21

いつしか太陽が地に飲まれ、紺碧に染まる夜空に星々が煌めき始めた頃。一行を引き連れる少年は自身の身長よりも高く伸び生い茂る草むらを懸命に掻き分けながら進んでいた。 「生贄はお迎え舟で水神のところに運ばれる。だから舟の跡をつけて、水神が生贄を喰いに出てきたところをやっつける、いいなっ」 すでに作戦を練っていたようで、少年は一行に言い聞かせるようにしながら振り返る。だが背後では反物などの品々を腕の中いっぱいに抱え込んだ弥勒を中心になにやらわいわいわいと言い合いをしている様子。 「盗品じゃねーのかこれ」 「子供が持ってるよーなものじゃないもんね」 「いーじゃないですか」 「よかーないでしょ」 「聞いてるのかっっ!」 こちらに見向きもしないほどそっちのけで話し合う一行の姿に少年が吠え掛かる。どうやら犬夜叉たちは少年が差し出してきた品物について議論していたようで、少年の年齢と身なりにそぐわないそれを弥勒以外の全員が訝しんでいるようだ。 するとようやく少年に振り返ったかごめが距離を詰め、不思議そうな表情を見せながら言及した。 「ねえ、あんたどこの子?」 「……貴様らには関係なかろう」 妙な間を作った少年はどこか言いにくそうにはぐらかしながらふんっ、と鼻を鳴らして顔を背けてしまう。だがその直後、またも犬夜叉が彼の頭をばきっ、と容赦なく殴りつけた。 「言っとくけどな、まだ助けてやるとは言ってねーぞ」 「え゙」 冷めた表情であっさりと言い捨てられる言葉に少年の表情が固まる。どうやら彼は一行が水神退治を承諾してくれたものだと思い込んでいたようで、ざあ…と吹きつける風に虚しさを煽られるようわずかにたじろいだ。 しかし腕を組んで見下ろしてくる犬夜叉に怯んでなどいないとでも言うよう負けじと身を乗り出してみせる。 「い、急がんと…生贄どころか、村も滅びるかもしれんのだぞっ」 「え…?」 「あの生贄は…本当は…」 なにやら思いつめた様子で言いづらそうに言葉を紡ぐ少年。それを見ていた彩音は確信を抱き、少年の目の前まで歩み寄っては見定めるようにじっ、と顔を迫らせた。 「ねえ、あんたが本当の名主さんの子なんでしょ」 やっぱりと言わんばかりにそう言い切ってしまう彩音に少年はぎく、と大きく後ずさってしまう。すると犬夜叉が「ん~?」と唸りながら少年の顔を覗き込み、同様に弥勒までもがそれに続いた。 「言われてみれば眉の辺りがそっくりですな」 「でしょ」 「横柄なとこもなー」 弥勒の言葉に彩音が言えば呆れた表情を見せる犬夜叉が付け加える。 そう、二人の言う通りぼさぼさした逞しい眉毛と傲慢で横柄な態度があの時見た名主にそっくりであったのだ。そしてこの隠しようのないほど動揺が分かる反応。少年が名主の本当の子供であることはもう確かめるまでもなく明白だ。 恐らく、生贄の輿にいた子供は替え玉といったところだろう。それを一同が悟ったことを察したか、少年はどこか罰が悪そうに俯きがちに口にした。 「おれは名主の跡取りで…太郎丸という」 観念したように名乗った少年は俯くまま、曇った表情で語り始めた。それは、彼が水神退治に踏み切るに至ったことの顛末であった。 ――どうやら、あの村は突然水神に生贄を捧げろと告げられて以来、白羽の矢が立った家の子供を水神へ差し出していたようだ。そのたびに名主は生贄となる子供とその家族へ決まって告げていた言葉があったという。 「こらえてくれ村のためじゃ」 「なのに…いざおれに白羽の矢が立ったら…おれに身を隠せと…それで、使用人の子を身代りに立てて…」 「親バカと言いますか…」 「バカ親だな」 太郎丸から語られる話に弥勒と犬夜叉はため息をこぼしそうなほどひどく呆れ返った様子で言う。当然だ。そのような都合のいい話、誰が聞いても呆れるに決まっている。 同様に呆れて眉を下げていた彩音は目線を合わせるよう屈み込み、太郎丸の気持ちを尋ねるように言った。 「じゃあ太郎丸くんは、その子を助けたくて私たちのところに来たってことでいいんだね?」 「…友だちなんだ」 彩音の言葉に太郎丸は初めて弱気な表情を見せて呟く。それが彼の答えなのだろう。 恐らく彼はその使用人の子と仲が良かったのだ。しかしこのままではそんな友達を自分の身代わりとして失ってしまい、最悪の場合村ごと全てを失ってしまうかもしれない。 そんな太郎丸の不安な思いを悟った彩音が一同へ手助けを促そうとした時、不意に背後から珊瑚の毅然とした声が投げかけられた。 