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小屋を飲み込んだ炎がバチバチバチと爆ぜる音を鳴らす。さらには背後で地念児が妖怪と押し問答しているというのに、老婆の声が響かされたその場はひどく静まり返っているような奇妙な錯覚を抱かせた。そしてその静寂を切り裂くように、犬夜叉を鋭く見据えた老婆が言う。 「手出ししねえでくれ…地念児一人で闘わにゃだめなんだ」 「どうして…!」 「(そういうことかばばあ…)」 地念児を案じて涙さえ浮かべるかごめとは対照的に、犬夜叉は老婆を見やりながら彼女の真意を汲み取り静かに納得する。だが地念児の足元には未だ彩音が動けずにいるため、「彩音だけは助けるぜ」と老婆へ言い捨ててはすぐさま彼女の元へと駆け寄った。 その宣言通り、犬夜叉は彩音を抱えると地念児に手を貸すことはなく即時踵を返してその場を離れていく。 「大丈夫か彩音。腕をやられたのか」 「もうほとんど治ってるから、大丈夫…それより、地念児さんを…」 「聞こえただろ。ばばあの頼みだ」 地念児へ振り返る彩音にそう告げながら、かごめたちの元へ戻った犬夜叉は彼女を下ろす。 どうやら犬夜叉の言う通り、老婆の声は彩音にも届いていたようだ。そのため彩音もかごめ同様納得ができず地念児を助けてほしいという気持ちでいたが、先ほどの老婆の言葉と真剣な眼差し、そしてそれに素直に従う犬夜叉の姿を見せられてはこれ以上食い下がることができなかった。 二人はきっと、地念児を信じている。 そう感じてしまう状況に口を閉ざした彩音が静かに地念児を見つめ始める。それと同じく、犬夜叉も彼の行く末を見守ろうとした――がその時、視界の端にこそこそと蠢く影が映る。 それは身を屈めながら逃げようとする男たちのようで、気が付いた犬夜叉は途端に地を蹴ると彼らの行く手を阻むように勢いよく立ちはだかった。 「最後まで見てけよてめえら!」 怯える男たちへ厳しく強く言い放つ。その様子にとても掻い潜って逃げられる状況ではないと悟った男たちが言われた通り振り返ってみれば、そこでは腕が今にも喰い千切られんばかりに赤く染められ呻く地念児の姿があった。 ミシミシ…と鳴り響く軋みがその痛々しさを一層強く伝える。それに耐えかねた様子のかごめが地念児の名を叫ぶと、すぐに犬夜叉の元へと駆け寄った。 「犬夜叉!」 「心配すんなかごめ。地念児は負けねえよ」 「うん。きっと大丈夫…地念児さんを信じよう、かごめ」 犬夜叉に続くようそう口にする彩音は穏やかに、それでもどこか力強さを感じる表情でかごめを見つめる。それに言葉を失うまま立ち尽くすかごめは、再び振り返る彩音に釣られるよう地念児を見据えた。 彼ならできる。大丈夫。確証こそないながらそれでも信じるように思う彩音が胸の前で強く拳を握る。するとその時、地念児が妖怪の頭を貫いた手でそれの顔を掴み込み、もう一方の腕で妖怪の体をガキッ、と抱き込んだ。 その姿を見てか、老婆が呟くように声を紡ぎ出す。 「地念児…おめえは気が優しいから…どんなにバカにされても、我慢してきたんだろ…でも…村の奴らに見せてやれ! おめえの力を!」 老婆が積年の恨みを放つように叫んだ直後――地念児は渾身の力で掴み込んだ妖怪の頭を体と引き離すように容赦なくもぎ取ってみせた。その瞬間息絶えた妖怪の頭は地念児の腕を放し、体とともに地鳴りのような重々しい音を響かせながら崩れ落ちる。 多くの汗を滴らせ、シュー…と大きく息を吐く地念児。その姿に息を飲む男たちが黙り込んでいる中、彼を信じて見守っていた彩音たちは感嘆の表情を垣間見せていた。 「地念児さん…」 「す…すごい」 「……ま…これで村の奴らも…ちっとは大人しく…」 彼の力を見てそう口にする犬夜叉が地念児を見据えれば、その彼は荒い呼吸を繰り返しながら男たちへと振り返る。 次は自分たちの番だと思ったのだろう。ぎく、と体を強張らせた彼らは歩み寄ってくる地念児の姿に「ひいいーーっ!」と大袈裟な悲鳴を上げて大きく後ずさった。 「うっ、疑って悪かった!」 「こっ、殺さねえでくれーっ」 「あれ…」 「怯えちゃってるじゃない」 「だから、それでいいんだよ。どうせ仲良くなんかできねえんだ。だったらどっちが強いか、ハッキリさせとかねえとな」 戸惑う彩音とかごめに対して犬夜叉は不敵な笑みさえ浮かべながらそう言い切ってしまう。 どうやら彼はこうなることを望んでいたようだが、村の男たちが地念児を見直してくれるのでは…と期待していた彩音とかごめにとってこれは想定外で、言葉を失ってしまいながら不安げに地念児を見つめることしかできなかった。 