19

「お前が自分で選んだんだ。人の首で作った薬を飲むくらいなら、死んだ方がマシだってな…」 犬夜叉の足元に広がる薬とやらを見やりながら挑発するように桃果人が言う。それに対し、犬夜叉は強く眉根を寄せた表情のまま「けっ、」と馬鹿にするよう吐き捨てた。 「誰が死ぬって言った。おれはなあ、そんなもの飲まなくたって…てめえなんかに負けねえっ!」 そう言い放つと同時、桃果人へ襲い掛からんと勢いよく駆け出してみせる。すると「おもしれえ!」と声を上げた桃果人が強く杖を振るい、長い棘を持つ大きな蔓たちを犬夜叉へ差し向けた。 「くっ」 大きくうねるそれから頭を守るように腕で受け流し、血飛沫を上げながらも必死に距離を詰めていく。そして蔓の隙間を縫うよう身をかわし強く床を蹴った直後、桃果人が掲げる杖を両手でしかと掴み込んだ。 だがその瞬間桃果人の岩石のような腕が振り下ろされ、首裏付近に非常に重い衝撃を与えられた犬夜叉は容赦なく床へと叩き付けられてしまう。 その姿にかごめが身を乗り出すほど顔を強張らせた。 「犬夜叉!」 「無理じゃ人間の体では。弥勒っ、風穴を…」 「すでに開けてますが…この体では引っ張るのが精一杯!」 そう言葉をかわす弥勒が封印を解いた右手を掲げているが、「細かいゴミは吸い込んどるが」と話す七宝の言葉通り、それは埃などの細かいゴミを吸い込む程度で桃果人の邪魔をするには至らない様子。弥勒自身が小さくされてしまっているため、同様に小さくなった風穴も威力が激減しているのだ。 早く誰かが加勢しなければ、このままでは本当に犬夜叉が命を落としかねない。そう焦りに見舞われた彩音が唇を噛みしめ、意を決するように強く燐蒼牙を握り締めた、その時だった。 「あ…彩音、あれ!」 「! 弓…!!」 なにかに気が付いたようにかごめが指を差した先、そこには蓋が外れた木箱からその身を覗かせる立派な弓があった。 弓矢なら破魔の矢が使えるこちら側にも勝機があるはず。そう考えた彩音とかごめは途端に顔を見合わせて頷き、すぐさまその弓の元へと駆け出した。 犬夜叉が抑え込まれているためか、蔓はその動きを止めている。その隙に弓の元へ辿り着けば、かごめが木箱から取り出したそれを握り締めて矢を拾おうとした。 その時、すぐ傍で壺ごと倒れ込む仙人の首が諦めを含んだ弱々しい声を向けてくる。 「無駄な…ことを…あの桃果人は…弓矢ごときでは死なぬ…」 「倒すわよ、絶対!」 虫の息に等しい声で告げる仙人へかごめが一蹴するよう強く言い返す。そうして矢を手にしたかごめは握りしめた弓矢を構えるようにして立ち上がった。 「桃果人!!」 「ん~?」 強く名を叫びながら矢を引き絞れば、その声を向けられた桃果人が緩慢な動きで顔を上げる。見れば桃果人は蔓の上に押さえつけるよう犬夜叉の首を掴み込んでおり、人間である犬夜叉ではいつ殺されてもおかしくない状況であった。 それにひどく焦りを増した彩音は、ただ祈るようにかごめを見つめる。 その視線を一身に受けながらキリキリキリと細い音を鳴らすかごめの姿。それを目の当たりにした仙人の首は驚いた様子で目を丸くした。 「(弓矢から破魔の気が…この娘…)」 なにかを悟ったようにその目に希望の色を滲ませる。そんな仙人の視線の先で突如、バキ、と嫌な音が響いた。それに思わず顔をしかめたかごめが「え…!?」と声を漏らした――次の瞬間、構えていた弓が中心から弾けるよう真っ二つに折れてしまった。 「あ… (な…なにこれ)」 呆気なく爆ぜてしまった弓の残骸を呆然と見つめる。同様に状況が飲み込めず顔をしかめる彩音がその姿を見つめていれば、「へへへ、悪いなあ」と愉快げに呟く桃果人の声が向けられた。 「弓の手入れなんぞ全くしてねえからな」 「(そ…そんな)」 「もっとも、この体を矢で射抜けるはずねえけどな。待ってな姉ちゃんたち、この半妖をなぶり殺したあとで、ゆっくり喰ってやるからよ」 唯一と言っても過言ではないほどの希望が失われ涙を浮かべるかごめに、桃果人は追い打ちをかけるよう下劣な笑みを向ける。その姿にギリ…と歯を鳴らした彩音がかごめをかばうように背後へ隠した、その時、不意に犬夜叉の掠れた小さな声が漏らされた。 「くっ…いい気に…なってんじゃねえっ!」 怒りを込めるよう手元の蔓の棘をむしり取ってはそれを勢いよく桃果人の左目へ突き込んでみせる。どうやら眼球までは岩のようになっていないらしく、不意を突かれた桃果人は短く悲鳴を上げ、深く穿たれた眼窩から真っ赤な血を溢れさせた。 「てめえ!」 「!」 すぐさま棘を抜き目元を押さえた桃果人が怒りに任せて犬夜叉の腕を叩き付けたその瞬間、ボキッ、と鈍くも凄まじい嫌な音が鳴り響く。そのあまりの衝撃に息が止まるほどの激痛を迸らせたそこは、ズル…と力なく垂れ下がるほど無残な有様へと変えられていた。 「(腕が…折れた…?)」 