07
道なりに進み続けていれば村にもずいぶんと近付いてきた。どうやら多くの行商人が立ち寄る村のようで、まだ数十メートル離れているこの距離からでも分かるほど賑わっている。
なんだかお祭りみたい。そう思うと自然と胸が躍った。
「よし、早く行きましょ…」
スキップしていた足で一気に駆け出そうとしたその時、パーカーのフードを思いきり引かれて「ぐえっ」なんて声を漏らしてしまった。
締まった! いま一瞬だけだけど思いっきり首締まった! もはや折れたかと思った!!
反射的に数歩下がって首元に余裕を持たせては、そのまま勢いよく殺人未遂の犯人へ振り返ってみせる。
「なにす…」
「待て」
私の抗議の声を呆気なく遮ってそう端的に告げられるのは、紛れもなく殺生丸さまだった。
そりゃそうだ。私の身長的にも、この高さでフードを引っ張れる人なんてこの方しかいない。…もう少しマシな引き留め方をしてくれてもいい気はするけど。
「えーと、なにか…?」
「村には貴様とりんだけで行け」
「え? 殺生丸さまと邪見はどうするんですか?」
思わぬ提案につい聞き返してしまう。確かに殺生丸さまは村なんかに興味がない、って邪見が言ってたけど、ついて来てもくれないのか。もはや村に興味がないというよりも嫌いってレベルなんじゃないの。
なんて私の予想は違ったようで、りんちゃんが当然といった様子で説明してくれた。
「殺生丸さまと邪見さまは妖怪だから、村の人たちが見たら恐がっちゃうでしょ? だからりんたちだけで行かなきゃ」
まるで言い聞かせるかのように向けられるそれに私はつい目をぱちくりと瞬かせた。
ふむふむ、なるほどね。確かに大勢でわいわい盛り上がってるところにいきなり妖怪が現れたらそりゃーもう大パニックだよね。別の意味でお祭り騒ぎになっちゃうよ。殺生丸さまはともかく、邪見なんて見たまんま妖怪だし……って、んんん? 待てよ待てよ待てよ??
「りんちゃん。邪見は妖怪だね」
「うん」
「殺生丸さまも、妖怪?」
「うん」
改めてひとつひとつ丁寧に尋ねてみれば当たり前だと言わんばかりにしっかりと頷かれる。
いやいやいや。ちょっとお待ちよお嬢さん。私の脳みその処理が追いついてないよ。
この世に妖怪がいるのを知ってからは邪見もそうなんだろうと理解はしていた。もちろん阿吽もだ。
でも目の前の殺生丸さまは? 確かにお耳が人より尖っていたり、御髪がとてつもなく綺麗な銀色だったり、お顔になにやら模様が入ってらっしゃるけれども。変わってらっしゃる点は複数あるけれども、その姿はどう見たって人間ではございませんか。
どれだけ理解しようとしても信じがたくて、首を思いっきり傾げながらもう一度りんちゃんの方を見た。
「ごめんね、もう一回聞くけど…殺生丸さまって妖怪なの?」
「そうだよ。殺生丸さまはすごく立派な妖怪だって、邪見さまがいつも言ってるもんっ」
まじか。
どう見ても嘘は言っていないその姿に唖然とする。と同時に、邪見ってほんとに殺生丸さまのこと好きだな、なんて思ってしまった。いつも褒めてるじゃん。
そんなことを考えながら殺生丸さまの方をちら、と見てみれば、彼はただ無言でこちらを見下ろされている。
…全然人間と変わらないのに、このお姿で妖怪なんだ…。
中々私の脳が理解しようとしてくれないけれど、りんちゃんがこう言っているし本人も否定しないのだからそれは確定事項なのだろう。
時間が経てば…いずれ妖怪らしいところを見られたら信じられるだろうか。そう考えてはひとまず目先の問題を解決すべく、今はそういうことにしてさっさと話を済ませようとした。
「分かりました。村には私たち二人で行ってきますけど…晩はどうするんですか?」
「晩? なんの話をしておる」
私の質問に邪見が首を傾げながら割り入ってくる。
