14

あのあと――殺生丸さまに抱き寄せられたあと、帰路を辿る中で私はしばらくドキドキしてしまっていたけれど、普段通りの殺生丸さまを見ていたおかげでようやく落ち着きを取り戻すことができた。 やっぱり殺生丸さまがやきもちだなんて信じられなくて、きっとあれは気に食わない相手が自分の所有物(従者)に手を出すのが嫌だった、とかそんなところなんだろうな…なんて思ってしまったら妙に納得できて。だからこそドキドキとか勘違いなんてしていられない、と思うと私も冷静に、普段通りに戻れたのだ。 それはそれで少し寂しい気がしないでもないけれど、私たちの関係はそういうもの。分かっていたことだし勘違いするなんておこがましい、と何度も思い込むように考えては、いつもと変わらない距離感で無事にりんちゃんたちと合流した。 ずいぶん長いこと不在にしてしまっていた気がするけど、りんちゃんは特に気にした様子もなく「おかえりー」と言ってくれて、邪見には「勝手な行動をするなっ」と怒られた。 この天と地ほどの対応の差よ…。なんて思ってしまいながら私はごめんごめん、と声をかけてみんなの頭を精一杯撫でてあげた。すると阿吽もりんちゃんも笑顔で許してくれたんだけど、邪見だけは顔を真っ赤にしてじたばたするほど怒ってしまった。本当は撫でられるの嬉しいくせに、素直じゃないんだから。 そんなことを思いながらふふ、と笑っていれば、やがて旅が再開される。すると阿吽に乗ったりんちゃんがじー、と私の方を見つめて、 「志紀お姉ちゃん、なにかいいことでもあった?」 と不思議そうに問いかけてきた。どうして突然そんなことを聞くんだろう。思わず首を傾げながら「なんで?」と聞いてみれば、りんちゃんは明るい顔をして「なんだか嬉しそうだから」と続けた。 そう言われてみると、確かに…。自覚はなかったけれど、自分の顔を触ってみたら口角が少し上向いている気がするし、思えばなんとなく気分も高揚している気がする。正直スキップし始めてもおかしくないくらいだ。 そうなってしまった心当たりと言えば…言わずもがな、あの時の殺生丸さまとのやりとりだろう。何度も勘違いするなと自分で自分に言い聞かせていたけれど、やっぱり嬉しいものは嬉しいらしい。 なんて単純な女なんだ私は。なんて思ってしまいながらもりんちゃんには正直に言えるはずもなく、ふふん、と小さく鼻を鳴らすように笑ってみせた。 「さあ~? なにがあったかな~っ」 「えー、教えてくれないのー? 志紀お姉ちゃんのいじわるー」 唇を尖らせて文句を言うりんちゃんに思わず笑んでしまう。するとりんちゃんまで釣られて笑みを浮かべ、私たちは他愛もないことで賑やかに笑っていた。その様子を見た邪見には呆れたように「なにが面白いのだ」なんて言われてしまったけれど。 でもいいんだ。こんな風に笑い合えることは、すごく幸せなことなんだから。 (現代だと、学校以外で笑い合うどころか…人に会うことさえあんまりなかったしね…) 両親が海外にいて、友達とも学校くらいでしか会わない私には、誰かと同じ時間を過ごすということが特別なのだ。だからこそ、この短い時間で殺生丸さまたちと離れたくなくなったのかも知れない。 ――それを思うと、ふと思考を遮られた。 そうだ。私にはあっちの世界がある。私がこっちにいたいなんて言ったとはいえ、このまま現代を放っておくわけにはいかない。学校もしばらく行っていないし、このままでは成績が下がる一方で単位だって落としかねない。 (私…いつまでこっちにいるつもりなんだろう) 首元で揺れる蝶型の石に手を触れながら思う。 どうせならずっと一緒にいたい。けれど現代のことが重く圧し掛かるし、なによりも私がここに居続けていいかどうかなんて、私だけが決めていいことじゃないのだ。 もしかしたら邪見は帰れって言うかもしれない。でもりんちゃんはきっと、私と一緒にいることを望んでくれると思う。懐いてくれている阿吽もきっと同じように。 だけど…殺生丸さまは? (殺生丸さまは私がこっちにいること、どう思ってるんだろ…) ぼんやりと考えては先を行く殺生丸さまの後ろ姿を見つめてみる。そんな時、揺れる袖の中に垣間見えた右手がさっきの出来事――軽く抱き寄せられたことを思い出させて、頬を目一杯熱くした。 ああ、だめだ。やっぱり思い出してしまうと舞い上がらずにはいられない。未だに夢だったんじゃないかと思うようなあの体験――それに鼓動を少し早くさせられていると、私の視線に感付いたらしい殺生丸さまが不意にこちらへ振り返ってきた。 