13

ザッ、と音を立て、犬夜叉が屋敷の玄関先に足を止める。それに続くよう彩音やかごめたちが駆けつけ同様に足を止めては、地響きの源である港へと視線を注いだ。 そこに見えたのは、とてつもなく巨大でおぞましい鬼の姿。脳みそを露出させたような頭に二本の鋭利な角を生やしたそれは、港から集落へ侵入し、傍に建つ多重塔をいとも容易く叩き潰してしまった。 明らかにこちらへと迫ってきているそれを一同は強張らせた表情のまま見つめる。だがその時、鬼に目を凝らしていたかごめがなにかに気が付いたよう愕然と目を見張った。 「あ…」 「やっぱりそうだ…あれは…」 かごめに続き、彩音は予想が確信に変わるのを感じながら呟くように言う。そんな彼女らの様子によって同様に気が付いた一同が見つめる先――巨大な鬼の肩に、涼しげな表情で薄く笑みを浮かべる男の姿があった。 「殺生丸… (生きていたのか!)」 見覚えのあるその姿、それに犬夜叉が顔を強張らせるほどの声を漏らす。 左腕を斬り落とし、体を叩き斬るようにして底の見えない異空間へ突き落した彼がまさか生きているなど、思いもしなかったのだ。だが目の前まで迫ってくる鬼の上で腰を上げる彼は弱った様子もなく、以前と変わらぬ姿をしている。 それに目を疑うよう立ち尽くしていた時、彼が突如羽根のように軽い足取りでフワ…とその身を投げやった。しかしそれも束の間。タン、と小さな足音が鳴らされるや否や、その姿は彩音の目の前――触れんばかりの距離に現されていた。 「へっ!?」 「彩音!」 「きゃ~っ」 驚く彩音、それに慌てて手を伸ばそうとする犬夜叉の背後でかごめと七宝が一目散に逃げ出し、状況の読めない弥勒は戸惑いながらもかごめたちに続く。その瞬間、彩音の手を引いた殺生丸は彼女を抱えて飛び退り、犬夜叉の手が空を切るのに呆れるよう小さく鼻を鳴らした。 「ふん…相変わらず動きが鈍いな犬夜叉」 端的に言い捨てられる言葉に犬夜叉は「くっ」と悔しげに顔を歪める。そんな彼の姿を見ていた彩音だが、ふと自身のすぐ傍、殺生丸の左腕に確かな気配を感じては確かめるように顔を持ち上げた。 (え…左腕に、かけら…?) 「美琴のこと…なにか分かったのか」 左腕の肩付近、そこに淡く光るかけらの存在に気が付くが、不意にこちらを見つめながら問いかけてくる殺生丸にドキ、と体を強張らせる。しかしよく見れば彼の視線は彩音ではない、その腰に携えられた燐蒼牙の方へと向けられている。 そうだ、殺生丸にはまだ伝えられていない。それを思い出しては一度燐蒼牙へ視線を落とし、その柄に手を触れながら再び殺生丸へ顔を上げた。 「これ…この前お世話になってる人の村で見つけたの。なんでそこにあったのかは分からないんだけど…燐蒼牙っていう、美琴さんの刀なんだって。殺生丸はこの刀、知ってる?」 「……ああ。確かに美琴のものだ」 「そっか。それならよかった…これがあれば、少しは美琴さんの手掛かりが得られそうだね」 燐蒼牙へ再び視線を落としながら彩音は言う。殺生丸がそんな彼女の姿をただ静かに見つめていれば、不意に「…それとね、」と小さく切り出された。その声のトーンが至極わずかな変化を見せたことに殺生丸は微かながら眉をひそめるが、彩音はそれに気付くこともなくゆっくりと言葉を紡ぎ出す。 「この体のこと、なんだけど…不死の御霊が私に宿ってるんじゃなくて…この体自体が、美琴さん本人のもの…なんだって」 どこか言いづらそうに、それでいて確かに語られる言葉。