暗く闇に包まれる空。そこには満天の星々が煌めいているが、戦国時代とは違い人工光に溢れる現代ではその輝きも薄く感じられる。そんな思いを抱きながら空を見上げる
彩音は、必死に机に噛り付くかごめの部屋にいた。
宣言通り、犬夜叉は昼以降こちらに姿を現していない。結局彼の残した“三日後までに改心しろ”という言葉の意味も分からないままだ。勉強の妨げになっては悪いと思ってかごめにも相談できず、こうしてぼんやりと空を見つめながら考えるしかない。
そんな時、ふとかごめがノートに向かったまま疲弊の声を上げた。
「は~身が持たない、本当に病気になりそう」
「思ってたより大変だよね。向こうの生活と両立するの」
「ほんと大変。あたしもいっそ、学校に行けなくなればよかったのに」
「助かると言えば助かるけど…それも困るよ、色々」
苦笑するように
彩音が言えばかごめは「そうよね…ごめんね」と謝ってくる。それにいいよと笑いかけた
彩音はもう一度横目に静かな夜空を見つめた。
かごめに“ここは自分が生きていた時代ではない”という話はしたが、なぜ
彩音とかごめがそれぞれ違う時代から来たのか、なぜ
彩音だけが自分の時代に帰れないのかという原因は結局分かりそうもなかった。
一体いつになれば自分は元の時代に帰れるのか…そんなことを考えていると、不意にかごめがため息交じりの声をこぼす。
「あたしたち、忙しいわね。四魂の玉のかけらもまだ二つしかとってないし…」
「そうだね…」
頬杖を突いて言うかごめの言葉に続くよう、
彩音がポケットから取り出したもの。それは手のひらに収まるほどの小瓶だった。コルク製の栓をされたそれの中には淡く光る四魂の玉のかけらが二つだけ。勉強に集中できるよう現代にいる間は
彩音が預かっていたのだが、やはりこれらが頭から離れることはなかった。
それを実感しながら小瓶を傾けてはカラ…とほんの小さな音を鳴らし、中のかけらを転がす。元の玉の原型を見るには、ほど遠い。
「……」
「こんな生活…いつまで続くんだろ…」
彩音がかけらを見つめて思った言葉は、かごめの口からこぼされた。それに少し驚きながら顔を上げるが、かごめは相変わらず両手で頬杖をついて上の空。
彩音の心を読んだわけではないものの、やはり彼女も同じことを考えてしまうのだろう。
それを思い知らされた
彩音は、四魂の玉を割ってしまったことに罪悪感を覚える。あれがなければ、かごめまで戦国時代に留まる必要はなかったのかも知れないのだから。
「ごめんね、かごめ…私のせいで巻き込んじゃって」
そう呟くように言えば、かごめは目をぱちくりと瞬かせてこちらに振り返ってくる。どうやら言葉の意味を理解していなかったようだが、
彩音を見て気付いたか、「なんで
彩音が謝るの」と眉を下げて笑い掛けてきた。
「四魂の玉を割っちゃったのは事故みたいなものでしょ? あたしだって、桔梗の生まれ変わりだとか言われて無関係じゃないんだし。きっと、あたしたちはこうなる運命だったのよ。ね、そう思わない?」
彩音ばっかり気負わないで。そう続けるかごめの言葉にたまらず言葉を失ってしまう。彼女はなんて強くて、優しいんだろう。そう感じてしまいながら
彩音は「うん、ありがとう」と笑みを浮かべ、小瓶を握り締めた。
すると胸の奥深くで、トクン、と微かな鼓動を感じた気がした。温かいものではない、その鼓動。違和感さえ覚えてしまうようなそれについ眉根を寄せかけたその時、突然かごめがはっとした様子でノートに食い付いた。
「いけないっ、テスト勉強しなきゃっ。明日は苦手の数学なんだ」
「あ…そうだね。私も手伝うから一緒に頑張ろっ」
鼓動は気のせいだろう。違和感を振り払った
彩音は小瓶を机に置き、かごめ同様教科書を覗き込んだ。そうして二人は声を交わし合い、悩みながらもノートにペンを走らせた。