もう誤解を解くことは、和解することはできないのだろうか。そんな思いを抱えるまま微かに唇を結ぶと、視線の先の地念児は男たちへ静かに拳を向けた。それに「ひいっ」と大きく悲鳴が上がる。だが―― 「あの…みんなも…ケガしてるべ。この薬草…傷口に貼るといいです」 穏やかな声色でそう告げる地念児が拳を開けば、そこには彼の畑で育てられた薬草が乗せられていた。 向けた拳は傷つけるためではない、癒しを与えるためのものだったのだ。それが分かる彼の優しい姿にかごめと彩音はたまらず表情を明るくさせるほど詠嘆した。 「地念児さん…」 「ふふ、やっぱり優しい人なんだよ」 「……」 感銘を受けるまま笑みを浮かべる二人。それとは対照的に犬夜叉は呆れを通り越してずっこけてしまいそうになっていた。 「って、バカかお前! そんなことだから…」 「もー犬夜叉、落ち着いて」 途端に吠え掛かる犬夜叉を彩音が押さえ込んでは宥めるように肩を叩く。 そんな犬夜叉の声にびくっ、と体を強張らせたのは地念児だけであったようで、村の男たちは犬夜叉の言うようにしない地念児を見つめ、やがては手渡された薬草へただ静かに視線を落としていた。 ――そうして人喰い妖怪の残骸を片付けたあと、男たちが村へ帰ったことで静寂を取り戻した畑には地念児親子と彩音たちだけが残っていた。男たちに襲われたうえに妖怪と争ったことで畑がひどく荒れてしまったが、老婆は三人へ自分たちに構わず帰れと言ってくる。 「あの…本当にいいんですか? お手伝いしなくて…」 「ああ。薬草持ってかにゃならんのだろ。とっとと帰んな」 彩音たちは手伝おうと思っていたのだが老婆は追い払うように素っ気なくそう言い捨ててしまう。 当人がこう言っている以上食い下がるのも悪いだろう。そう考えては素直に従うことにし、別れを告げるべく焼け崩れた小屋を片す地念児の方へ歩みを寄せた。 「じゃあね、地念児さん。あたしたちもう行くね」 「あ…はい。あの…あんたの腕は…大丈夫だか?」 「うん、気にしないで。私の体、ちょっと変わってるからすぐ治っちゃうんだ」 そう言いながら彩音は腕を持ち上げて力こぶを出すようにぐっ、と曲げてみせる。その姿に地念児は感心した様子で「はー…」と小さな声を漏らしていた。 そんな彼を再び見上げ、彩音は小さく微笑みを浮かべる。 「短い間だったけど…薬草も、助けてくれたことも…本当にありがとう」 改めてお礼を口にすれば、地念児は「はい…」と弱々しく返事をしながらひどく惜しむように大きなため息をこぼしてしまう。 そんな彼の淡い気持ちを悟ったらしい老婆は呆れたように細めた横目で彼を見つめていた。 ――やがて彩音たちが背を向けて遠ざかっていく。最後まで感謝し手を振っていた彩音たちの後ろ姿を見送る老婆は、それを見つめるまま“礼を言うのはこっちの方だ”と表しようのない思いを抱えて静かに立ち尽くしていた。 半妖やその家族を恐れることも拒絶もしない、それどころか受け入れ寄り添ってくれた彼女たちの存在がどれほど心の救いになったことか。きっと彼女たちが現れなければ今も心を擦り減らし耐え続けるばかりだっただろう。そう思えば思うほど彼女たちの存在がありがたく大きなものとして心に刻み込まれていく。 そうして余韻に浸るようしばらく後ろ姿を見つめていた老婆だったが、ふとその顔を地念児へ振り返らせると途端に気持ちを切り替えるようぱん、と強く手を鳴らした。 「さあっ、元気出せ地念児。荒れた畑直さねば」 「ああ…」 老婆の鼓舞するような声を聞いてもやはりどこか寂しげにうな垂れる地念児は小さく返事をしてゆっくりと動き出す。その姿にため息をこぼしそうになりながらクワを手にすると、老婆は疲れを感じさせない様子ですぐに荒れた畑を耕し始めた。 その時、不意に「あの…」と控えめな声が掛けられる。それに手を止めた老婆が顔を上げてみれば、どういうわけかそこには今まで地念児親子を蔑み疎んでいた村の男たちの姿があった。 だが、手当てを施した彼らの表情はこれまでとは違っている様子。 「手伝う…」 「……」 頭を垂れながらどこか言い辛そうにそう申し出る姿に老婆は眉をひそめる。見れば男たちの手に武器はなく、農具や木材といったものに変わっていた。 男たちの変化――それが感じられる姿を老婆はしばし黙ったまま見つめていて、やがては顔を背けてしまいながら「勝手にしろ」と言い捨てた。すると男たちは次第に散っていき、畑を耕す者たち、小屋を建て直す者たちとそれぞれの役割に分かれて働いていく。 老婆はそんな男たちに背を向けるまま、人知れず涙を滲ませていた。

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