だがそれを向けられた殺生丸に驚いた様子はなく、不思議そうに顔を上げた彩音こそが微かに驚いたような表情を見せ、やがて、小さく眉を下げながら表情を緩めた。 「もしかして…殺生丸も気付いてたの?」 「気付かぬわけがない。だが…そのようなことがあり得るのか」 「私もあんまり信じられないんだけど…でも、そうみたい。美琴さんと仲が良かった巫女に、結構強く怒られたくらいだから」 そう言いながら彩音は困ったように笑う。その様子からこの話が嘘ではないのだと思い知らされるような感覚を抱いては、ただ黙り込むようにして彼女を見つめた。 すると彩音はその視線をどう捉えたのか、途端に「あっ、でも心配しないで」と断りを入れるように言い出し、自身の胸に手を当てた。 「私はちゃんとこの体を美琴さんに返そうと思ってる。まだどうすればいいのか分からないから時間は掛かっちゃうと思うんだけど…それでも絶対、約束は守るから」 顔を上げ、真っ直ぐに瞳を見つめながら言葉を紡がれる。力強ささえ感じるようなその声に、姿に、どうしてか美琴が重なるような気がした。姿そのものが同じだからではない、彩音の芯の強さが美琴のそれと同等に思えたからだ。 いや…あるいは、それ以上とさえ感じてしまうほどか―― そんな思いを抱えるまま、わずかながら目を丸くさせる。そんな殺生丸の姿に気が付いた彩音が少しばかりきょとんとするように首を傾げかけた――そんな時、突如として「おいこら彩音っ」という犬夜叉の怒鳴り声が響かされた。 「おめーなにのんきに話なんかしてやがんだっ。状況分かってんのか!?」 「分かってるけど仕方ないでしょ! 殺生丸とは大事な約束してんだからっ」 「な゙っ…」 目を覚まさせるように言ってやったにも関わらず強く返される言葉にこちらが面食らってしまう。 大事な約束ってなんだ、そんなものいつの間に交わしていたんだ。そんな思いばかりがほんのわずかな間にぐるぐると頭を巡って。それらを振り払うよう途端にキッ、と視線を鋭くさせた犬夜叉は、その瞳で射殺さんばかりに殺生丸を睨み付けた。 「殺生丸! てめえなにしに来やがった! まさか彩音に会いたかったとかふざけたこと抜かすんじゃねえだろうな!」 標的を変え、深く怒気を孕んだ声で問い質す。すると殺生丸は一度視線を背けてぱちくりと目を瞬かせる彩音を見やると、言葉もないまま再び犬夜叉へと視線を戻した。 「くだらんことを聞くな。貴様の腰の鉄砕牙に用がある」 「てめえ…性懲りもなく」 殺生丸の真の目的を明かされては、その諦めの悪さに苛立つよう眉をひそめる。 ――そんな犬夜叉のずっと後ろ。岩陰に身を潜める弥勒たちが三人の様子を窺うようにこそっ、と顔を覗かせていた。 七宝と弥勒が殺生丸の姿を目にするのは初めてのこと。そのただならぬ気配を嫌でも感じて微かな汗を滲ませる弥勒は、訝しむように殺生丸を見据えながらかごめへ問いかけた。 「…お知り合いで…?」 「犬夜叉のお兄さん…半妖の犬夜叉と違って、本物の妖怪よ。まだ鉄砕牙を狙ってたんだわ。刀の結界に拒まれて、触れることすらできなかったのに…」 かつて鉄砕牙に辿り着いた当時を思い返しながらそう漏らすかごめの表情が強張っていく。それほど恐ろしい相手なのかと感じてしまうと同時に、弥勒は微かな疑問を抱いていた。 