10

キリキリと弓の弦が鳴く。それほど強く次の矢を構える桔梗は「今度は外さん」と呟きながらその瞳を真っ直ぐに犬夜叉へ向けていた。対する彼は下手に動くこともできないまま正面の桔梗を見つめ、やがてその表情に大きなやるせなさを滲ませる。 「へっ。憎まれたもんだなおれも」 嫌味を言うようにそうこぼす犬夜叉の髪を不穏な風が揺らす。その微かな動きでさえ桔梗が矢を放つきっかけになってしまわないかと、周囲にはとても嫌な緊張が張り詰めていた。 それを横目に窺う彩音は、そっとかごめへ手を伸ばし棺の中から彼女を引き摺り出す。すると身を退くようにこちらへ戻ってきた楓が隣に並び、目を閉ざしたままのかごめへ不安げな表情を見せた。 「かごめ…」 「かごめはどうなるんじゃ」 同じく不安なのだろう、どこか弱々しさを孕んだ声で七宝が問いかけてくる。その声に小さく表情を強張らせた楓は首を回し、犬夜叉に狙いを定める桔梗へと視線を注いだ。 「(桔梗お姉さま…犬夜叉を殺さねば気が済まぬのか? 憎悪を断ち切り、魂が鎮まらねば…魂はこの体に戻らぬ。かごめは二度と目覚めぬ)」 形容しがたい大きな不安をその瞳に湛えたまま、再びかごめに視線を落とす。 桔梗が犬夜叉を殺すことも、かごめが二度と目を覚まさなくなることも、どちらも至極耐え難いことだ。だが他に解決策が思い当たらない以上、それがどれだけ残酷であろうとも二者択一を迫られることは避けられない。 その事実に楓はたまらず表情を曇らせる。するとそんな彼女の気持ちを悟ったか、彩音は小さく顔をしかめて拳を握りしめた――次の瞬間、彼女は突如犬夜叉へ向かって駆け出してしまう。その姿に楓や七宝が思わず「彩音!?」と声を上げるほど驚愕すると同時、彼女が向かう先ではバシュ、と音を立てて桔梗の矢が放たれた。それは凄まじい勢いと威力を持って犬夜叉を射殺さんと迫る。だがその時、咄嗟に飛び込んだ彩音が犬夜叉を押し倒し、矢は彼女の腕を掠めて向こうの地面に新たな穴を穿つに終わった。 間一髪。まさにそのような状況に彩音は顔を歪めながら腕を押さえ、静かに桔梗へ視線を向ける。 すると彼女は、桔梗は、大きく目を見張っていた。犬夜叉をかばわれたからではない。彩音に――その姿に強い衝撃を覚えたように、愕然と目を見張っていた。 「美琴…!? どうして…」 狼狽えるように彩音を見つめたままそう口にする桔梗。その言葉を耳にし、彩音は小さくも確かに顔を歪めた。だが深く息を吐き、桔梗へ向き直るように立ち上がって首を振るう。 「…ごめん。私は美琴さんじゃなくて、生まれ変わりなの。美琴さんとは、全くの別人」 「別人…? バカを言うな。私がお前を見紛うことなどない。なによりその治癒の光…それはお前が美琴だという確たる証拠だろう」 わずかに語気を強めながら反論してくる桔梗の瞳は、彩音が押さえる腕へと向けられていた。そこには傷が癒える時に発せられる淡い蒼色の光が滲み出し、シャボン玉のようにほのかに立ち上っている。 確かにこれは犬夜叉に教えられた通り、美琴が生まれながらにして持っていた治癒能力だ。だがここに立つ少女は、自身がそのような力を持っているなど先日知ったばかりの者。戦国時代も妖怪も、犬夜叉も桔梗も、なにも知らなかった者。 それを証明するように確固たる自信を湛えた瞳で桔梗を見据えながら、彩音はただ「違う」と短く言い切った。 「私自身詳しくは分からないけど、ある人が教えてくれたの。美琴さんが私に宿ってるんだろうって。だからこの力もただ持っているだけ…私の力じゃない。私は、美琴さんじゃない」 静かに、それでも断言するように口にする。もう何度目か…そう思わざるを得ない訂正だが、こうして説得することでしか自分を証明することができず、強いもどかしさを覚える。 伝わってほしい。分かってほしい。