「はあ。はあ」
浅い呼吸を繰り返し、いまにも倒れてしまいそうなほど弱々しい足取りで駆ける桔梗。霧が濃く漂う中、彼女は行き先などなにも考えることなくただ逃げるように足を進め続けていた。
「(“あの女”の傍にいると…残った魂も引き込まれる。離れなければ…)」
微かに朦朧とする頭で思い返すのは、気を失いながらも桔梗の魂を強引に取り戻したかごめの姿。意識を保ち体を動かせるほどの魂は残ったが、それさえも容易に奪ってしまいそうな彼女の存在にいまの桔梗はただ逃げることしかできなかった。
――その後ろ姿が、追い駆けてきた
彩音の目に留まる。すると
彩音は一層速く駆け寄り、ふらつく桔梗の腕を確かに掴み込んだ。
「! お前…」
「桔梗…悪いけど、少しだけ話を聞いて」
驚きながらもすぐに振り払おうとする素振りを見せた桔梗へ、静かに、且つ強く言い聞かせるよう言い切る。その声に桔梗は表情を改めることなく、より一層不審がるように顔をしかめてきた。当然、一筋縄ではいかないだろう。それを分かっていたからこそ、
彩音はすぐに言葉を続けるよう小さく口を開いた。
「
美琴さんを会わせたい人がいるの。
美琴さんが、好きだった人…」
息を飲むように、ゆっくりとそう口にする。
一種の賭けだ。不死の御霊を持つために身を隠すようになった
美琴を人に会わせたいなど、彼女を守っていた桔梗にとって許しがたいことなのだから。だがその相手が、
美琴が想いを寄せていた相手ならば。
美琴が信頼していた相手ならば、彼女の想いを知る桔梗は許してくれるのではないだろうか――そう考えたのだ。
張り詰めるような緊張の中、
彩音は真剣な眼差しで真っ直ぐ桔梗を見つめ続ける。対する桔梗は
彩音の言葉を聞いた瞬間にわずかな反応を垣間見せたものの、ただ静かに
彩音を見つめ返すばかりであった。
だが、それも不意に途切れる。深く瞼を伏せた桔梗は小さく息をつき、再び
彩音を見つめると同時に「…いいだろう」と呟くように口にした。
「お前のためではない。
美琴のため…少しならば聞いてやろう」
「ありがとう…ただその前に…これだけは聞かせて。私が
美琴さんの体を奪ったって、どういう意味? 私は…“生まれ変わり”じゃないの」
ずっと気に掛かっていた桔梗の言葉。それを問うと桔梗はほんのわずかに眉根を寄せた。かと思えば、元来た道――犬夜叉たちがいる方角を見据え、低くも落ち着いた口調で言葉を紡ぎ出す。
「お前たちとともにいた女…あれが私の生まれ変わりだというのなら、お前は違う。お前は生まれ変わりなどではなく、
美琴そのものだ」
「
美琴さんそのもの…?」
桔梗の言葉に怪訝な表情を見せながら繰り返す。すると桔梗はそれを肯定するように
彩音へ視線を向け、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめながら言い聞かせるかの如く口を開いた。
「お前のその体…それは間違いなく
美琴のものだ。並外れた治癒能力、不死の御霊…そしてなによりの証拠は、その容姿。お前は私が生前ともに過ごした
美琴と、寸分違わぬ姿をしている。髪も、その瞳も…私が知る
美琴そのもの」
「え…」
低く、確かに語られる言葉に彼女が言わんとすることを悟ってしまった気がして、呆然と呟いてしまう。
分からない、理解しがたい、そんな思いがよぎるが、瞳を揺らす
彩音の姿に「…ようやく理解したか」と小さくこぼす桔梗は、一層深くそれを思い知らせるようはっきりと言い切った。
「お前は生まれ変わりではない。お前に
美琴が宿っているのでもない。お前こそが…
美琴に宿っているということだ」
確かに告げられる言葉に、声を詰まらせる。目を見張る。
わけが分からなかった。桔梗は
彩音が
美琴だと言うのだから。ここに存在するその体は
美琴のもので、
彩音などという存在は本来そこにあるはずがないと言うのだから。
聞き間違いかと頭の中で何度も反芻するが、どれだけそれを繰り返そうとも聞こえた言葉は覆らない。
