04

「ばっ、ばかな…犬夜叉はともかく、殺生丸さまにすら抜けなんだ鉄砕牙を…なぜ人間の小娘が…」 「彩音…すごい…」 邪見があんぐりと開いた口で呆然と呟く中、彩音のすぐ傍に立つかごめは驚きながらも感心するような眼差しを彼女へ向けていた。信じられない、誰もがそんな思いを抱きながら彩音を見つめる中、ふと犬夜叉だけはその視線を静かに殺生丸へ移した。 「よそ見してんじゃねーっ」 隙を突くように殺生丸の首へ鋭い爪を突き出す。だが目の前の彼はフッ、と姿を消してしまい、標的を失った爪は派手に骨たちを砕き散らすだけだった。殺生丸はどこに、犬夜叉がそう視線を巡らせるよりも早く、彼はほんの一瞬の間に彩音の目の前へその身を現していた。 それに気付いた犬夜叉がギク、と心臓を跳ねさせるのに対し、肩の冥加はひどく安堵したように声を掛けてくる。 「最早犬夜叉さまは眼中にないようで…命拾いしましたな」 「どあほう!」 あまりに自分本位な冥加の言葉に犬夜叉もたまらず声を荒げる。なぜなら相手は人間を嫌う殺生丸だ。鉄砕牙のためならば彩音だって殺しかねない。そう感じた犬夜叉は緊迫した様子で二人を見やった。 その視線の先の殺生丸は触れ合わんばかりに彩音へ迫り、感情の読み取れない金の瞳で彼女の姿を真っ直ぐに見下ろしていた。 「なぜ貴様に抜けたのかは知らんが…それは貴様が持っていても仕方がないものだ。こちらに寄越せ」 「おい彩音っ。絶対に渡すんじゃねえぞ!」 「えっ、え、あの…も、戻していい!?」 目の前の殺生丸、その向こうの犬夜叉。二人に矢継ぎ早に言われては混乱するように戸惑ってしまい、台座の方へ向かってわずかに身を引きそうになった。そんな時、突然背後から腕が強引に引かれたかと思えば、そこにいたかごめが彩音の手から鉄砕牙を奪い取ってしまう。 「か、かごめ…!?」 「犬夜叉に渡すのよ!」 両手で鉄砕牙を握り締めたかごめはそう言いつけて犬夜叉の元へ駆け出そうとする。だが殺生丸がそれを許すはずはなく、瞬時に行く手を阻むよう立ちはだかってはぎくっ、と肩を揺らし後ずさる彼女へゆっくりと迫った。冷ややかな威圧感。それを与えながら静かに歩を進める殺生丸に対し、息を飲むように後ずさっていくかごめ。それはとうとう、太い骨が沿うように廻る壁際へと追いつめられてしまった。 「こ、来ないで。斬るわよ!」 「殺生丸、手を出すな! その女は関係ねえ!!」 「そうもいかんだろう。貴様の連れなら尚更だ」 駆け出す犬夜叉を尻目に指を慣らす殺生丸。それは一瞬の隙さえ与えることなく、鋭利に尖った爪を勢いよくかごめへ突きつけた。 「我が毒華爪にて消滅せよ」 「かごめっ!!」 殺生丸の詠唱と同時に毒が放たれる寸前、彩音がかごめを庇うよう咄嗟に飛び込んできたことで殺生丸の目がわずかに見開かれる。しかしすでに毒は放たれたあと。彩音がかごめを抱き込むのとほぼ同時に広がった殺生丸の毒は瞬時に骸の肋骨を大きく溶かし、液状化したそれで二人の体を飲み込んでしまった。 彩音が毒を被った、それに殺生丸はわずかに眉根を寄せながら見据える。その直後、犬夜叉が一足遅れて駆けつけるなり二人が埋まるそこへ躊躇いなく手を突っ込んだ。 「!」 途端、ジュッ、と焼けるような音と共に走った痛みに腕を引いてしまう。見れば犬夜叉の手には火傷のような傷がはっきりと残されていた。たった一瞬触れただけでこの傷。毒を正面から浴びたうえ、その毒を含む液状の骨に包まれた二人など、到底助かるはずがないだろう。 それを瞬時に悟ってしまい黙り込む犬夜叉の背後で、同じくそれを見据えていた殺生丸が吐き捨てるような声をこぼした。 「自ら飛び込むなど…馬鹿なことを…」 「くっ…殺生丸ーー!」 「うるさい、貴様も消えろ」 湧き上がる怒りに任せて襲い掛かってくる犬夜叉へ、殺生丸は迎え撃たんばかりに爪を構えて彼に向ける。