プロローグ

「まあ。それではあなたさまは、このアズマの国の外からやってきたということですか?」 「はい…そうなんだと思います…」 目の前で驚いた表情を見せるピンク髪の朗らかな人に対して、肩を落としながら力なく答えるのはほかでもない私だった。 どうしてこんな説明をしているかと言うと、時は少し前に遡る―― 現代日本に生きる私は、いつものように仕事に追われて落ち着かない日々を過ごしていた。中でもとてつもなく忙しかった日、ボロボロになりながら帰宅した私はなんとかお風呂を済ませて、コンビニで買ったサンドイッチを片手に日課のストレス発散であるゲームに勤しもうとしていた。 ――でも、それは叶わなかった。忙しさのあまり睡眠時間を削っていたのが祟ったのか、突然ふっ、と意識が遠退く感覚に襲われて気を失ってしまったのだ。 そうして目が覚めた時――どういうわけか私は持っていた軽食とゲーム機、周りに散らかしていたゲームソフトやスマホなんかと一緒に見知らぬ森の中に放り出されていた。 「え…え? なに? どういうこと…?」 この時はさすがにそんな声が出た。だってわけが分からなかったんだもの。家にいたはずなのに、気を失ったかと思えば森の中、なんて意味が分からないにもほどがある。 だから混乱するままに声を漏らしてしまったのだけど…どうやら、それが良くなかったらしい。 私の声を聞きつけたのか、突然私と身長が変わらないくらいの大きな鬼が現れて私に襲い掛かろうとしたのだ。そもそも鬼がいること自体理解ができない私は思い切り悲鳴を上げて、でも突然すぎる出来事に体がついてこないものだからそこに座り込むまま頭を抱えることしかできなかった。 するとその時、なにかを斬りつけるような音と鬼の短い悲鳴が聞こえて―― 「大丈夫ですか!?」 知らない女の子の声が投げかけられるように響いた。 それに顔を上げて目を合わせたのは、綺麗な銀髪が印象的な一人の女の子。巫女装束をモチーフにしたような見慣れない和服を着る彼女は武器を手にしていて、その向こうにはさっきの鬼が地面に沈んでいた。 この子が、助けてくれたの…? 鬼が光の玉となってどこかへ飛んでいく不思議な光景を遠目に見るままその事実を悟る。すると目の前の女の子は武器をしまいながら片膝を突き、私と目線を合わせるようにして顔を覗き込んできた。 「お怪我はありませんか? どうしてこんな森の奥に…それに…見慣れない服…」 心配そうに問いかけてくれる女の子はよほど私が奇妙だったのか、私を見回しながらその声を小さくしていく。でも、それは私も同じ思いだ。なんで鬼が普通に生息しているのか、ここはどこなのか、そして鬼をあっさり倒してしまったこの女の子は一体何者なのか… なにがなんだか分からなくて、どう話をすればいいのかも分からないまま言葉を失ってしまう。けれど、助けてくれたことに間違いはないのだからお礼だけでもちゃんとしないと。そう意識を改めた私はすぐに口を開いた。 「助けてくれてありがとうございます。えっと…怪我はないんですけど…その…色々分からなくて…もしかしたら、記憶もないかもしれないです…」 分からないことが多すぎるあまりつい正直に思いの丈を吐露してしまう。 すると突然ポン、という音とともに、女の子の側に白い毛並みの羊のようななにかが姿を現した。 え、なにこれ…羊? それにしてはなんだか大きい巻き角が生えているし、マスコットみたいだし、二本足で立ってるし…なにより、飛んでない? 見たこともないファンタジーな生き物に目を丸くしていると、その羊のようなマスコットくんが顎をさすりながら私を見つめた。 「記憶がないってどういうことだ? 竜の契約者じゃないはずだけど…」 「ショックで一時的な記憶喪失になってしまっているのでしょうか…」 「とにかくここじゃ落ち着かないし、うららかのところにでも連れて行って詳しい事情を聞いてみようぜ」 「そうですね」 羊のようなマスコットくんが女の子に提案すると彼女は頷いて私に向き直る。 