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「てめえ一体何者だ!」 鉄砕牙を肩に掛け、怒号ともとれる声で強く問いただす。しかし弥勒はそれにも顔色ひとつ変えることなく、ただ彩音を背後に隠すようにしながら余裕に溢れる涼しげな表情を見せていた。 「私の名は弥勒…法力にて人助けをいたしております」 「人助けの法師だあ!? ふざけんなこの盗っ人野郎!」 実態と明らかに異なる紹介に犬夜叉はより一層声を荒げる。それもそのはずだ、彼は四魂のかけらを盗んだうえに彩音を攫っている。それが人助けをするような善人のやることとは到底思えるはずがなく、犬夜叉は鋭い瞳で射抜くように弥勒を見つめていた。 それと同時、騒ぎを聞きつけた村人たちが犬夜叉の背後へと集まってくる。その中から聞こえたのは「法師さまが妖怪退治するらしいぞ」という声。 まるで見世物でも見るかのような目を向けられ、さらには自分が悪役として認識されていることを嫌でも感じ取った犬夜叉は、どこか不快そうに眉間に刻み込んだしわを強く深めていった。 するとその時、弥勒が懐から四魂のかけらを取り出すと、犬夜叉へ挑発的な目を向けながらまるで嗜めるような口調で語り掛けた。 「悪いことは言わぬ、四魂の玉と彩音さまはこのまま私にお渡しなさい。犬夜叉…」 「(こいつ…おれの名を…)」 迷いなくこちらの名前を言い当ててくる彼の姿にぴく…とわずかな反応を見せてしまう。名乗った覚えなどない、それでも知っているということは四魂の玉の情報を嗅ぎ付けてきた者だろうか。そんな思いをよぎらせた犬夜叉は鉄砕牙を握る手にわずかな力を込めながら言いやった。 「てめえ、おれを知ってたのか!?」 「いえ皆目。ただ、あなたのお連れの美しい娘御とこの愛らしい彩音さまがそう呼んでおられたので…ねえ、彩音さま」 そう呼び掛けながら、彩音へ振り返った弥勒はにっこりと微笑んでみせる。対する彩音は先ほどから彼に胡散臭さを覚えてしまっているため、どこか訝しむような目を向け返していた。 だがかごめだけは違う。彼女は弥勒の言葉に目をきらきらと輝かせるほど顔色を変えてしまっていた。 「なんか…悪い人じゃないみたい」 「しっかりせいかごめっ、あれは玉ドロボーじゃぞ」 すっかり惑わされてしまったらしいかごめへ七宝が慌てて声を上げる。その様子を見ていた彩音はつい苦笑を浮かべてしまったのだが、同時に「ふっ…」と乾いた笑みを浮かべた犬夜叉は改めて鉄砕牙を両手で握りしめた。 「その軽口、二度と叩けねえようにしてやる!!」 そう言い放ちながら鉄砕牙を大きく振りかぶり地面を蹴る。その刹那、「彩音さま、離れてください」と告げた弥勒はすぐさま錫杖を握り直した。直後、振り下ろされた鉄砕牙を受け止めると、絶えず何度も振るわれるそれに圧されながらも全て受け流すように防いでいく。 「中々、力がお強い!」 「(この野郎、おれの太刀筋を全て受け流して…)」 角度を変えながら振るい続けるも全て難なく受け流されるその身のこなしに犬夜叉が嫌な汗を滲ませる。 しかしその時、後方へ飛び退っていた弥勒が「おっと」と声を漏らして体を大きく傾けた。どうやら足元に転がっていた薪を踏んでしまったらしい。それを見逃さなかった犬夜叉はすかさず鉄砕牙を振るい、弥勒の手から錫杖を強く打ち払った。するとそれは彩音の目の前の地面へ勢いよく突き刺さり、到底すぐに取り戻せる距離ではないと悟った弥勒は「ちっ」と大きな舌打ちをこぼす。 それに対し、犬夜叉はなおも距離をとる弥勒を追い込むように声を荒げた。 「大人しく懐の玉返しな! 死にたくなかったらな!」 「……」 鉄砕牙を掲げ襲い掛かってくる犬夜叉、それを見据えていた弥勒はなにかを決意したように黙り込み、突如踵を返してタッ、と一層速く駆けだした。 「あってめえ、また逃げる気か!」 「彩音さまに見物の衆、できるだけここから離れなさい! 