一葉落ちて恋を知る
(また早く起きちゃった…) ふあ…とあくびをこぼしてしまいながら少し後悔に似た思いを抱く。のどかで時間も気にしなくていいアズマの生活を始めてもう一週間以上経っているというのに、社畜時代の癖が体に染みついているのかどうしても朝早くに目が覚めてしまう。 いい加減どうにかしたいなぁと思うけれど意識して簡単に変えられることでもないし、同居しているカグヤちゃんが同じくらいの時間に起きて忙しく動き始めることもあって、私だけのんびり寝ていられない! と、どうしても二度寝に勤しめなかった。 それに、早く起きて朝特有の清らかな空気を堪能するのも楽しみになっているから、案外この早起き癖も悪くないのかもと思い始めている。 裏の縁側の障子を開けて伸びをしながら深く息を吸い込む。まるで体中が澄み渡っていくような感覚さえ抱いては、同じように深く息を吐いて「よし、」と小さく意気込んだ。 カグヤちゃんやモコロンもそろそろ起きるだろうから、先に朝ご飯を用意しよう。最初こそは勝手が分からなくて苦戦していた囲炉裏での料理もずいぶん慣れて、いまでは私がこの竜神社の料理担当になっていた。 これが少しでも恩返しになっていたらいいなぁ、なんて思いながらテキパキ料理を進めていると、匂いにつられるようにカグヤちゃんとモコロンが起きてきてお互いに軽く挨拶を交わした。するとモコロンの顔が嬉しそうにとろけていく。 「ん~…今日も美味そうだなぁ」 「本当に美味しそうです。今日はトーストですか?」 「うん。私が食べたくなって…そうだ、昨日持って帰ってきてたリンゴも出していい?」 カグヤちゃんが昨日収穫したというリンゴを取り出すと、カグヤちゃんは「はい」という短い返事と併せて「いつもありがとうございます」と微笑みをくれた。でもそれは私こそ伝えたい思いで、「こちらこそ」と返しながら早速リンゴに包丁を入れた。 今日のメニューはトーストにスクランブルエッグ、ウインナーに簡単なサラダとデザート替わりのリンゴ、といったちょっとホテルライクなもの。簡単なものばかりだけど二人はいつも喜んでくれて、作る私もなんだか嬉しくなってくる。 前の生活じゃコンビニご飯とかカップ麺ばかりに頼ってて自炊なんて全然しなかったのに、いまじゃ進んで作るようになったのだから自分でもちょっと驚いている。心の余裕って大事だなぁって、変なところで実感してしまった。 そうして切り分けたリンゴを小皿に乗せていた時、トーストを頬張るモコロンが思い出したように顔を上げた。 「そういえばカグヤ。クサツに頼まれてた食材だけど、もう用意できたのか?」 「サツマイモとカボチャがまだですが、今日収穫できるはずなのであとで秋の里にも行くつもりです」 モコロンの質問に答えるカグヤちゃんの言葉を聞いて、小皿を並べていた手がぴく、と小さく揺れた。 秋の里――最近聞いたその言葉に想起されるよう、あの人の姿が脳裏に甦る。タクミさん曰く秋の里の神さまだというあの人。未だ遠目にしか見たことがないその姿が瞼の裏に焼き付いているような錯覚があって、なんだか少し落ち着かないような感覚が胸の奥に居座った。 いやいやいや、なんで思い出しただけでこんなにそわそわしちゃうの。それに、いまは秋の里って単語が出ただけで、あの人は関係ないでしょ。 つい自分に言い聞かせるようにそんな思いを胸中で吐き出しては、気を取り直すように自分の席に座って箸を手にする。 するとそんな私に視線を移したモコロンが言った。 「チトセはまだ秋の里に行ったことないんだよな?」 「うん。春の里を出たこともないから…その、秋の里って、どんなところ?」 「そうだなぁ…ちょっと春の里に似てるか?」 「そうですね。過ごしやすい気候で、お淑やかな空気感というのは似ていると思います。でも景色が全然違っていて、見渡す限りの紅葉がとても綺麗なんですよ」 モコロンに続いてカグヤちゃんが笑顔で教えてくれる。その表情と言葉から、彼女の言う景色が本当に綺麗ですごいものなんだろうな、というのがよく分かる。 「へぇ~っ、いいなぁ…紅葉好きだから見てみたいなぁ」 想像することしかできない未知の景色に憧れて、ついそんな言葉が出てしまう。 私は昔から季節の中では断然秋が好きだった。すごしやすい気候なのもいいのだけど、なによりやっぱり紅葉が好き。