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犬夜叉が村へ急ぐ頃、深く闇を落とした刻限に集まる男たちの影があった。いくつも掲げられた松明に照らされる彼らの手には、あの時集めていた物騒な武器の数々が握られる。 そしてゾロゾロと連れ立って歩き始める男たちはその足を地念児の畑へと向けていた。 「やっちまうだか」 「構うこたねえ、犯人は地念児しかいねえんだ」 「あんな妖怪小僧の言うこと信用できるか」 一人の問いかけに全員が鬼のような形相を浮かべ、恨めしげにこぼしていく。これまで怯えた様子を見せていた者も、不安に躊躇っていた者も全て復讐の決意を固めて挑んでいるようであった。 ――それらがゆっくりと迫る地念児の家では、壁際で互いに寄りかかるよう座って眠る彩音とかごめの姿。彼女らは終始地念児へ警戒心など見せず、傍にいる今でもこうして安らかに寝息を立てるほど安心し切っていた。 そんな二人を見つめる地念児は昼間と変わらぬ感情を抱き続け、それに心地よさすら感じてくる。 「(なんだべ…この気持ち…この子たちといると…心があったかい…)」 「出てきやがれ地念児!」 突然大きな怒声が響くと同時になにかがガッ、と床に叩き付けられる。その音に目を覚ました彩音が振り返れば、そこには手のひらに収まるほどの石が転がっていた。 どうやら、男たちが外から投げ込んできたらしい。 「てめえが人殺しだってことは分かってんだ!」 「薄汚い半妖めがっ」 「な…あの人たち、なんで…」 あれだけ釘を刺したというにも構わず襲いにきた男たちに彩音が絶句する。同様に目を覚ましたかごめは怯え、その彼女に縋られる老婆はクワを手にしながら「村の奴ら…」と恨めしげな声を漏らしていた。 するとその背後では誰よりも大きな地念児が誰よりも弱々しくがたがたがたと体を震わせ始める。 「おっかあ…」 「大丈夫だ地念児。そこにいろ」 地念児へ言い聞かせるようそう告げると、老婆は躊躇なくすぐさま戸代わりの莚を押し退け飛び出そうとする。その瞬間、まるで雨のように降り注がれた石の一つが老婆の頭に当たり、彼女の額から滴るほどの血を滲ませた。 「恩知らずどもが!」 「今まで村に住まわせてやったのに!」 「ちょっと待って! やめてっ!」 老婆の傷に構わず無数の石を投げ続ける男たちに彩音が声を上げながら老婆の前に立ちはだかる。刹那、投げられた石が肩に強くぶつけられ頬を掠めた痛みに顔を歪めれば、男たちはようやく石を投げる手を止めて代わりにひどく疎ましげな眼を向けてきた。 「どけ小娘!」 「なんでそんな奴らの肩を持つ!」 「あんたたちこそなんで分かんないの!? 地念児さんが人殺しなんてできるわけないっ。それくらい繊細で優しい人なのっ!」 理解しようともしない男たちに耐えられず彩音は頬に滲む血も拭わないまま強く声を荒げる。 一緒にいれば分かることだ。地念児は思いやりがあって臆病で、きっと動物や虫でさえ手に掛けられないのだろうと思えるほど心優しい者なのだと。 ――しかし、一方的に決めつけ忌み嫌い蔑む男たちはそれを分かろうとしない。それどころかこうして彩音が訴える声にも耳を貸さず、より一層激昂した様子で武器を掲げ始めた。 「構わねえ、この小娘どもも一緒にやっちまえ!」 「元々妖怪の小僧とつるんでやがったんだ」 「妖怪の仲間だ!」 そう口々に声を荒げては手にしていた松明を一斉に投げ込んでくる。それは幸いにも彩音たちに当てられることはなかったが、小屋の屋根へと乗せられたことで無情にも小屋へ燃え移ってしまった。 「小屋が…」 「くっ…貴様らーーっ!」 耐え切れなくなった老婆が怒りを爆発させるままにクワを掲げて駆けだす――その刹那、老婆の手が届くよりずっと早く男たちの背後からバキバキ、と凄まじい音が鳴り響いた。