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――翌日。次のかけらを捜しに出ようとした時、大量の血の臭いを嗅ぎつけたという犬夜叉の言葉で一行は弥勒とともにその臭いの元へと足を運んだ。そうして辿り着いたのは、無数のカラスが群れて飛び回る平野の一角。 「きゃ…」 「な、なにこれ…」 「これはむごい…」 視界に飛び込んできた光景に足を止め、各々がたまらず小さな声を漏らす。 眼前に広がった光景――それは一隊の武士が一人残らず殺され血に塗れる、ひどく凄惨なものであった。それもただ殺されているだけではない、武士も馬も全て腹部の鎧を破られ、見えるはずのない肋骨が丸々晒されている。 「一人残さず胆を取られている」 「戦じゃねーな」 「妖怪…?」 「だな」 かごめが呟くように言えば犬夜叉が淡々とそれを肯定する。その後ろで「南無」と片合掌をしていた弥勒が顔を持ち上げると、再び目にしたその亡骸からなにかを悟ったよう目を細めた。 「これは雑魚妖怪の仕業ではない…四魂のかけらを持っていそうですな」 「(血の臭い…だけじゃねえ。これは…墨! そうだ、墨の匂いだ)」 犬夜叉は弥勒の言葉を耳にしながら、ただ静かにこの場に残る微かな臭いを嗅ぎ分けてみせる。そしてその正体に確信を抱いた直後、犬夜叉はどこか厳しい表情で弥勒へと振り返った。 「おう弥勒、言っとくけどな。おれはおめーと組む気はねえからな。かけらは渡さねえぜ」 「早い者勝ち…というわけですね」 やはり一切譲る気がないのだろう、それを歴然と現した犬夜叉に対し、弥勒は受けて立とうといわんばかりの微かな笑みをその口元に浮かべる。かと思えば彼はそのまま体の向きを変えてしまい、顔だけをこちらへ振り返らせて言った。 「ここでお別れします。私は一人で勝手に動きますから」 「え、ちょっと待って弥勒。一人で行っちゃうの?」 呆気なく立ち去ろうとする姿に彩音は思わず駆け寄りながら呼び止めて問う。すると弥勒が「彩音さま…」とどこか感銘を受けたように呟き、目の前の彩音へ向き直りながらその瞳をじっと見つめた。 「そうですか…片時も私から離れたくないと…」 「言ってない」 「そうですか…」 容赦なくずば、と言い切られてしまった弥勒はわざとらしく肩を落とす。だがそんな彼はやはりどうしても一行とともに行くつもりはないようで、「それでは」とだけを言い残すと一切の躊躇いなく背を向けて立ち去ってしまった。 犬夜叉とも同等に手を合わせられる人間だ、再び一人になったところで問題はないだろう。そう分かってはいるのだが、次第に小さくなるその背中を見つめていた彩音は決意を固めるように頷くと、同じく彼の背中を見送っているかごめへと振り返った。 「ごめん、やっぱり気になるから行ってくる」 「え? 行くって、弥勒さまのところ?」 突然の申し出にかごめが少しばかり目を丸くするよう戸惑いを見せる。彩音はそれに迷いなく「うん」と頷いては一度弥勒の背中へ振り返り、再びかごめの方へ向き直りながら小さく笑い掛けた。 「目的は一緒だからまたすぐにこっちと合流できると思うし、ちょっとだけね」 「そう…分かったわ。もしかしたら彩音が食い下がれば、あの人もあたしたちと一緒に行くことを考え直してくれるかもしれないものね。頑張ってね彩音」 「えっ。んー…それはあんまり期待できないかなあ…」 なにやら余計な期待をされていることについ苦笑を浮かべてしまう。だが弥勒をその気にさせる努力をするのも悪くはないだろう、そう思いながら彼のあとを追いかけようとした時、「ちょっと待てっ」と制止の声を上げられた。 その声の主は一人仏頂面を見せる犬夜叉で。なにやら気に食わないといった、いまにも吠え掛かりそうなほど不満げな顔をしていた。 「なんでおめえがあんな奴と…放っときゃいーだろっ」 「放っとけるわけないじゃん。同じ目的を持つ者同士、少しでも協力してあげたいし」 当然のようにそう言い切れば、犬夜叉が口をへの字に曲げてしまうほど黙り込む。かと思えば額に小さく汗を滲ませ、どこか疑うような怪訝な表情を見せてきた。 「…おめーまさか…あーゆースケベ野郎が好きなのか?」 「はあ?」 なぜ突然そんな話に飛躍してしまうのか。犬夜叉の予想外の問いかけに素っ頓狂な声を上げてしまった彩音だが、大きなため息を一つこぼしては犬夜叉に分からせるようはっきりと明確に言い切った。 「うん、好きだよ。そりゃーもう、すっごくすっごくだあーい好き」 わざとらしく大袈裟に誇張して宣言する。もちろんこれは犬夜叉を少しからかってやろうと思っての冗談だ。それが分かるようにこれほど大袈裟に言ったのだが、なにやら思っていたような反応がない。それどころか返る言葉がなにひとつなく、ちら、と様子を窺ってみれば、犬夜叉はいつの間にか彩音に背を向けるほど大きくショックに狼狽えていた。 「(そーなのか? そーゆーもんなのか?)」 「ウソに決まってんでしょバカっ」 * * * 人々が行き合い、中には簡素な出店を開く者も多くいるのどかな道。少しばかり賑わうそんな場所に、ぼんやりとした雰囲気で大きなあくびをしながら歩く弥勒の姿があった。 