なんの話って、邪見こそなに言ってるんだ。RPGゲーム然り、村を見つけたらもうやることは決まっている。買い物、情報集め、それからもうひとつ。
「宿でお泊りして回復に決まってるでしょ」
「はあ~っ? なにを言っておるのだ。宿なんか行くはずがなかろうっ」
「うそ行かないの!? また野宿!?」
私が愕然として言えば邪見が「当たり前だ!」なんて返してくる。
憎たらしい…なにが当たり前だかっ。
「たまには布団で寝たっていいでしょー!? いつも地面で寝るから、この歳でもう体バッキバキなんだからね!?」
「それは貴様が弱いからだっ。もっと鍛えんかっ」
「私がゴリゴリのマッチョになってもいいっての!? 私もりんちゃんも女の子なんだからね。たまには敬えコラっ」
「ま、まっちょ…? …って、なぜおなごなら敬わなければならんのだ! とにかく宿はなしっ。貴様のその格好も、村の人間には怪しまれるだけなのだからな!」
思いきり放たれた邪見のその言葉で私の頭はなにかがぷっつりと切れたようにフリーズする。
そうだ。みんな大して驚かなかったから完全に忘れてたけど、私の服装ってこの時代じゃ全く見たことがない摩訶不思議そのものじゃん。下手したら妖怪扱いされるんじゃないの。…ということは、私はこれを脱がないと村に入れないということ。でも脱いだところで代わりの服がないから、行く末はただの露出狂になってしまう。
……あれ? もしかして私、詰んだ?
「……はあああ…」
「あーっ、邪見さまが
志紀お姉ちゃんを落ち込ませたーっ」
「なっ…!? ま、間違ってはおらんのだ、仕方なかろうっ」
りんちゃんに指摘された邪見が慌てたように弁解する。うん、確かに間違ってない。だからこそ私は落ち込んでいるのだ。
家に帰れば私の着物はなくても浴衣くらいならある。さすがに浮きはするけど、パーカーよりは全然マシなはずだ。でも私は自分の家に帰る方法を探している状態なのだからそんなものは手に入らないし結局どうしようもない。
せっかく殺生丸さまが許可してくださったのに…この先いつ村を見つけられるかも分からないし、その時また許可をくれるとも分からないのに。なんだかこれが最後のチャンスだったのではと思えてきては、がっくりと肩を落として項垂れてしまう。
すると次の瞬間、不意に視界の端でなにやら白いものがフワ、と揺れた。
「…?」
それに釣られるように顔を上げてみれば、こちらに手を差し伸ばす殺生丸さまの姿があった。
さっき見えた白いものは殺生丸さまの着物だろうかと思うも、どうやらそれは違うらしい。目の前に差し出されたその手には、殺生丸さまの着物によく似ている着物が握られていた。同じものかと思ったけれど、よく見れば同じ赤で描かれる模様がシンプルな花柄だ。
「あの、これは…?」
「私が昔着ていたものだ。丈が余るだろうが、ないよりはマシだろう」
「え、く…くださるんですか?」
「私には必要ない」
答えになっているのかいないのか。目も合わせず告げられたその声に目をぱちくりとさせていれば「いらんのか」と素っ気なく言い捨てられた。それに慌てた私は「いっいります、いただきますっ!」とすぐさま声を返して差し出される着物を両手でしっかりと受け取った。
確かにいまの殺生丸さまと比べたら少しサイズが小さい。要はお下がりということなんだろうけれど…殺生丸さまの着物なんて、私がもらってしまっていいんだろうか。恐れ多くて遠慮しそうになるけれど、受け取った以上いまさら返すのは失礼な気がして、私はお礼を言いながら着物をギュ、と抱きしめた。
ああ…微かにだけど、殺生丸さまの匂いがする。
なんだかいけないことをしているような錯覚に胸がドキドキと高鳴るのを感じていれば、頭上から早くしろとのお声が降らされた。途端、はたと我に返った私はもう一度頭を下げるとすぐさま木陰に走り、りんちゃんに手伝って貰いながら着物へ袖を通していった。
