02

サワ…と葉の揺れる音が優しく包む一本の木。その枝にあぐらを掻く犬夜叉は、遠く彼方を見上げたまま難しい顔をしていた。 「あの女どもが…生まれ変わり…?」 どこか気に食わない、そんな様子を醸し出しながら眉をひそめ呟く。“生まれ変わり”など、そう告げられた彩音たちだけでなく、かつての彼女らと面識のある犬夜叉にとってもにわかには信じがたい不思議な現象だ。 もしそれが本当だというのなら、なぜ生まれ変わったのか。なぜ再び自分の前に現れたのか。なぜ、なぜ、なぜ。 様々な思いや疑問が芽生え巡る中、不意に「おーい」とこちらを呼びかける声が聞こえてきた。かと思えばなにかを投げるような空を切る音。それに思考を止められた犬夜叉は振り返りもせず後ろ手で受け止めてみせると、「んー?」と唸るような声を漏らしながら声の主を睨みつけた。 「すごいね。見ずに受け止めるとは思わなかった」 そう感心した様子を見せるのは彩音。どうしてか彼女は柿や大根、魚などを大量に抱えているようであった。 それは先ほどまで確かに持っていなかったはずのもの。突然そのような装備になった彼女の姿を見た犬夜叉は訝しげに眉根を寄せながらそちらへ向き直った。 「なんだその食い物は」 「それがなぜか村の人に貢がれてさ…楓さんのところに置きに行ってもよかったんだけど、あんたと話したかったからそのまま来ちゃった。ね、これちょっと食べてよ」 彩音はそう言いながら縛られた数本の大根を持ち上げて苦笑を見せる。するとしばらくその姿を見つめていた犬夜叉は変わらず警戒したまま、それでも素直に木の根元へと降りていった。 その様子に彩音は小さく微笑み、大量の貢物を地面へ降ろして犬夜叉の隣へ座る。しかし対する犬夜叉はあまり接近を許す気がないのか、じりじりと距離を開いて依然鋭い目を向けていた。 「話したかったとか…なに企んでやがんだ、てめえ」 「なにも企んでないよ。気になることとか聞きたいことがあるだけ。ただ…今はなによりこれかな。この量、一人じゃどうしようもないし」 ぺしぺしぺし、大根の束を軽く叩きながら彩音は困ったように笑いかけてくる。少しでも減らしたいのか柿を一つ食べようと手にしているが、その量は彼女の言う通り一人では絶対に食べ切れない圧倒的なもの。これならば先ほど自分で言っていたように、楓のところへ置いてくればよかったのではないのか。そう思うも口には出さず、犬夜叉はそろりと手を伸ばして一本の大根を手に取ってみた。 「あ、ちゃんと食べてくれるんだ」 「けっ。腹が減ってるだけでい」 「それでもいいよ、ありがと。できれば全部食べてくれると嬉しいんだけどなー」 「無理に決まってんだろ、バーカ」 彩音の冗談にべー、と舌を出して馬鹿にする犬夜叉。それには少しばかり苛立ったらしい彩音が眉根を寄せると「ガキか」と呆れた様子で言い捨てた。すると犬夜叉は途端にむっと口をへの字に曲げ、先ほどまでよりも分かりやすいはっきりとした仏頂面を彩音へ突きつける。 「おめー、すっげームカつく」 「お生憎さま。私も全然人違いだって信じてくれないあんたのこと、少しムカついてる」 「あ? それはおめーが美琴と全く同じ姿を…」 「その美琴さんってどんな人なの」 ぼんやりと記憶に残る彼女の姿と重ねながら言いかければ、彩音はそれを遮るほど食い気味に問いかけてくる。しかし犬夜叉はそれに答えるでもなく、言葉を詰まらせるように黙り込んでしまった。 それは彩音の勢いに負けたからではない、かつての彼女や桔梗の姿が甦ってきたからだ。 しばらく言葉を探るような不思議な感覚に陥ったあと、犬夜叉はすぐさま思考を掻き消すように顔を背けては「けっ」と吐き捨てる。 「おめーにはぜってえ教えてやんねーよ。知りたかったら自分で調べな」 「そろそろ一発殴るぞコラ」 またもべーっと舌を出す犬夜叉に彩音は大根を振り上げて威圧する。だがそれもバカらしくなったのか、小さなため息を一つこぼしては大根を戻し、そっと犬夜叉を見つめるように正面へ向き直った。 