だが向かい合った犬夜叉の勢いは今までより圧倒的に加速していて、思わず目を見張った殺生丸は腹部に彼の拳を叩き込まれてしまった。 そんなまさかの逆転に、主を見守っていた邪見が額に汗を浮かべるほど驚愕の表情を見せる。 「な、なんで、さっきまで掠りもしなかったのに」 「どうした犬夜叉。たかが人間の女のことで…」 愕然とする邪見とは対照的に、殺生丸は自身の鎧が砕け落ちるも気にせず涼しい顔を見せていた。それどころか、まるで犬夜叉を馬鹿にするように薄く笑みを浮かべている。 犬夜叉はただ静かに殺意を宿した目でそれを睨み、バキ、と音を立てるほど確かに指を慣らした。 「てめえ…次は腹わた引きずり出してやる」 低く唸るように、怒りを込めた声でそう告げる。そしてその目を背後――彩音たちが埋もれたそこへ向けると、唯一顔を覗かせる鉄砕牙に胸がざわつくような心地悪さを覚えた。 二人は死んだ。それを思い知らされる光景にたまらず“つまんねえ死に方しやがって”と彼女たちに悪態づくような思いを抱えかけた、そんな時。動くはずのない鉄砕牙が突然ギギ…とわずかな揺れを見せて。それには思わず「え゙!?」と声を漏らしてしまい、殺生丸共々目を疑うようにそこへ振り返った。次の瞬間―― 「…っはー! やっと出られた…!」 「ぶはっ。死ぬかと思った。彩音、大丈夫?」 「うん平気。怪我とかもないみたい」 「な゙っ…」 続け様に姿を現し、そのうえ平気な顔で言葉を交わす彩音とかごめの姿に犬夜叉は目を丸くして固まってしまう。それもそのはず。彼女たちが出てきたのは、自身が一瞬触れただけで傷を負ってしまったほど強い毒を含んだものなのだから。それどころか、二人はその毒を至近距離で直接受けているはず。だというのに、二人はなんら変わりない様子で互いの安否を確認し、平然と骨だったものの中から抜け出してくるではないか。 その姿を呆然とするように見ていれば、隣まで歩み寄ってきたかごめは握っていた鉄砕牙をビッ、と殺生丸へ向けやった。 「あんた! あたしたちまで本気でやったわね。たっぷり反省させてやるから、覚悟しなさいよ!」 殺生丸に臆することなく強く言い切ってみせると、かごめは突然体の向きを変えて「はい」と犬夜叉の手に鉄砕牙を握らせた。それに対して全く状況について行けていない犬夜叉が「あ」と小さな声を漏らしてしまうのも構わず、二人は笑顔すら浮かべて犬夜叉に言い寄った。 「なんかこの刀すごいみたい。頑張ってね」 「これなら犬夜叉も互角に闘えるんじゃないかな」 「おめーら…なんでそんなにピンピンしてんだよ。しかも彩音、おめー今しれっとバカにしただろ」 わけの分からない状況に流されかけるもしっかりと聞き取った犬夜叉はじと、と彩音を睨み付ける。だが彩音は「そんなことないそんなことない~」と言いながら手を振り、誤魔化すような笑みを浮かべていた。 そんな彼女たちの姿に、殺生丸はどこか思考を巡らせるようわずかに眉根を寄せる。彩音が生きているであろうことは元より確信していた。しかし共に毒を浴びたはずのかごめまで生きているのはどういうことなのか―― その答えは、彼にとって存外容易く見出された。 「そうか…刀の結界に守られたのか…」 かごめが握っていた鉄砕牙。彼女たちが意図せずとも、刀が殺生丸の毒から彼女たちを守ったのだろう。それを悟った殺生丸がわずかに目を細める中、突如犬夜叉の肩にいた冥加が大きな声で犬夜叉に提言した。 「犬夜叉さま、躊躇うことはない。殺生丸さまのお体にて、鉄砕牙の試し斬りなさいませ!」 「ふっ、ようもほざいた…」 冥加の言葉に即時、殺生丸の声色が変わる。それだけではない、彼の妖気が大きくざわつきを見せてその目を赤く染めたのだ。先ほどまでとは明らかに違うその膨大な妖気。彩音たちがたまらず息を飲んでしまう中、殺生丸は風もないこの場所で髪や着物を大きく揺らめかせ始めた。 