13

ゴオオォ…と風の唸る音が強く響く。空気が張り詰めるほどの嫌な緊張に包まれる中、向けられた鉄砕牙は鈍い輝きを放っていた。 「犬夜叉よ、鉄砕牙のサビになれ…」 「ちくしょう…」 たまらず小さな声を漏らす犬夜叉は掲げられた己の刀に眉根を寄せてバキッ、と指を慣らす。 応戦する覚悟ならできている。だが先ほどの凄まじい破壊力を向けられればひとたまりもないことは明白で、いまはただ相手の様子を窺うよう息を飲み睨み付けていることで精一杯であった。 ――しかし、同様の思いを抱いた彼女は咄嗟に立ち上がる。 「犬夜叉が殺されちゃう!」 「なっ…待ってかごめ!」 声を上げるとともに突如岩陰から飛び出してしまうかごめ。それに驚いた彩音は彼女を止めるべく咄嗟に駆け出し、背後で弥勒と七宝が呼び止めるような声を掛けてくるのにも構わずかごめを追いかけた。 だが当のかごめの足は止まらず、彼女は誰にも追いつかれないまま犬夜叉の元へと駆けつける。 「やめて!」 「な゙っ…かごめ…」 突如両手を広げてかばうように目の前へ立ちはだかったかごめの姿に犬夜叉が愕然と目を見張る。それとは対照的に、かごめの強い視線を向けられる殺生丸は大きな反応を示すことなく、覚えのあるその姿に「ん…?」と小さな声を漏らした。 「貴様、あの時の小娘。一緒に死にに来たか? 麗しいな」 「え゙」 「わ゙ーっ! ダメダメっストーップ!」 殺すことに躊躇いはないと言わんばかりの殺生丸の言葉にかごめが顔を引きつらせると同時、とんでもなく慌てた様子の彩音が全速力でかごめの前に立ちはだかり、両手をばたばたと上下するように広げて殺生丸の意識を犬夜叉たちから逸らそうとした。 しかしそれも束の間。不意に二人の首根っこが掴み込まれ、犬夜叉が前へ出るのに伴ってぐい、と背後へ追いやられてしまった。 「どいてろおめえら。殺生丸は、女殺すことなんかなんとも思っちゃいねえ」 「で、でも私は大丈夫というか…たぶん私、死なないと思うよ」 自分たちをかばおうとする犬夜叉を止めるようにして彩音がそう口にする。 確かに彼女は殺生丸との約束とやらでそう簡単に殺されることはないであろう。そして“たぶん死なない”と言ったのは、恐らく美琴の不死の御霊のことを思っての発言だ。それはすぐに察することができたのだが、だからこそ犬夜叉は途端に振り返り、彩音の鼻先へ人差し指を突きつけながらくわっ、と強く大きく迫ってみせた。 「ばかかおめーはっ! そんなもん試してもねーのに信じてんじゃねえっ。もしおめーに効果がなくて、そのままぽっくり死んじまったらどーすんだっっ。大体なあ、おめーはもっと自分を…」 「もう黙っていられませんな」 「ん゙!?」 犬夜叉が彩音へまくし立てていた最中、その声を遮るようにして目の前に立ちはだかったのは錫杖を構える弥勒であった。すると三人同様、弥勒の姿を目の当たりにした殺生丸がほんの微かな反応を見せる。 しかし表情に現れないそれに一同が気付くはずもなく、弥勒へ厳しい表情を向ける犬夜叉は彼の体を押し退けるようにしてずい、と一歩前へ乗り出した。 「引っ込んでろ弥勒」 「犬夜叉一人では無理です」 「やかましい、おれの前に立つなっ!」 こちらもまた厳しく言いつける弥勒に対し犬夜叉は吠えるように食って掛かる。よほど弥勒に(おく)れをとりたくないのか、その姿からはどこか必死ささえ感じられるような気がして。そのやり取りを見ていた彩音は微かに呆れを滲ませる乾いた笑みを浮かべてしまっていた。 ――それと時を同じくして、弥勒の姿を見つめる者がもう一人。 「(あの法師のことなのか? 殺生丸さまに腕を献上した奈落という者が言っておったのは…)」 鬼の肩から覗き込むようにして品定めの目を向ける邪見。その脳裏には代わりとなる左腕を差し出したあの男の姿が甦っていた。 「犬夜叉とともに、若い法師が一緒にいるはず。そやつは…あるいは犬夜叉より面倒かもしれませぬ」 静かに、しかし言い聞かせるように語られた言葉。奈落は用心するようにと忠告したつもりなのだろう。だが実際に弥勒の姿を目にした邪見にはそれが杞憂だと感じてしまい、「ふん、どう見てもただの人間ではないか」とどこか小馬鹿にするよう小さく笑い飛ばした。そしてわずかに身を乗り出し、眼下の殺生丸へ提言する。 「あとはこの邪見にお任せを。殺生丸さまのお手を煩わすまでもない」 「…そうだな。見てみたい」 邪見の言葉に殺生丸は肯定の意を示し、そのまま肩の白い尾に手を掛けた。途端、それを勢いよく放っては彩音の体を拘束するようにきつく巻き付ける。そんな突然のことに彩音が思わず「え゙っ」と声を漏らした直後、尾は抵抗の隙を与える間もなく即座に彼女を殺生丸の元へと連れ去ってしまった。 「彩音!」 「彩音さまっ!」 「叩き潰してくれる!」 「「!」」 犬夜叉と弥勒が咄嗟に彼女の元へ駆け出そうとしたその瞬間、邪見の声が響かせられるとともに鬼の巨大な腕が容赦なく振り下ろされ迫ってくる。それに二人の足が止められると、すぐさま意を決したよう一歩前へ踏み出す弥勒が右手の数珠に手を掛けた。 