10

「冥加じじい、いるんだろ? ツラ出しな」 一人いつもの場所へ身を移した犬夜叉は端的にそう言う。すると犬夜叉の髪からひょい、と顔を出した冥加はうんざりした様子で大きなため息をこぼした。 「はあ~あまり関わりとうない…」 「裏陶とかいう妖怪…何者なんだ?」 「わしも詳しくは…鬼の術を操る鬼婆としか知りませぬ」 冥加ならば知っているかと思い問うが、彼もそれほど詳しくない様子。それを思い知らされた犬夜叉は頬杖を突き、眉間にしわを刻みながら昨晩の裏陶の姿を思い返していた。 「(どおも気になるぜ) あの鬼婆が背負ってたつづらの中から…骨だけじゃねえ…祠の土の湿った臭いがぷんぷんしてやがった」 「骨と土…ですと!?」 「なんか知らねえか?」 「はて、そのような術は…」 明らかに不可解な点。だが犬夜叉と冥加にはそれが意味するものが分からず、互いに問うような視線を向け合ってしまう。 するとそこへ、サク…と小さな足音を鳴らす人影が近付いた。それはかごめのようで、彼女は犬夜叉へ歩み寄ると腰を屈めながらにこっ、と小さく笑いかける。 「行こ? 犬夜叉」 「……どこに」 「ねえ、可哀想じゃないお骨盗られるなんて。それに、どんなに憎くても…桔梗はずっと昔に死んじゃったんでしょ?」 何気なく語られるその言葉に、犬夜叉は小さくも反応を見せる。だが背けているその顔をかごめは見ることができず、ただ覗き込むようにそっと語りかけていた。 「あんたと桔梗の間になにがあったとしても、いまはもう…」 そう言って、言葉が途切れる。というのもかごめが犬夜叉を見つめている中、その彼はずっと顔を背けるようにそっぽを向いたままなのだ。こうしてかごめが不自然に黙り込んでもなお一向に振り返ろうともしない。その様子にとうとうかごめが痺れを切らすと、彼女は突然「ちょっとっ」と声を上げて犬夜叉の髪を引っ張るほど強引にその顔を振り返らせた。 「な…」 「あんた、昨日からあたしの顔見ようとしないわよねっ。あたしの顔が桔梗に似てるからいやなの!? 嫌いなの!?」 苛立ちに任せ、まくし立てるように正面から強く顔を迫らせるほど問い詰めた――その瞬間、突如犬夜叉にグッ、と強く手を掴まれる感覚に目を丸くする。これまで犬夜叉はずっと、あからさまなまでに顔を逸らし続けていた。だというのにどういうわけか、今度は強く、真っ直ぐに瞳を覗き込んでくる。 そしてその表情はいままでに見たこともないほど真剣なもの。苦しささえ孕んだその瞳が近付き、彼は小さく呟くように声を漏らした。 「そんなんじゃ…」 「(え…!?)」 思わぬ犬夜叉の姿に声も出せないほど硬直するかごめ。 ――それを、その二人の姿を見てしまった彩音が足を止めた。ただかごめに遅れて続くよう犬夜叉の様子を見に行ったつもりだった。だがそこに見えたのは深刻な表情で迫る犬夜叉と、それを静かに見つめ返すかごめの姿。 状況が、分からない。そう感じてしまって目を丸くするままに立ち尽くしていれば、こちらに気が付いたらしい犬夜叉と視線が絡んだ。思わず、あとずさりそうになる。すると犬夜叉の様子からかごめも気が付いたようでこちらへ振り返ってくると同時、ただ静かに視線を絡ませていた犬夜叉が明らかに顔を逸らしてしまった。それもどこか、気まずそうに。 それを目の当たりにした途端、鼓動がわずかに速さを増したような気がして。彩音は咄嗟に目を逸らすと、「えっとー…」と口にしながら誤魔化すようにわざとらしく頭を掻いて笑った。 「もしかして邪魔しちゃった? ごめんごめん。私は向こう行くから、あとはごゆっくり~」 「え゙。ま、待って彩音っ」 じゃ、と敬礼のように手を上げてすぐさま背を向けてしまう彩音の姿にかごめは愕然とする。かと思えば「ちょっと、なによっ!」と声を荒げて犬夜叉を思いきり突き飛ばした。 