一緒に帰る場所

最寄りのスーパーへ辿り着くと、微かな音を立てて自動ドアが開く。すぐ傍のカゴを手に取った私は、ショッピングカートにそれを乗せて歩き出した。カートの小さなコマがガラガラと音を立てて回る。そんななにげない普段通りの私の隣に、今日は音也が歩幅を合わせるように並んでくれていた。本人もそれを珍しく感じたのか、音也は歩きながら私を覗き込んで言った。 「久しぶりだよね、#name#と二人で買い物」 「うん。最近は音也がすごく頑張ってたから、一緒に行けなかったもんね」 「任せっきりでごめん…。でも、本当にこの一ヶ月は立て込んでたなぁ~」 ぐっ、と伸びをするようにして音也が少し渋い顔をする。実はつい昨日まで、音也はドラマの撮影を中心とした仕事に追われていたのだ。時期の近いドラマをいくつか受けてしまったことはもちろん、他の共演者や撮影の都合で予定がずれ込んで、この一ヶ月ほどはいつも以上に目まぐるしい日々だったという。仕事は元々少なくない音也だけど、この時は普段の倍くらい家を空けることが多くて、帰ってこられない日も多くあった。だからそれ以前はよく一緒に行っていた日々のお買い物も、私一人で請け負っていたのだ。 だけど、それもようやく終わり。やっと落ち着いて元のペースを取り戻した音也は、待ちに待った休日をもらって存分にゆっくりしたいと話していた。それが今日。だから家で待っていていいよ、って言ったのだけど、音也は「俺も行きたい!」と言って私について来てくれたというわけだ。 もちろん一緒に来てくれるのは嬉しい。だけど…この一ヶ月ほどの忙しさを顧みると、どうしても申し訳ない気持ちになってくる。 「ねぇ音也、本当に家で休んでなくてよかったの? まだ疲れも取れてないでしょ」 「大丈夫だよ、全然平気! むしろ、#name#と一緒にいられない方がしんどいくらいだよ」 そう言って困ったような笑顔を見せる音也。気取ったわけでもなんでもない彼の素直なその言葉に、なんだかこっちが気恥ずかしくなってしまった。音也は無自覚でこういうことをサラっと言ってしまうからずるいと思う。 顔がほんのり熱くなるのを感じた私は、すぐに話題を変えようと「そ、そうだ」と咄嗟に口を回した。 「今日の晩ご飯はなにがいい? せっかくの休みだし、音也のリクエスト通りに作ってあげる」 「ほんと!? じゃあ俺、カレーがいい!」 ぱっと華やぐ表情で即答されたそれは、言わずと知れた音也の大好物。なんとなく予想はしていたけど、こうも予想ど真ん中の回答をされると少し笑ってしまう。ふふ、と隠し切れない笑みをこぼす私を、音也は不思議そうに見ていた。 「あれ? 俺、なんか変なこと言った?」 「ううん。そうじゃなくて、やっぱりカレーなんだなぁって思って。でも、カレーってこの前作ってあげたばっかりじゃなかった?」 「それでもいいよ。俺は毎日でもいいくらい! それにさ、この前のは豚肉でしょ? 今度は鶏肉とかソーセージにしてみたら結構変わると思うんだ!」 どう? どう? という声が聞こえてきそうなほど目を輝かせながら提案を押し出してくる。確かに気持ちは分かるんだけど、お肉を変えたところであんまり変わらないような…。そう思う私が唸るように考え込んでいると、音也が「えぇー、ダメかなぁ」と言って少しばかり考える仕草を見せてきた。 それも束の間、もう一度ぱっと明るい顔をした音也は人差し指を立てて私に顔を寄せてくる。 「じゃあさ、カレーはやめてハンバーグにしよう! それなら食べた日だって結構前だよねっ」 「音也、ハンバーグもこの前食べてる。カレーの次の日に」 「あれっ!? そうだっけ!?」 「そうだよー」 どうやら本気で忘れていたらしい音也の反応についつい苦笑が浮かぶ。ハンバーグも大好きだもんね。本当、好きなものならいくらでも食べられるんだろうなぁ。