「で、舟はあるんだろうね。お代の分だけきっちり働きますよ、お客さん」 飛来骨を片手で担ぐ姿。それは知らぬ間に退治屋の戦闘服へと変わっており、以前同様に退治屋として仕事を請け負おうとしていた。その様子には弥勒も賛成のようで、どこか納得したように穏やかな笑みを見せて言う。 「これも人助けですな」 「……」 「もちろん行くでしょ、犬夜叉」 また人助けかと言わんばかりに黙り込む犬夜叉へ彩音が問いかける。すると犬夜叉はため息代わりに「けっ」と吐き捨て、やがて観念したように続けた。 「水神だか妖怪だか知んねーけど…人を喰う奴はたたっ斬るに限るな、行くぜ」 そう告げながら犬夜叉はザッ、と迷いなく足を踏み出す。その姿に笑みを浮かべた彩音は彼に続き、水神の居場所を知るという太郎丸の案内で湖へと向かった。 そうして一行は太郎丸が用意していた舟に乗り、変化した雲母に舟を引かれながら湖を渡っていた。最初こそはただの湖のようであったが、水神の社があるという中心へ向かっていくにつれて視界が悪くなっていく。 「霧が出てきたな…」 「そろそろ、なんか出そうな感じだね」 そう呟く珊瑚は雲母に跨りながら行く先を注視する。いつしか辺りの景色が隠れるほどの霧に覆われていたが、それでもなお進んでいれば次第に前方の霧の壁になにかの輪郭がボウ…と浮かび上がってくるのが分かる。 それを見た太郎丸は表情を強張らせながらわずかに身を乗り出した。 「水神の鳥居だ!」 「ふん、…てことは。あれが水神の棲み家か」 眉をひそめる犬夜叉が素っ気なく言い捨てる頃、一同の眼前に露わになったのは立派な鳥居と大きな社であった。まさか湖の中心にこのような社があるとは思いもせず、彩音とかごめは小さく息を飲むようにしながら徐々に近付くそれを見つめていた。 しかし、もう社に辿り着くというのに先に行ったはずの生贄の迎え舟が見つからない。それを思った弥勒が訝しむように眉をひそめながらぽつりと呟いた。 「生贄はすでに中に…?」 「いっいかん急げっ! 替え玉だということがバレる前に、助けなければ!」 焦燥感に駆られて声を荒げる太郎丸だが、次の瞬間なにかに気が付いたように「あ…」と声を漏らした。その視線の先には、門の両脇に立つ二人の男の姿。まるで蟹のような頭をしたそれらを目にした太郎丸は慌てた様子で途端に低く身を伏せた。 「いかん隠れろ! 門番だ」 「隠れてどーすんだよ」 「え゙」 太郎丸の指示も虚しく、目の前の犬夜叉は突然門番へ向かって軽々と跳躍する。太郎丸がそれに目を丸くさせるが、犬夜叉はというと門番に気付かれながらも構わず目の前へ降り立ち、即座に二人の顔面へ拳を叩き込んでいとも容易く気絶させてしまっていた。 その様子を見守っていた彩音とかごめが「さっすがー」「犬夜叉強ーい」と笑顔で拍手する目の前で、太郎丸はあまりにも一瞬すぎる出来事に「え…」と声を漏らし、呆気にとられるよう愕然とする。だが犬夜叉はそれに構うことなく、崩れ落ちる門番たちを蹴飛ばしてどこか厳しげに振り返った。 「行くぞ。急いでんだろ」 そう告げてくる犬夜叉の姿に太郎丸は息を飲む。そして意を決する間にも一行は社に舟をつけ、すかさず身代わりとなった子供を捜して社の中へと駆け込んでいった。 すると先ほどの物音を聞きつけたのだろう、水神の使用人らしき者たちが慌てた様子で駆け寄ってきて一行を足止めせんと襲い掛かってきた。だが魚類の頭をしたそれらに対した力はなく、一行は犬夜叉を筆頭にバキバキとそれらを殴り飛ばしていく。 「どけー、てめえら!」 次々と現れるそれらに怒号を上げた犬夜叉が武器を奪いながら容赦なく殴りつける。その背後では弥勒が錫杖、珊瑚が飛来骨、そして彩音が燐蒼牙を使って道を開かせるように殴り払いながら長い廊下を進んでいた。 その時、廊下の向こうから突然門番と同じ顔をした男たちが複数人一斉に駆け込んでくる。 「き、貴様らっ、ここは神域であるぞ!」 「やかましい!」 男の言葉に構うことなく振るわれた犬夜叉の拳がバキ、と音を立ててそれらの顔面に叩き込まれる。すると男が床に倒れ込んだ直後、その体が突然ブクブクと音を立てるほどの大量の泡となって消えてしまった。それと同時に力なく床へ広がる着物の中から、一匹の沢蟹が逃げるように這い出してくる。 「こいつら、殺すまでもないよ」 「ですな。