色づき始める心
あれから――あの紅葉のような人を見てから二、三日が経った。というのにあの人の姿が脳裏に焼き付いて忘れられず、外に出てはなんとなくその姿を探してしまっていた。 不思議な感覚だ。目を惹く人はそれなりにいるというのに、あの人だけは特別違って見えてしまう。それになんだか、胸が高鳴るような高揚感を抱く気さえする。 自分のことながら初めての感覚に首を傾げてしまっていると、そんな私を気が付いたらしいタクミさんに呼び掛けられた。 「どうした? チトセちゃん。なんか気になることでもあったか?」 「へ、あっ…すみません、ちょっと考えごとしてて…ところでタクミさん、こっちの木材は向こうに運べばいいんですか?」 「おう、そっちに適当に積んどいてくれ!」 私が抱えた木材を見せながら尋ねれば、タクミさんは爽やかな笑顔で快活に答えてくれる。それに「はい」と短く返しては、抱えられるサイズとはいえ重みのある木材をしっかりと抱き込んだ。 ――このとおり、今日は春の里の名大工、タクミさんが営む『桜屋』でお手伝いをさせてもらっている。とはいえデスクワークばかりで体力も筋力もない私にできることは少なくて、それほど大きくない木材を運んだり掃除をしたりといった軽作業をやらせてもらっているだけなのだけど…これだけでも私には中々の重労働だ…。 「これは…筋肉痛コースかも…」 タクミさんに指定された通りに木材を移動させながらよぎったイメージに乾いた笑みが浮かぶ。元の世界にいた頃は運動なんて通勤の移動くらいしかしていなかったから、ちょっとした力仕事でもすぐ体が悲鳴を上げてしまうのだ。 おかげでアズマの国に来てからの一週間とちょっと、この短い間に何度も倒れ伏してしまっていた。 そして今回も漏れなく早々に体力が尽きかけてしまって、まだ半分ほどしか移動させられていない木材にしな垂れかかりながら肩で息をしてしまう。 「ははっ、もうへばったか。置いといてくれりゃ俺がやるから、無理すんなよ」 「い、いえっ。大丈夫です、いけます!」 笑って気遣ってくれるタクミさんに私は慌てて顔を上げると、半ば自分に言い聞かせるように声を返して立ち上がった。 みんな優しいからすぐに“いいよ”と言ってくれるけれど、それに甘えていたらいけない。少しでも役に立って恩返しをしなければ。そう意気込んで振り返ったその時、ふと視界の端に見えた姿に目を奪われた。 晩秋の紅葉を思わせる羽織と鮮やかな緑色の着物、特徴的な長い髪――あの人だ。 思わず目を奪われるようその姿に振り返っては、上がり始めていた呼吸のことも忘れてじっと見つめてしまう。 「今度はどうした? なにか変なもんでも見つけたか?」 そんな声と同時にタクミさんが私の目線を確かめるように顔を並べてくる。それにはっとした私は「すみません、またぼーっとしちゃって…」とすぐさま頭を下げた。 …けれど、誰かといる時にあの人の姿を見るのは初めてだ。それに気が付いた途端好奇心が顔を出して、私はつい横目にあの人を見ながら尋ねてしまった。 「あ…あのタクミさん、あの人って…」 「ん? クラマさまのことか? …そういやチトセちゃんは春の里でしか過ごしてないから知らねぇのか。あの人はクラマさまって言って、秋の里の神さまだぜ」 鮮やかな後ろ姿を見つめながらタクミさんがはっきりとした声で教えてくれる。それに釣られてか、あまり真っ直ぐ見ないようにしていた私までその背中をじっと見つめてしまう。 「…クラマ、さん…」 ようやく知ることができたあの人の名前を確かめるように復唱する。 秋の里の神さま――どうりで秋らしい姿をしていると思った。 神さまと聞くとなんだかとんでもない人のように感じられるけれど、思えばうららかさんだってこの春の里の神さまだし、この国では神さまが普通に人と触れ合っていたり接していたりする。 だからきっとそんなに恐れ戦くものではないのかもしれないけれど、うららかさんと同じなのかもしれないけれど…どういうわけか、あの人だけはやけに強く私の目を惹くような特別感がある気がしてならなかった。 ――そうしてしばらく桜屋のお手伝いに奮闘しては、なんとかやり切った私にタクミさんがお駄賃を握らせてくれた。お手伝いをさせてもらっている側だからと断ろうとしたけれど、タクミさんはそんな私を拒否して「褒美に甘いものでも食べて来な!」