命に関わります!」 犬夜叉に構わずこちらへと言い放たれた弥勒の言葉。あまりにも唐突で状況の飲み込めない彩音やかごめ、七宝、そして村人たちは唖然とした様子で小さくざわめきを広げ始めていた。 しかし、どうして弥勒が突然あのようなことを言い出したのか、命に関わるとはどういうことなのか、それらに気を引かれる村人たちは誰一人その場を離れない。それを横目にしながらある程度距離を離した弥勒は不意に足を止めると、犬夜叉と対峙するよう振り返った。 だが弥勒は丸腰。これ以上成す術などないであろう彼へ、犬夜叉は鉄砕牙を掲げたまま忠告するよう言いやった。 「諦めな弥勒! てめえの負けだ」 「ふっ」 追い詰められているはずの状況で不敵な笑みを浮かべた弥勒がジャラ、と音を立てて差し出してきたもの。それは弥勒が彩音と四魂のかけらを奪うため奇襲をかけてきた時に使った右腕。その当時のことをフラッシュバックさせた犬夜叉は思わず眉をひそめ、未だ詳細の知れないその右腕を警戒するよう身構えた。直後、 「悪いが、私はこう見えても負けず嫌いなんです! 法力!」 そう言い放つと同時、弥勒は右手に纏っていた数珠をジャッ、と勢いよく取り払ってみせる。するとその瞬間、ゴッ、と音が立つほどの凄まじい豪風が彼の右手目掛けて吹き込んだ。それは犬夜叉の体を浮かせてしまうほどの風。それだけに留まらず、風は傍らに建つ馬小屋をバキバキバキと激しい音を立てるほど容赦なく破壊していく。 ――だが、犬夜叉が目を疑ったのはその先だった。 「な゙!! (吸い込まれる!?)」 破壊した馬小屋の木片や石、そこにいた馬や鶏さえもその身を浮かせられては弥勒がこちらへ突きつける右手へと消えていく。そう、彼はその右手で全てを吸い込んでいたのだ。それも自身より大きな馬でさえ、容易に。 信じがたいその現象に犬夜叉は強く目を見張るが、それでも見極めるように彼の右手をなによりも注視した。 「(右手に…風穴!!)」 手のひらの中心に口を開く、風穴。大きな馬や木片が全てその中へ消えていく様を確かに見た犬夜叉は、咄嗟に「くっ」と声を漏らすほど強く地面へ鉄砕牙を突き立てた。だが風穴の威力はあまりに強く、深く突き立てたはずの鉄砕牙ごと犬夜叉をズズ…と引き寄せていく。 「いつまで耐えられますかな」 懸命にその場に圧し留まろうとする犬夜叉へ挑発的に言いやる弥勒。その間にも風穴は周囲のものを容赦なく吸い込んでいき、ついには彩音たちが立つ周囲にまで被害が及んでいた。そのため怯えた村人たちは「に、逃げろお~っ」「吸い殺されるーっ」と思い思いの声を上げてその場から逃げ出していく。 しかしかごめと七宝、彩音だけは破壊された建物の壁に身を潜めるようにしながらその場に留まっていた。 「(まるでブラックホール…法力どころの騒ぎじゃないわ!)」 「彩音、かごめ! おらたちも逃げるんじゃ!」 「止めなくちゃ! あの弥勒って人…人間を吸い込まないようにしてる…」 七宝の提言にかごめがそう言い返す。するとそのかごめの言葉にはっと目を丸くした彩音は手にしていた弥勒の錫杖へ視線を落とした。そしてその脳裏によぎるのは、彼が風穴を開く前にこちらへ言い放った言葉。 彩音さまに見物の衆、できるだけここから離れなさい!」 彩音たちの身を案ずる忠告、自ら遠くへと離れた行動。それらを思い返せばかごめの言葉は確かなのだろう。そう考えた彩音は確信を抱くと同時に顔を上げ、錫杖をギュ…と強く握りしめた。 その時、彼女の視線の先の犬夜叉は苦悶の表情を浮かべながら足を強く踏みしめていた。鉄砕牙を押さえる手にも渾身の力を込めているが、やはり風穴の威力には及ばないのか徐々に距離を縮められていく。 「降参なさい。吸い込まれたら二度と出られませんよ」 「抜かせ!! その風穴、右腕ごとたたっ斬ってやる!」 「!」 弥勒の言葉に反発するよう叫んだ犬夜叉は突如地面を強く蹴り、凄まじい音を立てて地面を切り裂きながら弥勒へと飛び込んだ。