――そんな二人の声も聞こえなくなった、午前二時。いつしか眠ってしまったかごめはノートや教科書を広げたまま机に伏せ、その隣で机にもたれるよう床に座り込む
彩音も安らかに寝息を立てていた。日々の疲れも溜まっているのだろう。そんな休まらない姿勢でも起きる様子のない二人は、傍の暗い窓の外から白く不気味な顔が覗き込んでいることにも気付くことはなかった。
「嬉しや…今のこの世に四魂の玉があろうとは…」
不気味な声でそう呟くのは顔に深い傷を走らせる者。
彩音たちが今朝神社の鳥居の傍で見た不自然な女であった。それは神社の外から首を長く長く伸ばし、かごめの部屋の窓に硬い額をコツ…と押し当てながら四魂の玉のかけらを見つめている。
――だがその時、夜道を飛ばしていたカップルの車が道路に立つ女の体を容赦なく撥ね飛ばした。咄嗟にブレーキを踏んだ音、ハンドルを大きく切りタイヤが擦れた音、女の体を撥ねた鈍い音。それらが同時に大きく激しく響き渡り、ピク、と眉根を寄せた
彩音たちが目を覚ました。
「ん…? なんか今…すごい音しなかった…?」
「なんだろ…事故かな」
ぼんやりとした顔を見合わせ、二人は揃って窓を開ける。だがそこから見えるものはなにも変わらない景色。部屋を覗き込んでいた女も体を撥ねられたことで首を戻し、覚束ない足取りで静かにこの場を去ってしまったのだ。そのため二人が辺りを見回してもなにも分からず、かごめは寝ぼけ眼のままチッ、チッ、と小さな音を立て続ける目覚まし時計に振り返った。
「二時!?」
突然目が覚めるほど大きく上げられた声。それに驚いた
彩音が振り返ると、顔を青くさせたかごめが慌てて椅子に座り直しノートに噛り付く姿が見えた。
「テスト勉強全然やってない! いやあああ!」
「え、が、頑張れかごめーっ」
涙を見せるほど必死に取り組むかごめの姿に
彩音は慌てて応援の声を上げる。そんな二人の頭には、先ほどの音のことなど片隅にも残ってはいなかった。
* * *
――二日目のテストを終えた放課後、学校の傍まで迎えに行った
彩音はひどくショックにうな垂れるかごめと合流した。リュックからはみ出している青竹が気になるが、それ以上に気になるのは彼女の落ち込みようだ。テストの点数がよくなかったのだろうか…そう心配した
彩音の予感通り、彼女の口から「今度の土曜日に追試になった…」と悲しげな声が漏れた。
「土曜日に追試なんて…あと三日しかない!! 帰ったらすぐ勉強しなくちゃ…」
「そうだね…また私も手伝うから、頑張ろう…」
絶望しているのがよく分かるその声に
彩音はぽんぽんと彼女の背中を撫でながら宥めようとする。そんな時、突如体にザワッと強い悪寒が走った。それは戦国時代で感じたような不穏な気配。たまらず二人は辺りを見回そうとしたが、同時になにかがこちらへ落ちてくるような風を切る音が聞こえた気がした。
「え、犬夜叉…」
「よしっ帰るぞお前らっ」
頭上から降ってくる見慣れた姿に目を丸くした直後、
彩音とかごめは犬夜叉に掴まれて路上を跳ぶように走っていた。行き交う人に見られてしまっているが、かごめにとってそれどころではない。突然犬夜叉の念珠をぐい、と掴んだかごめは嬉しそうに顔を迫らせた。
「ちょうどよかった犬夜叉! 会いたかったの!!」
「え…」
「そうそう。私たち、犬夜叉に話したいことがあって」
「そ、そうか? おれは別に話したいことなんかねえけど…」
揃って顔を迫らせてくる二人に犬夜叉は眉をひそめながら怪訝そうに呟く。しかしその表情もしばらくした後――日暮神社の井戸の祠へ辿り着いて二人から話を聞いた途端、大きく怒りに歪められた。
「あと三日待てだあ!? なんじゃそりゃーっ」
「だって向こうじゃ勉強できないし…ただでさえ数学、苦手なんだもん。追試も落としたらあとがないのよ~」