ただ、言葉を失う。滲んだ汗が頬を伝う。
容易く飲み込むことのできない事実に狼狽えるよう立ち尽くしてしまっては、微かに瞳を揺らすまま深く俯くことしかできなかった。
「その反応…どうやら本当にお前の意思で
美琴の体を乗っ取ったわけではないようだな」
静かに
彩音を見つめていた桔梗が小さく呟く。最初こそは
彩音が
美琴を襲ったのだと思っていたが、これほど強く衝撃を受ける姿を目の当たりにしては、それは早計だったのだと思わざるを得ない。だが、だからといって
彩音を認めるわけではなく。桔梗は鋭く
彩音を見据えたまま問いかけた。
「お前はなにも知らないのか。お前がそうなった理由を…」
「分からない…本当に、なにも…小さい頃の記憶だってある…でもそこには…どこにも、人の体を奪った記憶なんて…ない…」
まるで自身の体を確かめるように微かに持ち上げた手のひらを見つめる
彩音。思いつめたようなその姿は演技などではないだろう。それを感じ取った桔梗が矛盾する事象に顔をしかめた時――持ち上げた手を緩くも確かに握りしめた
彩音が、ゆっくりと顔を上げた。
「でも、分からないからこそ…このままじゃダメだと思う。私は
美琴さんを甦らせてあげたい。この体を…返したい」
彩音はそう口にしながら、決意したかのような瞳で桔梗を見つめる。だがそんな彼女に、桔梗は訝しむよう眉間のしわを深くした。
「…それはお前の死を意味することだと分かっているのか」
「そうかもしれない…けど…もしかしたら、私は元の姿に戻るだけかもしれないし…もしそうじゃないとしても…私に人の人生を奪ってまで生きる理由なんて、ないから」
どこか悲しげに歪めながら、それでも
彩音は申し訳なさそうに小さく笑う。桔梗はその姿に、ただ目を丸くした。
その言葉が、自身と重なった気がしたのだ。生まれ変わったかごめの魂を強引に奪い取り、甦った自身に。
だがこの魂は元より自分のもの。奪われたのは私の方だ――途端に掻き消すような思いをよぎらせては、ギリ…と歯を鳴らす。
なぜ自分がこのような思いを抱えなければならない。自分は間違ってなどいない。苛立ちとともに自身へ言い聞かせるようなその言葉を胸のうちに抱えると、桔梗はすぐさまザッ、と音を立てて踵を返した。
「! 待って桔梗っ、まだ…」
「うるさい。もうお前に話すことなどない。去れ。
美琴のことは…私がどうにかする」
お前たちに頼るものか――その思いを抱えながら、桔梗は覚束ない足取りで深い霧の中を歩き出す。だがその時、ズッ、と大きな音を立てると同時に桔梗の体がひどく傾いた。
どうやら霧に隠されていたそこは崖であったよう。それを知らずに踏み出した桔梗は容易くその身を投げ出し、成す術もなく谷底へと飲み込まれそうになった――その時、
彩音が叫ぶとともに勢いよく伸ばされた手が桔梗の腕を掴み取った。
「桔梗…」
ぽつりとこぼされた声。それは犬夜叉のものであった。すぐ傍まできていたのか、彼は
彩音よりも先に桔梗の腕を掴み、身を乗り出してまで彼女をそこに留めていた。
対する桔梗は底も見えないほど深い谷底へ飄々とした表情を向け、ゆっくりとその顔を頭上の犬夜叉へと向ける。そんな彼女を見つめたまま、いくつもの汗を滲ませる犬夜叉は説得するように言葉を紡ぎ出した。
「桔梗…このままじゃいけねえ…お前もかごめの中に還れ」
「“この私”に…死ねというのか…」
目の前の犬夜叉をどこか疑うように、わずかに目を見開きながらそう言い返してくる桔梗。その言葉に、犬夜叉は心臓が小さく跳ねるような錯覚を覚えた。
「あの女の中に還るということは…私が私でなくなるということ。犬夜叉…お前はそれを望むのだな」
「……」
桔梗に問い詰められるように言葉を向けられてはたまらず言葉を失くしてしまう。
例え犬夜叉にそのつもりがなくとも、かごめの中へ還るということは“桔梗としての死”を意味する。それは犬夜叉にとって耐え難いことであったが、しかしだからと言って桔梗をこのまま怨念だけで生かし続けることなど許せるはずもなく、答えに迷った犬夜叉はただ狼狽えるように黙り込んでしまった。