無意識のうちにそう願ってしまうほど言いようのない緊張を抱きながら、ただその思いを伝えるように桔梗を見つめていた。 すると桔梗は、険しい表情を浮かべていた。彩音を見つめたまま、深く黙り込んで。 不穏に流れる風が、二人の髪を重く揺らす。たった一秒でさえやけに長く感じるほどの緊張の中、ようやく動きを見せたのは、深く目を閉ざした桔梗であった。 「美琴はあの日…四魂の玉の妖力を分け、それを自身も背負うと言った…」 不意に紡がれる語りに「え…?」と声が漏れる。一体なにを言い出すのか、彩音はわずかな警戒を抱いたまま顔をしかめ、桔梗の言葉を待った。 すると彼女から語られたのは、五十年前に起きたあの出来事の一部始終であった。 「桔梗っ…どうして…」 地面に膝を突き、その手に四魂の玉を握り締める桔梗へ美琴は悲しげな声で言う。その正面には胸に矢を突き立てられた犬夜叉の姿。 それが意味するのは、彼に封印の矢を射るといった桔梗を止められなかったということ――その事実に美琴が顔を歪めるが、対する桔梗の表情に後悔の色はなく、まるで美琴へ言い聞かせるように言葉を紡ぎだした。 「犬夜叉は私たちを騙していた…だから…こうするしかなかったのだ…」 「そんな…」 疲弊し切った桔梗にそう告げられ、美琴は言葉を失う。視線を落とせばひどく出血した桔梗の背後に真紅の線が引かれており、彼女が身も心も賭してまで犬夜叉を封印したのだという覚悟が痛いほど伝わってくる。 あれほど仲睦まじく同じ時を過ごしていたというのに、なぜこのようなことになってしまったのか。美琴がその思いにこらえ切れない涙を滲ませると、四魂の玉を握り締める桔梗がそっと緩やかに視線を持ち上げてきた。 「美琴…私はこの身と共に、四魂の玉を葬り去る…お前はいまのうちに逃げて…身を隠せ…」 「どうして…き、傷なら私が治すから…私たち二人で…玉を…」 「美琴」 涙をこぼしながら必死に説得しようとする美琴へ凛とした声が向けられる。それに意識を奪われるよう桔梗を見つめれば、彼女は寂しげに、儚げに笑みを滲ませていた。 “頼む”――どうしてか、まるでそう言われているような気がして。それを感じ取った美琴はそれ以上食い下がることができず、ただ溢れ出す涙を粗雑に拭いとって大きく息を吐き出した。 「分かった…でも、ずっと桔梗に頼ってばかりなんて嫌よ。せめて…せめて半分は背負わせて」 そう口にした美琴は有無を言わさず四魂の玉へ手を添え、瞼を伏せた。途端、不思議な力が玉を包み込み、次第に美琴の表情が苦悶の色を滲ませていく。しかしそれでも彼女は意識を集中し、その手に力を籠め続けた。 ――そうして浅い呼吸を繰り返し始めた美琴は、ひどく滲んだ汗を伝わせながらその手を放す。やがて静かに開かれたその手の中には、新たな四魂の玉が現れていた。 一体どれだけの力を使ったのか、彼女は四魂の玉の妖力を分けて二つ目の四魂の玉を作り出したというのだ。まさかそのようなことをしてしまうなど思いもしなかった桔梗が狼狽えるように美琴を見つめる。すると美琴は顔色を悪くしながらも、桔梗を宥めるように微かな微笑みを浮かべてみせた。 そして遠くから桔梗を呼ぶ声が聞こえたと同時、彼女は一方の四魂の玉を握り締めてその場を走り去ってしまう。 ただ小さく「ごめんね」と、涙を残して。 「その後私は葬られ…美琴がどこへ行ったのか、どうなったのかは分からない。無事に逃げられたかどうかさえ…」 「……」 桔梗が感じているだろう不安が分かるほど、寂しさに溢れる瞳が地面を見つめる。その姿にたまらず言葉を失いながら目を離せずにいれば、桔梗はまるで悔しさに苛まれるよう手にしていた弓をギュ…と握りしめた。そして低く、小さな声が呟かれる。 「だがこれだけは分かる…美琴が自分の体を、自ら他者へ明け渡すような真似はしないと…美琴の姿をしているお前が、あいつから強引に体を乗っ取ったのだと!」 