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「背中に蜘蛛…ですと?」 「ああ。まるで火傷の跡みてえな…」 やがて犬夜叉は瘴気の中で見た光景を一同へ話していた。仕留められなかったこともあり、奈落に関する手掛かりは少しでも共有しておくべきだろうと判断したらしい。 するとそれを聞いた楓がなにかを考えるように黙り込み、それと同じ思考に至ったであろう弥勒が「楓さま」と彼女を呼び掛けた。 「確か、野盗鬼蜘蛛は全身にひどい火傷を負っていたと…」 「ああ…もしや鬼蜘蛛の名残か…」 やはり二人は同じ思考に辿り着いていたらしく頷き合うようにそう話す。 奈落曰く、鬼蜘蛛は凄まじい邪念を抱いていた。恐らくそれが奈落となった今でも消えることなく、火傷の跡となって残っているのだろう。 背中の蜘蛛――奈落の目印。犬夜叉はそれを胸に刻むように、深刻な面持ちで胸中に何度も何度も繰り返し続けた。 ――そんな時、不意になにかの空気が抜けるようなシュー、という細い音がどこからともなく聞こえてきた。それは一度だけでなく、等間隔で何度も鳴らされる。それに気が付いた一同が音の元へ振り返ってみると、そこには口に木を突き込まれたまま横たわる狼野干の姿があった。どうやら意識を取り戻したようで、それは朦朧とした表情のまま口の中の木をバキバキバキと呆気なく噛み砕いてしまう。 「狼野干…」 「ま、まだ生きとる」 動きを見せる狼野干に七宝が怯えた様子で声を上げながら彩音の背に隠れようとする。それと同時に弥勒たちが警戒するよう眉をひそめながら狼野干を見据えていれば、それはやがて虚ろに上向いていた大きな目をカッ、と勢いよく見開いた。 「あ、頭が…割れる~~っ!」 「!?」 突然豹変したように悲鳴に等しい叫び声を上げる狼野干の姿に揃って目を見張る。その時、彩音とかごめは狼野干の頭に広がる蔓の下――眉間の辺りにポウ…と淡い光を放つ四魂のかけらの存在に気が付いた。恐らく奈落に植え付けられたのであろうそれが蔓を伸ばし、狼野干の頭を食い破ろうとしているようだ。 「いて~っ死ぬうううっ!」 よほどの激痛なのだろう。狼野干は両手で頭を押さえながら、転げまわるほど必死な様子で大きく暴れ始めた。そのただならぬ様子に彩音とかごめが顔を見合わせて頷くと、すぐさまかごめが狼野干の元へ駆けていく。それに驚いた弥勒が途端に「かごめさま!?」と声を上げると同時、舌打ちをこぼした犬夜叉が慌てた様子でかごめの行く手を阻むよう目の前へ飛び込んだ。 「ばかっ、死にてえのかっ! …って、おい彩音っ!」 犬夜叉がかごめを叱咤したその時、かごめに続くよう駆け出した彩音があっさりと犬夜叉の横をすり抜けていってしまう。まさか彼女がもうそれほどまでに回復しているとは思ってもみず、驚いた犬夜叉は慌ててそれを追おうとした。 だがそれよりも早く狼野干の目の前へ辿り着いた彩音は彼を見上げながら言う。 「ねえ、それ取るからもう少ししゃがんでもらっていい?」 「無駄だ~これは奈落にしか取れな…」 「よっ」 「あ゙?」 言葉を最後まで聞くことなく背伸びをして蔓の中へ手を突っ込んでしまう彩音に狼野干が気の抜けた声を漏らす。まさか無駄だと言われているものに躊躇いなく手を出してくるとは思ってもみなかったのだろう。わさわさと蔓の下を漁る彩音に驚くまま固まっていれば、やがて「あった」という声のあと、その手が小さなかけらを摘まんで離れていく様子が見えた。するとそれに伴い頭を覆っていた蔓がボロボロボロと崩れるように剥がれ始め、瞬く間に頭がすっきりしていくのを実感する。 「たっ、助かった!」 思わず感激するように表情を輝かせながら声を上げる狼野干。頭の蔓はあっという間に綺麗さっぱりなくなり、濁っていた目も元に戻ってきらきらと輝いていた。途端、彼はまるで別人のように爽やかな笑顔を向けてくる。 「色々すまなかった! じゃっ!」 呪縛から解放されたことがよほど嬉しいのだろう。無邪気な笑顔を見せる彼は軽快に手を掲げて別れを告げると、そのままあっさりと森の方へ走り去ってしまった。 「ってこらっ! そんなことで済むとでも…」 あまりの潔さに呆気に取られていた犬夜叉がはっと我に返るよう咄嗟に声を上げてその背を追おうとする。だがその瞬間どこか慌てた様子で行く手を阻むようにジャッ、と錫杖を差し出された。 「およしなさい犬夜叉、狼野干は奈落に操られていただけでしょう。これ以上は無駄な殺生です」 「……」 弥勒が説得するようにそう犬夜叉へ告げる。すると犬夜叉は素直に足を止めたものの、納得がいかないといったような、不服そうな表情を滲ませて黙り込んでいた。 やがて日が傾き、空が端から朱色に染まっていく夕暮れ時。一行は村へ戻ってきたのだが、犬夜叉は一人になりたいといつもの木へ赴き、その枝の上で彼方を見つめるまま悔しさに思い耽っていた。 「(ちくしょう…奈落…必ず追い詰めて、桔梗の敵をとってやる! もう…おれが桔梗にしてやれることは、それしかねえ…)」 再び桔梗を失ったいま、犬夜叉にとってはそれが唯一の罪滅ぼしなのであろう。それを思い、空の彼方に桔梗の姿を想う。