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「ニセ水神…鉾はいただくぜ…」 犬夜叉がニセ水神の手をミシ…と軋ませるほど力を籠めれば、眼前の相手は「くっ…」と小さな声を漏らす。どうにか犬夜叉を振りほどこうと抵抗の意を見せるニセ水神であったが、犬夜叉がそれを許すことはなく深く爪を喰い込ませるほど強くニセ水神の腕を掴み込んだ。 「観念しやがれ!」 突如声を荒げるとともにバキバキバキと骨肉が折れ千切れる嫌な音を響かせた。鉾を離さないならば腕ごと、という強引な方法に踏み切ったのだ。まさかそのように思い切ったことをするとは考えもしなかった珊瑚が驚いたその時、その視線の先でニセ水神の姿に変化が現れ始めた。 「おの…れ…」 忌々しげに、絞り出すように漏らしたその声を最後に、ニセ水神の体がミシミシミシ…と音を立てながら巨大な蛇そのものへと変貌してしまう。 鉾を手放したことで人型の姿を保てなくなったのだろう、瞬く間に大蛇へと姿を変えたそれは破れる着物を散らし、すぐさま鉾を奪い返さんと犬夜叉の腕へ勢いよく喰らいついた。しかしギリギリギリと締め付けてくるその力に動じることもなく、犬夜叉は「ふっ、」と小馬鹿にするような声を向ける。 「本性が蛇じゃ…取り返したって鉾の持ちようがねえだろ。悪あがきすんじゃねえ!」 怒号に等しい声を上げると同時に犬夜叉の拳が大蛇の脳天へ叩き込まれる。直後、それは犬夜叉とともに凄まじい音と飛沫を上げて湖の中へと飲み込まれてしまった。 「やった!?」 「で…でも…竜巻が治まらん!」 犬夜叉の一撃にわずかな期待を抱くものの、眼前で渦巻く竜巻はひとつも衰えることなく勢力を増し続けている。 まだ大蛇は倒せていないのか、どうすれば竜巻を消し去ることができるのか。そんな様々な不安に一同が揃って顔をしかめていれば、突然場の空気を切り裂くように凛とした声が響かせられた。 「竜巻を治めるなぞいとも簡単じゃ」 「え?」 「で、できるんですか水神さまっ」 「ならばどうぞ早く…」 先ほどかごめに握り潰されたことで目を覚ましたらしい水神の心強い言葉に彩音と末吉がすぐにでもと縋りつく。すると水神は当然と言わんばかりの表情を振り返らせ、はっきりとした口調で言い切った。 「治めて遣わすから、早うわらわに“[D:38633]の鉾”を」 ――え゙。 思ってもみなかった要求に一同の表情が硬く強張ってしまう。鉾は確かにニセ水神から奪い返したが、未だ犬夜叉が握ったまま大蛇とともに湖の中だ。そのため今すぐに“はいどうぞ”と渡せる状況ではない。 だがいつまでもこのままでいられるはずもなく、すぐさま目を合わせたかごめと彩音は意思を伝えるように強く頷き合った。 「犬夜叉ーっ。鉾を! 早くーっ」 「竜巻を治めるからーっ!」 犬夜叉が大蛇とともに水上へ現れた途端に慌ててそう声を上げる二人。それに気が付いた犬夜叉は思いがけない彼女たちの要望に「けっ。おれの心配でもしてるのかと思えば…」と納得がいかない様子で仏頂面を浮かべていた。 だがすぐに大蛇の口へもう一方の手をねじ込むと、強く力をこめて強引にその口を大きくこじ開けてみせた。 「そらっ受け取りな!」 大蛇の拘束を無理矢理逃れては即座に彩音たちの方へ鉾を投げ飛ばす。だがそれは大蛇の尾にバシ、と叩き付けられ、虚しくも彩音たちの目の前で湖の中に沈んでしまった。 「鉾が…あっ。彩音!?」 「太郎丸さまっ」 湖へ駆け寄ろうとするかごめの目の前で彩音と太郎丸が迷いなく湖の中へ飛び込んでいく。二人は荒れ狂う水流に眉根を寄せ、それでも必死に水を掻き分けながら沈んでいく鉾へと懸命に突き進んだ。 「(おれは名主の子だ。今、村を救わねば…今までニセ水神に喰われた仲間に会わせる顔がねえ!)」 太郎丸はその思いを胸にし、彩音と同時に鉾を握り締めてはすぐさま水面へ昇り勢いよく顔を出した。 ――だが、その眼前には大きくうねり迫る大蛇の体。それに気が付いた彩音が咄嗟に太郎丸を抱き込んで身を捻りかわそうとしたのだが、大蛇によって引き起こされた水流に体を投げ出され、同時に大蛇の体に激しく叩き付けられてしまった。 「あ゙っ…!?」 「あ…彩音っ」 「たっ、太郎丸さまーっ」 目を見開き短い声を漏らした彩音の姿にかごめと末吉がたまらず声を上げる。