「貴様如き半妖に鉄砕牙が使いこなせるかどうか…この殺生丸が見届けてくれるわ」 しかと強く言い切られたその瞬間、殺生丸の着物は霧散するように広がり、肩に纏わせた毛皮や白銀の髪が長く大きく伸ばされていく。彼の妖気が、殺意が痛いほど空気を震わせる。その中でビシビシビシと不気味な音を立てる殺生丸の体は、次第にその形を変えていた。 人と同じ形をしていた顔は鼻から下を長くし、鋭い牙の並ぶ口は大きく裂けていく。徐々に膨らんでいくように体を巨大化させる彼はやがて全身を白い毛に覆われ、変わり果てた獣の足で地面の白骨を踏みしめた。 「ば、化けた…」 「な、なにがどうなってんの…!?」 「けっ、本性現しやがった」 思わず犬夜叉の背に隠れてしまうほど目を丸くするかごめと彩音に反し、犬夜叉はどこか面倒くさげに言い捨てる。 最早目の前の殺生丸に人間と同じ姿をしていた頃の面影などなく、長く白い毛を揺らめかす巨大な化け犬となってしまっていた。犬夜叉と違い完全な妖怪である彼はこれこそが真の姿であり、その大きさは人間である彩音たちよりも遥かに上を行くもの。果たしてこのような相手にボロ刀で対抗できるのか…彩音が思わずそんな不安を覚えるも、それを握る犬夜叉は強く握り直してグ、と身を屈めた。 「刀のサビにしてやらあ!」 そう叫び上げると同時に地を蹴り殺生丸へ飛び掛かる。軽々とその頭まで跳び上がった犬夜叉は、その勢いのまま彼の額へ強く鉄砕牙を振り下ろしてみせた。だがその感触に思わず「な!?」と短い声が漏れる。というのも鉄砕牙は肉を刻むことなく、殴りつけた衝撃を振動として犬夜叉の手へ伝えただけだったのだ。 「はっ、跳ね返された!?」 犬夜叉も持て囃される鉄砕牙の威力に期待していたのだろう、掠り傷一つ与えることもできなかった現実にひどく驚いた様子で目を見張っていた。その隙にも、殺生丸は犬夜叉を噛み砕かんと巨大な口を開いてくる。 「犬夜叉っ!」 「くっ」 危険を伝えるように彩音が叫んだ瞬間、犬夜叉は間一髪のところでその牙をかわしてみせた。すると殺生丸の牙は代わりに父の巨大な肋骨を捕らえ、たった一噛みでそれを粉々に砕いてしまう。 その破片が激しく飛び散る中、すぐさま距離をとろうと大きく跳躍する犬夜叉は肩の冥加へひどく怒鳴りつけた。 「おいっ、冥加じじいっどうなってんだ!」 「はい!?」 「斬れるどころか、タンコブもできねーじゃねーかよ!」 「あうう」 矢継ぎ早に怒鳴られ、冥加は小さくなるように唸るばかり。その瞬間振り上げられた殺生丸の獣の足が、巨大な骨を瞬く間に溶かしながら勢いよく犬夜叉に迫った。液状化した骨すら降り注ぎ追い込まれる中、犬夜叉が全てを懸命にかわし切ると突然肩の冥加が慌ただしく声を上げてきた。 「とっとにかく犬夜叉さま、この刀は父君の形見! 刀の妖力を信じなされ。ゆめゆめ手放してはなりませんぞ。ではっ、これにて御免!」 「てめえっ」 ピーン、そんな音が聞こえてきそうなほど潔く跳んで逃げてしまう冥加の姿にたまらず声を荒げる。だが殺生丸が本性を現した今、当てにならない彼に構っている暇などない。 「(ちっ、ちくしょうどうすれば…斬れるんだ!?)」 打開策も見えない現状にそんな思いを抱いてしまいながら鉄砕牙を握り直しては、滲む汗もそのままに殺生丸へと飛び掛かる。そして彼の足へ強く鉄砕牙を振るうが、やはりそこには傷一つ負わせられない。そんな無力さに「ちっ」と大きく舌打ちしてしまった、そんな時だった。 「頑張って犬夜叉。今の一発効いてるわよー!」 突然思いもよらないかごめの大きな声援が飛び出してくる。しかしそれは実際の状況とはあまりにかけ離れた言葉で、彼女の隣の彩音は思わず「え、かごめ…本気で言ってる…?」とぽかんとした顔を向けていた。当の犬夜叉もまさかそのような言葉を投げられるとは思ってもみず、つい気が抜けたようにがく、と体を傾けてしまう。 かと思えば大きく跳ぶように二人の元へ戻り、訝しむような顔で睨み付けた。 