それにしても…どうして殺生丸さまは昔の着物を持っていたんだろう。普段から持ち歩いているわけじゃないだろうし…まさか、私のため…? いやいや、それはいくらなんでもありえない。殺生丸さまが私に施しを与える義理がないもん。
それが分かっているからこそどうしてなのか気になるのだけれど、きっと聞いても教えてくれないんだろうな。
そんなことを思いながら着物を正せば、ようやくそれらしい姿になった。さすがに男性の着物ということもあってあまりきちんとした格好にはならなかったけど、元の服装よりは全然怪しまれないはず。
これでもし服装についてなにか言われたら父の形見を着ているんですって言うことにしよう。…お父さん死んでないけど。
* * *
そうしていま、結局私の駄々の勝利で宿泊の許可も下りたのでりんちゃんと一緒に村の目の前まで来ていた。
殺生丸さまと邪見はというと村からそう遠くない場所にいるらしく、夜更けなら村の人たちに見られることもないだろうということでその頃に合流する手はずになっている。だからそれまでには宿を決めろとのことだった。
…そういえば“宿の場所が分かったら教えます”って言ったのに、なぜか殺生丸さまにはそれを断られてしまった。聞かずとも場所を特定できるとのことだけど、一体どうやったら特定できるのか。GPSなんてこの時代にはないのに…。
まあ分からないものは考えたって仕方ない。隣でうずうずしているりんちゃんのためにも、さっさと村に入っちゃおう!
「よーし、行くよりんちゃん。殺生丸さまたちのためにも早く宿を探すぞーっ」
「う、うんっ」
私が拳を小さく突き上げて言うのに対し、りんちゃんは少し緊張した様子で大きく頷く。やっぱりまだ怖いものは怖いらしい。けれど腰が引けるということはないようで、ぎゅ、と手を握ってあげれば私と一緒に賑わう村の中へと足を踏み出した。
意気揚々と踏み込んだはいいけれど、まるでお祭りのように人が溢れ返っていて歩くだけでも大変だ。りんちゃんとはぐれないようにしないと。そう思ってちら、とりんちゃんの様子を窺ってみれば、彼女もまた人の多さにびっくりしているようだった。
もしかしてこんなに人が多いのは珍しいのかな。もしりんちゃんを現代の夏祭りとかなにかのイベントに連れていってあげたら同じようにびっくりするのかな。でも、楽しくて喜んでくれそうだな。なんて考えてしまっていると、不意にりんちゃんが軽く手を引きながら足を止めた。
「
志紀お姉ちゃん、あそこが宿じゃない?」
そう言いながらりんちゃんが指を差した方へ振り返ってみれば、そこには確かに大きなのれんに『宿泊処』と書かれた建物があった。すごい、時代劇で見るようなやつだ…。
ただ見つけられたのはいいけれど、これだけ人がいると部屋も埋まっちゃってそうな気がするな…空いてることを願って、一か八か聞きに行ってみよう。
りんちゃんとはぐれてしまわないように改めて手をしっかりと握り直してそこへ向かおうとした――その時だった。
人と人の間からチラ…と垣間見えたなにかが、まるで自己主張するかのように光り輝いていたようで。思わず足を止めてしまうと、私は無意識のうちにそれに吸い込まれるよう歩み寄っていて、気が付けば首飾りなどの装飾品が広げられる露店の前に立っていた。
けれど間近で見てみれば強く光り輝いていたはずのそれはどこにもない。きっとこの首飾りだろうという目星はついているのだけど…いまではどう見たって日の光を反射させている程度だ。自らを主張しているように見えるほどの輝きではない。
角度の問題かな…なんて考えていれば、不思議そうな顔をしたりんちゃんが私の顔を覗き込んできた。
「どうかしたの?」