そして切なげに顔をしかめてしまう犬夜叉のその姿を、少し離れた場所で彩音とかごめ、七宝の三人が見つめていた。 「犬夜叉の奴、せっかく二人が戻ってきたのに自分のカラに閉じこもりおって」 七宝が犬夜叉を見据えながら不満げに悪態づく。だが二人は哀愁漂う後ろ姿に声を掛けることすら躊躇われるような気がして、ただ静かに見守るだけであった。 ――なにより、彼が桔梗を想っていることが分かったから。分かってしまったからこそ、声を掛けられるはずがなかった。 邪魔なんてできない、そんな思いでフ…と視線を外せば、同様に顔を背けたかごめが森へ向き直っていた。どうやらこちらへ戻ってくる前、かごめは現代で北条とデートをしていたのだという。しかしそれを切り上げるまま家族に話す間もなくこちらへ戻ってきてしまったため、一度現代へ帰ろうと思ったようだ。 それを聞いた彩音は「井戸まで一緒に行くよ」と告げ、二人はともに森へと歩き出した。 そうして森の奥に辿り着けば、犬夜叉に破壊された井戸がみすぼらしく出迎えてくれる。無残な姿になったそれを静かに眺めながら、「またあとでね」と言い残し井戸へ飛び込んでいくかごめに小さく手を振った。 「…はあ…」 崩れた井戸に触れながらため息をこぼす。そんな彩音が井戸を通らずここで足を留めたのには理由があった。 それは、自分の時代のこと。またあそこに――自分の存在が消えたあの場所に戻ったらと思うと、恐ろしくて井戸に飛び込む勇気が湧かなかったのだ。 あれだけ帰りたいと願っていたはずなのに。どうしてこんなことになってしまったのだろう。答えの見つからない思いに苛まれながら唇を噛み締めていた、そんな時であった。 突如背後から「おいっ」と不躾な声が投げ掛けられる。それに顔を上げて振り返ってみれば、そこには先ほどまで殻にこもっていたはずの犬夜叉の姿があった。 「犬夜叉…」 しばらくはあのままだろうと思っていた彼がこの場にいることにどこか意外そうな顔を見せて呟く。すると犬夜叉はどこか気まずそうにしながら、言葉を選ぶようにそっと口を開いた。 「彩音…あの時、自分の時代に帰れたって言ってたよな。散々な思いって…なにがあったんだ…?」 そう口にしながらも、思い出させたくはないと思っているのだろう。慎重に、気を遣うように尋ねてくる彼の姿に彩音は小さく口をつぐんだ。 もちろん、できることならば思い出したくはない。早く忘れてしまいたい。でも、どうしても忘れられない―― そんな記憶を彩音は意を決したように語り始めた。その全てを、なにもかもを―― 「存在が…消えてた…?」 「うん…まるで、私が最初からいなかったみたいに…」 事の顛末を聞いた犬夜叉が耳を疑うように眉をひそめ、彩音も同様に顔をしかめる。経験した彩音自身が理解できないのだ、犬夜叉が信じられないとばかりに不安げな表情を見せてしまうのも仕方がないだろう。 原因だって分からない。そう犬夜叉へ話せば、彼はやはりあの名前を口にした。 「…やっぱり、美琴が関係してるのか…?」 「それは…分かんない。ただ言えるのは、私の居場所が…もうここしかない、ってことかな」 困っちゃうね、なんて続けながら彩音は誤魔化すように笑顔を浮かべる。努めて笑っていないと、怖いのだ。自分は犬夜叉の言いつけを破って勝手にここへ戻ってきたから。こうして話し合って、今度こそ真に別れを告げられるかもしれないから。だから笑って、期待しないでいて、“その時”がきても我慢できるように努めていた。 するとそんな彩音の姿を目にした犬夜叉は深く黙り込み、その顔を俯ける。そうしてゆっくりと口を開き、言葉を選ぶような様子で言いづらそうに話し始めた。 「彩音…こんな言い方するのも、どうかと思うけどよ…おれ…彩音の居場所がここしかないってこと、なんつーか…ちょっと、嬉しいと思った」 「…え…?」 紡ぎ出すようにゆっくりと告げられる言葉に思わず声が漏れる。そのような言葉を向けられるとは思ってもみなかったから。自身が苦しい思いをしたことを知っていて、嬉しいという言葉が出てくるとは思わなかったから。 一体どうして、なにを言おうとしているのだろう。なにひとつ分からない彼の思いにただ戸惑うまま、彩音は眉をひそめるようにして彼を見つめていた。 それに気が付いているのかいないのか、犬夜叉は彩音と視線を合わせることなく、そっと囁くように言葉を続ける。 「あのな…遠くにいてもいいと思ってた…でも…やっぱりお前の顔見たら、なんか…力が出た。やっぱり…彩音に傍にいてほしい…」 桔梗のことは忘れてはいけない――そう思いながらも、犬夜叉は真剣な瞳で儚げに告げた。 「だから…ずっとここにいてくれ」 その言葉を最後に、犬夜叉は彩音の手を引きその体を力強く抱きしめる。 突然のことに驚く彩音であったが、視界いっぱいに広がった赤に包み込まれる暖かさが胸に沁みて息を詰まらせた。堪えきれなくなった涙を、いくつもこぼした。 拒絶されなかった。必要としてくれた。それがなににも代えがたい救いに感じられて、嬉しくて。 いつしか込み上げる感情をそのままに、精一杯の声を上げて泣き続けた。

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