白んだ景色の中、殺生丸は長い銀の髪をなびかせながら風を纏うように空を移動していた。だがそこについて来るのは従者の邪見だけではない。辺りを取り囲むようにして飛ぶ無数の最猛勝たちが付きまとい続けている。
「この虫ども、いつまでついて来るのだ」
「ふん…大方、この腕に仕込んだ四魂のかけらを捨てるのを、待っているのだろう」
どこか疎ましげに言っては袖から左腕を抜き、グイ、と着物を押し退ける。そうして全貌を晒された左腕に、傍の邪見は思わず「ん゙!?」と声を上げるほど大きく目を見張った。
「腕の繋ぎ目が…体に向かって伸びている…!?」
愕然とこぼされるその言葉通り、殺生丸と繋がる人間の左腕からは血管のような触手がいくつも伸びており、ギチギチギチと奇妙な音を立てながら彼の体へ侵食を始めようとしていた。
「ふん…危なく腕に喰われるところだ…」
表情の変化乏しく、わずかに眉をひそめる程度の彼は低く呟くとともに左腕を掴み込む。直後、バキバキと生々しく激しい音を立てるほど容赦躊躇いひとつなくそれを[D:25445]ぎ取っては、最猛勝が囲む開けた空間へ投げ捨てるように放り出した。すると一匹の最猛勝がそれを受け止め、途端に殺生丸への興味を失くしたかのように一斉に背を向けてしまう。
恐らくは回収した左腕を――かけらを主の元へ返しに行くのだろう。邪見は徐々に小さくなるその姿を目で追いながらそれを思っていたが、同じく最猛勝を見つめる殺生丸へそっと視線を移しては、「あのう…」とどこか様子を窺うようなか細い声で言い出した。
「殺生丸さま、先ほどのことですが…」
「なんだ」
「
彩音とやらの小娘に言い残したお言葉…なんというか…まるで慰めのようでございましたが、まさかお気に掛けられて…?」
「……」
表情を覗き込むようにして恐る恐る言葉を口にする邪見に対し、殺生丸は視線を向けることすらしないまま黙り込んでしまう。かと思えば、突然邪見の手から人頭杖を奪い取り、その先で邪見の頭をどす、と押さえつけた。
「そのようなこと、私がすると思うのか」
「あ゙っ。もっ、申し訳ありません殺生丸さま! やめてっ。落とさないでっっ」
容赦なくぐいぐいと押されて落とされそうになる邪見は必死に白い尾にしがみつきながら謝罪の声を上げる。すると、つまらなそうなため息を小さくこぼされながらもなんとか手を止めてもらえて。邪見は途端に尾の中央近くへよじ登り安堵のため息をこぼしたのだが、直後、投げ返された人頭杖を思いきり顔面で受け止める羽目に遭ってしまったのであった。
――深い霧を纏う山々。その中の鬱蒼と茂る木々の下で待つ男がふと毛皮に覆われる顔を上げた。それに応じるように空から姿を現したのは複数の最猛勝。先頭のそれが持つ左腕を視認した男――奈落はゆっくりと降りてくるそれに手を伸ばし、受け取った左腕の無残な姿を見てはどこか疎ましげとも取れる声を小さく漏らした。
「殺生丸め…しくじりおったか…」
その声が虚空へ消えるや否や、突如背後に音もなく現れた気配にピク…と微かな反応を見せる。瞬間、奈落は咄嗟に距離をとるよう飛び退き、背後に立ったその者へ「これは殺生丸さま…」と胡乱げながらも姿勢を正すような声を向けた。
しかしそれにすぐさま声を荒げたのは邪見の方だ。
「奈落貴様…その腕で殺生丸さまを喰い滅ぼすつもりだったのか!?」
「滅相もない。お貸しした四魂のかけらを、お返しいただく仕掛けをしておいただけ…」
痺れを切らした様子の邪見とは対照的に、奈落は依然として冷静かつどこか楽しんでいるような声で言いながら左腕の中の四魂のかけらを取り出してみせる。
悪びれる様子もないその姿。それを静かに見据えていた殺生丸はその涼しげな表情に薄く穏やかな笑みを浮かべた。
「……用意のいいことだな…」
そう言い切るが早いか、殺生丸は目にも止まらぬ速さで爪を振るい奈落の首を勢いよく斬り飛ばした。狒狒の毛皮を纏ったそれはドン、と鈍い音を立てるほど力なく地面に落ちる。
すると邪見が途端にそこへ駆け寄り、その小さな足で思い知らせるかのようにドカ、と首を蹴りつけた。
「ざまをみろ! 殺生丸さまをコケにしおって…」
「ちっ、逃がしたか…」
「は?」
目の前の状況にそぐわない殺生丸の言葉に思わずそんな声を漏らす。だがその直後、力なく広がり落ちる毛皮の中になにもないことを目の当たりしては「な゙っ…いない!?」と声を上げるほど愕然と目を見張ってしまった。
先ほどまで確かに動き、こちらに語り掛けていたはずの者。その姿が忽然と消えたという信じがたい現象に邪見が戸惑いを露わにすると同時、ザワ…と鳴らされる木々のざわめきの中に姿の見えない奈落の声だけが響いた。
「怒りをお鎮めくだされ…いずれまた…犬夜叉めを殺す算段がついたら、お尋ねするやもしれませぬ…」
自分を殺そうとした殺生丸に怯える様子など一切なく、あくまで余裕を失わない胡乱げな声。それを静かに聞いていた殺生丸は冷ややかで鋭い眼差しを姿の見えないあの男へ向けるよう虚空を見やっていた。
「つくづく…食えない奴だ…」