井戸に足を掛けるほど食って掛かる犬夜叉に対してかごめは両手を組み“お願い”という眼差しで食い下がろうとした。それに続くよう
彩音が「ね? 私からもお願い」と歩み寄るが、腕を組んだ犬夜叉は訝しむように目を細めた。
「ダメだ」
「一生のお願い」
「やだね」
「私の一生も賭ける。それでもダメ?」
「ダメだっつってんだろ」
「えー…」
「…これだけ頼んでも…?」
もはや聞く気もないと言わんばかりに顔を背けてしまう犬夜叉に
彩音は眉をひそめ、かごめは物憂げな顔を見せる。かと思えばかごめは突然深く俯き、ふ~…と大きなため息をこぼした。それには
彩音が顔を向け、犬夜叉もつい「ん?」と振り返ってしまったのだが、その直後突然かごめが顔を上げ、大きく涙を溜めた目できっ、と犬夜叉を睨みつけた。
「じゃああんたどう責任取ってくれるの!?」
「な゙っ…」
「あんたは四魂の玉だけ集めてりゃいーんでしょーけどねっ、あたしにはこっちの生活もあるのよっ」
吠えかかるかごめに気圧されて犬夜叉はよろめくように後ずさる。そのうえ
彩音がかごめの肩を抱くようにしながら「あーあ、泣かせた。犬夜叉が変な意地張るから…」と呆れの目を向けてくるものだから、犬夜叉はひどく戸惑った様子でどきどきどきと鼓動を早くしていた。“そ、そんな…泣くほどひでーこと言ってねーだろ”、と。
しかしかごめは両手で顔を覆い、とても痛ましい姿を見せてくる。たまらず犬夜叉は「お、おい…」と声を掛けたのだがかごめは
彩音に寄り掛かり、その
彩音がひどく鋭い目でじとー…と見つめてきた。
「…分からず屋。人でなし。薄情者」
「なっ…なんでおれがそこまで言われなきゃなんねーんだ!」
呟くようにこぼされた言葉に犬夜叉は愕然としながらも怒鳴りつける。だが
彩音は変わらず半眼で見つめてくるまま、なにも言い返してこなかった。それに痺れを切らせた犬夜叉が「なんとか言えよっ」ともう一度吠えた途端、
彩音はかごめから手を離し、すたすた歩み寄ってきては犬夜叉の腕に抱きつくようくっついてきた。
「え゙。お、おい」
唐突すぎる予想外の行動。それには怒鳴っていた犬夜叉もぱちくりと目を瞬かせて明らかに動揺してしまう。すると顔を向き合わせてきた
彩音が突然“にっこり”という文字が見えそうなほどの満面の笑みを浮かべてきた。
「私の言ったことが理解できないなら、君の方こそ改心した方がいいんじゃないかな? 犬夜叉くん?」
笑顔を絶やさないまま、慣れない言葉遣いでそう言った
彩音は一歩、二歩と井戸の方へ歩み寄る。それに引っ張られるようついて行く犬夜叉は少しばかり眉をひそめながら、小さく「はあ?」と訝しむような声を漏らした。
「なんでおれが改心しなきゃいけねーんだ。あれはお前が殺生丸に…」
「えいっ」
どんっ、
反論する犬夜叉の声も聞かないまま、
彩音は話の途中で彼の体を井戸の中へ突き飛ばしてしまった。突然のことに目を丸くして落ちていく犬夜叉の視界には「改心するまで来ないでね~」と笑顔で手を振る
彩音の姿。当然犬夜叉はすぐに怒りを露わにし、大口を開けるほど怒鳴りつけるように思い切り吠え立てた。
「てめえらっおれがなにしたってんだよっ」
「ばかやろ~」と続く声はあっという間に聞こえなくなり、先ほどまでとは対照的な静けさが残される。犬夜叉は確かに戦国時代へ消えたようだ。しばらく井戸の底を見つめていた
彩音ははあ、とため息を一つこぼし、きょとんとした様子のかごめへ振り返った。
「ありがとう
彩音…でも、改心ってなんの話?」
「さあ…私もよく分かんない」
首を傾げるかごめへ
彩音は困ったように笑いながら同じく首を傾げる。かごめはより一層不思議そうにしていたが、「気にせず勉強しよ」と言う
彩音に促されるまま、共に井戸の祠をあとにした。
去り際に
彩音がちら、と覗いた祠の中は、大人しい静けさに満ちていた。