直後、男の首が血を噴き出しながら彩音たちの目の前に降ってくる。 一体なにが起こったというのか。あまりにも唐突で一瞬の出来事。それに呆然とする男たちが振り返ると同時、彼らの後ろに男の体がひとつドシャ、と崩れ落ちた。 ――その傍にあったのは、とてつもなく巨大な妖怪の姿。 それは人間に近しい大きな顔に六本の肢を生やし、口には植毛のようなものをザワザワと揺らして、顔から直に伸びるヘビのような流線形の体を持つという奇怪な姿形をしていた。 誰しもが状況を理解できないまま立ち尽くしそれを見上げる。すると横たわる男の死体の周囲にザワザワザワ…と数えきれないほど細かな足音が近付き、暗闇にいくつもの目が浮かび上がったのも束の間。途端に姿を現した幼虫のような妖怪たちが死体へ群がり、バキバキバキと激しい音を立てながらその死肉を貪り始めた。 「……み…見ろ…腹わた…喰ってたのは…」 あまりにも自然に行われる衝撃的光景に思考停止する者たちの中で老婆が小さく震える声を漏らす。 次の瞬間、親であろう巨大な妖怪の口から鋭い触手のような舌が素早く放出された。それは瞬く間もなく男たちへ伸ばされ、ドガ、と鈍い音を立てて一人の男の腹部を貫いてしまう。 「うっ…」 「わああああ!」 「さあ…やってごらん…」 男たちが割れんばかりの悲鳴を上げるのも構わず親妖怪がおぞましい声で我が子へと告げる。すると幼虫のような妖怪たちはギチギチギチと口を鳴らし、男たちへ向かって一斉に迫り始めた。 このままでは全員殺されてしまう。そう悟った彩音は親妖怪を倒すべく咄嗟に小屋の中へ駆け込んだ。その時、小屋の中でうずくまっていた地念児が彩音の姿に「あ…」と戸惑うような声を漏らす。 「地念児さんお願い! 妖怪は私がどうにかするから、地念児さんはお母さんを連れて離れてて!」 彼が状況を問うより早くそう告げ、彩音は立てかけていた燐蒼牙を掴んですぐさま小屋を飛び出した。 咄嗟の判断であったために、いつも身につけていた燐蒼牙を取ってしまった。この状況ならば未だまともに使ったことがない刀よりかごめの弓矢を借りるべきだったかもしれない。そんな後悔をよぎらせるが戻るわけにもいかず、親妖怪の元へ駆ける彩音は思考を振り払うように勢いよく燐蒼牙を抜いた。 なんでもいい。わずかでも、あの妖怪を止める力が発揮できれば―― 「燐蒼牙っ!」 懇願するような思いで叫ぶとともにザン、と燐蒼牙を振り抜く。そこに確かな感触を覚えた――その瞬間、親妖怪に刻まれた傷口から蒼い炎が上がりそこが大きく焼け焦げるようにただれ失われた。 「な…」 初めて見る燐蒼牙の力。それに思わず目を丸くすると同時、体を一部損壊された親妖怪が体を傾け、ドオオオン、と凄まじい音を立てるほど激しくその場に倒れ込んだ。 まさか倒したのか、自分でも倒せたのか――そんな思いが沸々と込み上げてわずかに息を漏らしたその時、横たわる親妖怪の体がわずかに動きを見せた気がした――直後、 「あっ!?」 バシッ、という激しい音と強い衝撃が全身を包み込む。目にも留まらぬ速さで振るわれた妖怪の尾が彩音の体を打ち払ったのだ。その衝撃に加え畑に叩き付けられる痛みに彩音は強く咳き込み、目の前で大きくうねるように起き上がる親妖怪の姿を睨め上げる。 「こいつ…ごほっ…」 「おのれ…小賢しい真似を…」 彩音を見下ろす妖怪が低く忌々しげに声を降らせる。どうやら怒りを買ってしまったようだが、彩音にとってむしろそれは好都合だ。このまま気を引き続けていれば周囲には被害が及ばないはず――そう目論む彩音はすぐさま燐蒼牙を拾うべく、地面を這うまま目先の刀へと手を伸ばした。 ――その瞬間、頭上でビュッ、と音が聞こえた。かと思えば突如、伸ばしていた腕が妖怪の尾によって強く容赦なく叩き潰されてしまう。