「ふわ~かけらの手がかりもねえし…どうしたもんかね」 「あ、いた!」 「ん?」 不意に響いてきた聞き覚えのある声に顔を振り返らせる。するとその視線の先、いましがた弥勒が通ってきた道を辿り走ってくる彩音の姿が見えた。彼女は弥勒の傍まで駆け寄り、少しばかり息を切らせながら大きな息を吐く。 「はーっ、よかったー。見失ったかと思った…」 「彩音さま? なぜここに…」 「やっぱり一人だと心許ないでしょ? 犬夜叉にはかごめがついてるし、私は弥勒を手伝おうと思って」 「彩音さま…」 言いながら笑い掛けてくる彩音を、弥勒はじぃーん…と感銘を受けるように真っ直ぐ見つめる。かと思えばすかさず彩音の両手を包むように握りしめ、ぐっと体を寄せながら真剣な眼差しを向けた。 「やはり今すぐ私の子を産んでくだされ」 「だからなんでそうなる」 懲りずに向けられるその要求を彩音はずば、と切り捨ててやる。この短期間でどれだけ言うつもりなのか…そう呆れ返った彩音が弥勒の手を引き剥がしていた時、不意に離れたところから「この下郎っ!」という怒号が響いてきた。それだけでなくドカッ、という鈍い音まで聞こえ、二人はただならぬ雰囲気を感じるそこに視線を向ける。 そこに見えたのは、地面にうずくまる男が二人の男に容赦なく踏みつけられる痛々しい光景であった。 「姫さまを盗み見おって」 「汚らわしいわっ」 「わ、わしはただ、姫があまりにお美しいので…」 怒号を上げる男たちへ、踏みつけられる男が弱々しく弁解の声を漏らす。見ればその向こうには女中に傘を傾けられ、被衣に顔を隠す女の姿があった。あれが男たちの言う姫だろう。 どうやらうずくまるあの男が姫を盗み見ていたことであのような騒動に発展してしまったようだが、彩音たちの周囲で微かにざわめき立つ人々の中には彼のことを知っている者もいるらしく、互いに話し合う声が小さくも確かに聞こえてきた。 「あれは絵師の紅達(こうたつ)じゃ」 「京から流れてきたちゅう噂の…」 紅達、そう呼ばれた男は見たところ普通の人間のよう。だが彩音は彼から感じる微かな違和感に眉をひそめ、その違和感の正体を探るように彼を見つめた。 はっきりとした詳細は分からない、だが彼からは確かに嫌な気配が見え隠れしているような感覚があり、彩音は訝しむようそれを見つめるまま呟いた。 「ねえ弥勒、あの人…」 「彩音さまも気付かれましたか。あの絵師…なにか悪いものにとり憑かれているようですな」 同じく気が付いたらしい弥勒もそう口にしながら紅達へ鋭い視線を向けている。 紅達がその“なにか”に苛まれているのか、はたまた悪用しているのかはまだ分からない。だが用心するに越したことはないだろう。そう思わされるほどの気配に小さく唇を結べば、不意に姫と呼ばれていた女が被衣の下から微かに顔を覗かせて男たちへ声を掛けた。 「これ、あんまりひどくしないで…」 そこに見えたのはどこか弱々しげな表情。彩音と弥勒が彼女に少しばかり目を引かれていれば、うずくまったまま黙り込む紅達へ唾を吐き捨てた男たちが踵を返しながら「さ、参りましょう姫さま」と彼女を先へ促していった。 そうして再びゆっくりと歩を進める姫を見つめる弥勒は、彼女から感じる儚さを静かに悟っていた。 「(美しいが…影の薄い姫さんだな。こっちは放っとくと長くねえ)」 姫の弱った表情にそれを思い、顔を振り返らせる。そこには紅達がいて、再び視線を戻せば咳をし女中に心配される姫の姿。まるで天秤に掛けるように弥勒が二人を見比べる中、彩音は起き上がろうとする紅達に気が付いては彼の元へそっと歩みを寄せた。 「あの…大丈夫ですか? これ落として…」 この男から話を聞いておきたい、そう思ってはきっかけを作るべく地面に転がる彼の竹筒を手に取ったのだが、その瞬間に感じた嫌な気配にギク…と悪寒が走った。言いようのない気配、それは紅達を見た時に感じたものと似ているような気がして。 この中に一体なにが…と感じてしまったその瞬間、「さ、触るな!」という声とともに竹筒を強く奪い取られてしまった。それにはっとするも、彼は逃げるように駆け出してその姿を遠ざけていく。 その姿を呆然と見つめていた彩音は眉をひそめ、確かに気配を感じ取った手のひらへ静かに視線を落とした。 (さっきの嫌な感じ…なんだったんだろ…? それに少しだけ…四魂のかけらに近い気配もあったような…) わずかな可能性に一層眉間のしわを深める。確かにあの竹筒の中に四魂のかけらはなかった、だがそれをひどく薄めたような、かけらの残り香に近しい気配を感じたのだ。 やはり紅達という男を放ってはおけない。そう考えた彩音はすぐさま弥勒へそれを伝えようと振り返った――が、 「え゙っ、いない!?」 今しがたそこにあったはずの姿が忽然と消えてしまっていて思わず大きな声を上げてしまう。数秒前までは確かにいたはずだ。だが辺りを見回してもその姿はすでになく、戸惑った彩音は先ほどの彼の姿を思い返してみた。 そしてすぐに悟る。これは確実に姫さまの方へ行ったな、と。

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