そうしてすぐに誤解だと伝えようとするも彩音はすでに離れていて。なにやら馬に乗っている楓へ話しかけているようだった。 「楓さん、お骨取り戻しに行くんですよね。私も行きます」 「来てくれるか。すまない彩音。だが犬夜叉たちを放っておいていいのか?」 「なんだか仲良くやってるみたいですし、大丈夫ですよ」 そう言いながら彩音が笑い掛ければ、楓はどこか不思議そうな顔を見せてくる。しかし彩音はそんな楓に構わず、傍にいた村人の手を借りて楓の後ろに乗り込んでしまった。それだけでなく、楓に掴まりながら「行きましょう」と声を掛けてくる。 その姿に楓はしばらく黙り込んでいたのだが、ようやく頷きを返すと握っていた手綱を打ち付けて馬を走らせた。 ――すると不意に、背後からちりりん、と覚えのある音が響かされる。 「あたし一緒に行く」 「おらも」 馬の横へ着けるように自転車を走らせるかごめとそれに飛び乗った七宝の姿に楓が振り返る。するとかごめは同様に振り返ってきた彩音を見つめ、慌てた様子のまま弁解の声を上げた。 「彩音、さっきのは誤解なのよ」 「誤解?」 「そう。だって…」 不思議そうに首を傾げる彩音に伝えようとしていたかごめの声が詰まる。思い出したのだ、先ほどの犬夜叉の姿を。それを思っては黙り込んでしまい、さらにはわずかに頬を赤らめながら「ね、ねえおばあちゃん…」と楓へ声を向けた。 「犬夜叉と桔梗って…本当にただの敵同士…?」 「他になにがあるってんだよっ」 かごめが言い終えるとほぼ同時、突然彩音のすぐ後ろのごく狭いスペースに犬夜叉が飛び乗ってきた。それに驚いて彩音が振り返るが、一度視線を交わらせてはすぐに犬夜叉から顔を背けられてしまう。それに彩音はわずかながら眉をひそめるが、ただ静かに口をつぐむ。 すると同じく彼へ振り返っていた楓が意外そうな顔を見せて言った。 「お主も来るのか? どうした風の吹き回しだい」 そんな言葉を向けられては、犬夜叉はどこか誤魔化すように「けっ」と吐き捨ててしまう。先ほどは切り捨てるような物言いで楓の願いを断ったものの、やはり放っておくことはできないのだろう。だが彼はそれを口に出すことなく、ただ裏陶がいるであろう方角へ強い思いを秘めた瞳を向けていた。 そしてそんな彼を、かごめが控えめに見上げる。 「(犬夜叉なにか隠してる。だってさっきあたしを見た目は…)」 しばらく馬を走らせた頃、一行は無骨な岩肌を見せる丘で足を止めていた。周囲を見渡しているが、辺りに変わったものはない様子。このままでは手掛かりがないため犬夜叉が“臭いを探る”と言い出すと、そんな彼の後ろ姿を見つめるかごめがあの時の犬夜叉の姿を再び思い返しながら物憂げな表情を見せていた。 「(あの時の犬夜叉…あれは人を憎んでる目じゃなかった。もしかすると――犬夜叉本当は…桔梗のこと好きだったんじゃ…? それなのに桔梗に胸を射抜かれて…五十年も封印されて…だとしたら…こいつメチャクチャかわいそーな奴なのかも…)」 「どうだ? 犬夜叉」 「臭うぜ。妖怪の臭いが…」 楓の問いにはっきりと答えながら、同時にかごめの視線に気が付いたらしい犬夜叉がその顔を振り返らせる。それでもかごめは犬夜叉をじ~…と見つめたまま、憐れむような思いを巡らせていた。 「(片思いだったんだわ…)」 「な…なんでえかごめ」 「……なんでもない… (可哀想…)」 ぼんやりと答えながら、それでもかごめの思考は止まらない。だがその思いが顔に表れすぎていたのだろう、かごめを見ていた犬夜叉はどんどん顔を引きつらせ始めた。 「なんか…すげえムカつくぞその目つき。なんだ、その憐れむよーな眼差しはっ」 「え゙。あ、ごめん変なこと考えちゃって…」 「ん? なに考えた? え~~っなに考えたんだコラ!」 「あーもーうるさい」 「急ぐぞ」 かごめの自転車に乗り移るほど強く問い詰めるも、かごめは先を行く楓のあとについて犬夜叉を振り払うように自転車を走らせる。 