「あのな、全然効いてねーんだよ」 「ですって、かごめさん」 「だって…それあんたの刀なんでしょ!? あたしは信じてるからね、あんたの力」 この状況が怖くないのか、かごめは笑顔を見せるほど毅然とした様子でそう言い切ってみせる。その姿に少しだけ目を丸くした彩音はぱちくりと何度か瞬くと、やがて「…確かに」と小さく呟いた。 「犬夜叉なら心配ない気がする。今までだって勝ってきたし…大丈夫、勝てるよ」 「はあ? おめーまでなに言って…」 「あっでも、兄弟喧嘩はほどほどにしてほしいかな。あんまり危ないことはしてほしくないっていうか…」 訝しげな犬夜叉の声を遮っては、思い出したようにチラ、と殺生丸の姿を見て言う。自分自身は彼のことなどよく分からない。だが犬夜叉にも殺生丸にも、どちらにも危険なことはしてほしくない、そう思う自分がいることだけは確かに感じられていた。 だからこそそれをきちんと伝えたかったのだが、「けっ、」と吐き捨てた犬夜叉は呆れたように二人へ背を向けてしまう。 「いいのかよそんな能天気なこと言ってて。おれは頑丈だからいーけどよ、このままじゃおめーらは死ぬかもな」 背を向けたまま素っ気なくそう言い切ってしまう犬夜叉に二人は言葉を失くす。確かに人間の彩音とかごめでは闘いに巻き込まれるだけでも相当危険だろう。命だって容易に落としかねない。それを思うと不安がよぎり、視線をうろつかせた彩音が俯きかけた、その時、ふと隣のかごめの目に光るものが見えた。 「やっぱり…ダメなの?」 「!」 弱々しく呟く彼女の目に光ったもの、それは涙だった。それを目の当たりにした彩音は驚き、同様に振り返った犬夜叉もぎょっ、と目を見張る。かと思えば、彼は分かりやすいくらいに大きく狼狽えた。 「(お…おれが泣かしたのか!?)」 よろめくように後ずさってしまうが、視線の先の彼女は確かに涙を浮かべている。そのうえ悲しげに肩を落とし、彩音に慰められているではないか。そんな様子まで見せられては犬夜叉も落ち着けるはずがなく、すぐさま慌てたようにかごめへ詰め寄った。 「なっ泣くなーっ」 「笑えっての!?」 怒鳴るように言う犬夜叉へかごめは食い掛からんばかりの勢いで言い返す。それを前にした彩音はどちらをどう止めるべきか少しばかりおろおろと慌てると、なにかを振り切るように「よしっ」と言って強く手を叩いた。 「わ、私が殺生丸に直談判してくる!」 「はあ!? バカかおめー殺されるぞ! 大人しくしてろ!」 「大丈夫! なんか私、死なないみたいだからっ。それに美琴さんのこともあるし、きっと私なら話くらいさせてくれるはずっ」 全くの根拠がないままそう言うと、すっく、と立ち上がって殺生丸の元へ向かおうとする彩音。犬夜叉は彼女の言っている意味がよく分からなかったが、それでもそのまま行かせられるはずがなく。咄嗟に彩音の腕を掴んでは、無理やりその体を引っ張り込んでかごめの傍へ投げ出した。 「いったあ!」 「ちょ、ちょっと犬夜叉…」 どて、と尻餅を突かされる彩音の姿にかごめが声を上げる。だが犬夜叉はそれすら打ち消してしまうほどの勢いで「やかましい!」と強く怒鳴りつけた。 「おれがお前らを守るっつってんだ!」 反論を許さぬよう、黙らせるように言い放たれた言葉に二人が目を丸くする。それどころか「「へ…?」」と声を揃えてしまうと、彼は鉄砕牙を肩に掛けて二人に背を向けた。 「そこで見物してな」 それだけを言い残し、彼は殺生丸の元へと歩き出した。目の前には殺意のこもる瞳で鋭く睨み付けてくる化け犬の殺生丸。その姿をただ静かに見つめながら、犬夜叉は錆び刀である鉄砕牙を強く握りしめた――その時だった。犬夜叉の手の中で、ドクン、と確かな鼓動が響き渡ったのは。 「(鉄砕牙が脈打っている…!?)」

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