18

桔梗が生きていることを知って数日。一時は関係がこじれるかと思われた一行はこれまで通りの落ち着きを取り戻し、再び元の旅路についていた。そして様々な村や山、峠をも越えて歩き、辿り着いた廃墟の門前に腰を落ち着けて、ここで一夜を過ごそうと焚火を用意する。 「おめーら、同じ着物着てて間違わねえのか?」 早々に焚火を設え、彩音とかごめが晩御飯のカップ麺はどれにしようかとリュックを覗き込んでいた時、唐突にそんな言葉を向けてきたのは不思議そうな顔をする犬夜叉であった。そんな彼に二人は揃ってぽかんとした表情を向け、彩音が言う。 「急にどうしたの?」 「前から気になってたんだ。一緒に風呂入ったりもするのに、同じ着物で間違わねーのかって」 本当に不思議そうに問うてくる犬夜叉の様子に二人はぱちくりと目を瞬かせると、お互いをじっくりと観察するように顔を見合わせた。かと思えば、やはり変わらない様子で犬夜叉に向き直る。 「確かに見分けがつくほどの違いはないけど、意外と間違えないわよ」 「まあ間違えたところで支障があるわけじゃないし、特に気にしたこともないかな」 「そんなもんなのか」 「「うん」」 少し意外そうな犬夜叉に声を合わせて言えば彼はふーん…とこぼし、未だ不思議そうな感覚を残しながらも納得した様子を見せる。 事実、二人の制服はサイズが変わらずこれといった違いもない。だが自分の制服は感覚的なものや一緒に置いている下着などによって区別がつくため、並べて置いていても特に問題はないのだ。 そのため今まで特別気にしたことはなかったのだが、犬夜叉にこうして問われてはなんとなく考えを改めてみるのもいいかという気持ちになってくる。 もちろん間違えたところで支障はない。だが毎日洗濯ができるわけでもなく、それを思えば間違って人に着られてしまうのは恥ずかしい気もした。 それを口にしてみれば、どうやらかごめも同じことを思ったようで。いい機会だからと思い立った二人は、すぐに制服を区別できる方法がないかと思案し始めた。 そうして、なにかを思いついたらしいかごめがぱん、と手を合わせる。 「そうだ彩音。お互いどこかに印を入れてみるのはどう?」 「私はいいけど…かごめは学校があるし、さすがに怒られるんじゃない?」 制服を勝手に改造するなど、現役の学生にとってはかなり厳しいことだろう。それを思って忠告すればかごめは遅れて理解したようで、「それもそうね…」と呟きながら閃きの笑顔を乾いた笑みにしてしまった。 「…そうとなると、あたしの制服にはなにもできないわね…」 「こればっかりは仕方ないよ…印は私の制服だけにしよ。片方違えば十分なんだし」 自身の制服を指差しながらそう提案するとかごめは「彩音がいいなら」と納得してくれる。問題はどこになにを施すかだが、乗り気なかごめに任せてしまえばそれもあっという間に決まって、彼女はすぐさまリュックの中を漁り始めた。 「あった。はい、ソーイングセットとワッペン」 (ソーイングセットはまだしも…ワッペンまで持ってきてるんだ…) 笑顔で平然と差し出してくるかごめの姿に彩音は呆気にとられるような思いを抱いてしまう。いつかも思ったように、やはりかごめのリュックは四次元ポケットのようだ。 なんて、彼女の万全な準備態勢に感心さえ抱きながらそれらを受け取り、自分たちの前に並べる。決まったのは制服の後ろ襟の端に小さなワッペンをつけるということ。ここなら悪目立ちもしないだろうという判断らしい。 問題はそのワッペンをなににするかだ。それを決めようとした二人は興味を持った弥勒と七宝も加えて盛り上がり、腹が減ったと文句を言ってくる犬夜叉にご飯を催促されながら賑やかな夜を過ごしていった。 * * * 「なにい~また国に帰るだあ~?」 不満げな様子をありありと示した犬夜叉の声が木霊する、昼下がりの崖の谷間。