「なっ…」 彩音がその顔を驚愕に染めたその瞬間、バシュ、と強い音を響かせて矢が放たれる。だがそれが彩音を捉えることはなく、いましがた彼女が立っていたはずの地面に大きな穴を穿っただけであった。 そしてそこにいたはずの彩音は犬夜叉に抱き込まれ、楓たちの傍へとその身を降ろされる。 「い、犬夜叉…」 「いまのあいつにお前の言葉なんざ届かねえ。お前はここで大人しくしてろ」 桔梗を見据えたまま、どこか厳しさすら孕んだ声で告げながら桔梗の方へとわずかに歩み寄る。そんな犬夜叉の言う通り、いま彩音がどのような説得を試みようとも桔梗が納得することはないだろう。それが分かるほど、桔梗は恨みのこもった瞳をこちらへ向けていた。 「犬夜叉…お前はそれを助けるのか。美琴の体を奪った奴を…」 「こいつが本当に美琴の体を奪ったってんなら、おれも容赦はしねえよ。だがな、こいつが自分の意思でそうしたわけじゃねえのは確かだ。なんでこうなったのか、誰も分からねえ。だからこいつには、それを明かすまで付き合ってもらわなきゃなんねえんだよ」 怒気さえ感じるその声に、彩音はズキ…と小さな痛みを覚えた。 分かっている、分かっていた。自身も明かさなければならないと思っていた。だが、それを改めて口にされた時――やはり自身が望まれている人物ではないと、そう言われているような気がしてしまった。 犬夜叉がどのような心持ちで言っているのか、詳細は分からない。だが一度そう感じてしまった気持ちは簡単に拭うことができず、彩音は痛みを誤魔化すように胸元のスカーフを大きく握り潰した。 仕方のないことだ。それほど美琴という人物が、犬夜叉たちにとって大きな存在であったのだろうから。本人ではない生まれ変わりの別人が現れたところで、喜べるはずがないのだから。 仕方がない。仕方がないのだ。そう言い聞かせるように胸の痛みを消し去ろうとしたが、それはまるで毒のようにジワリと彩音の胸のうちを侵食し、存在感を増していく。スカーフがひどく歪む。 どうして消し去れないのか、彩音が無意識のうちにそれを思えば、先ほどの桔梗と犬夜叉の言葉が突然フラッシュバックした。 ――お前はそれを助けるのか。美琴の体を奪った奴を… ――こいつが本当に美琴の体を奪ったってんなら、おれも容赦はしねえよ。だがな、こいつが自分の意思でそうしたわけじゃねえのは確かだ。 途端に抱いた、とてつもない違和感。それに気が付いた瞬間、彩音は眉根に深いしわを刻むほど強く顔をしかめていた。 (なんで…なんで二人は…私が美琴さんの“体を奪った”なんて言ってるの…?) 二人の言葉が理解できず、握る手に一層の力がこもる。生まれ変わりだから、姿が似ているからそんな勘違いをされているだけなのかもしれない。もちろんそう思いはしたが、ならばなぜ、犬夜叉は否定しないのか。なぜ否定せず、桔梗と同じ表現をするのか。 まるで犬夜叉も、桔梗と同じ思いを抱えているかのように。 そう感じてしまった時、彩音の思考を遮るように桔梗が低く唸るような声で犬夜叉へ言いつけた。 「誰にも分からないというのなら、私がその女と共に解明してやる。犬夜叉、お前には…美琴を傷つけたお前には任せられない!」 怒鳴り付けるように叫び、瞬く間もなく矢を放つ。だがその瞬間に犬夜叉が鉄砕牙に手を掛けると、彼は矢を薙ぎ払うかのように勢いよく鉄砕牙を振り抜いた。するとその衝撃は圧となって桔梗を襲い、彼女の持つ弓さえも折ってしまう――その刹那、犬夜叉は駆け出すと同時に鉄砕牙を手放した。 「鉄砕牙を捨てた…!?」 思いもよらない犬夜叉の姿に七宝が驚愕の声を上げる。直後、犬夜叉は桔梗を抑えるように彼女の両手首をガキ、と掴み込んだ。 彼女は刀を捨ててまで素手で掴み掛かってきた犬夜叉を正面に見据え、切羽詰まったように滲む汗を頬に伝わせる。 