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「貴様が最後の一匹だ!!」 怒鳴るように声を上げながら振り下ろされる腕。それを咄嗟に避けてみせると、自身の下にあった妖怪の残骸が代わりと言わんばかりに激しく叩きつけられ飛び散った。 それを横目にすぐさま体勢を持ち直した犬夜叉が妖怪へ対峙するが、そんな彼を止めんとする弥勒は絶えず焦燥感を露わにする声で言い放つ。 「犬夜叉刀を引け! 闘ってはいかん!」 「ふざけんな! 闘わなけりゃ殺されるんだぞ!!」 「聞け犬夜叉! その妖怪は、何百の妖怪を闘って倒し…負けた妖怪を取り込んでいるんだ! これはまるで巫蠱(ふこ)の術…蠱毒の作り方と同じなんだ!」 「はあー? (こいつまたわけの分かんねーことを…)」 弥勒が必死に説明を施すが犬夜叉にとってそれは聞いたことのない言葉ばかり。全く理解できないと言わんばかりに顔をしかめてしまう彼同様、弥勒の傍に立つ彩音もまた初めて耳にするそれに怪訝そうな表情を見せていた。 それでも弥勒は犬夜叉をこれ以上闘わせないよう懸命に言葉を連ねていく。 「ひとつの器の中に、毒虫や蜥蜴(とかげ)や蛙や動物を入れて殺し合わせ…最後に残ったものが、蠱毒という生き物になる呪術だ! つまりこの洞穴は…蠱毒を作るための、巨大な器ということだ! だからよしんばお前がその妖怪を倒したとしても…負けたそいつが否応なくお前の体に入り込んでくる! この場で闘う限り、どちらが勝っても体が融合してしまうんだ!」 「そんなっ…」 弥勒の説明にようやく状況を理解した彩音が目を見開くほど愕然と狼狽える。同時に「くっ…」と小さな声を漏らす犬夜叉は悔しげに歯を食いしばり、眉間に深いしわを刻み込んだ。 その時、妖怪が不気味な笑い声を発したかと思えば、腹部に備わったもうひとつの顔の大きな口に眩い光が灯った。直後、それは凄まじい勢いで炎を噴射し犬夜叉を焼き尽くさんとする。 しかし咄嗟にそれをかわしてみせた犬夜叉は鉄砕牙を握り直すと、刀身で炎を押し返すようにしながら妖怪の方へと駆け出した。 「ご託並べたってやるしかねえだろ! 逃げ場はねえんだ!!」 そう言い放つと同時に容赦なくザン、と妖怪の体を斬りつける。 彼の言う通り、逃げ場のないこの空間へ踏み込んだ以上闘わなければ相手に殺され吸収されるだけなのだ。 「(逃げ場…この場に施された呪術が解ければ…)」 (早くなんとかしなきゃ…このままじゃ犬夜叉が…) 弥勒と彩音、それぞれが犬夜叉の言葉に焦燥を駆り立てられた――その時、突如背後に異様な気配を感じるとともに微かな足音が聞こえ、思わず釣られるように振り返った。 途端、目を見張る。どういうわけか、そこには白く異質な気を溢れさせ漂わせる桔梗の姿があったのだ。恐らく体の中の死魂がざわめいているのであろうその姿は、神秘的なようで至極恐ろしいものにも見えてしまうただならぬもの。それを目の当たりにした弥勒と彩音はたまらず静かに息を飲んだ。 「…き…桔梗…」 呆然とするままに、彩音は彼女の名前を呟く。しかしその彼女の意識は先の空間に立つ紅に捉われており、わずかに丸くした目でそれを見つめながら「犬…夜叉…」と微かに漏らした。 それは決して大きくはない声。だというにも関わらず、しかと聞き取った犬夜叉は思いもよらない人物の訪れに愕然と険しい表情を振り返らせた。 ――その刹那、桔梗の体から突如複数の死魂が勢いよく飛び出した。 「! (死魂が出ていく…このままでは…体が動かせなくなる。なんだこの場所は?)」 強制的に吸い取られるよう死魂を失う体は、瞬く間に力が抜けていくような嫌な感覚に苛まれる。思ってもみなかった状況に愕然と見開く目で見たものは、「ぐぐぐ…」と不気味に笑う妖怪の体に死魂たちが吸収されていく様。 そんな不可解な現象にひどく顔を強張らせた桔梗はいくつもの汗を滲ませながら自身の胸を押さえた。 