04
次の日、私たちは道すがら見つけた河原で休息をとっていた。
私がしょっちゅう休ませてくれと懇願するために以前より少しだけ休憩が増えたらしいけど、これでも私にとってはギリギリだ。おかげで邪見はそんな私によく文句を言ってくる。休憩ばかりだ、とか軟弱だ、とか。
それでもりんちゃんは私と遊べることでむしろ喜んでいて、りんちゃんを気に掛ける殺生丸さまもどちらかといえば私側についてくれるから、完全にアウェーなのは邪見の方だった。
「りんちゃん、おいで」
ぶつぶつと小言を言う邪見を無視した私は川に足を浸しながらりんちゃんを呼んだ。
まるで足から疲れが溶け出していくような感覚がすごく気持ちがよくて、思わず大きな溜息を零してしまう。この旅がいつまで続くのか分からないけど…もう少し頑張って、私の足。
よしよしと足を労わってあげていれば、駆け寄ってきたりんちゃんが着物を捲り静かに川へ足を浸けた。けれど彼女はその場に座ることなく、そーっと川の中を歩き始めてしまう。
「どうしたの?」
「しーっ」
一緒に休まないのかな、と思いながら呼びかけてみれば人差し指を立てて黙るよう指示された。思わず声を詰まらせるように黙り込んではその姿をじっと見守ってみる。
一体なにをする気なんだろう…。
私が訝しげな顔で見つめていれば、りんちゃんはなにかを狙うように視線を鋭くさせた。あまりにも慎重なその様子に無意識に息を飲む。
そしてりんちゃんが意気込むように口をきゅ、と堅く結んだ次の瞬間、静かに水面へと伸ばされていた手が勢いよく水の中へ突っ込まれた。
「獲れたっ」
そう高らかに声を上げるりんちゃんの手には、キラキラと光り輝くアユのような魚がしっかりと握り締められている。
す、すごい…まさか素手で野生の魚を捕まえるなんて……私には絶対真似できない。
思わず呆然としながら拍手をすれば、りんちゃんは笑顔でこちらへ駆け寄ってくる。ああ…せっかく濡れないように捲った着物もビショビショ…。けれど本人はなにも気にしていないようで、私の目の前に立っては持っている魚をずい、と差し出してきた。
「はい、
志紀お姉ちゃんの分」
「え? 私にくれるの?」
「うん。まだいっぱいいるから、いっぱい獲ってみんなで食べよっ」
えへへ、と笑う彼女の言葉を聞きながらしっかりと魚を受け取る。言われてみればそろそろお昼ご飯の時間だ。ちゃんとみんなのこと考えて…りんちゃんは本当にいい子だなあ。
それにしてもこれ…油断したら逃がしてしまいそう…。
手の中でびちびちとのたうつ魚を落とさないようにしっかりと握りしめる。こんな野生の魚を道具もなしに素手で捕まえてしまえるのは、やはり育った時代というか、環境のおかげなのだろうか…とんでもなくパワフルだ。
(うーん、やっぱり私には無理だな…)
脳が即座にそう判断してしまった私は手伝うことを諦めて、りんちゃんが魚を捕っている間に焚火をこしらえるべく、川から上がって魚を置いてはそこらを練り歩いた。
落ち葉と枝くらいでいいかな、なんて考えながら腕の中いっぱいに拾い集めて戻ってみれば、彼女はすでに三人分の魚を捕って帰ってきていた。
あまりにも早すぎるその偉業に唖然としそうになるけど、ふと魚の数に違和感を抱く。三人分だと言い張るりんちゃんは当然のような顔をしているけれど、三人分ではどう考えても足りていない。
「りんちゃん、これって…」
「あたしと邪見さまと、
志紀お姉ちゃんの分だよっ」
輝かしい笑顔を見せるりんちゃんが思いっきり殺生丸さまを除け者にするような発言をして目を見開いてしまう。いやいや、いくら正直な彼女でも大好きな殺生丸さまにそんな嫌がらせはしないはずだ。