「近くに春の里があるので、一緒に行きましょう。ここからは私が護衛します」 そう言いながらそっと差し伸べてくれる手。言葉も出せないままその手をしばらく見つめていた私は、確かめるように再び彼女の瞳へ視線を移して。 ついに縋るよう、その手を強く握りしめた。 そうして彼女に連れられるまま、ここ春の里――その中にある立派な桜の木の傍の社――に訪れては、この里の神さまだという桜のような女の人、うららかさんを交えて私の話をすることになった―― それが、いまに至るまでのお話。 私を助けてくれた女の子、カグヤちゃんと羊のようなマスコットくんもといモコロン、そしてうららかさんと私の四人で御神木だという大きな桜の下にある長椅子に並んで座っては、私の元いた世界について話し合っていた。 「聞く限りですとチトセさまは、カグヤさまの故郷やひなさま、マウロさまのような故郷とも違う、私たちには馴染みのない別の世界からお越しのようですね…」 「そうだな…“れーわ”とか“とーきょー”とか、全然聞いたことない言葉ばっかりだ」 私の説明を思い返しながらモコロンが顔をしかめて首を横に振る。 もちろん難しい話をしたわけじゃない。私が元いた場所は東京で、令和という時代からきて、こういうものがある世界だとゲームやスマホを見せただけなのだけど、どれに対しても三人はなにひとつピンときていない様子だった。 馴染みのない和風の服、当然のように生息している鬼や不思議な生き物のモコロンからなんとなく察しつつはあったけれど、やっぱりここは私が知っている現代日本とは全然違う世界のようだ。それをまざまざと思い知らされたとき、カグヤちゃんが首を傾げながら言った。 「そもそも、チトセさんはなぜ突然アズマにやって来たんでしょう? 全然違う世界にいたようですし、接点がなさそうですが…」 「それですねぇ。それを踏まえますと、突然気を失ったことも疲労が原因ではない可能性がありそうです。…チトセさま、気を失う前になにかおかしなものを見たり、感じたりはなさいませんでしたか?」 カグヤちゃんから振り返ったうららかさんにそう問いかけられて、思わず難しい顔をしてしまいながら視線を落とし、記憶を辿る。 あの日、特におかしなことはなにもなかったはず。仕事を終えて帰ってお風呂に入って、軽食を片手にゲームをしようとしただけ…その一連の中に違和感はなかった。気を失う時も、急に意識が遠退く感じがして目の前が白くなって… …いや、目の前が白くなったんじゃない。一瞬のことで忘れそうになったけれど、あの時…目を閉ざす間際に微かに見えた奇妙な光。あれが私の視界を覆ったように見えた。 「その…気を失う直前、なにか変な光のようなものに包まれた気がします…本当に意識を失う間際のことなので、それが現実かどうかもはっきりとは分からないんですけど…」 「不思議な光…アズマには空間を繋げる光がありますが、あれと同じものでしょうか?」 「わたくしも同じことを考えましたわ。チトセさまだけでなくお部屋にあったものまでこちらへ飛ばされているようですし…ルーンの影響かなにか…そういった力に巻き込まれたと考えるのが妥当でしょうね…」 どうやらこの世界には私が見た光に似たようなものがあるみたいで、カグヤちゃんとうららかさんはそれを思い出すようにして首を傾げながら話している。けれど、やっぱりはっきりと分かるわけではないから、難しい顔のまま自然と口を閉ざしてしまった。 私が故意に起こした現象ではないにしろ、こうも悩ませてしまうとなんだか申し訳なくなってくる。もう考えなくても大丈夫ですよと、あとは一人でなんとかしますと伝えようと思ったその時、ふと顔を上げたうららかさんが「なんにせよ、このままではいけませんね」と言って元の柔らかな表情を見せながらぽん、と両手を合わせた。 