「どうかしたか」 「えっ!? い、いやっ、なんでもないですっっ」 「……そうか」 「はい、はいっ…!」 急に振り返ってくるもんだからめちゃくちゃ取り乱してしまった。ぶんぶん首を縦に振って見せたけれど、案の定殺生丸さまは訝しげな顔をされるしやらかしてしまった感が否めない。 殺生丸さまが前へ向き直ったのを見計らってはあ~~、と大きくため息をこぼしては、こっそり胸元を押さえ込んだ。 (なんでこんなに焦ったりしてんだろ…) 信じられないくらい心拍数が上がっている。でもそれは、なんだか嫌なものではなかった。 よく分からない感覚を不思議に思いながら、私は気を正すように阿吽の手綱を引いて殺生丸さまのあとに続いた。 * * * それから小一時間ほど経った頃。いつも通りの休息タイムで私はりんちゃんと一緒に食糧調達に出ていた。今回は近くに小さな村があるとのことで、りんちゃんが畑から作物を頂戴しようと提案してくる。 元々たくましいとは思っていたけど、よろしくない方向にまでたくましくなってしまっているらしい…。これはダメだ、りんちゃんの教育によろしくない。そう思った私は慌ててりんちゃんを止めると、しゃがみ込んで目線を合わせてあげた。 「りんちゃん。黙って持っていくのはさすがにダメ。村の人にお願いしてみよう?」 「でも…もらえるか分からないし、怒られない?」 「黙って持っていく方が怒られちゃうよ。私がお手本を見せてあげるから、ついて来て」 分かった? と聞けば、りんちゃんは渋々頷いて私の手を握り締めた。やっぱりまだ村の人が怖い気持ちもあるだろうし仕方ないけど、このままではりんちゃんのためにならない。 ひとまず木陰で殺生丸さまからいただいた着物に着替えると、待ち遠しげなりんちゃんの手を握って村に踏み込んでみた。 すんなりもらえるといいけど…ちょっと不安だな。そんな気持ちを抱えながらも村の人を探してみれば、不意に遠くからとんでもない形相で走ってくる人がいた。 なんであんな顔をしているのかは分からないけれど…たぶんあの人はこの村の人だろう。 「あの、すみませ…」 声を掛けようとしたその時、ものすごい勢いで隣を走り抜けられてしまった。 …おやおや? 私ってそんなに存在感ない? むしろ殺生丸さまのお着物のおかげで存在感アップしてると思うんだけど? なんて思いながら顔をしかめていれば、また一人、二人三人と真横を走っていく。 なにかがおかしい。そう思えば、続け様に走ってくる村人さんたちがひどく怯えた表情をしていることに気が付いた。その様子はまるで、なにかから逃げ惑うような…… 「あ゙ー…りんちゃん、私たちも逃げた方がいいかも…」 「りんもそう思う…」 みんなが走ってくる方角を見つめたまま言えば、りんちゃんも同じことを思ったのか少し怯えた様子でそう返してくる。その時、突然鈍い足音を響かせる巨大な妖怪が姿を現し、木を薙ぎ倒しながらこちらへ一心不乱に駆けてくるのが遠目に見えた。 「ぎゃああああ! 出たあああああっ!!」 思いっきり悲鳴を上げてはりんちゃんの手を握って全力で走り出す。おかしいと思った! 妖怪でも出なきゃ私をあんな風にスルーするはずないもん! たぶん! 熊のような見た目をしたそれは、大量の涎を撒き散らしながら血走った目を大きく見開いて獲物を求めていた。これじゃ食糧調達に来たはずの私たちが食糧にされてしまう。 必死に走って逃げるものの、さすがに図体のでかい妖怪はそもそもの歩幅も大きく、徐々に距離が縮められていく。私に手を引かれるりんちゃんはつらいかもしれないけど、いまは彼女の歩幅に合わせている場合じゃない。とにかくこの手を絶対に離さないようにして一刻も早く逃げ切らなければ。 そう決意する私の思いとは裏腹に、突如りんちゃんがなにかに躓いたかと思えばその衝撃によって握っていた手が無情にもすり抜けてしまった。 「り、りんちゃん!」 「志紀お姉ちゃ…」 地面に倒れ伏すりんちゃんが私に手を伸ばしてくる。咄嗟に引き返した私がりんちゃんを抱きしめるように起こすと、大きな足音はすぐ近くまで迫っていた。 影が掛かる。なにかがボタリと、傍に落ちる。 ただ震えることすら忘れて音もなく顔を上げれば、妖怪は私たちの目の前に大きく立ちはだかっていた。血走った双眼は、虚ろに私たちを凝視してくる。 「せ、しょうまる…さま…」 ――助けてください。 この場にいるはずのない主を求めて生まれた言葉は胸中に虚しく木霊する。けれどその瞬間、聞き慣れない声が妖怪の背後から強く大きく響き渡った。 