「あ…ごめんね、勝手に寄り道しちゃった。行こ…」
「おっ。そこのお嬢さん、なんか気になるもんでもあったかいっ?」
りんちゃんに謝って立ち去ろうとした瞬間、店主らしい陽気なお兄さんに声を掛けられてしまった。
くっ…捕捉されたか…しかもこのじっと真っ直ぐ見つめてくる感じ…逃げられないやつだ。とにかく適当にあしらって早く宿をとらないと、殺生丸さまに怒られてしまう。またご迷惑をおかけしてしまう。
「すみません、私たちもう行くんで…」
「お嬢さんが気になってんの、この首飾りだろ? いいよ触って。それはおれが不思議な商人から買い取ってきたもんなんだっ」
「は、はあ…」
私の言葉なんて全く聞こえていないお兄さんのゴリ押し精神に負けて本当に逃げられなくなってしまった。
きっとこっちも無視して振り切ってしまえばいいんだろうけど、私もなんだかこれが気にならないわけではないし、りんちゃんもりんちゃんで商品を見始めたみたいだから少しくらい話を聞いてやることにしよう。そう、少しだけね。だからどうか殺生丸さまがお怒りになりませんように…。
そう願ってはお兄さんに促されるままその首飾り――現代のネックレスにほど近いそれを手に取った。
チャーム部分が蝶の形をした天然石のようなもの。それは左右にそれぞれ赤と青が混じる不思議な色をした石で、なんだかとても心を惹かれるような気がした。
でも少し珍しい色をしているとはいえ、現代でも似たようなものはたくさんあるし何度も見ている。特別好みだとかでもないのに…なのに、どうしてこんなに惹かれるんだろう。
つい目を離せないでいれば、不意にお兄さんがちょいちょいと手招きをしてくる。寄れってことだろうか。
少し怪訝に思いながらも一応耳を寄せてみれば、お兄さんはそっと顔を近付けて口元を隠しながら密やかに耳打ちした。
「お嬢さんだけがそれに興味持ってくれたからこっそり話すけどよ…その首飾り、なにやら不思議な力を宿してるっつー大層なもんらしいぜ」
「不思議な力…?」
「ああそうだ。詳しいことは分からねえが、どうもこの首飾りの力ってのを使える人間もそうそういないらしくて、選ばれた人間にしか扱えないんだとよ。お嬢さん…もしかして使えたりするんじゃない~?」
そんなバカな。
お兄さんの“どーよ?”って顔のおかげで目が覚めて至極真っ当な反応ができた。はー、危ないところだった。その手には乗ってやらないからな!
確かにこれを見過ごすのはすごく惜しい気持ちがあったけれど、よくある押し売りセールスみたいなものに騙されてる場合じゃない。ダメだダメだと自分に言い聞かせながら、りんちゃんの手を取ってその場を離れる前に一応お兄さんに謝りを入れた。一応ね。
するとてっきり残念そうな顔をされるかと思ったのにお兄さんは案外平然としていて、「また縁があったらよろしく」なんて言って手を振ってくれた。申し訳ないけど、押し売りセールスと縁はあってほしくない。
(でも…なんだかあのネックレス、すごく気になるな…)
宿への道を引き返しながら、ついチラ…と振り返ってしまう。
たまたま見掛けただけで好みど真ん中ってわけでもないのに、どうしてか私の頭の中はいまあのネックレスのことでいっぱいになっていた。名残惜しく、感じていた。
もしかして…本当に私が選ばれた人間だったりして――
(…なんてね)
呆れのような笑みを浮かべてしまいながら自分の思考を否定する。そんなことあるわけがないのに、と。
でも…もし本当にそうだとしたら、なにか殺生丸さまのお役に立てることがあったりしないだろうか。
そんなことを考えてしまいながら、私とりんちゃんは意外にもまだ空きがあるという宿の中へ足を踏み入れていた。
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