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空が黒く染まり果て、落とされた闇に包まれる木々がザワ…とさざめく頃。素知らぬ顔で宿屋へ戻ってきた弥勒は用意された夕食を前にしながら、同時に、とてつもなく冷めた視線がいくつも向けられていることを痛いほど感じていた。 「気のせいでしょうか。犬夜叉…さっきからおなごたちの視線が妙に冷たいのだが…」 たまらず三人の視線から遠ざかるようにして犬夜叉へ耳打ちする。 かごめ、彩音、珊瑚の三人は並んで夕食を口にしているのだが、その目は鋭く、かつ呆れを滲ませるものでやけに冷やかさを感じてしまうものであった。中でも、彩音と珊瑚の視線の冷たさは強い。 それに冷汗を浮かべる弥勒は犬夜叉から事情を聞こうとしたのだが、その犬夜叉すらも呆れに目を据わらせていて煽るように言ってきた。 「おめー女引っかけて来たんだろ。だから思いっきり汚いものを見るような目で見られてんじゃねーかな?」 まさにバカにしている様子をありありと示す表情で言ってくる犬夜叉。すると弥勒は困ったような笑みでそれを「ふっ」と笑い飛ばし、至極真面目な表情に切り替えては女子三人へと振り返った。 「とんだ誤解ですな。信じてもらえないかも知れませんが…」 「信じらんない」 「ウソだね」 「ないわー」 「まだなにも言ってません」 弁解しようとするも言葉を遮るほど喰い気味に全否定されてしまって汗を浮かべる。 “聞くまでもない”、そう言わんばかりに切り捨ててしまう彼女たちは一切事情を聞いてくれる様子がないようで、結局なにひとつ誤解を解くことができないまま冷たい視線を受けながら夜を過ごすことになったのであった。 ――雲一つない空に数々の星が瞬く夜更け。一行は灯りを消し、衝立を境に男女に分かれて安らかな寝息を立てていた。 彩音たち女三人は雲母と七宝とともに寄り添い合うよう身を寄せながら深く布団に収まっている。それに比べて犬夜叉は相変わらずすぐ動けるよう布団には入らず、鉄砕牙を抱えるようにして座ったまま眠りについていた。 そんな静寂に満ちる部屋で、犬夜叉の隣で横になる弥勒は彼に背を向け、頬杖を突きながら自身の右の手のひらを見つめる。 「……」 手をわずかに動かすだけでズキ…と痛みを走らせる、風穴の傷。それにわずかに顔をしかめると、気だるげな表情を浮かべて大きなため息をこぼしながら仰向けに転がった。 「ふーー参ったな。やっぱり痛え… (あの蟷螂…風穴を広げやがって…)」 「…弥勒…?」 夕刻退治した妖怪の姿を疎ましげに思い返していれば不意に呼び掛けられる。それにギク、と嫌な鼓動を響かせて振り返ると、寝ぼけ眼の彩音が衝立の上から顔を覗き込ませている姿が見えた。 「どしたの…? なんかあった…?」 「いえ…彩音こそ、どうしました?」 「なんか目が覚めて…弥勒の声が聞こえた気がしたから、まだ起きてるのかなって…」 寝ぼけているのだろうか、そこに夕食時のような冷たさはない。だが弥勒はそれよりも、“声が聞こえた”という彼女の言葉に嫌な焦りを芽生えさせていた。 もしや聞かれただろうか。だとすれば上手く誤魔化さなければ…そう心配するまま慎重に彩音の出方を窺おうとしたのだが、そんな時彼女は呑気にふわあ…と大きなあくびをこぼし、今にも閉じてしまいそうなほど据わり気味の目を擦り始めた。 よほど眠いのだろう、そこに焦りや心配といった様子はない。とても気付かれたとは思えない。 それに拍子抜けするよう安堵して、ふ…と小さな笑みをこぼすと、弥勒は彩音の傍へ近付いてわずかに乱れる髪を整えながら優しく彼女の頭を撫でた。 「私は大丈夫です。もう寝ますから、彩音も寝なさい」 「ん…ほんとに大丈夫…?」 「ええ。なにも心配はいりませんよ」 ぼんやりとした表情のまま問いかけてくる彩音へ微笑みかけて言う。すると彩音は微かな頷きを返し、「おやすみ」と緩やかに手を振って衝立の向こうへその姿を見えなくした。 