と私の背中をバシッと叩いて追い払ってしまって。 そこまでされては突き返すわけにもいかず、ヘドバンかというくらい何度も頭を下げてお礼を言った私は、タクミさんの言うとおり甘いものを食べようといろは茶屋へ訪れていた。 そこでいろはちゃんに三色団子とお茶をお願いして、待っている間に疲れ切った体をほぐすよう、長椅子に腰掛けたまま足を投げ出して脱力した。すると早速いろはちゃんがお盆を手に私の元へ来てくれる。 「あれ、なんだか今日は一段とお疲れだね。はい、ご注文の三色団子とお茶だよ」 「ありがとう、いろはちゃん。実はさっきまで桜屋のお手伝いをさせてもらってて…大したこともできてないのにへろへろになっちゃったんだよね…」 「あはは。チトセさん、体力ないって言ってたもんね」 しおれながら言えばいろはちゃんは可笑しそうに笑う。以前いろは茶屋のお手伝いをした時もたまたま忙しいタイミングに当たってひぃひぃ言ってしまっていたから、いろはちゃんも私の体力のなさを知っているのだ。 だからこそ桜屋ではどんなことをしたのか、どれだけのことができたのかという話になって、今日のお手伝いを思い返しながら談笑していた。 そんな時、脳裏に一緒に甦ってきたあの姿に小さな鼓動が音を立てる。 確か名前は…、手繰るように思い出したその名前を口にすることに少しだけ緊張するような感覚を抱きながら、意を決していろはちゃんに聞いてみることにした。 「ねえ、いろはちゃん…あの…クラマさん、って…どんな人…?」 「クラマさま? どうしたの突然?」 「えっ、い、いやぁ…この前初めてお見掛けして…なんとなくどんな人なのかなーと思って…」 問い返されたことに少しだけ焦ってしまいながら当たり障りのない答えを返す。別にやましいことをしているわけでもないのに、なぜだかちょっとドギマギしてしまうのはなんでだろう。 自分でも不思議に思いながらいろはちゃんの答えに少しばかり期待のような思いを寄せていると、彼女はうんうんと頷きながら話し始めた。 「ちょっと分かる気がするなー。クラマさま落ち着いてて大人の男性って感じだし、背もすっごく高いから目を引くもん。…でも、クラマさまのことだったら、わたしよりうららかさまに聞いた方がいいかも。神さま同士で接点もあるしね」 そう話すといろはちゃんはすぐにお店の前のうららかさんを呼んだ。すると気付いてくれたうららかさんは淑やかな足取りで私たちの元へ来てくれる。 「いろはさま、なにかありましたか?」 「用があるのはわたしじゃなくて…。チトセさんがクラマさまのことを知りたいって言ってたので、教えてあげてくれませんか?」 私の代わりにいろはちゃんがうららかさんに事情を話してくれる。けれど…なんだかその言い方だと私がクラマさんにすごく興味を持っているように聞こえる気がして恥ずかしい…。確かに知りたいとは思うし間違ってはいないのだけど…こうしてはっきり言葉にされると無性に照れくさくなってしまう。 私が一人で照れているうちにいろはちゃんがほかのお客さんに呼ばれて。「わたしはお店の方に戻るので、チトセちゃんのことお願いします」とうららかさんへ言い残したいろはちゃんはあっさりと去ってしまった。 そうして残されたうららかさんは微笑んで、隣に腰を下ろしながら私に膝を向けてくれる。 「チトセさまが誰かのことを尋ねられるなんて珍しいですね。なにかありましたか?」 「い、いえ…ちょっとどんな人なのかなーと思っただけで…そんな真面目な話とかでもなくて…」 何気なくさらっと聞けたらいいと思っていたのに、想定外にしっかりとお話する形になってつい申し訳なさが勝ってしまう。それでもうららかさんは嫌な顔ひとつせず向き合ってくれて、「クラマさんですか…」と少し考え込むような姿勢を見せた。 「あの方は頭がよくて色んなことを知っていらっしゃる軍司のようなお方ですわ。それに…面倒だなんだと文句を言ってはいますが、いつも里の人たちを気にかけているくらいお優しいんです。そうそう、里の子供たちの遊び相手もしていてとても慕われているんですよ」 うららかさんが顔の横でぽん、と手を合わせながら優しく温かに語ってくれる。こうしていいところが次々に出てくるくらいだから、きっといい人なんだろうなぁ。なんとなく抱いていたイメージと同じ、あるいはイメージよりも思いやりがありそうな感じだ。 