「(私の死魂が…吸われた…? そうか…この邪気は…蠱…毒…)」 ようやくそれに気が付くも時はすでに遅く、大量の死魂を失った桔梗は糸が切れたように意識を失い、膝から崩れ落ちるままにその身を宙へ投げ出してしまった。 「あっ!」 「桔梗!」 彩音が咄嗟に手を伸ばすも届かず、落下する彼女を助けようと犬夜叉が走る。“なぜお前がここに…”そんな思いを抱きながら。 だが彼の手もまた届くことはなく、犬夜叉は妖怪によって背後から容赦なくバキ、と音が響くほどの勢いで殴り飛ばされてしまった。 「犬夜叉!」 妖怪の残骸に強く叩き付けられる姿にたまらず身を乗り出すほど声を上げる。だが彼はすぐに体を起こし、鉄砕牙を両手で握り締めながら立ちはだかるとともに妖怪を睨みつけた。 やはり犬夜叉は妖怪を倒すつもりだ。それをはっきりと感じさせられるその姿に鼓動が早くなる――その時、背後から「あ!」という聞き慣れた声が響いた。 「彩音! 弥勒さま!」 「えっ…かごめ…!?」 「この邪気の中を…よく平気で…」 そこに現れたのは雲母を引き連れたかごめ。彼女まで駆けつけたことに驚かされる彩音と弥勒が目を丸くさせるが、当の彼女は邪気に弱った弥勒へ「大丈夫?」と至って平然とした様子で声を掛けていた。 待っていてとお願いしたはずの彼女がなぜ来てしまったのか。やはり、桔梗がここへ来たからだろうか。そう思ってしまう彩音がかごめの表情を窺えば、彼女はすぐさま姿を探すように眼前の空洞を見やった。 その目が捉えたのは、妖怪と対峙する犬夜叉。そして、自分たちがいる横穴の真下に横たわり気絶した桔梗の姿を見つけて目を丸くする。 そんな彼女同様、彩音が犬夜叉の様子を窺うように視線を上げたその時、不意に卑しい笑みを浮かべた妖怪が桔梗の方へと振り返った。 「ぐぐぐ…この女…人間ではないな」 「くっ…」 「我が血肉にしてくれる…」 そう歓喜するような声を低く発する妖怪はその言葉とともに巨大な手を桔梗へと伸ばしていく。 ――その瞬間、犬夜叉の顔色が変わった。 「桔梗に触るなーっ!」 突如感情を爆発させるように鬼気迫る表情で叫び上げながら駆け出す。 その姿に、言葉に、彩音は胸の奥で小さくうずくようなわずかな感覚が生まれたことを感じた。胸が、息が、苦しくなりそうで、彼を見つめるまま微かに唇を結んだ。 その瞬間、犬夜叉が強く断ち切った妖怪の腕が自分たちの傍に叩き付けられる。その間にも犬夜叉は桔梗へと駆けだすが、妖怪の腕の切り口が不気味に蠢き始めすぐに百足のような新たな腕を生やすと同時に犬夜叉へ放ってきた。 それはあと一歩というところで犬夜叉と桔梗を隔つよう間へ突き込んでくる。 「くっ。てめえ!」 「熱くなるな犬夜叉! そいつを倒してしまったら、お前の体は蠱毒に…」 「やかましい!」 咄嗟に、そして必死に荒げられる弥勒の声に犬夜叉は苛立つよう反論するまま彼を睨みつける――その時、弥勒の傍に立つかごめの姿にはっとした。 知らぬ間に彼女までここへ来てしまっている。桔梗がいる、この場に。それを知った途端どこか気まずさを抱きそうになるが、それ以上に犬夜叉の感情を揺さぶったのは、その隣で両手を突くもう一人の少女であった。 「(彩音…)」 不安げに、心配そうに眉をひそめた彼女の表情。そこに秘められるものが、それらの感情だけではないような気がして。たまらず小さく息を詰まらせてしまうほど立ち尽くしそうになった――が、その隙を突くよう再び百足のような腕が突き込まれ、妖怪との戦闘再開を余儀なくされてしまう。 「(ちくしょう。やるしかねえんだ!)」 逃げ場がないこの状況、どうあってもやはり手を止めることはできない。犬夜叉はそれを再度痛感しながら、多量の汗を滲ませるほど必死に妖怪へ向かって駆け出した。 それを見つめるかごめは、わずかに戸惑うような様子で問いかける。 