15

――戦国時代。狼野干に襲われてから三日の時が流れた頃、暗く闇を落とした夜更けに村の外れの小屋から「開けろ! 開ーけーろーっ!」という犬夜叉の荒々しい声が上げられていた。それと同時に、何枚もの札を張られた戸を激しく蹴り付ける鈍い音まで何度も鳴らされる。 「無駄じゃ犬夜叉。この小屋には妖怪封印の札がしこたま貼ってある」 「なんでおれが封印されなきゃなんねーんだ! 奈落を捜してぶっ殺す! 開けろっ!」 小屋の中、詰まれた俵の上で呆れた様子を見せる七宝の傍。そこで火鼠の衣を脱がされた犬夜叉が後ろ手に縛られた状態で怒りを露わにしながら絶えず抵抗するように小屋の戸を蹴り続ける。 どうやら彼は弥勒たちによって強引に封印されたらしく、納得がいかないためにずっとこうして反抗しているようだ。 そんな彼がもう一度強く戸を蹴り付けようとしたその時、犬夜叉の背後から覚えのある少女の声がした。 「お願い犬夜叉、大人しく寝てて。まだ傷口が塞がってないんでしょ」 「彩音っ…」 突然あるはずのない声に振り返ってはドキ…と胸を高鳴らせる。どういうわけかそこに、心配そうに目を潤ませた彩音の姿があったのだ。 しかしその口調にわずかな違和感を抱くと同時、手を組んで「一緒に寝ててあげようか?」と寄り添ってくる彩音の尻にぱたぱた揺れる柔らかそうな尻尾を見つけてしまった。それはひどく見覚えのある、丸い尻尾。 「七宝てめえ…」 いるはずのない彩音の正体に気付いた途端、犬夜叉の表情がすうっ、と温度を失くし白い目をした。その直後―― 「なに怒っとんのじゃーい!」 「二度とそーゆーもんに化けるなっっ!」 疎ましげに声を荒げながら変化が解けるほど強くどかどかと七宝を蹴り付ける。恐らく七宝なりの厚意のつもりであったのだろうが、どうやら効果がなかったどころか、むしろ彼の逆鱗に触れてしまう結果となってしまったようだ。 そうして犬夜叉がひとしきり七宝へ思い知らせた頃、どれだけ蹴ってもびくともしなかった戸が不意に開かれ、その向こうから弥勒と小さな壺を抱えた楓が姿を現した。 「犬夜叉、また暴れているのですか」 「あっ、弥勒てめえっ!」 「せっかく封印してもこの有り様では…」 姿を見るなり途端に吠え掛かる犬夜叉へ弥勒が呆れたように呟く。しかし犬夜叉もその言葉を大人しく聞く気はないようで、途端に「ここから出せっ!」と声を張り上げながら体を起こそうとした――が、両手を縛られている犬夜叉は呆気なく弥勒の錫杖にぎうっ、と抑えこまれてしまう。 「楓さま、封印のお札を戸に…」 「あい分かった」 手慣れた様子の二人の連携により犬夜叉の目の前で戸は再び封印されてしまう。やはりどうあってもこの小屋から出す気はないのだろう。それを味わわされた犬夜叉はようやく観念したようで、縄を解かれるなり楓の指示で体をうつ伏せにした。未だ治らない背中の傷に薬を塗るためだ。 同時に、弥勒が犬夜叉へ言い聞かせるよう語り掛ける。 「まだ無理です犬夜叉。焦る気持ちは分かるが…まずは完全に傷を治すことです」 「そうだよ。犬夜叉、お前とて奈落を甘く見ておるわけではあるまい。だからこそ…彩音とかごめを井戸の向こうに逃がしたのだろう」 諭すように、囁きかけるように向けられる楓の言葉。それに犬夜叉は声こそ返さなかったが、白いその耳をピク…と震わせていた。 それに事実だと悟ったのだろう。犬夜叉のすぐ傍に座る七宝が“犬夜叉…そうじゃったのか…”とどこか申し訳なさそうな表情を垣間見せる。 対して弥勒は至極真剣に、そして険しい表情で犬夜叉を見据えていた。 