「なんの真似だ犬夜叉…」 「うるせえよ。今さらおめえに好かれようなんて思っちゃいねえけどよ…身に覚えがねえことで殺されるなんざまっぴらだ!」 「覚えが…ない…? とぼけるな…あれはお前だった…お前はその爪で私を引き裂き、四魂の玉を奪った…村の皆を、美琴を傷つけた…私をあざむいて…」 犬夜叉の必死な訴えに対し、桔梗は耳を疑うように表情を強張らせる。桔梗もまた同様に必死さを滲ませながら、目の前の犬夜叉に顔を迫らせるほど鬼気迫る様子を見せていた。 「おれが…人間に?」 もう何度目の逢瀬だろう。それほど時を重ねた二人は共に腰を下ろし、桔梗が犬夜叉へ“人間にならないか”と話を持ち掛けていた。それに対して犬夜叉は怪訝な様子を見せるが、それを見据える桔梗は一切の淀みなく言葉を返す。 「なれるさ、お前は元々半分は人間だもの。四魂の玉は邪な妖怪の手に渡れば、ますます妖力が強まる。玉は決してなくなりはしない。だが…お前を人間にするために使うなら、四魂の玉は浄化され…恐らく消滅する」 普段通りの儚げな姿で、抑揚の少ない声がそう伝えてくる。確かに願いを叶えてくれるという四魂の玉を使えば人間になることも可能だろう。それを思った時、犬夜叉はふと問いかけるように桔梗へ目を向けた。 「桔梗…お前はどうなる」 「私は玉を守る者…玉がなくなれば…」 わずかな間。それに続く言葉をなんとなく悟ると同時に彼女へ振り返れば、真っ直ぐに視線を落とす桔梗の口が小さくも確かに言葉を紡ぎ出した。 「ただの女になる」 「あの時…お前は人間になると言った。人間になって…共に生きようと…」 あれは嘘だったのかと、まるでそう告げているような目が犬夜叉を見上げる。だが犬夜叉は掴む手に力がこもるほど咄嗟に強く言い返した。 「おれは本気だった!」 「言うな! 私が愚かだったのだ! 一瞬でも、お前と一緒に生きたいと思った…」 「黙れ!!」 桔梗の言葉を遮るように叫ぶ犬夜叉の腕が桔梗の体を強く抱きしめる。その姿に、彩音は息を飲んだ。同時に、思わぬ事態に目を丸くする桔梗から「犬…夜叉…」と小さな声が漏れる。そして彼女は崩れ落ちるように膝を突いてしまうが、なおも力強く、しかし優しく抱きしめる犬夜叉は決してその腕を放そうとはしなかった。 「分かった桔梗…お前もつらい目にあってたんだな。お前は人間で…女だから、おれよりずっと…ずっとつらかったんだな…」 「犬夜叉…」 優しく諭すような犬夜叉の言葉に、滲み出した涙が桔梗の頬を静かに伝う。その姿はまるで、ずっとこうなることを望んでいたかのような痛切なものであった。 「お姉さま…」 「…鎮まった…?」 彼の肩口に顔を埋める桔梗の姿を息を飲むよう見つめていた楓と七宝が呟く。いまならば桔梗も話に応じ、かごめへ魂を戻してくれるかもしれない。二人がそんな淡い期待を抱きかけた時、彩音はわずかに桔梗の顔色が変わる瞬間を垣間見た。 「放せ犬夜叉、もう遅い…」 「だ、ダメっ、逃げて犬夜叉!」 「くっ」 彩音が叫ぶが早いか、桔梗は犬夜叉の両袖を掴み込むと同時に再び凄まじい霊力を放った。バババッ、と激しい音と電撃のような閃光が犬夜叉を襲う。それに目を見張った犬夜叉がたじろぐように距離をとると、たまらず「桔梗…」と声を漏らしながら彼女の姿を見上げた。対する桔梗も、ただ真っ直ぐに犬夜叉を見つめる。 「私はお前を憎みながら死んだ…魂が…そこから動けない…お前が生きている限り救われない!」 悲痛に満ちた叫びに犬夜叉の顔が強張る。声さえ出なかった。想いを寄せ、共に生きることさえ望んだ相手からの死を望む声に。 なにか彼女を説得させられる方法はないのか――縋るような思いで考えようとしたその時、傍らで見守っていた楓から覚悟を決めたような声が上げられた。 「犬夜叉、お姉さまのその体を壊せ!!」 