「ひとまず、チトセさまのこれからについてを決めましょうか。このままでは路頭に迷ってしまいますし、落ち着きを取り戻すためにもゆっくり過ごせる場所は必要だと思います。…ですので、チトセさま。この春の里でお過ごしになりませんか?」 「え…?」 「私もそれがいいと思います。ただ、いま里の民家に空きがないので…チトセさんが嫌じゃなければ、私たちと一緒に竜神社で暮らすのはどうでしょうか。私たちとしても近くにいた方がなにかとサポートもできますし、困ることは少ないと思います」 「オイラも構わないぞ!」 うららかさんの突然の提案に続くようにカグヤちゃん、モコロンまでそう言って笑顔を見せてくれる。あまりにもあっという間にとんとん拍子で話が進んでしまうものだから、それを向けられる私が全然ついていけなくてしばらく状況が飲み込めないまま静かに固まっていた。 けれどようやく頭の中を整理できてはっとすると、恐れ多い提案につい両手を横に振ってしまう。 「そ、そんな…悪いです。助けてもらったうえに、そこまで面倒まで見てもらうなんて…」 「お気になさらないでください。わたくしたちが放っておけなくてお節介を焼きたいだけですから」 「それに、チトセがアズマに来た原因も気になるしな。一緒にいた方が色々探りやすいかもしれないだろ。だから遠慮すんなって」 モコロンが片方の手を腰に当てて、もう一方の手で胸をどん、と叩いてみせる。こんな状況だからかな、可愛らしい姿のはずなのにすごく頼もしく見えるのは。 あまりにも堂々と受け入れる姿勢を見せてくれる三人の姿に、罪悪感と遠慮といった引け腰の感情が大きく揺らいでいく。 「…本当に…いいんですか…?」 「ええ、もちろん。困った時はお互いさま。遠慮なくわたくしたちを頼ってください」 無意識に下げてしまう手をうららかさんにぎゅ、と握られる。その手がまさに春の陽気のように温かくて、心地よくて。みるみるうちに固まった感情を溶かされていくような気さえしてしまう中、うららかさんは私の手を握ったままそっと優しく語り掛けてくれた。 「アズマには春の里だけじゃなく、春夏秋冬それぞれの里があるんですよ。チトセさまが落ち着くまでは春の里で過ごしてもらうようにいたしますが、慣れてきたらほかの里のこともご案内いたしますわ。きっと気に入っていただけると思います。…ですから、わたくしたちを頼って、心置きなく過ごしてください」 鶯色の瞳が真っ直ぐに私を見つめて、柔らかな声が胸にすっと流れ込む。 本当にこの人たちは、なにからなにまで私のことを考えてくれる。見ず知らずの、出自も分からない人間にどこまでも寄り添ってくれる。 それが温かくて、嬉しくて。私はつい涙を滲ませてしまいながら顔をほころばせた。 「はい、お願いします」 ――こうして私は現代日本を離れ、アズマの国で暮らすことになった。
あとがき

始めてしまいました、クラマさんのお話…!! 当人はまだ出ていませんが…! 公式が最大手ではあるんですが、こういうやり取りが見たい…と思った時に気が付いたら諸々設定を考えていました…。つい…。 普段はプロローグとか書かないんですけれど、一話目がうまくまとまらなくて練り練りしているうちにプロローグが出来上がりました。とりあえずヒロインがなぜこの世界にきて春の里で過ごしているのかの説明です。 ちなみにヒロインが見た謎の光について話している時にカグヤちゃんが言った『空間を繋げる光』はゲームで見られるステージ切り替えのところにあるあれです。ゲーム特有のもので劇中のキャラクターには見えていない可能性も考えたのですが、世界観的にあれは見えていてもおかしくないものかな、と思って見えている設定にしています。 ゲームが原作だとそういうところの区別が難しいですね…。 私自身どんなお話になるのか分からないのですが、楽しく書けたらいいなと思います! いっぱい書けるように頑張るぞー!