たまらずどういうことか聞いてみれば、殺生丸さまが一緒に食事をすることはないのだと言う。殺生丸さまは魚がお嫌いなんだろうか。それとも単にお腹が空いていないだけ? そうは思うも、思い返してみれば殺生丸さまがなにかを口にしている姿は未だ見たことがない気がする。
不思議でたまらず、私は焚火の準備をしながらこちらに全く興味を示そうともしない殺生丸さまを怒られない程度に見つめていた。
* * *
「早く早くっ」
「ま、待ってりんちゃんっ」
昼食を食べ終わるなり、りんちゃんは私の手を引っ張ってすぐ傍の小さな森の中を駆けていた。散歩、というよりもちょっとした探索がしたいのだという。
こんなに休憩に時間をとってしまって怒られないかと心配したけど、どうやらりんちゃんが少しだけだからと約束をしてきているらしい。ただあまりに遠くには行くなという忠告を受けたようなので、そこは年上である私がしっかりしなければならない。
…とは言え、たぶんりんちゃんの方が私よりよっぽどしっかりしているだろうからあまり心配する必要もないのだけど。
小さな森は走っていれば抜けるのなんてあっという間で、すぐに明るく開けた場所が見えてくる。飛び出すようにそこへ駆け込んでみれば、色鮮やかな花畑が私たちを迎え入れてくれた。
「わあっ、すごいお花っ」
「うん、綺麗だねっ」
上機嫌なりんちゃんに釣られて思わず私まで声が弾む。観光地にしかないようなこんな景色、生で見たのは初めてかもしれない。
さらに駆け寄ってみれば足元で色とりどりの草花たちがゆらゆらと可愛らしく揺れた。赤や黄色にピンクにオレンジと、実に様々な色が一面に咲き乱れている。
これだけたくさんあればなにか作れるかも。
「よしっ。この花でりんちゃんに冠を作ってあげる!」
「冠? なにそれ?」
私が意気揚々と宣言するも、りんちゃんは不思議そうな顔をして首を傾げる。
あれ、この時代には冠がないのかな。…でも、昔お父さんが見てた時代劇で聞いたことがあるような気もするし…もしかしたら、私が思っているものとは違うのかもしれない。…となると、花冠もきっと分からないよね。
ひとまずりんちゃんには頭に着ける飾りだよ、と言って一度作ってあげることにした。ものが分からなくても、綺麗な花冠にはきっと喜んでくれるはず。
そう考えては花畑の中へ座り込み、その隣に座ったりんちゃんの期待の眼差しを受けながら花へと手を伸ばした。
美的センスはないけれど、同じ色でまとめれば悲惨なことにはならないはず。そう考えながら一本一本摘んでは茎を結び付けていった。いけるいける。確かこれをこうして…こう…こう…? んん…? あれ? な、なんだか…うまくできな……
「えーっと…か、完…成…?」
「…
志紀お姉ちゃん、それなに?」
「いや、あの…花冠…のつもり、なんです…」
容赦ない質問がグサリと心に刺さる。
そう、私の手に握られているのはとても花冠とは言えない歪な塊だった。漫画なんかだと確実にモザイクが掛かるような代物だ。
まさかすぎるあまりの結果に滲み出した冷や汗が止まらない。あれだけ意気揚々と宣言しておいて、これはもはや恥ずかしいなんて感情を通り越してしまう。なんだか虚無さえ感じてきた。
「いや…まさか花冠がこんなにも難しいなんて…」
「前に作ったことあるの?」
「……とおーい昔に…一回だけ…」
もはや隠しようのない事実にしょんぼりと肩を落として素直に答える。するとそんな私を見兼ねたのか、りんちゃんが花に手を伸ばしてぷちぷちと摘み始めた。「あたしも作ってみよう」なんて言いながら。
どうやら憐れな私の代わりに見様見真似で花冠を作ってくれるようだ。