そこに伸びる川辺で休憩をしていた最中、朝からどこか落ち着かない様子を見せていたかごめがとうとうその胸のうちを明かしたようだ。 それは先ほどの犬夜叉の言葉通り、現代に帰りたいとのこと。 どうやらかごめは昨晩、数学のテストで満点をとって盛大に祝われる夢を見たのだという。しかしそれが夢だと分かっては落ち込み、同時に現実のテストへの危機感を抱いてしまったため、こうして犬夜叉に頼み込んだのだ。 だが相手は頑固な犬夜叉。当然大人しく応じるはずもなく、彼はかごめへ吠え掛かるように反論の声を上げた。 「てめえ、まだそんなこと言うかっ」 「だって大切な模試なんだもんっ。お願い三日間だけっ。予習もしたいしー」 かごめも引き下がるわけにはいかないのだろう、手を合わせてまで懸命に縋るよう頼み込んでいる。しかし理解してくれない犬夜叉は「お前そんっなに“てすと”が好きなのかっ」と声を上げ、かごめは咄嗟に「好きなわけないでしょー!」と否定の声を上げながら対抗していた。 そんな二人のやりとりを川から眺めるのは彩音と弥勒。二人は岩の上で川を覗き込む七宝とともに昼食用の魚を捕ろうとしていたのだが、傍で騒がしく言い合う二人に気が付いてはぼんやりと言葉を交わしていた。 「かごめさまもなにやら大変そうですな」 「かごめにはあっちの生活もあるからね…」 「ずっとこっちにいた方が楽じゃろうになー」 岩の上から細い枝で魚をつつこうとする七宝が心底不思議そうにそう言う。 かごめがどのような世界でどのような生活を送っているのか知る由もない七宝にとって、何度も何度も時代を行き来するという苦労を続けることは理解できないようだ。もちろん彼のその気持ちも分かるのだが、かごめの気持ちや事情も理解している彩音はどう説明したものかと困り、つい苦い笑みを浮かべてしまった。 「仕方ないよ、簡単に切り捨てられることでもないし…って、ちょっと弥勒。どさくさに紛れて足を触るな」 「おや、気付かれましたか」 「気付かないわけないでしょ」 あるはずのない変な感触にすぐさま振り返った彩音がじろ、と睨みながら指摘するが、その脚へ手を伸ばす弥勒は平然とした様子を見せる。それどころか撫でる手を止めることなく、濡れないようギリギリまでたくし上げたスカートのすぐ下まで手を滑らせてきた。 そこは普段人に触れられることのない場所。そこを躊躇いなく撫でられる感触に、彩音は思わず「ひゃあっ!?」とか弱い悲鳴を上げて体をぞわりと震わせた。 「やっ、やだ、ちょっと…くすぐった…や、やめてってばっ…」 「いやはや、普段とはまた違った可愛らしい声で…ふむ。これはもう少し聞いていたいものですな」 「なに変なこと言って…いっ…いい加減やめんかこのバカ!!」 ごすっ。 堪能するようにしつこく撫で続ける弥勒へ思い切りチョップを食らわせる。すると見事にクリーンヒットさせられた弥勒はふらりと体を傾け、そのまま川の中へ派手に倒れ込んでしまった。 それと同時に弥勒の行動に気が付き怒鳴りつけようとした犬夜叉が駆け寄ってきて、慌てた彩音が助けを乞うように犬夜叉へ縋りつく。だがその彼の向こうからはまだ話が終わっていないと抗議をするかごめが駆け寄ってきて、散らばっていた騒がしさがあっという間に一点へ集中しまとまりがない状態になってしまっていた。 そんな一同の様子を眺める七宝は呆れたように首を横に振るった――その時、なにかが上流からゆったりと川の流れに沿って流れてきていることに気が付き「ん゙?」と声を漏らした。 「なにか流れてくるぞ」 「あれは…」 「く、首…!?」 七宝の声に釣られるよう視線を向けた一同がそれぞれ驚愕の表情を見せる。 その言葉通り、七宝が見つけたそれは人間の生首であった。武士なのか、まげを結うためであろう長い髪で黒く波を描くその首はいずれも男の顔。それを見据えていた弥勒が「川上で戦でもあったのでしょうか。ご供養を…」と言いながら自身の元に流れ着く首へ手を伸ばした。 