それによって気が付いた珊瑚が振り返るとすぐさま彩音を叩き付けた大蛇の体へ飛来骨を投げ放ち、いとも容易くズバ、と断ち切ってみせた。 だが叩き付けられた衝撃で気を失った彩音と太郎丸は鉾を握り締めたまま湖に飲まれ、力なく水底へと沈んでいく。 「! (彩音! あのガキまで…)」 水中で闘っていた犬夜叉の目に二人の姿が映る。その瞬間に焦燥感を募らせた犬夜叉がすぐさま救いの手を伸ばそうとするが、未だ抵抗を続ける大蛇が巨大な口を開き、鋭い牙を露わに迫ってきた。 まず大蛇を片付けなければ彩音たちを無事に助けることはできないだろう。それを感じさせられた犬夜叉は大蛇を迎え討たんと鉄砕牙の柄に手を掛けた。 「(ぐずぐずしてられねえ。鉄砕牙!!)」 胸中で叫ぶとともに勢いよく引き抜かれた鉄砕牙は大蛇の口に叩き込まれ、勢いそのままに体まで真っ二つに斬り裂いていく。それを半ばで止めた犬夜叉が彩音たちの元へ向かうべく大蛇から離れると、それはガクガクと大きく震えを刻み始めた。 それも束の間、下顎が死に息絶え絶えとなった大蛇は力を振り絞り、自身の体の断面を露わにしたまま突如湖から飛び出してみせた。 「な…まだ逃げる!?」 「(おのれ…せめて村を蹴散らして…)」 驚く珊瑚をよそに、虫の息となった大蛇はなおも大きく震えながら村の方面へと迫っていく。だがその先には湖から顔を覗かせる岩に立ちはだかる男の姿があった。 「来ました法師さま」 「後始末は私が…」 金魚のような精霊たちに合図され身構えたのは弥勒。彼は大蛇へ鋭い視線を向け、迫りくるその姿にタイミングを見計らっては瞬時に右手の数珠を取り払った。 「風穴!!」 その声が響かせられるとともに開かれた風穴は凄まじい風を呼び起こし大蛇を吸い寄せていく。あれほど巨大な体であるにも関わらず、弥勒の風穴はいとも容易く無慈悲な闇の中へ大蛇を飲み込んでしまった。 その姿にかごめと七宝が「やった…」と声を上げたが、途端にはっと我に返り慌てて湖の方へと振り返る。 「そ、そうだ。彩音と太郎丸くんは… !」 「ったくこいつら無茶しやがるぜ」 かごめたちが振り返ると同時、湖から上がってきた犬夜叉がぼやく。その手には鉾と二人の姿があり、気を失ってはいるがどうやら無事らしいその様子にかごめたちは安堵の表情を浮かべた。 だが悠長にはしていられない。それを思ったかごめは犬夜叉から鉾を受け取り、あらかじめ床に降ろしていた水神へすぐさまそれを差し出した。 「水神さまっ」 「うむ」 かごめの声に短い返事をした水神は鉾の柄へとても小さな手を伸ばし、ぴと、と触れる。直後、突然水神の体がぐいんと伸び、かごめの身長さえも軽々と超えてしまうほど大きくなってしまった。 「よしっ」 どうやらこれが本来の姿らしい水神がそう呟く姿を、珊瑚と七宝が呆気にとられたような顔で見つめる。だが水神はそれに構うことなく未だ勢力を増し続ける竜巻へ足を向けると、強く天を突くように鉾を掲げてみせた。 「雲切り」 凛とした声を響かせたその瞬間、鉾を中心に大気が大きな波紋を広げる。すると暗く淀んだ雨雲や竜巻たちが瞬く間にサー…と散りゆき、眩い陽光が柔らかくもたくましく差し込んでくる。それに伴うように、湖が元の穏やかな姿へと静まり返っていった。 そうして今この瞬間まで荒れ狂っていたはずの光景がまるで幻であったかのように姿を変えた湖は、ただ安らかに、清く澄んだ水面を眩しく輝かせていた。
* * *
やがて太郎丸たちを村まで送り届けた一行は、清々しい陽光を浴びながら早くも次なる道を歩んでいく。幸い大きな怪我をした者はなく全員が自らの足で歩くことができていたのだが、その中でただ一人、未だ目を覚まさない彩音だけは犬夜叉の背に負ぶさられていた。 そんな彼女に、犬夜叉は呆れた様子で目を据わらせる。 「このバカ、毎回毎回無茶しやがって…」 「彩音さまなりに頑張っているのです。そう言わず、少しは褒めてあげなさい」 「こんな無茶ばっかされちゃ、こっちの身が持たねえっての」 弥勒の言葉に犬夜叉はぼやくよう返しながらふい、と顔を逸らす。そのまま再び背中の彩音を見やっては、“しょうがねえ奴”という思いとともにため息をこぼしてしまった。 するとそのため息をわざと別の意味に捉えたか、弥勒がにっこりと笑みを浮かべながら「さて犬夜叉」と声を掛け手を伸ばしてくる。 「そろそろ疲れたでしょう。彩音さまは私がお預かりしますよ」 「だーかーら、てめーに任せたらなにするか分かんねえって言ってんだっ」 「はあ。