激痛をまとい、力を入れることも叶わない腕に犬夜叉の表情が歪む。その姿に焦りを深めるかごめが弾かれるよう彼の元へ駆け寄ろうとするが、前に立っていた彩音が咄嗟にその手を掴んで足を止めさせた。 「待ってかごめ! 武器もないかごめじゃ…」 「必ず桃果人を仕留めてくだされ…」 「「え…!?」」 突如彩音の声を遮るように向けられた声。それに耳を疑うよう振り返れば、傍で転がる弱り切った仙人が細い目で縋るようにこちらを見つめていた。 「どうか…わしや喰われた者たちの無念を…」 か細い声でそう言い残し、仙人は大きな花びらをボロボロと散らしながらその頭を小さくしていく。そうして残された幹はしっかりと弦の張られた弓へ姿を変え、一本の矢まで生成してくれていた。 (おじいさん…私たちのために最期の力を…) 懇願するような彼の姿を思い返しながらそれを拾い上げる。彼なりの罪滅ぼしだろうか――消えてしまった今ではそれを確かめることはできないが、彩音はその思いを受け取るように、そしてありがとうとお礼を伝えるようにそれらを強く握りしめた。 仙人はきっとかごめの破魔の力に希望を託したのだ。それを悟ってはすぐさまかごめの方へ向き直ろうとするが、その時、蔓の向こうで桃果人が弱る犬夜叉の胸ぐらを掴み上げる姿が目に留まった。 「バラバラにしてやる…」 「犬夜叉っ…」 絶体絶命とも思える状況に胸の奥が冷えるような錯覚を抱く。それと同時、「彩音!」と声を上げるかごめに振り返れば、縋るような瞳で強く頷きを見せられた。 “お願い”、そう伝えるように。 それを受ける彩音は自分が仙人の思いに応えられるのかという不安をよぎらせるが、すぐに気を引き締めるよう頷き、みんなの思いを無碍にしないという決意を込めて弓矢を構えた。 (やらなきゃ…私がやるんだ) 自身へ言い聞かせながら意識を集中させる。 その瞳が捉えたのは、桃果人の背中にまで透けて見える淡い光。それこそが四魂のかけらだと確信を得ると同時に勢いよく矢を放った。すると矢は破魔の気をまとって一筋の光を描きながら桃果人へ迫り、直後、その背中へ凄まじい音を響かせて直撃してみせる。 岩石のように固い体を貫くことはできなかったが、焼くように着物を焦がし薄い煙を上げさせるその一撃は、桃果人に確かな異変を引き起こした。へその窪みにしかとはめ込まれていた四魂の玉が、ボコッ、と押し出されるように顔を出し、ついには桃果人の腹から外れて転がったのだ。 「(四魂のかけらが押し出された!?)」 「あ…」 犬夜叉が目の前で起きた異変に目を見張る中、突如彩音の手の中で弓が砂のようにボロボロボロと崩れて消え始める。恐らく役目を果たしたということだろう。 しかしそれに視線を落とすも束の間、 「女あっ!」 そう声を荒げた桃果人が犬夜叉を殴り飛ばしてこちらに振り返ってくる。その姿は怒りに満ちていることが明白で、たまらずビク、と肩を揺らした彩音は怯むように足を引いた。直後、桃果人は辺りに張り巡らせた蔓たちをバキバキと激しく破壊しながら「よくもっ…」と声を上げ、凄まじい勢いで彩音へ迫りくる。 四魂のかけらを失ったことで体が元に戻り始めているにも関わらずその速度は圧倒的なもので、彩音がわずかに怯んだ隙に視界を埋め尽くさんばかりの距離まで迫ってきていた。 もう逃げるには遅い。ならばせめて刺し違えてでも…そんな思いをよぎらせた彩音が咄嗟に燐蒼牙を掴み込んだ――その瞬間、突如犬夜叉の力強い声が響かされた。 「伏せろ彩音ーっ!」 犬夜叉の決死の声。それに目を見張った彩音は咄嗟にその言葉通り身を伏せんと床へ倒れ込んだ。それと同時に、桃果人の体が大きく前傾する。 その瞬間彩音の目に映ったのは、桃果人の背中に渾身の力で体当たりをする犬夜叉の姿。だがそれに気が付いた時には桃果人の大きな体が壁を突き破り、深い闇を湛える崖の方へ彼が桃果人もろとも投げ出されていた。 「あっ…いやっ、犬夜叉っ!」 「! ダメよ彩音っ」 「だって犬夜叉がっ…犬夜叉っ! 犬夜叉ーーっ!!」 あとを追って飛び降りようとする彩音を咄嗟にかごめが引き止めるが、それでも悲鳴に近い叫び声を上げる彩音は遠ざかる犬夜叉へ必死に手を伸ばす。 しかしそれが届くはずはなく、伏せがちな目でこちらを見つめる犬夜叉の体は、桃果人とともに谷底の無慈悲な闇の中へと向かっていた。そしていつしか体の全てが元の柔らかなものに戻った桃果人から温度のない目を向けられる。 「ざまあみろ、てめえ…死ぬぜ」 「かもな…」 最期まで嘲るような言葉を吐く桃果人に、犬夜叉は否定することもなく短い言葉を返す。このまま地面に叩きつけられれば、人間である今の犬夜叉は間違いなく即死するだろう。 それが分かっていても犬夜叉は抵抗する様子も見せず、ただ小さくなる彩音の姿を見つめ続けていた。 「(それでも…彩音が生きているなら…)」

prev |4/5| next

back