お手本の私がまともに作れていないから先行きが不安になるけれど、私も作り方を必死に思い出しながら助言してあげることにしよう。二人で頑張ればきっとなんとかなるはずだと信じて。
「…ん?」
りんちゃんが一生懸命茎を結んでいた時、ふと森がざわめいたような気がして思わず振り返る。私たちが通った森とは逆の、花畑の向こうに広がる森だ。
森がざわめく、というのは風に煽られれば簡単に起こる現象だ。けれどいまこの辺りにそれほどの風は吹いていない。それに風に煽られたようなざわめきとは違って、なにかがこちらへ近付いてくるような異様な感じだった。
不安を駆り立てるその森へじっと視線を集中させると、そんな私の様子に気が付いたりんちゃんが不思議そうな顔を向けてくる。
「どうかしたの?」
「なんか…あっちの森が騒がしい…」
そう呟いた直後だった。
手前の木を薙ぎ倒し、突如森の中から巨大ななにかが姿を露わにする。それは気味の悪い色をした、鬼とも動物ともつかないような見たこともない化け物だった。
「なっ…なに!? なんなのあれ!?」
「妖怪だ! 早く逃げなきゃ…」
りんちゃんが咄嗟に上げた言葉に耳を疑う。妖怪なんてそんな空想の生き物がこの世にいるはずがない。そんな思いが頭の中を駆け巡った時には、私の目の前に巨大な影を伸ばす化け物が立ち塞がっていた。
(早い…!!)
大きな図体に反するその身体能力に体の自由を失ってしまうほどの恐怖を覚える。
殺意が湛えられた双眼に厳つい体、鋭利な牙に大きな角。ああやっぱりフィクションでしか見たことないような姿だ。
こんな奴に一発でも食らわされたら――終わる。
一秒にも満たない瞬間に様々な思いが浮かんでは消える。逃げなければ。いま逃げなければ殺されてしまう。頭の司令塔が必死に警鐘を鳴らすのに、私の足は完全に竦んでしまって立ち上がることすら叶わなかった。
「に…逃げてりんちゃん!!」
せめてこの子だけは助けなければと思った時には渾身の力で叫んでいた。その瞬間、鋭い爪が備わった手を大きく振りかざされる。
ダメだ殺される。瞬間的にそう悟った私は防ぐことなんてできないにも関わらず、反射的に力強く目を瞑って腕を掲げていた。勢いよく振り降ろされる腕が風を切る音を鳴らす。
――その時、なにかが斬られるような鈍く生々しい音が私の耳を貫いた。
「あ…?」
その音に驚くように目を開いてみれば、銀色の髪を大きくなびかせる殺生丸さまの後ろ姿が私の視界を埋め尽くしていた。
殺生丸さまに隠れてあまり見えないが、その向こうには赤いなにかが勢いよく飛び散っている。それに気が付いた瞬間ドサ、という音が響き、背を向けていた殺生丸さまが私へ振り返ってきた。
なにを思っているのか全く読み取れない金の瞳が私を映している。もうなにがなんだか分からないまま、私は無意識に声を漏らしていた。
「あ…ありが、とう…ございます…」
驚くほどか細い声だった。それは風になびく銀色の髪が、殺生丸さまが、見たこともないくらい綺麗で見惚れてしまったせいでもある。
まるで夢のようだ。見たこともない妖怪と呼ばれる生物に襲われたのも、目の前に立つ美しい殺生丸さまも、全て。そう思いながら私は、ぼーっとしたままの自分の頬を強く強く抓ってみた。
「い、痛い…」
夢ではない。なにもかも、全てが。
痛みに証明された信じがたい現実にただただ呆然としていれば、心配そうに表情を歪めるりんちゃんが駆け寄ってくる。「大丈夫?」と声を掛けられるけれど、今はどうあってもとても大丈夫とは答えられなかった。
もう色々と、大丈夫じゃない。
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