そんな彼女が布団に戻る衣擦れの音を聞きながら、弥勒は聞こえるかどうかの小さな声で「おやすみ」と返し――やがて笑みを消した表情を右手へと向けていた。 チチ…と小鳥のさえずりが聞こえる。村人たちも働き始める早朝、窓から眩く差し込んでくる陽光に誘われるよう犬夜叉が目を覚ました。その時、 「ん…?」 違和感に小さな声が漏れる。 自分のすぐ傍には、綺麗に畳まれ揃えられた一式の布団。それは弥勒が使っていたものだ。もう起きたのだろうか、そう思って辺りを見回すが、どうもその姿が見当たらない。 まるで痕跡ひとつ残さず、消え去ってしまったかのように―― 「法師さまなら夜明け前に出て行かれましたが…」 「「え…?」」 弥勒がいない、と起こされた彩音とかごめが不思議に思いながら宿屋の主人へ尋ねに行けば、その主人から耳を疑うような言葉が返された。 どうしてそんな早くに一人で…? いつ頃戻ってくるのだろうか…そう疑問を抱いてしまう彩音が微かに眉根を寄せてしまう前で、主人は言葉を続ける。 「しばらく旅に出るのでよろしくと…」 「えええ!?」 「な…なにそれ…」 思ってもみなかった伝言にかごめが愕然とし彩音は唖然とする。 弥勒が黙って出ていくなど初めてのことだ。まさかなにかあったのでは、という不安が膨らむと同時に、彩音の脳裏には昨晩彼と交わした言葉が甦っていた。 記憶こそおぼろげだが、弥勒はあの時確かに“なにも心配はいらない”と言っていた。だというのに、彼は自分たちへ事情を話すこともなくたった一人でどこかへ姿をくらました―― (弥勒…) 胸の奥に、もやもやとした嫌な感覚が生まれるのを感じる。言い表しようのないそれに顔をしかめながら、彩音はやり場のない気持ちを押し殺すように胸をギュ…と押さえつけた。 ――やがて、一行は得も言われぬ気持ちのまま村を離れていく。弥勒がどこへ行ったのか分からない以上追うこともできず、旅を再開しようという犬夜叉の意見によってその足は進められた。 だがやはり気掛かりで仕方がないのだろう、かごめから「どう思う?」という声が上げられる。すると自転車の荷台に乗せられた荷物の上で、平然とした様子の七宝が振り返った。 「昨日かごめたちが冷たくしたからではないか?」 「え゙!?」 思わぬ指摘にかごめがどきっ、と肩を跳ね上げる。しかしその隣を歩く彩音は違い、なんとも腑に落ちないという様子で「うーん…」と眉をひそめた。 「でもあんなの、今に始まったことでもないし…」 「彩音の言う通りだ。あいつがそんな可愛らしい神経してるわけねーだろ。それより…誰ださっきから見張ってやがるのは!?」 突如犬夜叉が声を荒げながら傍の木へ容赦なく鉄砕牙を振り抜いてしまう。それにかごめたちが「え゙」と声を漏らすほど驚いた様子を露わにすると、その視線の先で凄まじい音を立てながら崩れ落ちる木の向こうにぼんやりとした人影を垣間見た。 それは見つかったことを認識した途端に身を翻し、すぐさま木々の向こうへと逃げ出してしまう。 「な…あいつ…」 「奈落!!」 目を見張るほど驚愕した珊瑚と犬夜叉が即座に強く地を蹴りその背を追う。 そう、犬夜叉たちを監視していたのは奈落であったのだ。白い狒狒の皮を被ったそれは鬼気迫る剣幕で追ってくる犬夜叉たちの姿を横目に見やり、「くくく…」と胡乱げに喉を鳴らしながら木々の間を縫ってその身を遠ざけていく。 ――しかし、それは傀儡だ。そしてそれを操る本物の奈落は城の一室で土に立てられた木製の人形を見つめている。 まるで、なにかを待つように。 そんな時、そこへ羽音を立てる小さな影が近付いてきた。 「最猛勝…戻ったか」 そう呟いた奈落は最猛勝を左手に止まらせ、言葉のないそれから事の顛末を聞き取った。それと同時に漏れる、小さな笑み。 「ふっ…思い通り…」 ――弥勒を群れから引き放した。あとは殺すだけ。 「奈落!!」 