「私とて無駄に命を落としたくない。そのためにはお前に早く元気になってもらわねば困ります」 「けっ、なに弱気なこと言ってやんでえっ! だからおれは、今からでも闘うっつってんじゃねえかっ!」 痺れを切らしたように勢いよく体を起こす犬夜叉が反論の声を荒げる。その鬼気迫る表情が彼の気概を表してはいるが、腹部に巻かれた包帯には血が滲んでおり未だ回復していないことは明白であった。そんな姿を見せられた弥勒は「犬夜叉…」と呟き、突然その表情に朗らかな笑みを浮かべてみせる。 「今は大人しく寝ていなさいと…何度言ったら分かるんだ、このボケ!」 突如態度を豹変させてどかどかと容赦なく犬夜叉を蹴り付けてしまう弥勒。そのあまりの豹変ぶりに思わず冷汗を浮かべて目を丸くしてしまう七宝の傍で、楓だけが落ち着いた様子のまま「これこれ、また傷が開くぞ」と咎めの声を向けていた。 ――夜が一層深まり、犬夜叉と七宝だけが残された小屋の中。火鼠の衣の上に横たわる犬夜叉の隣で、それに背を向けられる七宝が座り込んだまま天井を仰いでいた。それは隙間から漏れる月明かりを見つめながら小さく呟くような声を漏らす。 「犬夜叉…」 「なんでい」 「彩音たちは今頃どうしてるじゃろ…」 静まり返った夜に寂しげなその声がはっきりと響く。それを耳にした犬夜叉はわずかに眉をひそめ七宝の方へ目を向けるが、まるでそれを掻き消すかのようにすぐさま呆れの様子を見せ、素っ気なく言い捨ててやった。 「しつけーガキだなおめーは。あいつらのことはもう忘れろ」 「……」 もう関わることはない。そう言い切るような犬夜叉の言葉に七宝は深く俯いてしまう。まだ幼い彼にはあまりに受け入れがたいのだろう、その表情はいまにも泣き出してしまいそうなほどひどく悲しげであった。 しかし、それは七宝だけではない。 「(どこかで生きていればそれでいい。女が死ぬのはもう嫌だ)」 人知れずそのような思いを抱く犬夜叉もまた、真剣でありながらどこか儚さを感じる切なげな表情を見せていた。その脳裏に浮かぶのは自身が封印されたあとに死んでしまった桔梗の姿。同時にかごめが、そして彩音の姿まで甦り、記憶の中の彼女は明るく優しい笑みを浮かべてくる。それが失われるかもしれないと思うと、胸がひどく締め付けられるような嫌な感覚に見舞われて小さく唇を噛みしめた。 「(彩音には不死の御霊がある…でも、それはやっぱり美琴のものだ。もし不死の力が彩音に働かなかったら……彩音が死ぬなんて、おれは絶対に嫌だ。そんなこと…考えたくもねえ)」 考えれば考えるほど嫌な光景がよぎりそうになり、自身の小袖をグ…と握りしめる。 彩音は“自身には不死の御霊がある”と口にすることがあるが、不死の御霊は美琴に授けられたものだ。例え同じ体であろうと、彩音にもその力が必ず作用するという確証はない。彼女の無事を、保証するものはないのだ。 それを嫌というほど考えてしまう犬夜叉は思考を閉ざすように強く目を瞑り、身を縮ませるようにして無理にでも眠りにつこうとした。 ――しかし、落ち込んでいた七宝さえ安らかに寝息を立てるようになった頃、自身の咳で目を覚ました犬夜叉は何度も大きく咳き込んでいた。痛みを伴うそれは口元を押さえる手の隙間から鮮やかな赤を噴き出させる。その手に視線を落としてみれば、生々しいまでの血が手のひらを大きく染めていた。 「……殺生丸の爪の毒が…まだ腹ん中に残ってやがるのか。傷の治りも遅いわけだ。ちくしょう…」

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