するとその沈黙を肯定と捉えたのか、わずかに目を細めた桔梗はその表情に恨みの念を滲ませる。
「死ぬものか…」
「! うわ!!」
不意に犬夜叉の腕を掴み込んだかと思えば、桔梗は突如強い霊力を込めてババッ、と電撃のような激しい光を閃かせる。犬夜叉が顔を歪ませ
彩音が強く声を上げるも、桔梗はそれを止めようとはしない。それどころか彼の腕を一層深く掴み込み、渾身の力で凄まじいまでの霊力を放ち続けた。
「私はその女のように自分を捨てはしない! 言ったろう! 私が死ぬ時はお前が死ぬ時だ!」
「ば、ばかっ、やめろ…」
「やめて! 桔梗っ!」
咄嗟に手を伸ばした
彩音が叫びながら桔梗の腕を掴み、引き剥がそうとする。だが彼女の力はあまりにも強く、攻撃的な霊力に犬夜叉共々ひどく顔を歪めた――その時だった。ビシビシと悲鳴を上げていた岩に大きな亀裂が走り、突如犬夜叉の足元から大きく砕けるように崩れてしまったのは。
「あっ…」
咄嗟にその場に手を突き留まった
彩音の手から、桔梗の腕が抜ける。同時に犬夜叉と桔梗は大きく体を傾け、谷底へ向かって体を投げ出された。
たまらず大きく目を見張る。その瞬間犬夜叉はすぐさま傍の岩壁をガッ、と掴み込み、強引にその身を留めてみせた。
――だが、その衝撃に桔梗の手が外れ、支えを失った彼女は底の見えない谷底へと投げ出されてしまう。
「桔梗ーーっ!」
目を見張る桔梗の姿に悲鳴紛いの叫び声を響かせる。しかし桔梗の体は瞬く間に遠ざかり、無慈悲にも滞留する濃霧の中へ飲み込まれてしまった。
ただ虚しさを煽るように吹き抜ける風が頬を撫でる。音もなく桔梗の姿を隠してしまった霧は絶えず緩やかに漂い、人が一人失われたとは到底思えないほど穏やかな姿を見せていた。
犬夜叉は呆然としたまま目下のそれを見つめていたが、深く俯き歯を食い締めると、しばらくしてその体をゆっくりと持ち上げ始める。
「(ちくしょう、どうして…どうしてこんなことになったんだ…)」
わけも分からないまま込み上げてくる悔しさややるせなさ、様々な感情に顔を歪める。やがて
彩音に手伝われながらその身を崖の上へ持ち上げると、その体を支えるように肩を貸してくれる
彩音から「犬夜叉…」とほんの小さな声が掛けられた。
だが犬夜叉は視線を寄越すことすらせず、ただこのような事態に陥ってしまった原因にばかり思考を巡らせていた。
気に掛かったのは、桔梗との記憶の齟齬。身に覚えのないことを自身がやったとされている事実。それから考えられるのは、自分たちとは別の、“第三者”の介入であった。
「(五十年前…桔梗の姿でおれに矢を射かけた奴…おれの姿を借りて
美琴と桔梗を襲った奴…誰かが…おれと桔梗を憎しみ合わせた…)」
――ちくしょう誰が…なんのために…。
たまらず眉間のしわを深める。いくら考えたところで、第三者が犬夜叉と桔梗の姿でそれぞれを襲う理由が分からなかった。桔梗を襲うだけならば、四魂の玉が狙いだろうと考えるのが当然だ。だがその第三者はわざわざ犬夜叉と桔梗の姿を借り、互いが憎しみ合うように仕向けているのだ。ただ四魂の玉が欲しいだけであれば、そのような回りくどいことをする必要はないはず。
そう思うからこそ、分からなかった。皆目見当がつかなかった。
どれだけ頭を働かせようとも複雑な感情の前ではうまく頭が回らず、ただ
彩音に支えられるままに楓たちの元へ戻る。すると「犬夜叉…」と声を掛けてくる楓が不安そうな顔を向けてきた。
その目の前に寝かされるのは、目を閉ざしたままのかごめ。強引に魂を引き出されて以来目を覚ましていない彼女の姿に不安を覚えた
彩音は、そっと犬夜叉を離れてかごめの傍へと寄り添った。
「かごめ…」
「まだ目覚めぬ。…桔梗お姉さまはどうした」
やはり気掛かりだったのだろう。楓は犬夜叉を見据えながら重い声色で問いかけた。その言葉に犬夜叉は俯き、その顔に深い影を落とす。