奈落が人知れずほくそ笑むのと同じ頃、風を切るほどの勢いで森を駆ける犬夜叉の怒号が響き渡る。しかし傀儡の足は速く、その距離は中々縮まらない。それに犬夜叉が苛立ちを募らせると同時、背後から「ちくしょう!」と声を荒げる珊瑚が凄まじい勢いで雲母を飛ばした。 「飛来骨!!」 強く叫ぶとともにゴッ、と風が唸るほどの勢いで飛来骨を放つ。それは目にも留まらぬ速さで回転しながら迫ると、傀儡の右肩付近をドガッ、と打ちつけた。 その衝撃に傀儡の体が傾く。 「足を止めた!」 「よしっ。この野郎!!」 珊瑚の合図と言わんばかりの声に呼応し、渾身の力で傀儡へ鉄砕牙を振り下ろす。その瞬間確かな手応えを感じたそこには、胴を両断するよう大きく切り開かれた狒狒の皮の下から肉塊のような気味の悪い触手が這い出そうとしていた。 来るか、そんな思いに犬夜叉たちはすぐさま身構えようとする――が、「くくく…」と笑みをこぼしたそれは突如土に帰るよう脆く崩れ落ちてしまった。 「!」 「これは…奈落の傀儡…!」 遅れて辿り着いた彩音たちも含め、珊瑚と犬夜叉は愕然と顔を強張らせる。その視線の先には土に埋もれるよう転がる木製の人形が一つ。 見覚えのあるそれを目にしたことでようやく自分たちが追っていたものが偽物であったのだと気付かされた一同はまたも仕留められなかったことに悔しさを滲ませるが、同時に、その行動に強い違和感を抱かされた。 思えばこの傀儡、自分たちを見張り、気付かれたらすぐに逃げていた。以前ならば自分たちを殺そうとしていたのに、一度も攻撃をしてくることなく。 ただ逃げるだけ逃げ続け、ついにはやけにあっさりと打ち倒された―― (いつもとは違う…まるで、私たちを誘き出すために逃げてたみたいだった……いや、違う…? むしろ、私たちをなにかから遠ざけようとするような…) 違和感の正体を暴くべく必死に思考を巡らせていたその時、脳裏をよぎった可能性にはっと目を見開いた。 ひとつだけ――この状況でただひとつだけ、奈落が犬夜叉たちを遠ざけたがる可能性のあるものが存在する。 彩音がそれを悟った瞬間、同じことを考えたであろうかごめが不意に不安そうな表情で犬夜叉へ振り返った。 「ね、ねえ犬夜叉。弥勒さま…どうしていなくなっちゃったのかしら…」 「どうしてって…」 「あのう~犬夜叉さま」 犬夜叉が思わぬ問いかけに眉をひそめると同時、突然聞き覚えのある老爺の声が上げられる。それに釣られるよう声の元へ視線を移すと、犬夜叉の念珠の影からこそっ、と現れる冥加の姿があった。 「冥加じじい、いたのか?」 「いたのです」 意外そうな顔をする犬夜叉に冥加は念珠の上に立ちながらそう返す。どうやら彼は顔を出さなかっただけで一行とともにいたらしく、昨晩見たという弥勒の様子を話してくれた。 「弥勒が考え込んでた?」 「はい、手の風穴を見ながら…なにやら深刻な様子でしたな」 (風穴を見ながら…) 何度も高く跳ねながら話す冥加の言葉に嫌な予感を覚える。そんな彩音の脳裏に浮かぶのは、昨晩夢うつつに聞こえた弥勒の“やっぱり痛え…”という疎ましげな声であった。 (あの声…夢じゃなかったんだ…) 昨晩の弥勒の安堵とは裏腹に、しかと聞いてしまっていた彩音はあの時わずかに感じた不安を甦らせるように眉根を寄せてしまう。 昨晩目が覚めた時にあの声が聞こえた気がして、寝ぼけながらも彼を案じていたのだ。だからこそ念のためと声を掛けたのだが、彼は心配いらないと毅然に振る舞っていた。 その言葉を信じて、大人しく引き下がったのに… (…弥勒の嘘つき…) 甦る昨晩の彼の姿に小さく唇を噛みしめる。今朝方感じた胸のうちのもやが、一層膨らんでいく。 それを堪えるように強く胸を押さえながら、彩音はすぐさま縋るような声色で必死な声を上げた。 「みんなっ、今すぐ弥勒を捜しに行こう!」

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