だが対する弥勒はそれでも顔色を変えず、右手をしかと構え直すように犬夜叉へ向ける。 「無駄です、刀もろとも吸い込んで…あ!?」 突如弥勒の表情に驚愕の色が差す。見張ったその目が見とめたもの、それは錫杖を盾にするよう飛び込んでくる彩音の姿であった。 「彩音!?」 「くっ」 犬夜叉が思わず声を上げると同時、弥勒は咄嗟に右手へ数珠を巻き付ける。その瞬間猛威を振るっていた風穴は閉ざされたのだが、その凄まじい威力に飛び込んできた彩音の勢いは留まることなく弥勒の体へ正面から激しく衝突してしまった。直後、二人はあまりの衝撃に地表を滑るよう大きく弾き飛ばされていく。 「彩音! (どうして…)」 焦りを露わにした犬夜叉は慌てた様子で彼女の元へと駆けだす。 彩音は弥勒にも離れろと言われていた。そしてあの風穴の威力を目の当たりにしているのだ。それなのに飛び込んできた彼女の行動が理解できず、犬夜叉はただ不安げに彩音の安否を確かめようとした。 「い…ったあー…」 駆け寄ったそこに見えたのは、弥勒に覆い被さるよう倒れていた彩音が小さく声を漏らしながら自ら体を起こす姿。どうやら無事であったらしい。それにため息を漏らしかけた時、弥勒の右腕へ視線を落としていた彩音が「この右手の数珠…」と微かな声を漏らした。 「たぶんこれ、封印かなにかじゃないかな…」 それを指差しながら、彩音は傍の犬夜叉へ伝える。しかしその顔を再び自身の下に横たわる弥勒へ向けては、砂に汚れた彼の頬をそっと拭いながら一人静かに確信を得るような気持ちを抱いていた。 (この人…私に気付いた途端に右手を封じてた…動物は容赦なく吸い込んでたのに、人間だけは絶対に巻き込もうとしない……もしかして本当は…悪い人なんかじゃないのかな…) 気を失っているのか深く目を閉ざしたままの弥勒を見つめ、そんな思いに至る。 もし悪者であるならば、いくら相手が仲間にしようとしていた彩音であっても風穴に飲み込んでしまうだろう。だが彼は彩音を目にした瞬間に風穴を閉じ、さらには勢いよく迫ってくる彼女を支えるように受け止めたのだ。 それを思えば弥勒が悪者だとは到底考えられず、彼の様子を窺うように見つめてしまう。 しかし、犬夜叉は違った。傍へ駆け寄ってくるかごめと七宝に振り返ることもなく、わずかに怒気を孕んだような声で彩音へ声を上げた。 「彩音お前…自分から飛び込んできたのか!」 「そ、それは…」 「待って犬夜叉。あたしたち、確信があったの。この弥勒って人…あの右手の力を使えば、もっと前にあたしたちを殺せたはずよ。きっと…話せば分かる人だわ」 どこか気まずそうに言いよどむ彩音に代わってかごめがそう言い切れば、犬夜叉は返す言葉を失ったように黙り込む。 ――そんな時、弥勒の右手がピク…とわずかに動きを見せた。かと思えばどういうわけか、突如その右手は彩音の尻を味わうように大きく撫で回し始めてしまう。その唐突で予期せぬ感触に彩音が思わず声にならない悲鳴を上げて大きく跳ね上がると、犬夜叉が咄嗟に彩音を守るよう弥勒から取りあげ、なに食わぬ顔で起き上がる彼に向ってボロ刀の鉄砕牙を振り上げた。 それは本当に一瞬の出来事。だが彩音にはあまりにも衝撃が大きかったようで、犬夜叉の腕の中ではーっはーっと荒い呼吸を繰り返す彼女は信じられないという目で弥勒を見ながら忌々しげな声を上げた。 「い、いいいまこいつ、私のお尻をさわっ…さ、触って…!!」 「この生臭坊主!」 「落ち着きなさい。話せば分かる」 「とっ…とにかく一発殴らせろ!」 両掌を見せて無抵抗を示す弥勒へ、彩音はそう叫ぶと同時に手にしていた錫杖で彼の頭をがつーん、と思いっ切り殴りつける。おかげで弥勒は再び気を失ったらしく、その場へ力なくどさりと倒れ込んでしまったのであった。

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