「(あそこから墜ちちゃ…) すまねえ…助けられなかった…」
「そうか…」
俯きながら腰を落とす犬夜叉に釣られるよう、楓も同様に深く顔を俯かせる。
敬愛する姉の蘇生。だがそれは本人にとって望まれたものでなく、彼女が抱えていた様々な感情を目の当たりにしては、楓も喜ぶことができなかった。だからこそ姉の二度目の死は、悲しさよりも一種の安堵の方が勝っているような気がしてくる。
「(骨と墓土の体で、怨念にまみれた魂で生き続けるよりは…) それでいい…それでよかったんだよ」
悲痛に歪めた顔にわずかな微笑みを浮かべながら、まるで自身にも言い聞かせるかのように優しく囁く。
その時、不意にかごめから「うう…」と小さな唸り声が漏れた。それに振り返ってみれば、意識の戻らない彼女の表情に苦しさが滲んでいるのが分かる。
「かごめ…なんだかひどくうなされとる…目が覚めたら、ちゃんと元のかごめに戻るんじゃろうな」
「え…」
「な…」
じっとかごめを見つめたまま問い質すよう口にする七宝に、
彩音と犬夜叉が小さく眉根を寄せる。対して冷静にかごめを見つめる楓は、七宝が言わんとする不安を二人へ伝えるように重く口にした。
「かごめの体に再び納まったとはいえ…無理に目覚めさせられた魂だからな…お姉さまの意識が残っていれば…ちと面倒だ…」
かごめを覗き込みながら難しい顔を見せる楓に
彩音はわずかながら目を丸くする。
まさかそんなことには…そう願うようにかごめを見つめた瞬間、かごめの体がビクッ、と跳ねると同時に固く閉ざされていた目が開かれた。そして「はあっ!」と声を上げるほど勢いよく体を起こしたかごめは険しい表情で自身の体を抱き、大きく震えながら荒い呼吸を繰り返す。
「か…かごめ…?」
「はあっ。はあっ。はっ…」
彩音が恐る恐る声を掛ければ、かごめは荒い呼吸を途切れさせてゆっくりと顔を持ち上げる。そして
彩音たちの姿を目にした途端、「あ…」と小さな声を漏らしては体の緊張を解くように腕を放した。
「よかった…夢…だったんだ…」
「夢…?」
ひどく汗を滲ませた顔で心底安堵したよう息を吐くかごめの言葉に犬夜叉がわずかながら顔をしかめる。もしかすると、彼女は夢で桔梗の感情を目の当たりにしたかもしれない。桔梗の憎悪を、感じ取ってしまったかもしれない。そんな可能性がよぎっては嫌な緊張が走る。
一同が息を飲むようにしてかごめを見つめる中、彼女は少しばかり顔を強張らせたまま、大きな不安を感じたのであろう声色で弱々しく答えた。
「数学のテストの問題が…全然解けないの…こわかった…」
本気の表情で紡がれるまさかの言葉に、犬夜叉と
彩音が思わず狼狽えるほど目を丸くしてしまう。拍子抜け、そんな言葉がふさわしい状況に呆然としては、犬夜叉が確かめるように顔を覗き込みながらそっと問いかけた。
「…それだけか?」
「あと、英語も」
「え、英語も…」
平然と出てくる予想外の答えに、
彩音の表情に乾いた笑みが浮かんでくる。問い直してもやはり桔梗に関することはなにも知らないようで、彼女らしい答えを耳にした犬夜叉は“…元のかごめだ…”と安堵のため息を漏らしていた。
するとようやく今の状況を思い出したのだろう。辺りを見回したかごめが不思議そうな表情を見せてきた。
「あ…れ…? 裏陶は…? それに桔梗…」
「……」
「終わったよ、かごめ」
「え…」
なにも知らないまま問いかけてくるかごめに、
彩音はそっと囁きかけるよう答える。桔梗はもういない、全て終わったのだ。改めるようにそう思う一同の中、ただ一人切なさを孕んだ表情を見せる犬夜叉は、消え去った桔梗を思うように固く口をつぐんでいた。
「(ゆっくり眠れ桔梗…)」
ただ静かに、願う。
* * *
細く風の吹き抜ける音が響く渓谷。そこに流れる穏やかな川で、黒く長い髪が纏わりつく手がグ…と傍の岩を掴んだ。それは川に浸る体を持ち上げ、ゆっくりと川辺の岸へと足を踏み入れる。そこにいた動物たちが思わず怯え逃げていく傍で、覚束ない足取りのまま歩を進める女は黄昏の空を見上げた。