彩音はそんな二人の姿に振り返っては呆れの笑みを浮かべてしまったのだが、ふと違和感を抱いた。というのも、いまの二人がいつもとなんら変わりない様子であったからだ。先ほどあれだけ真剣に見つめ合っていたというのに。それを、自分が見てしまったというにも係わらず。 (かごめの言う通り…誤解、だったのかな) 不思議そうに、二人の姿を見つめる。すると犬夜叉がこちらに気が付いて視線を持ち上げたが、それはすぐに逸らされ、再び問い詰めるようにかごめへ向けられた。 まただ。そう感じてしまった彩音は、再びわずかに眉根を寄せた。 (じゃあなんで…犬夜叉は顔を逸らすの) ヒュー…と風の吹き抜ける音が響く霧の中で一行はいまにも落ちてしまいそうな吊り橋を見つけた。蔦が絡むほど古く見えるが、臭いの元へ行くにはここを渡るしかないだろう。他の手段が見当たらない崖を目の前にした一行は馬と自転車を置き、その吊り橋へ慎重に足を踏み入れた。 「こ~わ~い~」 「かごめ…大丈夫?」 体を小刻みに震わせながら誰よりも慎重に足を進めるかごめの姿に彩音が苦笑気味に問いかける。するとそのかごめからは涙目で“全然大丈夫じゃない”という思いを切に訴えかけられた。 しかしこの吊り橋は向こう側が霧に隠されるほど相当の距離があるようで、終わりはまだまだ訪れそうにない。そんな状況に気が引けるような思いを抱えながら足を進めれば、そのたびにギッ、と板が軋んだ。 「ほんと…急に落ちそうで怖いね、ここ…」 「や、やめてよ彩音っ。ねーこの橋…いっぺんに渡って大丈夫かな」 不意にかごめがそんな声を向けた先は犬夜叉であった。彼はこの状況が恐ろしくないようで、平然と先頭を歩いている。だがその足が静かに止められると、前方を見据えたまま端的に言葉を返された。 「落ちるかもしんねーな」 「「え゙」」 容赦のない言葉に彩音とかごめが揃って顔を引きつらせる。それと同時、なにやら前方の霧の向こうから蠢く影が見え始め、ギ…ギシ…と大きな軋みがいくつも聞こえてきた。それに加え、伝わってくる振動も大きくなっていく。 「なにかが来るぞ!」 「! え…な、なにあれ…」 「人…じゃない…」 虚ろに体を揺らしながら歩いてくる複数の影。それは人間のようでありながら体の様々な部位が焼き物らしき素材で構成された、人間らしからぬ奇怪な兵たちであった。 「(鬼婆の兵隊か!?) お前ら、ちょっと揺れるぜ!」 そう言って爪を構えた犬夜叉が駆け出すと、兵たちは揃って刀を掲げ始める。そこへ「散魂鉄爪!」と声を上げながら勢いよく爪を振り下ろせば、兵たちは派手な音を立てて呆気なく砕け散った。その衝撃により吊り橋が大きく揺れてかごめが悲鳴を上げるが、同様に吊り橋に掴まる犬夜叉は先ほど感じた感触の軽さに意外そうな顔をして、破片となった兵が崖の下にこぼれ落ちていく様を見つめていた。 「(こいつら…体の半分は土人形…)」 「きゃ~っどんどん来る~」 「ちっ」 散らしたそばから新たに現れる兵たちに舌打ちをこぼす。霧で向こう側を窺えないが、この様子だと相当の数が控えているのだろう。それを悟った彩音は燐蒼牙に手を掛けてかごめの前に立ちはだかった。 「彩音、こいつら刀を抜くまでもねえ。そのままぶん殴れば十分だ」 「…分かった」 変わらずこちらを見ることなくそう伝えてくる犬夜叉を横目に頷き、腰紐から鞘ごと燐蒼牙を引き抜いた。どうして犬夜叉は頑なにこちらを見ようとしないのか、その疑問がよぎって仕方がなかったが、いまは敵を倒すことに集中しろと自分へ言い聞かすように頭を振るい、強く燐蒼牙を握りしめた。 その直後、犬夜叉が高く跳び上がっては奥の兵たちを叩き散らす。それに続くように彩音も足を踏み出し、目の前に迫る兵たちを燐蒼牙で殴りつけるように破壊してみせた。 ――その様子を崖の上から見つめる影が一つ。 「ったく、なに奴じゃこの忙しいのに…」 騒々しさに気が付いたか、疎ましげな様子を見せる裏陶が目下の吊り橋を覗き込む。だがそこに佇む者へ視線を向けた途端、裏陶は目を疑うように愕然と身を乗り出した。 「(ん!? あの小娘…似ている…あの面差し…桔梗にそっくりじゃ。それにあの刀を持った小娘…あれはもしや…)」 「どけーてめえら!」 裏陶がかごめ、そして彩音の姿からなにかに勘付いた瞬間、犬夜叉の怒号が大きく響き兵たちが激しく砕き散らされる。だがその直後、突然破壊された兵の手が犬夜叉の腕や袖を拘束するように掴み掛かってきた。それだけではない、体や足、髪でさえ壊れた兵が抑え込んでくる。 いままで破壊した兵は全て無抵抗のまま谷底へ落ちていたはずなのに、なぜ―― 彩音がそれをよぎらせた瞬間、突如勢いよく飛び降りてきた裏陶が犬夜叉の目の前へ現れた。同時に、彩音の傍にいた兵が突如犬夜叉同様に彩音の燐蒼牙を持つ腕を抑え込んだ、その時だった。 「なっ…」 「え゙っ…」 ザクッ、という大きな音を響かせ、裏陶の大きな鎌が吊り橋を容易く断ち切ってしまう。その瞬間すぐ傍の犬夜叉は兵もろとも谷底へ落ち、その背後にいた彩音やかごめ、楓と七宝まで吊り橋を滑るように落ちていく。 だがその刹那、彩音とかごめだけは飛び込んできた裏陶の腕に強く拘束された。 「あ…」 「なっ…楓さん、七宝! 犬夜叉ーっ!」 成す術もなく谷底へ放り出された楓たちへ叫ぶが、無慈悲にもその姿は霧の向こうへ消えてしまう。咄嗟に顔を上げれば、自身とかごめを両脇に抱える裏陶が「うひひひ、」と怪しげな笑みを浮かべていた。 「この高さから落ちたら誰も助からん」 「っ…放して!」 裏陶の言葉に三人の最悪の状態がよぎってしまい途端に抵抗するよう身をよじる。だが裏陶の老婆とは思えない力とその兵による拘束で思うように動けず、その腕を振り払うことができない。それにギリ…と歯を鳴らして裏陶を睨み付ければ、それは再び不気味な笑い声を向けてきた。 「うひひひ、放すものか。お主らには用があるのだからな」 「用…?」 「なに、いまに分かるから大人しくしておれ」 そう言いながら裏陶は自身の住処へと向かっていく。彩音は目を細めるようにして笑うその姿によからぬ予感を抱き、眉間にしわを寄せながら小さく唇を噛みしめた。 このままではダメだ。途端によぎる思いに覚悟を決めると、彩音は静かに構えるよう体を逸らした。――直後、ドカッ、と鈍くも凄まじい音が響くほど強く裏陶の腰へ膝を叩き込んでみせる。その瞬間裏陶は「ぎゃっ!」と短い悲鳴を上げ、たまらず彩音たちを掴んでいた腕を緩めた。 (よしっ、いける…) そう思うと同時に裏陶の体を突き飛ばすよう離れてやるが、ふと思い出す。裏陶の移動手段を。裏陶から逃れたここが、地上から遠い空中であるということを―― 「しまっ…い゙や゙ーーーっ!?」 「彩音っ!」 真っ逆さまに落下していく彩音にかごめが手を伸ばす。だがそのかごめはすぐさま捕らわれてしまい、彼女を逃がすまいと深く抱き込んだ裏陶が棲み処へ体を向けながら言い捨てるように声を上げた。 「不死の御霊を持つお主ならば死にはせまい。用が済んだら回収してやるから、そこで大人しくしておるがよい」 (な…なんであいつが不死の御霊のことを知って…――っ!?) 裏陶の言葉に耳を疑った直後、陶器が割れる激しい音と凄まじい衝撃に襲われる。肺が潰れたかのように呼吸ができなくなり、痛みを認知できたかどうかのほんの一瞬の間に意識が遠ざかる。そして視界が白に塗り潰される刹那、砕け散った破片の向こうに見えたのは連れ去られるかごめの悲痛な表情であった。

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