体中のパーツも全て、これまで殺してきた妖怪の一部なのだろう。 その奇怪な現象を目の当たりにさせられた弥勒は、ただ言葉を失うようにひどく顔を強張らせていた。 「(洞穴の中に何百という妖怪が集まって闘い続け…負けたものが勝者に吸収されていく…? これは…)」 「なぜ…出られぬ…」 弥勒がなにかを悟ったその時、生き残った鬼のような妖怪が遥か上空の穴を仰ぎ見ながらおぞましい声を漏らした。 「勝ち残ったただ一人が、生きてここから出られるはずではなかったのか…」 唸るようにそう言いながら、鬼のような妖怪は泡立つ液体へズブ…と腕を入れる。生き残りがいないか探しているのだろう、そう思わせる姿に口をつぐんでいた。 そんな時、背後からザ…と足を止める微かな音が鳴らされる。 「! 彩音!?」 「彩音さま…なぜここに…」 外に待たせているはずの人物が目の前に現れたことに犬夜叉と弥勒は揃って目を丸くさせる。すると彩音は目の前の異質な空間に呆然とするよう立ち尽くしながら声を返した。 「その…二人が心配だったから…それより、これは…?」 禍々しい邪気が立ち込める重い空気と物々しい光景。それに戸惑うよう小さく口にすると同時――突如目下の妖怪の目がギロッ、と鋭さを増してなにかを捉えた。 「そこにまだ一匹いるな!!」 妖怪が声を張り上げて振り返る。それが見据える先には妖怪の声に振り返った犬夜叉の姿があった。 確かに彼は妖怪の血を持つ者。それを妖気で感じ取ったか、犬夜叉が最後の対戦相手であると錯覚した妖怪は、彼を殺すことで真の勝者となってここから脱出するつもりのようだ。 そしてそれを察した犬夜叉は―― 「おれのことかい!」 そう声を上げるなりすぐさまその敵意に応じるようバッ、と飛び降りてしまう。その姿に彩音が「待って犬夜叉!」と制止の声を上げるが、彼は構うことなく妖怪へ向かいながら腰の鉄砕牙を手にした。 「こいつが…邪気の素だ!」 「やめろ犬夜叉!」 全てを終わらせんと引き抜いた鉄砕牙を妖怪へ振り下ろしてしまう犬夜叉に弥勒が一層強く叫ぶ。傍で同じく彼を見つめる彩音の不安とは違い、弥勒はこの状況への確信めいた思いがあったのだ。 「(おれの考えが当たっていれば…このまま闘ったら犬夜叉は…)」

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