戦の跡が生々しく残るこの場に相応しくない笑みを浮かべながら、女――桔梗は、生を実感するようにその場に立ちはだかる。
「(生きている…犬夜叉…私は生きている…)」
* * *
同じ頃、わずかながら落ち着きを取り戻した一行はゆっくりと村への帰路を辿っていた。自転車を押して歩くかごめの隣に
彩音が並び、その隣を硬い表情の犬夜叉が歩く。そんな中で、
彩音は控えめにかごめへと問いかけた。
「かごめ…本当になにも覚えてないの?」
「うん…全然…ごめんね」
「……謝ることじゃねーんだよ」
申し訳なさそうに答えるかごめに犬夜叉は顔を背けながら小さく言いやる。覚えていないならそれでいい、そのはずなのに、犬夜叉にはどこか形容しがたい感覚があるようだった。
それを後ろ姿から感じ取ったのだろう、背後で楓とともに馬に乗った七宝が不思議そうな顔を見せていた。
「犬夜叉の奴、元気がないのー」
「無理もない、しばらくそっとしておこう」
純粋に疑問に思っている様子の七宝へ楓は言い聞かせるように言う。犬夜叉の気持ちと桔梗の気持ち、そして互いを想う二人に起きた出来事を知った楓にはただ静かに見守ることが精一杯であったのだ。
しかしそれとは対照的に、そっぽを向いてしまう犬夜叉を覗き込むかごめはわずかに細めた目で改めるように言いやった。
「ねえ、変に意識しないでよ。あたしはあたしなんだから」
「(でも…お前の魂は…)」
かごめの言葉に犬夜叉の表情が微かに曇る。だが不意に「けっ、」と吐き捨てた犬夜叉は一層かごめから顔を背けるとぶっきら棒に言い返してやった。
「あったりめーだろ。おめーと桔梗じゃ似ても似つかねーよ」
「へー。時々あたしのことやらしー目で見るくせに」
突然ぽそ、と呟くようにとんでもない発言をしてしまうかごめ。それを耳にした
彩音が「え゙…犬夜叉…」と声を漏らすほど後ずさると、途端に顔をひきつらせた犬夜叉が勢いよく食い掛かってきた。
「なに引いてやがんだ
彩音! かごめてめえっ! おれがいつ…」
彩音へ吠えては続けざまにかごめへ怒鳴り付ける。だがその言葉はかごめたちに浮かべられた表情によって言い切られることはなかった。
「やっとあたしの顔見た。ね、
彩音」
「ねー」
「え…」
二人は優しい笑顔を浮かべ、どこか楽しげに顔を見合わせる。思いもよらない表情と言葉に犬夜叉がついたじろいでしまうも、二人は犬夜叉を見つめて変わらず柔らかに笑い掛けてくる。
「怒ってた方が犬夜叉らしーよ」
「うんうん。いっつもガミガミぎゃんぎゃん言ってるのが犬夜叉だよね」
「やかましい!」
どこかからかうように言ってくる二人へ声を上げながら先を歩く犬夜叉。またも顔を背けてしまったが、そこに今までの気まずさなどなく。ただ照れくさそうに頬を染めて小さく唇を尖らせていた。
「(なんだ…? こいつらの笑顔見たらホッとしたぞ)」
これまでにないような、不思議な感覚。いまのいままで気まずさばかりを感じていたはずなのに、二人の笑顔を目の当たりにした途端それが嘘のように消え去っているような気がした。
どうしてなのか分からない。分からないが、嫌な気持ちではなかった。
そんな彼の姿を、打って変わったその様子を後ろの七宝が不思議そうに見つめる。
「…元気が出たみたいじゃな」
「うん…」
どこかきょとんとした様子で呟かれる七宝の言葉に楓は返事をしながら目を丸くする。自身は見守ることしかできないだろうと思っていたのに。彼の傷が癒えるには時間が必要だろうと思っていたのに、目の前の二人はそんな思いを簡単に覆してしまうほどあっという間に彼を元気付けてしまったのだから。
その事実に、楓は感嘆のような形容しがたい気持ちを抱える眼差しで二人の後ろ姿を見つめていた。
――しかしその時、
彩音だけは誰にも気付かれないほど小さく俯き、その表情に微かな陰りを見せていたのであった。