中でももみじが好きで、あの鮮やかさと、それに反したような切なさを感じられるのがほかの季節にはない魅力だと思う。 見渡す限りの紅葉、というくらいだし本当に綺麗で圧巻なんだろうなぁ。なんて焦がれていると、モコロンが早くもリンゴを齧りながら提案してくれた。 「行ってみたらいいんじゃないか? 案内ならオイラとこいつがしてやるぜ?」 「ありがとうモコロン。…でも…いまはまだ、かなぁ」 とん、と軽く胸を叩くモコロンに笑い掛けながらも少し言葉を濁してしまう。 もちろんモコロンの申し出はありがたいし受けたいくらいなんだけど、春の里やその周辺だってまだ全然回り切れていないし堪能もできていない。まだ春の里を隅々まで知っていきたい段階だ。だからそれを抜け出すまでは、ほかの里はお預けにしておこうと思っていた。 それを再確認するように胸のうちで考えていれば、モコロンから「ま、行きたくなったらいつでも言ってくれよな」と頼もしい言葉を向けられる。そんな彼にもう一度お礼を口にしては、彼女たちと話していくうちに頭の中に広がった紅葉に思いを馳せた。 (…秋の里…あのクラマさんが…神を務める里…) 紅葉の中に浮かび上がるように、またあの人の姿が甦る。 秋の里に行けば、もっとあの人を見られるかな。あの人とお話ができるかな。あの人のこと、知ることができるかな。 シャボン玉が膨れてふわふわと浮かび上がるように、欲のような思いがひとつ、またひとつと湧き上がってくる。それらが胸のうちに溜まっていく中、「チトセさん?」というカグヤちゃんの不思議そうな声によってシャボン玉が霧散するように弾けた。 「え、な、なに? カグヤちゃん」 「なんだかぼーっとしているようでしたので、なにかあったのかと…」 「それに、ちょっと顔が赤い気がするぞ。体調でも悪いのか?」 「へっ、あ、だっ大丈夫! ちょっと考えごとしてただけだからっ」 まさかクラマさんのことを考えていました、なんて言えるはずもなくて、そもそもこうして彼のことに考え耽っていることさえなんだか恥ずかしくて、咄嗟にぶんぶんと両手を振って笑いかけた。 そのあと不思議そうにするカグヤちゃんとモコロンに違う話題を振って強引に話をすり替えた私は、ようやく終えた朝食の後片付けをして。ご飯のあとに少しだけのんびりとお茶を啜っては、武器や道具なんかの支度を済ませたカグヤちゃんたちを軒先まで見送った。 この時間は大体いつもこんな感じだ。こうして彼女たちを見送った私はお布団を干したり境内の掃除をしたりと決まったことをして、あとは自由を持て余してなにかやることがないかと探し回るのがいつもの流れ。 …けれど、今日はもう竜神社ですることが特にないみたい。里の人からの頼まれごともないし、これといってすることが思い浮かばない。カグヤちゃんが働いている間にするのは気が引けるけど、今日はゲームでもして過ごそうかな…と思った時、以前カグヤちゃんから聞いた話を思い出した。 「そうだ、絵馬を見に行ってみよう」 ぽん、と手を打っては踵を返す。 この前聞いたばかりなのだけど、どうやら里には絵馬掛けが設置されているという。でもそれはいわゆる神社のお供えや祈願といったものとはちょっと違っていて、ゲームで例えるならクエストカウンターのような、依頼やお願いを伝える場なんだとか。 カグヤちゃん曰く、魔物の討伐やそれに伴った拾得物の納品なんかが多いらしいのだけど、たまに畑仕事を手伝ってほしいとか店番をしてほしいといった私でもできそうな依頼があったりするという。 なにかいい依頼が見つかるといいな。なんてちょっとした期待を抱きながら、早速絵馬掛けが設置してあるという里の神社の石階段までやってきた。 その脇には確かに鳥居と同じ鮮やかな朱色の絵馬掛けがある。見ればいくつかの絵馬が掛かっていて、目の前まで足を運んだ私は未受理の絵馬をひとつひとつ指で辿るようにしながら眺めていった――けど… 「んー…私ができること…なさそう…」 思わず落胆の声が漏れてしまう。 どうやら今日は私にできそうな依頼がひとつもないようだった。やっぱりと言うべきか、あるのは“襲い掛かってきた魔物を退治してほしい”や“魔物に奪われたものを取り返してほしい”といった戦闘系の依頼ばかり。武器を持ったこともない私ではどうしようもない結果だった。 そうだよね…カグヤちゃんが毎日見回りに行くくらいだもん、魔物の被害に困っている人が多いのは分かり切ってたことだよね。 