その時―― 「ん!? この首…」 「な、なに!? なんかやばいやつ…!?」 突然顔をしかめるようにして漏らされた訝しげな声に彩音が怯えながら問いかける。すると弥勒は不思議そうな視線を向ける犬夜叉たちの元へ歩み寄り、その足元へ拾い上げた首を二つ並べ置いた。 「本当に人間の首でしょうか。斬った傷跡が…全くない…」 まるで眠っているようなその首の下方を覗き込むが、弥勒の言う通り、確かにそこには傷ひとつ見当たらない。それどころか初めから頭部以外の部位など存在しないかのように、顎の下はまっさらな皮膚に覆い尽くされていた。 そんなあり得ない状態の首を前に、一同は取り囲むよう座り込んで訝しげに眉をひそめてしまう。 「作りもの…?」 「…にしてはリアルすぎない…?」 「いや…作りものとは思えません」 「間違いねえ。この首…人間の匂いだ」 訝しみながらもそれだけは断言してしまう犬夜叉の言葉に全員が黙り込みしーん、と静まり返ってしまう。かと思えば次の瞬間、かごめが突然勢いよく手を合わせ、ぱん、と乾いた音を響かせた。 「よしっ。調べに行きましょう」 「ん゙? 帰るんじゃなかったのか」 「どうせ気になって勉強が手につかないもん」 不思議そうに問いかけてくる犬夜叉へそう返すかごめは大きなリュックを背負い込みながら川上へと体を向ける。それは彼女だけでなく弥勒と彩音までもが同じ考えのようで、すぐに足並みを揃えてはすたすたすたすたと足早に歩き始めた。 「やっぱり妖怪のしわざかしら」 「ええ、四魂のかけらを使っているかもしれません」 「そうだとしたら、また厄介なことになりそうだね」 一切振り返ることもなく言葉を交わしながら先を急ぐ三人。七宝までもがそれについていく中、あっという間に置き去りにされた犬夜叉は不満げに顔を引きつらせながら同様に足早で追いかけ吠え掛かった。 「こらっ、てめえらおれを無視するなっ」 「ぐずぐずしないで急いでんだから」 「かごめの勉強時間がなくなるでしょ」 「さっさと片付けてしまいましょう」 まるで先ほどまでとは立場が逆転したような状況。犬夜叉はそれに口元をひくつかせるまま、すたすたすたすたと早足で歩いていく三人の背を必死に追い続けていたのであった。 * * * 濃霧が漂い虚しく風が吹き抜けていく岩山――そこに一件の風変わりな屋敷があった。そこから一秒でも早く遠ざかろうと、必死に息を切らせ岩山を駆け下りる一人の男の姿が深い霧の中に浮かび上がる。 「はあ。はあ。だ…騙された! あいつは仙人なんかじゃねえっ! こんな恐ろしいところ早く逃げ…」 恐怖に青ざめる男が思わず声を詰まらせて目を見張りながら立ち止まる。その原因は前方の霧の向こうから現れた大きな影だ。ズシ…と重く鈍い足音を響かせるそれは男のようで、丸々と太った巨体を徐々に立ち竦む男へ迫らせていく。 それを目にした男がひどく体を震わせる中、草の蔓が絡んだ杖を手にする大男は光のない不気味な目で彼を凝視した。 「どこに行く…? せっかく弟子にしてやったというのに。日照りや飢饉でひもじい思いをして、あげく戦に駆り出されて、虫ケラのように死ぬのは嫌だと…もうこの世に愛想が尽きたと言うから、仙人にしてやろうと思うたのに」 「こ、ここで見たことは誰にも言わん…だから…」 ギチギチギチギチと生々しい音を立てながら開かれる口に尖った牙のような歯が姿を見せる。その様子に怯えた男が震える声で命を乞い後ずさろうとすれば、大男はズシ、と足音を響かせて一層近付いた。 ――次の瞬間響き渡ったのは、男の断末魔のような悲鳴となにかが無造作に折られるような不気味な音の数々。 「馬鹿な男だな。仙人になれば長生きできたのに」 そう呟く不気味な大男はボリボリと音を立て、人間の細った腕を貪っていた。先ほどまで目の前で命乞いをしていた、男の腕を。

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