「…なにやら、彩音さまと特別関わりがあるようですが…以前になにか?」 「あたしも詳しくは分からないんだけど…昔、殺生丸と美琴さんが深い仲だったみたいで、それを知った彩音が、殺生丸になにか約束したんだって」 そう語られる言葉に弥勒は彩音と殺生丸の姿を交互に見やる。 美琴についての話はこれまでの旅の道中で聞かされていた。だが彩音たちもあまり彼女の詳細を知らないうえ、殺生丸を知らなかった弥勒には彼と美琴が深い関係であったなど聞かされるはずもなかった。 そのためいま初めて知った彩音と殺生丸の関係に、弥勒は深く考え込むよう硬い表情で押し黙ってしまう。 ――その時、視線の先の三人に微かながら動きが現れた。彩音が殺生丸の手によって背後へと追いやられ、戸惑う彼女に構うことなく冷ややかな目を見せた殺生丸は犬夜叉を鋭く見据える。 「抜け犬夜叉。抵抗の真似事くらいはさせてやる」 「ほざけ! 今度は腕たたっ斬るくらいじゃすまねえぞ!」 殺生丸の静かな挑発に犬夜叉は怒号を上げながら強く地を蹴る。同時に勢いよく抜いた鉄砕牙を殺生丸へ向けて激しく叩き付けるように振り下ろした。 しかし凄まじい音を立てて破壊されたのは地面だけ。肝心の殺生丸は彩音を小脇に抱え、散らされた破片が地面へ落ちるよりも早く犬夜叉の背後遠くへと降り立っていた。その姿に犬夜叉が「くっ…」と声を漏らして振り返る頃、殺生丸は彩音の体をそっと地面に降ろして「離れていろ」とだけ言いやると、わずかに戸惑いながらも指示通りかごめたちの元へ駆けていく彩音から静かに犬夜叉の方へと視線を向けやった。 「ふん、思った通り…犬夜叉貴様…まったく鉄砕牙を使いこなしておらんな」 「なっ! なんだとお!? ふざけんなてめえ!」 呆れたように告げられる言葉が癪に障ったのか、犬夜叉は強く激昂の声を上げると鉄砕牙を掲げて弾かれるように殺生丸へ襲い掛かった。だが次の瞬間、振り下ろそうとした犬夜叉の右腕は殺生丸の右手によってガキッ、と掴み込まれ、動きを封じられてしまう。 誰しもがその光景に驚き短い声を上げる。その中で犬夜叉は「くっ…」と小さな声を漏らしながら腕を引こうとするが、どれだけ力を込めても殺生丸の力に敵わず振り払うことすらできない。 「太刀筋が丸見えだ…大きな刀に振り回されおって…」 冷たく言い捨てられ、徐々に腕を掴み込む力が増していく。それに伴うようミシミシと骨が軋みを上げ始めた瞬間、刺すような痛みとともに焼けるような熱を伴う激しい痛みが腕に広がった。 「腕が…溶かされている!?」 「毒の爪よ!」 弥勒とかごめが続けざまに声を上げたその言葉通り、殺生丸の長く鋭い爪が食い込まされる犬夜叉の腕はその色を変えてしまうほどに皮膚をただれさせ始めていた。それに焦りを覚えた彩音が「犬夜叉っ!」と声を上げる中、さらに深く爪を挿し込んでいく殺生丸はどこかつまらなそうに犬夜叉へ忠告する。 「刀を手放さんと腕が溶け落ちるぞ」 「くっ…そうなる前に…」 「!」 強く歯を食い縛る犬夜叉が鉄砕牙を両手で掴んだ途端、ググ…とそれを押す力が増す。殺生丸がその気配に気付いた刹那、 「てめえの方が真っ二つだ!」 その声とともに殺生丸を押し切るよう強く駆けだしてみせた。その形勢逆転に弥勒やかごめが思わず感嘆の声を漏らすのに対し、殺生丸は「嫌な奴だ…」と呟いて突如犬夜叉から離れるよう大きく跳び上がる。それと同時に自身に纏う白い尾を掴むと、間髪入れずして勢いよく犬夜叉へ放った。 