「散魂鉄爪!」 その声が私の耳に届くと同時に、目の前の熊のような妖怪が瞬く間に分断される。その光景に思わずりんちゃんを抱きしめながらギュ、と目を瞑れば、肉片が地面に落ちる生々しい音がいくつも鳴らされた。 「おい」 「っ!」 突然の呼びかけにビク、と肩を揺らす。ゆっくりと目を開けてみれば、目の前にはボリュームのある銀の髪を揺らす、全身赤い着物の少年が立っていた。 目立つ赤色もさることながら、一層目を引くのは頭のてっぺん。私とそんなに歳が変わらないであろうその少年の頭には、どういうわけか髪と同じ色をした動物の…というか、犬のような耳が備わっている。 (え、なにあれ…まさか本物…? …さっ…触ってみたい…!) 柔らかそうなその耳がぴくりと動く様を輝く目で見つめれば、少年がなんだか訝しげな表情を浮かべ始めてしまう。 はっ。しまった、気に障ったかも。というかそんなこと考えてる場合じゃなかったよね、と状況を確認しようとしたけれど、目の前に立ちはだかる彼が私を見ながら鼻をひくつかせ始めた。 え、もしかしていま、匂い嗅がれてる? 思いもよらない状況に戸惑うまま目の前の少年を見上げていると、彼はなにか気になることがあったのか眉根を寄せるなり私の方へぐっ、と顔を迫らせてくる。 「え゙、な…なに…」 「お前、なんだその変わった匂い…それにこの匂いは…あいつの…?」 スンスン、と鼻を利かせる少年が訝しげにそう呟くと、不意になにかを悟った様子で私の背後を見つめ始めた。ええ、今度はなに。なにがどうしたの。 状況についていけない私が困惑していれば、突如背後から風を切るような音が鳴らされて赤い着物の少年が大きく飛び退いた。その直後、目の前には見慣れた銀の髪がフワ…と優雅に広がり、私が待ち望んでいた人が悠然と立ちはだかる。 「せ、殺生丸さま!」 「…………」 咄嗟に名前を呼べば、我が主はこちらをほんの一瞬だけ見やってから少年を睨むように見据えた。殺生丸さまがいきなり敵意を剥き出しにするからか、少年も同じく身構えて殺生丸さまを睨みつける。 なんだか初対面というようには見えないけど…彼もまた知り合いなんだろうか。 私とりんちゃんはただただこの状況に戸惑っていて、殺生丸さまの背後からこっそりと少年の様子を窺うことしかできなかった。 そんな時、次第に少年の後方が騒がしくなってきたかと思うと、なにやら慌てた様子の男女が数人駆け寄ってくる。 「犬夜叉、一人で先走るなと言っているでしょう」 「そうじゃっ。おらたちを置いていきおって。少しはおらたちのことも…げっ。殺生丸っ」 「なんでこんな村に殺生丸が…」 「犬夜叉。なにがあったの」 犬夜叉と呼ばれた少年のお連れさまが口々に文句や殺生丸さまのことを口にする中、私は唯一見覚えのある人物を目の当たりにして呆然としてしまった。 だって、ここは戦国時代で。私が知ってる人なんて絶対にいるはずがないのだ。それなのに… 「かごめ…ちゃん…?」 人違いじゃないかと思いながらも問いかけるように呟けば、相手も私に気が付いて視線を向けてくる。ほんの一瞬顔をしかめた彼女は私の姿をはっきりと視認した途端、目を真ん丸に見開いてものすごく驚いた顔を見せた。 「もしかして、志紀ちゃんっ…!?」 「う、うんっ。やっぱりかごめちゃんだ…!」 間違いじゃなかった! 久しぶりに見るその姿に驚きながらも私は咄嗟に駆け出して、他の人たちにも構わずかごめちゃんへ思いっ切り抱き付いていた。 「ほんと久しぶりー! 全然変わんないね、かごめちゃん…って、待って、そうじゃない。なんでかごめちゃんがこんなところにいるの!?」 「え゙。そ、それは…話せば長くなるんだけど…志紀ちゃんこそ、なんでこっちに?」 「わ、私も話せば長くなるかな…」 顔をしかめながらそう伝えれば、私たちはお互い見つめ合ってははは…と苦笑した。そして、強く頷き合う。話そう、全て。 それを決意すると私はすぐさま殺生丸さまへ振り返って「少しだけお時間をください」と伝える。すると殺生丸さまは私の様子を見ていたからか潔く了承してくれた。 それに笑みを浮かべながら「ありがとうございます」とお礼を言ってかごめちゃんに向き直ると、かごめちゃんが…というより、かごめちゃんのお仲間さんも含めて全員が驚愕の表情を見せていた。え、なに。な、なんでそんな顔されるの…。 思わずたじろいでしまいそうになるこの時の私には、みんなの驚愕の意味を理解することはまだできなかった。 back