信用がありませんね」 「自業自得だろっ」 威嚇するように吠える犬夜叉に弥勒はやれやれと困った様子で首を振るう。 そんな時、彼らの騒がしさのおかげかようやく意識を取り戻したらしい彩音がゆっくりと顔を上げ、ぼんやりとしながらも不思議そうに辺りを見回し始めた。 「あ、れ…ここどこ…? 水神さまは…?」 「やっと起きたか。んなもん、とっくに終わってらあ」 不躾にそう言い捨ててしまう犬夜叉の言葉に彩音は「え?」と声を漏らして数回目を瞬かせる。どうやら状況の変化に頭が追いついていないようだが、対する犬夜叉はというとこきゅっ、と首を鳴らして思い出したかのようにため息交じりの声を漏らした。 「ったく、とんだ足止め食っちまったぜ」 「よいではないか。これも人助けです」 どこか不満そうな犬夜叉を宥めるように弥勒が言う。その言葉から水神の件が問題なく無事に終わったことを悟った彩音は安らかな安堵を抱いたのだが、同時に、その弥勒の周りにある見慣れないものに不思議そうな顔をしていた。 「ねえ弥勒。その馬と大量の荷物…どうしたの?」 つい気になって尋ねてしまう。というのも、どういうわけか弥勒は立派な馬に跨り、それに引かれる荷車に高価そうな品々が山ほど積み上げられていたのだ。 水神の件に関わる前にはこのような荷物などなかったはず。そう思って彩音がぱちくりと目を瞬かせながら弥勒を見れば、彼もまた不思議そうな表情を浮かべながら淡々と答えた。 「いえそれが、名主さまに、息子殿は立派な働きをなさったと…村の衆にもこと細かに伝えましょうと言ったら、なぜかこんなに…」 「お前それ恐喝だろ」 「絶対確信犯じゃん…」 抜かりない弥勒の行動に犬夜叉が驚き彩音が呆れるような表情を向けて言う。するとその前を歩く珊瑚がひどく冷めた目をして弥勒を見やりながら隣のかごめへ問いかけた。 「いつもこーゆーことしてんの?」 「時々…」 悪いことだと分かっているのだが助けになっているのも確かで、かごめははっきりと否定することができずに濁すような言葉を返してしまう。 その様子を見ていた彩音は自分も同じようにしか返せないな…と苦笑を浮かべていたのだが、不意に犬夜叉に担ぎ直されるよう揺られると、思い出したように彼の肩に掴まりながらその顔を覗き込んだ。 「ごめん犬夜叉、ずっと乗せてもらってるよね…もう自分で歩けるから降ろしていいよ」 「なに言ってんだ。どーせまだヘトヘトでまともに歩けりゃしねーだろ。いいから大人しく乗ってな」 「ダメだよ。犬夜叉の方が疲れてるでしょ」 これまで慣れない水の中などで散々ニセ水神と闘っていた犬夜叉だ。自身も襲われたり様々なことがあったとはいえ、犬夜叉の方が大変であったことは間違いない。 そう思って降ろすよう訴えたのだが、それでも犬夜叉は「けっ」と吐き捨ててしまうとぶっきら棒な様子で返してきた。 「言ったろ。おれとおめーとじゃ、体のつくりが違うんだ」 当然とばかりに言い切られてしまうその言葉。それは何度か言われたことのあるものだが、経験を重ねるたびにそれが事実であることを思い知らされていた彩音はむっ、と口を尖らせた。 「またそーゆーこと言う。ずるい」 「事実だろ」 そう返され、さらにふん、と小さく鼻を鳴らされた彩音は口を大きくへの字に結んでしまう。 犬夜叉は分かっているのだ。半妖と人間の力の差を引き合いに出されては彩音が反論に困るということを。だからこそわざとそう告げてきたのだと理解していた彩音はむすー、と頬を膨らませ、 「…仕方ないから言う通りにしてやる」 と不満そうに言いながら犬夜叉の髪に顔を埋めてやった。 するとそんな時、弥勒が空気を変えるように明るい声を上げる。 「さーこれを売っぱらってパーっと遊びましょう。彩音さまが頑張ったご褒美も買ってあげますよ」 「えっ、ほんと? じゃあ私、お腹減ったしお団子とか食べたいなー」 「いいでしょう。美味しい茶屋を捜してあげます」 「バカ野郎、先に進むんだよっ」 勝手に楽しげに盛り上がる二人へ犬夜叉が苛ついたように吠え掛かる。しかしそれでも二人は茶屋へ行く気満々で話を進めており、犬夜叉がそれを掻き消すように声を上げるそんな光景を、珊瑚たちは呆れたように見ていたのであった。

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