とはいえ、ここまでものの見事に役に立てないことを痛感してしまうとちょっと凹むものがある。 いっそのこと、カグヤちゃんにコーチをお願いして私も戦えるようになるべきかな…。なんて無謀なことをつい考えてしまいながらとぼとぼと帰途に就いた。 ちら、と目を向けたいろは茶屋も人手が足りているようで、私に気付いてくれたいろはちゃんとすずちゃんがにこやかに手を振ってくれる。私もそれに笑い掛けて手を振りながら、竜神社へ向けて足を進めた。 今日はなんだかみんなまったりしているみたいだし、お仕事探しは諦めて私ものんびりしようかな。後ろめたい気持ちはあるけれど、途中でやめているゲームだってやりたいし。…というわけで、今日はお休みデーにしよう! 胸のうちでそう結論付けては竜神社の階段へ続く道に足を踏み入れた。 そんな時、ふと里の門から歩いてくる人影に気が付いてつい足を止めてしまった。 (あ…クラマさんだ…) 視線の先に捉えたその人の姿に思わず胸のうちで呟く。あの特徴的な朱が差した長髪を揺らしながら、クラマさんはどこか遠くに視線を投げながらこちらへ向かってきていた。 いろは茶屋に向かっているのかな。いや、よく桜の御神木の下で本を読んでいるって聞いたことがあるし、もしかしたら神社の方へ向かっているのかも。 静かに足が進められるのを見つめながら、ついそんな予測をしてしまう。 それにしても…やっぱりあの人は、身長が高いのも相まってかすごく大人びて見えて格好いい。正面からこうしてちゃんと見るのは初めてだけれど、目を隠してしまいそうなほど長い前髪の奥に見える瞳がペリドットのような優しい緑色をしていて見惚れてしまいそうになる。 ずっと見ていたくなるような、綺麗な瞳。それに釘付けになってしまったせいか、私は帰途の最中だということも忘れて彼に見入っていた。 けれどそれだけ見られればさすがに視線を感じたようで。どこかへ投げられていたクラマさんの視線が不意に、私のそれと絡み合う。 「あっ…」 しまった、見すぎちゃった…! 言い逃れができないほどはっきりと目が合ってしまった私は心臓が飛び出しそうなくらい跳ね上がるのを感じて思わず小さな声を漏らす。その瞬間咄嗟に目を逸らしては、まるで逃げるように竜神社への階段を駆け上がっていった。 そうして鳥居の陰に隠れるように背を預けては、ずるずると脱力するままにへたり込んでしまう。 どうしよう…今度ばかりは見てたこと絶対にバレたよね…。完全に目が合ったもん。一瞬、“ん?”みたいな表情をしてた気がするもん…! あぁ~~~やらかしちゃった…! 絶対に変な奴だって思われた。それどころかつい逃げだしちゃったから不審に思われたよね。もしかしたらじろじろ見て気味が悪い、なんて思われたかも…! あぁもう、なんでそんな失礼なことしちゃったんだろう…!! 瞬く間に後悔と自責の念が雪崩のようにとめどなく押し寄せてくる。けれど今さらなにを思ってももうあとの祭りで、胸のうちに膨らむそれらの気持ちに塞ぎ込むよう膝を抱えて頭をうずめた。 「…嫌われたらどうしよう…」 溢れ出す感情がやがて不安に変わって胸を埋め尽くした時に思わず、無意識に口を突いて出た言葉。 それが自分の耳に届くと同時に、ふと思考が止まるような感覚があった。 あれ…私、なんでそんな心配してるんだろう。確かに人に嫌われるのは嫌なことだけど、クラマさんと私に接点なんてないし、同じように見かけるだけの人にこんな不安を抱いたりなんてしないのに。なんでクラマさんにだけは、嫌われたくないと思っちゃうんだろう。…そもそも…なんで彼のことばっかりこんなに気にしてしまうんだろう。 (こんなの…まるで、恋でもしてるみたい…) 不意によぎった思い。それはどこか懐かしささえ感じるような感覚に“まさか”と半信半疑で浮かんだ小さな可能性程度の思いだったのだけど、私の中で形もなく漂いながら質量を増していた感情が、瞬く間に形作られていくのを感じる。すとんと、腑に落ちるような感覚を抱く。 あぁ、だめだ。この感覚、もう間違いようがない。誤魔化しようがない。気付いてしまった。 私、クラマさんに…恋、してる。 自覚してしまった途端に鼓動が速さを増して、途端に汗が滲んでしまいそうなくらい顔が熱くなっていく。ほかの音が聞こえなくなるくらい、心臓の音がバクバクと鼓膜に響く。 