それが分かると、不思議と胸の奥が温かくなっていく。少しだけお話してみたい気もしてくる…なんて思った時、うららかさんが私を覗き込むようにしてわずかに声をひそめながら問いかけてきた。 「もしかして、クラマさんが気になりますか?」 「へっ!? い、いやっ、そんな…ただどんな人なのかなーと思っただけで、気になるとか、そこまででは…」 なんだか胸のうちを明かされたような錯覚につい慌ててそんな言い訳をしてしまう。 確かに気になる人だなぁとは思うけれど、うららかさんの言う“気になる”はきっと私のそれとは違うはず。だって私はまだあの人のことを遠目に見ただけで、今日やっと名前なんかも知れた程度。そんな風に意識する領域には達していないと思った。 自分の中でそう整理してみるとすぐに落ち着きを取り戻せるような気がしてくる。そうだ、こんな風に焦る必要なんてない。むしろなんで焦っちゃったんだろ。なんてことを考えながら一息ついては、気を取り直すように顔を上げた。 そんな時、ふと視界の端に見えてしまった。あの見覚えのある紅色が。思わず心臓が小さく跳ね上がるような感覚を抱きながら視線を向けると、里の社の方から一人静かに歩いてくるあの人の姿をはっきりと見つけた。 それにはうららかさんも気が付いたようで、彼の方を見ながら「あら、」と短い声を漏らす。 「そういえば今日もいらっしゃっていましたね。…そうですわ、チトセさま。この際お話してみてはいかがでしょう? もし、クラマさ――」 「う、うららかさん!?」 突然クラマさんを呼び込もうとするうららかさんにぎょっとして、慌てた私は弾かれるよう咄嗟にうららかさんの口を塞いでしまった。 聞こえてたらどうしよう、こっちに来ちゃったらどんな顔すればいいの…!? 瞬時に湧き上がってくるいろんな思いが頭の中でぐるぐると渦を巻き始める。けれど幸い聞こえていなかったのか、クラマさんは足を止めることなく里の門へ向かっていき、こちらには顔さえ向けることはなかった。 去っていく後ろ姿を見送りながら、ほ…と息をつく。そんな時、私の手の中でもごもごとなにかを喋るうららかさんに気が付いては、さーーーっと血の気が引くような思いで慌てて手を放すまま飛び退いた。 「すっすみません、うららかさんっ! 私ってば、咄嗟に…」 「いえいえ、お気になさらないでください。驚かせてしまったわたくしが良くありませんでしたわ。…ふふ、チトセさまは恥ずかしがりやさんなのですね」 「え。えっと…そういうわけじゃないんですけど…」 恩人に対して失礼なことをしてしまったにもかかわらず穏やかに笑って言ううららかさんに小さく頬を掻く。 こんなのはクラマさんにだけだ。あの人のほかに、こんな風に慌てたり慎重になったりしない。だから恥ずかしがりやさん、というのは違う気もするのだけど、代わる言葉が出てこなくてただ口籠ってしまうことしかできなかった。 するとうららかさんは相変わらず微笑んだまま、きゅ、と両手の指を絡めるように握ってみせる。 「うふふ。わたくし、チトセさまが良きご縁を結べるよう、しっかり応援いたしますわ」 なんだかとても楽しそうな様子で声を弾ませるうららかさんの言葉に、私はつい首を傾げてしまいながら「は…はい……?」と曖昧な返事をする。 よく分からないけれど、なにやら応援してくれるみたい…。とはいえその応援の意味がよく理解できなくて、これは喜んでもいいのかな…? と頭に“?”を浮かべるばかりだった。 この言葉の意味を私がちゃんと理解するのは、もう少しあとのこと――あとがき
名前と人柄が知れました。わーい! ……すみません、進みが遅いですね。まさか私もこんなじっくりになるとは思わず、かといって詰めすぎるのもどうかと思ってじわじわと進んでおります。 早くクラマさんと絡ませたいですね。早くイチャイチャさせたい…(遠い目) 『龍ファク』キャラを書き慣れてなさすぎてすごく探り探り書いている感じが出てしまっているような気がするのですが、すみません、それはまた慣れた頃にしれっと直しているかもしれないです。あとから修正が私の伝統芸なので…。 いまの段階ではもしかしたらちょっと読みづらさを感じてしまうかもしれませんが、少しでも楽しんでいただけていたら幸いです…! 早く慣れろ私~~~~~!