皆、鯉や沢蟹の化身だ」 珊瑚に続くよう弥勒がそう言いながら魚頭の男を湖へ蹴落とせば、それは魔法が溶けるかのように瞬時にただの鯉の姿へと変わってしまう。水神の力によるものか、この湖の生き物たちはこうして姿を変えて水神に仕えているようだ。 それが分かっては無駄な殺生はせず、殴り飛ばすように散らしながら廊下を突き進んでいく。 するとやがて大きく開けた一室へと辿り着いた。そこへ足並みを揃えるよう駆け込めば、その部屋の奥に長く不気味に伸びた腕で子供の頭を掴み上げる荘厳な装いの男の姿を見つけた。 「てめえか人喰い水神は!」 ザッ、と足音を鳴らして立ち止まった犬夜叉が強く問い詰めるよう声を荒げる。その時、背後では一行の後ろから部屋を覗き込んだ太郎丸が「あ…」と目を見張るように短い声を上げた。 それに気が付いたのだろう、顔を掴み込まれる少年がヒビの入った仮面の奥からこちらを見つめて苦しげな声を小さく向けてくる。 「た…太郎丸さま…?」 「末吉!!」 「おや…お前。汚いなりをしてはいるが…名主の子ではないか」 咄嗟に友人の名を叫ぶ太郎丸を見据えながら、水神が薄っすらと怪しげな笑みを浮かべる。しかしその手が末吉を放す様子はなく、焦燥感に駆られた太郎丸がすぐさま身を乗り出そうとした。 「末吉を放せ、代わりにおれを…」 「おい。お前、なんのためにおれたちを雇ったんだ?」 途端に駆け出そうとした太郎丸の足が犬夜叉の不躾な言葉に止められる。同時に振り返ってみれば、その犬夜叉は水神へ向き直りながら眉根をきつく寄せ眼光を鋭くさせた。 「水神! てめえ本当は妖怪だろ! 本性見せやがれ!!」 ダン、と大きく音を響かせるほど強く床を蹴った犬夜叉は同時に鉄砕牙を抜きながら水神へ襲い掛かる。だが水神は怯むことなくすぐさま立てかけてあった棒状のものを握り、犬夜叉を迎え撃つよう凄まじい勢いで鉄砕牙をカカッ、と突き込んだ。 そのあまりの衝撃の強さに犬夜叉が「うっ!?」と声を漏らすと、彼の体は押し負けるように床へ転がってしまう。 次の瞬間、犬夜叉は目を見開いた。それは思わぬ水神の力の強さに負けたからではない。自身の手の中の鉄砕牙に起こった、確かな変化にだ。 「な… (鉄砕牙の変化が解けた!?)」 愕然とするままに見つめた鉄砕牙――それはどういうわけか、元の無力な錆び刀になっていたのだ。 今この瞬間まで、確かに牙の刀に変化していた。だというのに、ただの妖怪が変化を解けるはずがないというのに、いま目の前にある刀は確かに妖気を鎮められてしまっている。 一体どういうことなのか。信じがたい現象に目を疑いながら顔を上げれば、毅然と立ちはだかる水神の手に輝かしい鉾が握られているのが見てとれた。 「愚かな…妖怪ごときの刀が、我が神器“(あまこい)の鉾”に敵うと思いますか」 神々しさすら感じる鉾を握り締めながら水神は厳しく言い捨てる。すると犬夜叉はその様子に小さく歯を食い縛り、すぐさま鉄砕牙を鞘に納めて「なにをてめえ…」と声を上げながら再び水神へ襲い掛かろうとした。だが―― 「待て犬夜叉」 「な…」 咄嗟に犬夜叉の前へ身を乗り出してきた弥勒によって足が止められる。当然犬夜叉は不服そうな顔を振り返らせたが、「これはまずい」と口走った弥勒の顔には不安を示す汗が滲んでいた。 「見たところあの鉾は本物の神器です」 「それがどうした」 「分かんないの犬夜叉。神器を持ってるってことは…あの水神、本当に神様なのかもしれないんだよ」 弥勒の言葉にまるで理解が追いついていない様子の犬夜叉へ、彩音までもが険しい表情を浮かべながら補足する。だが犬夜叉は一同のそんな心境など構うことなく、むしろ一蹴するように「けっ、」と強く吐き捨てて言った。 「ここまで来てなにびびってやがる! こいつやってることは、妖怪と同じじゃねえか」 「馬鹿だね、神様ってのはヘタな妖怪より始末が悪いんだよ。怒らせるとあとあと祟るんだから」 「そう…闇雲に闘うのは危険ということです」 なおも力任せの解決に踏み切ろうとする犬夜叉へ珊瑚と弥勒が表情を硬くしながら言い聞かせる。一同としてはできる限り穏便にことを済ませたいのだろう。 しかし犬夜叉はそれでもやはり納得がいかない様子を見せており、同様に、眼前の水神がどこか人間離れしたその顔に微かながら胡乱げな笑みを浮かべていた。 「もう遅い…」

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