「弥勒さま、蠱毒って?」 「この場で闘えば…勝っても負けても、妖怪と体が融合してしまうということです」 「でも逃げ場がないから…桔梗が狙われてるから…犬夜叉は、闘うしかなくて…」 弥勒に続くよう状況を説明していた彩音だが、それを言い切ろうとする前になにかに気が付きはっとした。そしてすぐに桔梗を見やるが、彼女は未だ意識を失ったまま目覚める気配もない。 それを確かめると、彩音は突然躊躇いもなくその場をバッ、と飛び降りた。 「あ…彩音さまなにを…」 「桔梗を助ける!」 驚く弥勒の声に迷いなくそう声を上げ、壁を伝い降りるよう桔梗の元へ向かっていく。 ――そうでもしないと、犬夜叉は桔梗を守るためにあの妖怪を殺しかねない。犬夜叉は桔梗を見殺しにするなんてこと…絶対にしないから。 そんな思いに唇を固く結びながら桔梗の傍へ降り立てば、それに続くようザッ、と音を立てたかごめが目の前に降りてきた。どうやら彼女も同じ思いを抱いたようで、「あたしも手伝う!」と口にしながら複雑そうに歪めた眉の下に強い輝きを見せてくる。 きっと彼女は、前世の存在である桔梗に――似ていると言われ比較され続ける彼女にあまりいい思いはしていないだろう。だというのに、迷わず救いの手を差し伸べるその姿を目の当たりにした彩音は、目を丸くしながらもすぐさま頷くとともに揃って桔梗へと手を伸ばした。 どこか冷たい、彼女の体。それに手を触れれば閉ざされていた目がゆっくりと開かれ、その虚ろな目に自身の姿が映った。 「……美琴…?」 「…ごめんね美琴じゃなくて。立つよ!」 どこか柔らかさを感じるような桔梗の声にわずかに眉をひそめるも、彩音はすぐさま彼女の気を正すように声を張る。そしてかごめと息を合わせてその体を強く引っ張り上げた。 それにより桔梗もはっきりと意識を取り戻したようで、表情に険しさを取り戻した彼女は二人に支えられながら犬夜叉と妖怪の戦闘に鋭い目を向ける。 絶えず容赦なく腕を振るい、犬夜叉を追い詰めんとする妖怪。その動きは大きく、突き込んだ拳が犬夜叉を捉えられず壁を穿つと、同時に大きく振るわれた太く長い尻尾が鞭のようにしなりを見せた。 そしてそれは凄まじい勢いで彩音たちへ迫る―― 「!? 避けてっ!」 はっと目を見張った彩音は咄嗟に桔梗を突き飛ばし、彼女とかごめを尻尾の軌道から外してみせる。だが自身が身をかわすタイミングが遅れ、直後には薙ぎ払われる尻尾に容赦なくドカ、と殴りつけられてしまった。 「彩音!」とかごめの声が響く。それと同時に彼女たちの傍の壁に叩き付けられた彩音は凄まじい衝撃にかはっ、と体内の空気を吐かされ、その場に崩れるよう腰を落とした。 激しく強い痛みにひどく顔を歪める彩音の元へ、かごめがすぐさま駆け寄っていく。そして体を支えるよう手を貸されるその姿を見た桔梗は、彩音の行動を咎めるように眉をひそめて呟いた。 「愚かな…」 「…なにが…」 「お前たちが出てきたことで…倒れたことで…犬夜叉は完全に己を失った…」 「え…」 まるで恐れていた事態に直面したかのように眉根を寄せる桔梗の言葉に小さく声を漏らす。その直後、彼女の言葉を肯定するかのように犬夜叉が突如「この野郎!!」と怒号を上げ、一層強く容赦なく鉄砕牙を振るって妖怪の体を叩き切った。 どうやら彩音が叩き付けられた瞬間を見ていたらしい彼のその動きは怒りに身を任せており、冷静さなど微塵も感じられない状態だ。その一撃はこれまでと比べものにならないほどのもので、それを受けた妖怪はいまにも事切れてしまいそうなほどにグラ…とその身を傾ける。 このままでは妖怪が死に、犬夜叉の体に吸収させられてしまう――そう感じさせられた刹那、凄まじい勢いで放たれた矢がガガッ、と激しい音を立てるほど強く鉄砕牙へ打ち付けられた。

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