直後、犬夜叉は鉄砕牙を掴む右手を強く打ち払われ、その勢いに弾き飛ばされた鉄砕牙が彼を離れてドス、と地面に突き立てられてしまう。 「ちくしょう!」 思わず悔しげな声を上げるほどの焦燥感に駆られた犬夜叉は咄嗟に鉄砕牙へと駆け出す。だがそれよりも早く鉄砕牙のすぐ傍へ殺生丸が降り立つと、彼はなんの躊躇いもなくその柄をグッ、と掴み込んだ。 その光景にかごめと彩音が「えっ…」と驚愕の声を漏らす。 次の瞬間、殺生丸は飛び込んでくる犬夜叉へ向けて円を描くように勢いよく鉄砕牙を振り切った。地面を破壊するほどのそれに犬夜叉がたまらず「うわっ!」と短い悲鳴を上げながらも間一髪かわせば、殺生丸はまるで見せつけるように自身の前へ鉄砕牙を掲げながら挑発的な声を向けてくる。 「教えてやろう犬夜叉。鉄砕牙の真の威力を…」 「(なっ…なんで持てるんだ!?)」 目の前の信じられない光景に愕然と目を見張る。それもそのはずだ。鉄砕牙の結界に拒まれていたはずの殺生丸が平然とそれを手にしているどころか、本来の姿である牙の刀へと変化させることさえ叶えているのだから。 それは通常、妖怪である殺生丸には不可能なこと。だというのになぜ、と犬夜叉が驚愕に狼狽えていれば、突如殺生丸が背後の鬼に向かって強く邪見を呼びつけた。すると鬼の肩に乗る邪見が姿を現し、「はいっ殺生丸さま」と返事をするなり巨大な鬼を操り始める。 「ただいま、山の妖怪、精霊どもを追い出しまする」 そう告げる邪見は鬼を徐々に山の方へと振り返らせ近付けていく。そしてその腕が高く掲げられ、すぐさま山を叩き潰すかのように勢いよく振り下ろされては、ズゥゥゥン、と低く重く鈍い音が地響きのごとく轟かされた。 その光景に、表情を強張らせながら息を飲む一同。一体なにをしようというのか、誰しもがそんな思いを抱きかけたその時、山がザワ…と不穏な気配を漂わせた。次の瞬間、突如として山から無数の妖怪や精霊たちが溢れ出し、我先に逃げ出すよう勢いよく空へ昇り始めてしまう。 「よいか犬夜叉。一振りだ…」 妖怪たちが逃げゆく様を見据えながら殺生丸が静かに言う。そして―― 「一振りで百匹の妖怪を薙ぎ倒す!」 その強い声とともにゴッ、と凄まじい音を響かせるほど激しく鉄砕牙を振り切る。その瞬間、刃が届かないほど離れているはずの妖怪たちの体が全て、瞬く間もないほどの一瞬で無残に斬り刻まれてしまった。 そんな強大すぎる恐ろしい力に、犬夜叉たちは息を詰まらせるほど驚愕し大きく目を見張るばかり。小さな声さえ発することができないままその光景を見つめていれば、やがて面影もないほど散り散りにされた妖怪たちの細かな肉片が力なく落下していく。それが降り注ぐ山は緑に覆われる豊かなものであったはずなのに、先ほどの殺生丸の一振りで妖怪共々消し飛ばされ、いまでは無骨な岩肌を覗かせる見るも無残な荒れ地となってしまっていた。 「待たせたな犬夜叉。次は貴様の番だ」 誰もが顔を強張らせ息を飲む中、そう告げる殺生丸は犬夜叉へと鉄砕牙を差し向ける。その挑発的で冷酷な瞳を睨み付けるように見据える犬夜叉は、悔しさを交えながら表情を強張らせ、強く唇を噛みしめていた。 「(こんな野郎に…おれの鉄砕牙(かたな)を渡してたまるか!!)」

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