「ねえ、いつまでもこうやっていがみ合ってたら疲れるし、少しくらい仲良くしようよ。ほら」 仲良しへの第一歩、そう言って彩音は手を差し伸べてくる。だが犬夜叉はそれをまじまじと見つめると、すぐに「けっ、」と吐き捨てて蔑むように意地の悪い笑みを浮かべた。 「バカかおめえ。おめーがその気でも、おれは四魂の玉とるためにゃ容赦しねーぜ」 「やっぱり諦めてなかったんだ。でも、こっちだって武器があるんだからね」 「武器だあ?」 「うん。前やったでしょ? おすわりってやつ…」 彩音が言い聞かせていた途中で突然みし…と深く地面に沈む犬夜叉。それに気が付いた彩音は「あ」と声を漏らすと目を泳がせ、困ったように笑いながら手を左右に振った。 「ごめんごめん、やるつもりはなかったんだけど…まだ慣れなくて」 あはは、と笑う彩音に対し、顔を上げた犬夜叉はとてつもなく恨めしげな目で睨みつけながら「許さねえ…」と拳を小刻みに震わせる。それでも彩音は怯えることもなく、ただ笑みを浮かべたまま軽く両手を合わせていた。 「もう、ごめんってばー。そうだ、貢ぎもの全部あげるから許して? ねっ?」 「いらねえっ」 「じゃあ全部運ぶ権利をあげる」 「そっちの方がい・ら・ね・えっ!」 嬉々として提示される案に不満を露わにした犬夜叉は脅すように顔を迫らせる。だがやはり彩音は特に怖がる様子もなく「じゃあなにがいいかなあ」とどこか楽しげに思案しているようであった。 そんな姿に犬夜叉が思わず“こいつ…”と拳を震わせたその時、彩音はなにかを思いついたようにぽん、と軽快に手を打った。 「よし、私と追いかけっこをする権利をあげる! 犬夜叉が鬼ね。よーい、どんっ!」 「はあ? …って、おい!」 最早有無も言わさぬ勢いで突然走り出した彩音はあっという間に遠ざかっていく。それどころか「ちゃんとそれ持って来てねー!」と手を振ってくるではないか。そんな彼女の姿に犬夜叉は呆気に取られたような顔を見せると同時、ようやく自身の周りに残された大量の貢物の存在に気が付いた。 「なっ…待てこらー! ふざけんじゃねー!!」 いいように流され、嵌められたわけだ。それを遅れて察した犬夜叉は小さくなる彩音に向かって大きく怒鳴り声を上げていたのであった。 * * * リー、リー、リー、 暗い夜闇に沈んだ村に小さな虫の鳴き声が聞こえる。それを耳にしながら楓の家で天井を見上げているのは彩音だ。かごめと並んで布団代わりの着物に包まれていたが、いつまで経っても寝られないのは彼女だけ。かごめは疲れが回ったのか、すぐ眠りについたようだった。 (…ここに来て、二日…か…) 眠れない彩音は無情に過ぎていく時間にため息をこぼしそうになる。どうしてここに来たのか、どうすれば帰ることができるのか、それも分からず命を狙われながらもう二度目の晩を迎えてしまった。 自分やかごめがいなくなった現代は、一体どうなっているのだろう。漫画やアニメのように時間が止まっているのだろうか。そう考えてみるも、そんな都合のいい可能性は限りなく低いだろうと自答してしまう。 彩音に両親はいない。物心ついた時から一人で、いまや親戚の援助を受けながら一人暮らしをしていた。しかしだからと言って、二日も姿を消していれば誰も気が付かないわけがない。学校だって行けていないのだ。 今頃、親戚や友人などに心配をかけているのではないだろうか。そんな可能性が脳裏をよぎると、途端に焦りのような感情が胸をいっぱいにする。 帰らなければ、かごめとともに、現代へ。そう強く念じるように思うと、着物を肩まで引き上げて静かに目を伏せた。 ――その様子を窓辺で見つめる小さな黒い影。 三つの目を夜闇に光らせるそれはギュギュギュ、と小さな鳴き声を漏らした。まるでなにかに喜んでいるような、不気味な声。 烏のようなそれが確かに彩音とかごめを見つめていると、不意に足元の窓枠に小石がぶつけられる。