「仕方がない、私がやりますよっ」 「けっ、雑魚は任せた」 「すみませんが彩音さま、しばし耐えてください!」 「え゙っ」 弥勒の忠告に彩音の顔が引きつる。しかしその直後、「成敗!」と強く言い放たれると同時に数珠が取り払われ、瞬く間もなく凄まじい風が巻き起こされた。 途端に体を持っていかれるような感覚。それに目を見張った殺生丸が地面へ鉄砕牙を突き立てた時、頭上の邪見は「え゙」と驚愕の声を漏らしてすぐさま鬼の体に必死にしがみついた。 「うそっ、やめてっ!」 「み…弥勒のバカー! 吸いこんだら恨むからーっ!」 邪見が悲鳴を上げるのと同様に、鉄砕牙の陰に隠れるようにしてそれにしがみつく彩音が涙目で抗議の声を上げる。その時、傍らでは鬼の腕が徐々に風穴の中へ飲み込まれていくというのにも係わらず、静かに弥勒の風穴を見据える殺生丸は取り乱すこともなくあの男の言葉を脳裏に甦らせていた。 「これをお試しくだされ。これは地獄の虫、最猛勝の巣…法師の右手の風穴を封じるのに最良かと…」 その言葉とともに、丸い巣を差し出してきた奈落の姿が浮かぶ。そうして件の巣を取り出しては、それに奈落を見るよう鋭い目を向けた。 「(ふっ、まったく念の入ったことだ…)」 まるで全てを見透かしているような奈落の言動。それに言葉なく思いを馳せていれば、その姿に気が付いた彩音が「巣…?」と微かな声を漏らした。しかし殺生丸はそれに答えることなく、手にしていた巣を弥勒の風穴へ向けて勢いよく投げつける。 すると、すでに鬼の頭まで吸い込まんとしていた弥勒がその影に気が付いた――その瞬間、突如巣の中から大きく不気味な色をした蜂のような虫たちがブワッ、と弾けるように溢れ出した。 「虫!?」 目の前に現れた正体不明のそれに弥勒がたまらず驚愕の声を上げる。すると次の瞬間、虫たちは弥勒を攻撃するでもなく開かれたままの風穴へ次々と呆気なく飲み込まれていった。 攻撃の素振りさえ見せないそれに彩音は強い違和感を抱く。だがやがて違和感の正体に気が付いては、目を疑うようにして強く眉をひそめた。 (あ、あの虫…まさか自分から風穴に飛び込んでる…!?) にわかには信じられないその行動。だが彩音が悟った通り、虫は吸い込まれているのではなく自ら風穴にその身を投げていたのだ。それを弥勒もかごめもすぐに察したようであったが、その行動の真意までは分からず、様子を窺うよう無数に湧き続ける虫たちを絶えず吸い続けていく。 ――その時、突如として弥勒に異変が訪れた。不意に「うっ」と呻きを上げた彼は目を見開き、鬼を吸い切れていないにも係わらず右腕へ数珠を巻き付けて風穴を封印してしまう。 「いっ犬夜叉、あとは任せた」 「!」 顔に複数の汗を滲ませて顔を強張らせる弥勒の声に犬夜叉が目を丸くする。突然のことで状況が飲み込めないが、どうやら彼が闘えない状態に陥ったことは一目瞭然だ。なぜなら彼はすぐ傍で崩れるように腰を落としてしまい、「弥勒さまっ」と不安げな声を上げて駆け寄るかごめに苦悶の表情を見せているのだから。 しかし、敵はまだ残っている。首の一部だけとなった鬼は事切れて重々しく地面に沈んだが、絶えず大きな羽音を鳴らす無数の最猛勝たちは揃ってこちらを見つめている。 かと思えば突如それらが襲い掛からんと迫り、すでに爪を構えていた犬夜叉はすぐさま迎え撃つように強く地を蹴り跳び上がった。 「散魂鉄爪!」 ザン、と激しく音を響かせるほど勢いよく最猛勝たちの体を切り裂いてみせる。どうやら大した力は持っていないらしく、それらは爪の一振りで複数が一気に呆気なく散っていた。 これならば弥勒まで襲われることはないだろう。だがそれに安心はできない。なぜなら背後の彼はすでに立ち上がることもままならないであろうほど苦痛の色を滲ませ、右腕を強く押さえながらうずくまるようにしているのだ。 一体彼の身になにが起こったのか。それを案じた時、弥勒が寄り添うかごめへ悔しげな声を漏らした。 「虫の毒に…やられたようです」 「毒!?」 向けられた言葉にかごめは驚愕を露わにしながら眉をひそめる。すると途端になにかを捜すように振り返り、 「待ってて! なんか薬取ってくる!」 そう言いながら慌てた様子で屋敷の方へと駆けていった。 その姿を遠目ながら見ていた彩音は、声までは聞こえなかったものの一連の様子から弥勒の危険を悟り、自身も手助けをしなければと弥勒の元へ駆け出そうとした。だがその動きはグ、と腕を掴まれる感触に止められる。それに振り返れば、自身の腕を掴む殺生丸が真っ直ぐにこちらを見下ろしていた。 「殺生丸…」 「大人しく下がっていろ」 懇願するように彼を見つめるも、殺生丸は聞き入れてくれる様子もなく彩音の腕を引いて背後へと追いやってしまう。そうして行く手を阻むように鉄砕牙を持ち上げられ、彼の瞳は対峙する犬夜叉へと向けられた。

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