そう思うと、家に帰ってこられなかった日もカレーかハンバーグを食べてそうだな、と思ってしまった。 それを素直に問いかけてみると、意外にも音也はううん、と首を横に振ってみせてくる。 「本当は食べたかったんだけど…撮影で一緒になった人と食べに行くことが多かったから、大体焼き肉とか居酒屋とか、大勢で食べやすいものが多かったかなぁ。だから、#name#が作ってくれたものしか食べてないよ」 撮影中にどれだけ食べたくなったことか…と音也が恋しげに眉を下げる。…そうだったんだ。てっきり毎日のように食べているかと思ったのに。そんな私の安易な予想とは裏腹な日々を送っていたらしい音也を目の当たりにしては、より一層彼のリクエストに応えてあげたくなる。 そうだよね。私が音也のリクエスト通りに作ってあげるって言ったんだもの。うんと美味しいもの作ってあげなきゃ。 「いいよ、音也。今日はカレーにしよう。ハンバーグはその次に、ね?」 「ほんと!? やったー! #name#大好き!!」 嬉しそうに声を上げて、ばっと両腕を広げられる。これは、抱きしめられるやつだ。瞬時に悟った私は声をひそめるようにして「音也っ」と言いながら人差し指を口元に立てた。おかげで私を抱きしめようとした音也の動きがピタリと止まって、あ、という顔を見せてくる。すると広げられた両腕はそろそろと降ろされて、音也は困ったような笑顔を浮かべながら頭を掻いた。 「ごめん#name#、つい…」 「もう…そういうのは家だけっていつも言ってるのに」 「だって#name#が可愛くて優しくて、いつも“好きだなー”って気持ちにさせるんだもん。抑えてられないよ」 不服そうにそうぼやく音也に目を丸くする。だから、どうしてそう恥ずかしくなるようなことを平気で言っちゃうかな…。せっかく話題を逸らすことに成功したのに、また顔が熱くなってきた。それを隠すために顔を逸らそうとすると、音也が「どうかした?」と言って覗き込もうとするものだから、私は慌てて「な、なんでもないっ」と手を振って誤魔化した。 「わ、私、野菜選んでおくから、音也はお肉取ってきてくれないっ? 好きなのでいいからっ」 言いながら音也の視線を誘導するように精肉コーナーを指差せば、音也は少し不思議そうな顔を見せて、だけどすぐに「分かった!」と眩しいくらいの笑顔を見せて駆けていった。その後ろ姿を見つめながら、ドキドキとうるさい鼓動を落ち着けるように胸を押さえる。一緒に暮らしてるっていうのに、不意打ちで出てくる音也の素直な言葉には中々慣れないな…。いつになったら慣れるんだろう、そう思う反面、このドキドキも心地よくて失くしたくないと思ってしまう自分もいた。 そんな正反対な気持ちに小さく苦笑してしまいながら、ガラ…とカートを押した。 まだ明るさを残す外は、大きく傾いた太陽が空を赤く染め始めている。少し長い影を引きながら歩く私たちは通い慣れた道を歩き、住み慣れた家の前で揃って足を止めた。玄関のドアを前に、二人同時に鍵を取り出してしまう。それに「あ、」と小さな声を漏らしてしまった私たちはお互いの手に握られた鍵を見つめて、視線を上げて、つい緩やかに笑い合った。挿した鍵を回せば、ガチャン、と籠もった音が鳴る。 「ただいま」 「おかえりー!」 つい癖で家の中に向かって言ってしまった私へ、すぐ隣の音也が元気な返事をくれる。そうだ、ただいまを言う相手は隣にいたんだった。それを思い出すと同時に、楽しそうな笑顔を見せる音也に小さく眉を下げながら笑いかけた。 「おかえりって…音也も一緒に帰ってきたのに」 「へへ。いつもは言ってもらう立場だったから、つい」 「…ありがとう。じゃあ音也も、おかえり」 「うんっ! ただいま、#name#!」 屈託のない、眩しい笑顔で返事をくれる。それが嬉しくて、私も釣られるように表情を緩ませていた。 ここが、私たちの帰る場所。 back