それから逃れた烏が翼を広げて振り返ると、そこには柵の支柱に屈む犬夜叉の姿があった。 彼はもう一つ持っていた小石をピン、と跳ねさせると、静かに去ろうとする烏へ向けて勢いよく弾き飛ばす。しかしそれが当たることはなく、烏は月と重なる高さまで瞬く間に飛び去ってしまった。 その姿を静かに見つめていた犬夜叉は眉をひそめ、どこか面倒くさげな声色でぽつりと呟く。 「早速玉の匂い嗅ぎつけて来やがった…屍舞烏(しぶがらす)…やな奴が出てきたぜ」 * * * 「全然道らしい道が出てこないじゃない」 「そうだね…たぶん方向は間違ってないと思うんだけど…」 ガサガサと音を立てながら草木を掻き分けて歩くかごめと彩音。二人は犬夜叉の森の中にある枯れ井戸を目指して歩いていた。 そこを目指す理由は彩音が昨晩考えた通り、自分たちの時代へ帰るためだ。方法こそは判然としないが、自分たちがこの時代へ現れたのはどちらもあの井戸を通ってのこと。ならば少なからずあの井戸にヒントがあるはずだと信じ、誰にも見つかることなくこうして森の中を進んでいた。 しかしここは手入れなどされていない自然のままの森。辺りをどれだけ見渡そうと木々ばかりで景色は変わらず、果たして本当に井戸へ辿り着けるのかという不安が芽生えてくる。 「せめて目印でもつけておけばよかったね…」 当時はそれほどの冷静さなど持っていなかったが、今このような状況に陥ってはどうしてもそう思わざるを得ない。はあ、と大きなため息をこぼして大きな茂みを過ぎた――その瞬間、茂みから突然複数の手が飛び出し彩音とかごめの口や体を押さえ込んできた。 目を見開いた二人は咄嗟に抵抗しようとしたのだが、男らしき相手の強い力には到底敵わず、そのまま茂みの中へ引きずり込まれるように体を拘束されてしまった。 ギャアギャアと烏たちが鳴き喚く廃墟と化したお堂。戸は朽ち果て、壁も複数抜けている不気味なこの場所に彩音とかごめが運ばれた。すると周囲には「女だ…」「女…」と呟く小汚い男たちが佇み、誰しもが飢えた不穏な目を二人へ向けてくる。 その視線に気味の悪さを覚えた彩音が表情を歪めたその時、二人はダン、と音を立てるほどの勢いで床に押さえつけられた。 「仰せの通りひっ捕らえて来ましたぜ、お頭」 「げへへっ、本当に変な着物着てやがる」 「ちょっと、なによあんたたち!」 「放せ変態!」 余程逃がしたくないのか、それぞれ二人がかりで押さえつけてくる男たちへ思い思いに声を上げるが、それらは当然取り合ってくれるはずがない。なぜ自分たちが捕まったのかも分からないまま、それを指示したらしいお頭と呼ばれた男へ目を向けてみれば、そこには自分の二倍以上はあるだろう大柄な男が座っていて子分に酒を注がれていた。 しかしその男、なにかがおかしい。時折「げふ。げふ」と息を詰まらせたように声を漏らし、目は虚ろ。とても正常とは思い難いその様子に悪寒を走らせた彩音がつい視線を背けた、その直時、 「玉あ…」 「「え」」 お頭が呟くようにこぼしたその言葉にギク…と心臓が跳ねる。釣られるようにもう一度見上げてみれば、お頭は焦点の合わない目で酒を仰ぎ、よだれ混じりのそれをだらしなくこぼした。 「玉あ…寄越せえ」 間延びした不気味な声を再び向けてくる。お頭の言う“玉”とは四魂の玉のことに違いないだろう。だがどうして先日見つかったばかりのそれをこの男が知っているのか。彩音とかごめはそんな思いを抱えると同時に小さく息を飲み、滲み出す冷汗を静かにこめかみに伝わせていた。 ――その頃、ザン、と音を立てるほどの勢いで森の中を突き進む赤い影があった。 「(くそっ、あのバカ女ども。玉持ったまんまどこに行きやがった!)」 苛立ちと焦りを露わに汗を滲ませる犬夜叉。彼は軽々と飛ぶようにして素早く木々の間を走り抜けていく。かすかに残された、彼女たちの匂いだけを頼りにして。

prev |2/4| next

back