相手は違う里に住んでいて、時折姿を見るだけで最近やっと名前や人柄を人伝に聞きかじった程度なのに。それでも初めて目にしたあの日から脳裏に焼き付いて離れないあの人の姿を心のどこかで捜している、求めていることに違いはなくて、初めて体験した“一目惚れ”の感覚に戸惑いが隠し切れなかった。 まさか私が一目惚れをすることがあるなんて。そもそも一目惚れなんて、漫画やドラマのフィクションの世界にしかないと思っていた。姿を見ただけで恋に落ちるなんて、あるわけないと思っていた。なのにこの気持ちに間違いはなくて、一層強く膝を抱え込みながら小さく体を丸めていた。 …どうしよう…一目惚れなんて初めてだし、恋自体もう何年もしていなかったからなにもかも忘れちゃってる。好きな人ができたらどうしてたっけ? 好きな人ができるなんて学生の頃以来だから、そもそも大人の恋愛ってどうすればいいのかも分からない。 私、どうすればいいんだろう。 「チトセさま? そんなところにうずくまってどうされたのですか?」 「!? え、あ、う、うららかさんっ…!」 突然掛けられた声に驚くまま顔を上げてはうまく回らない口で声を詰まらせながら名前を呼ぶ。パンク寸前になってしまっていたからか全然気が付かなかった。おかげでめちゃくちゃ慌てた不自然な対応になってしまって、うずくまっていたところを見られているのも相まってうららかさんに不安げな表情を向けられる。 「もしやなにか良くないことでもありましたか…? それとも、体調が優れないとか…」 「いっいえっ、そんな、なんでもないです! ちょっと自分の気持ちにわーってなっちゃっただけで…」 クラマさんを好きだと自覚して悶えてました、なんて言えるはずもなく、かなりアバウトに事情をぼかして言う。ついでに平気だとアピールするため、「このとおり、元気ですっ」と口にしながら立ち上がっては両手で握りこぶしを作ってみせた。 そんな私を確かめるように見つめていたうららかさんは分かってくれたのか、少し肩の力を抜くように小さな笑みを浮かべてくれた。 「何事もないのでしたら安心いたしました。もしなにか困ったことなどありましたら、すぐわたくしに相談してくださいね」 「はい、ありがとうございます。心配をおかけしてすみませんでした…。……ところで、うららかさん。なにか用事でもあったんですか?」 私たちは基本的に里を歩いて回って出会った時にお話しするくらいだから、うららかさんがこうして竜神社にわざわざ出向いてくることは珍しい。だからこそ私かカグヤちゃんに用事があるのだろうと思って尋ねてみたのだけど、その問いを向けられたうららかさんは「そうでした」と言って、胸の前でぱん、と軽く両手を合わせてみせた。 そうして向けられたのは、私の予想からかなり斜め上をいく言葉。 「今日はチトセさまを宴にお誘いしようと参りました」 「え? う、宴…?」 あまり馴染みのない言葉に少し耳を疑ってしまう。でもうららかさんの楽しそうな笑顔と少し弾んだ声色から聞き間違いではないことが窺えて、理解が遅れている私は首を傾げてうららかさんを見つめていたのだった。あとがき
ちょっと無理やり終わらせた感が否めませんが、長くなってしまったのでいったんここで区切りです。まだこのお話は続きます。 そして、今回で自覚しました、恋心…! どこで自覚させるべきかタイミングに悩んでいたのですが、きっかけが一目惚れから始まるお話だし自覚してからがスタートかな、と思ったのでここで自覚してもらいました。早いような遅いような…といった微妙なラインですが、自覚してくれないと進まない気がしたのでこれで良しとしましょう。 これから少しずつでも進んでくれたらいいなぁと願いながら筆を進めていきたいと思います! ついでにひとつ捕捉なんですが…今回出てきた朝ご飯がゲーム内ご飯に関係のないものだったのは、ヒロインが別世界からやってきているから、ということになっています。彼女は元々この世界の住人ではないのでゲームに関係なくなんでもありなご飯を作ったりします。 元々ゲーム内ご飯にこだわる必要はないかなぁとも思うのですが、今回はあえてそうしてますということを一応お伝えしておこうかな…と。 ご飯に限らずいろんな面でゲームにはないようなこともあるかと思いますが、まぁ夢小説ということで大目に見てやってくださいませ…。