予想だにしないその衝撃に息が詰まると同時、腕から鈍い音が響き計り知れない痛みが全身を駆け巡るよう迸った。 「ぐあっ…ああああっ!!」 「彩音っ!!」 途端に腕を押さえてうずくまり叫ぶ姿にかごめが声を上げる。 骨を折られた。だが巨大な尾に叩き潰された腕はそれだけで済むはずがなく、覆い隠す袖さえ真っ赤に染めるほど損傷したそこを押さえ込む彩音は痛みに悶え苦しみうずくまることしかできなくなっていた。 その姿に妖怪は「くくく…」と胡乱げな笑みをこぼす。 「小娘が…腹わたを…喰ってやる」 そう唸るように言う妖怪の口からはズ…と鋭い触手が姿を現す。それは先ほど村の男を刺し殺したもの。それが彩音へ向けられたその時、母の傍で震える地念児が瞳を大きく揺るがした。 「やっ…やめてけろーっ!」 触手が放たれると同時、地念児が悲鳴に近い叫び声を上げながら無我夢中で駆けだした――次の瞬間、彼は咄嗟に突き出した腕を妖怪の口の中へ勢いよく叩き込み頭を貫いてみせた。 その真下で彩音は顔を歪めながらもしかと彼の姿を目に留める。 「あ…地念、児…さんっ…」 「逃げてけろ…早く…あんたたちだけだ…おらを人並みに扱ってくれたのは…あんたをここで死なせたら…おらもうこの先生きていかれねえ!」 悲痛な声で叫び訴える地念児の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。 その思いは、臆病な彼が恐ろしい妖怪に自ら立ち向かってしまうほど確かなもの。それを否応なく感じさせられる姿に言葉を失ったのは彩音だけでなく、焼け落ちる小屋を背にした老婆とかごめも同様でひどく悲しげに表情を歪ませていた。 ――それと同じ頃、村の男が迫りくる妖怪の子に向かって渾身の力で刀を振り下ろす。だが強靭な外殻を持つそれは刀を通さず、それどころか刀が容易く折れてしまうほどびくともしていないようであった。 「だっ、だめだ」 「槍も刀も効かねえ!」 為す術がなく絶望的な状況に男たちは顔面蒼白のまま折れた刀を見つめることしかできなくなる。こんなものどうすればいいというのか、そんな思いが一同の頭の中を支配した刹那、一人の男が子妖怪に捕らわれてその体を瞬く間に群れの方へと引きずり込まれてしまった。 途端、子妖怪たちは男を貪らんとその体に群がっていく。 「たっ、助け…」 「散魂鉄爪!」 男が助けを乞おうとした刹那、突如彼を襲っていた子妖怪たちがザン、と無残に散らされる。その残骸が虚しく地面に降り注ぐ様を見て「助かった…」と腰を抜かす男たちの前に現れたのは、怒りと焦燥感を露わにする犬夜叉であった。 「てめえらなんでこんなとこに…」 「犬夜叉!」 「!」 突然響かされたかごめの声に振り返る。その時彼女の向こうに見えた巨大な妖怪の姿。「腕を…喰い千切ってくれる…」と低く唸るように言うそれは突き込まれた地念児の腕を今にも噛み切らんばかりに軋ませていた。 「彩音を、地念児さんを助けて!」 その声にはっと目を見張る。巨大な彼らの闘いに目を奪われていたが、その足元に彩音の姿を見つけたからだ。顔を歪めて後ずさるようにしている彼女の腕からは淡い光が立ち昇り始めており、赤く染まった制服からも彼女がすぐに動けない状況であることが悟れる。 途端に犬夜叉は強く舌打ちし、早く妖怪を片付けて彩音を助け出そうと駆け出した――だが、 「地念児を助けるこたねえ!」 突如響かされる声に足を止める。同様に、たまらず「え…!?」と短い声を漏らすほど驚愕した様子を見せるかごめとともに振り返った先には―― 「(ばばあ!?)」 誰よりも地念児を大切にしてきた、実の母の姿があった。

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