「!」 「楓!」 「所詮、その体は鬼術で無理に甦らされた紛いもの。お姉さまの魂を…“そこ”から出してやってくれ!」 実の姉である桔梗から正気を疑うような声を向けられてもなお、楓は必死に、懸命に犬夜叉へ縋るよう懇願する。彼女にとってもそれは苦渋の決断なのだろう。目尻に浮かんだ大粒の涙がそれを物語っていた。 だが桔梗はほんのわずかに顔を強張らせ、犬夜叉を滅するための霊力をざわつかせる。 「無駄だ…怨念が消えぬ限り、魂はその体にも戻れん…犬夜叉、お前の死だけが…!」 「(くっ…)」 凄まじい霊力を湛えて迫りくる桔梗。それに苦悶の色を滲ませながら爪を構えた犬夜叉だったが、それはすぐに握りしめてしまい血が滲まんばかりに強く唇を噛みしめた。 「(ちくしょう…殺せるわけねえだろ!)」 「危ない、よけろ犬夜叉!」 「犬夜叉っ!」 抵抗すら諦めてしまうような犬夜叉の姿に楓が強く叫び上げ、彩音が咄嗟に駆け出そうとした――その時、突如かごめの体がドクン、と大きな鼓動を響かせた。それに気が付いた楓が視線を落とすと同時、かごめの目が勢いよくカッ、と見開かれると、それに伴うよう不意に桔梗の体が膝から大きく崩れ落ちた。 次の瞬間―― 「あ…!?」 「魂が…」 突如として桔梗の体中から魂が溢れ出す。それはまるで桔梗から逃げ出すように凄まじい勢いで宙へ昇っていく。桔梗は咄嗟に自身の体を押さえていた手を伸ばし、逃げ出す魂に縋るよう「いやだ…まだ…」と悲痛な声を上げた。 「(私の魂が…引きずられる!!) いやだ!」 自身の体から力が抜けていくのを実感すると同時に、怯えるよう、ただ必死に懇願するよう叫び上げる。だがその勢いはとどまることを知らず、瞬く間に桔梗から抜け出した魂はドオオオン、と凄まじい音を響かせながらかごめへ降り注いだ。 それらは全てかごめの中へ還るように、一つ残らずその身へと消えていく。 「かごめ…」 「かごめっ…」 地面に投げ出されるかごめへ楓と彩音が寄り添う。かごめは未だ目を覚まさないが、「う…」とほんの小さな声を漏らすほどには回復したようであった。 それを見下ろす犬夜叉は汗を滲ませながら、安堵に似た、それでもどこか複雑な思いを抱える。 「(桔梗…鎮まったのか…)」 胸のうちで呟くようにこぼしたのは、形容しがたい思い。だがこれでいい。これでよかったはずだ。まるで自身に言い聞かせるようそれを思っていれば、正面で不意に顔を上げた彩音が目を見張る。その目が向けられるのは、犬夜叉の向こう側。それに気が付いた犬夜叉が釣られるように振り返れば、そこにはよろめきながらこの場を去ろうとする桔梗の後ろ姿があった。 「桔梗! (まだ動いている…!?)」 「まだ魂が残っているのか!?」そんな声を漏らしてしまうほど不可解な状況に顔を強張らせる。 全ての魂はかごめへ還ったはず。だというのに苦しげにしながらも自らの足で歩くその姿に愕然とするほかなかった。 しかしそれも束の間、突如桔梗を追うよう駆け出した彩音に犬夜叉は一層目を丸くする。 「なっ!? 待て彩音…」 「あの体を動かすのは桔梗の怨念よ…」 すぐにあとを追おうとする犬夜叉の声を遮るように投げかけられた不気味な声。それに驚くまま振り返れば、声の元には「ひひ…」と胡乱げな笑みをこぼす裏陶の首がこちらを見上げていた。 「粗方の魂はその小娘の体に還ったらしいが…“陰の気”の怨念だけは、骨と墓土を用い、我が鬼術にて作りし体に…よほどよく馴染んだと見える…清らかな巫女だった女が…もはや怨念の化け物…ざまあ…ないのう…」 「くっ」 次第にボロボロ…と崩れて消えていく裏陶の言葉に、犬夜叉は大きく顔を歪めるほど歯を食い縛る。直後、楓たちに一切構うことなく踵を返し、桔梗の元へと駆け出してしまった。

prev |5/6| next

back