まだまだ遠い疑似体験

※現在の本編より少し進んでいます。嶺二→#name#感が強いです。 「明日が何の日か知ってる?」 『え? 知りません。生放送かなにかあるんですか?』 七月十二日。日も暮れた頃に電話をかけたぼくは少しの期待を込めて電話相手の#name#ちゃんに聞いてみた。けれど返ってきたのは案の定な答え。そんな気はしていたけど、少しでも期待してしまった分やっぱりちょっと落ち込んでしまう。 …でもまぁ、仕方ないよね。相手はアイドルに興味がない#name#ちゃんだもん。ぼくは自分に言い聞かせるようにしながら、「じーつーはー…」と勿体ぶるように話を切り出してみた。 「明日はぼくちんの誕生日なのでした~!」 『誕生日? あぁ、おめでとうございます』 「…うん。うん、知ってたよ。#name#ちゃんのことだから、それだけだろうなって思ってた」 相変わらず歳不相応なドライな反応に肩を落とす。加えて「れいちゃん寂しい。ぐすん」なんて言えば、#name#ちゃんは明らかに呆れた様子が分かる声色でため息をこぼした。 『なんですか…誕生日プレゼントでも欲しいんですか? いい年をした大人が、バイトもしてない高校生から?』 「ちょ、ちょっと待って#name#ちゃん! 語弊がある! プレゼントは欲しいけど、それはなんか違うよ!」 『…じゃあなにが欲しいんですか』 「聞いてくれるの? じゃあねぇ…」 #name#ちゃんからの愛のコ・ト・バ、かな? 半分本気で、半分冗談でそんなことを言ってみる。すると#name#ちゃんは分かりやすいくらい黙り込んで返事もくれなかった。きっと今頃訝しげな顔をしているに違いない。彼女の表情が目に浮かぶような思いを抱えながら催促しようとしたら、#name#ちゃんはもう一度はっきりとため息をこぼした。 『寿さんのことが好きでーす。はい。これでいいですか』 「素っ気ないっ! しかも棒読み!! もうちょっと心込めてくれたっていいんじゃない!?」 『私にそんな気持ちはないって言ってるでしょう。それなのに真剣に言ったって、茶番に変わりないですよ』 きっぱりと言い切られる言葉に「ちゃ、茶番って…」と声が漏れた。ぼくとしては茶番でもいいから聞きたかったんだけど…叶わないんだろうな。相変わらずの素っ気なさにトホホ…と肩を落としては次を考えようとした、そんな時、意外にも#name#ちゃんの方から率先して問いかけてきた。 『もっとマシなお願いとかないんですか? まともなことなら従ってあげますよ。誕生日ですし』 仕方ない、どこかそう聞こえる声色で告げられたのはそんな言葉だった。それでもぼくにとっては十分びっくりだ。彼女ならぼくがなにを言っても全部適当に流してしまいそうだと、そう思っていたから。思わずぽかんとして返事を忘れてしまったぼくに、#name#ちゃんは「なかったらなかったで全然いいですよ」と呟くように言ってくるから、ぼくは慌てて「あるある! とっておきのお願いがあるよっ!」と声を上げた。 「明日、#name#ちゃんとデートがしたい。一日だけでいいから、恋人として」 しっかりと聞き取れるように言い切ってみせる。だけど#name#ちゃんからの返事はすぐになくて、少し待ってみたけれどやっぱり彼女はしばらく黙り込んでいた。もしかしたら、彼女はぼくがまたふざけていると思っているのかもしれない。ぼくとしては本気で言ったつもりなんだけど。 「どう? こういうお願いは嫌?」 『……嫌では…ちょっと、驚いただけです。そんなことでいいのか、って…。もっと変なお願いしてくるかと思いました』 「ぼくちんは#name#ちゃんとデートできることがなにより嬉しいもーん。それとも、#name#ちゃんが想像した“もっと変なお願い”の方がよかった?」 『着拒しますよ』 「それだけはやめてっ!」 ちょっとふざけただけなのに、通話を切ろうと携帯を耳から離した様子が分かる#name#ちゃんの声に慌ててしまった。#name#ちゃんなら本当にやり兼ねないところが恐ろしい。だから、それだけは絶対にしないでねと念を押しておいた。 (…それにしても、) まさか本当にOKしてくれるなんて。絶対に断られると思っていたのに、「分かりました」と承諾の返事をくれる#name#ちゃんにすごく驚かされた。やっぱりやめます、なんて言われるんじゃないか。そう思ってしまいながら話していたけど、#name#ちゃんは意見を覆す様子もなく淡々と返事をしてくれている。 ということは、ぼくは本当に、彼女と恋人としてデートができるというわけだ。それは疑似的なものかもしれないけど、それでもぼくを浮足立たせるには十分で。ついつい「明日を楽しみにしてるね! ん~、ちゅっ」と電話越しにキスしてしまった、けれど、#name#ちゃんは「うわ」と明らかに引いている声を漏らす。“うわ”はひどいよ、“うわ”は。 とうとうデレてくれたというわけではないことを思い知らされては、ぼくらは明日の時間と待ち合わせ場所を決めて、おやすみの挨拶を最後に電話を切った。
* * *
時間通り待ち合わせ場所に現れた#name#ちゃんを車に乗せて、ぼくらはショッピングモールに足を踏み入れた。土曜日だからどうだろうと懸念していたけど、思ったほど人も多くなさそうだ。これならのんびり羽を伸ばして#name#ちゃんと楽しめそう。そう思った時、どこか呆然としたような#name#ちゃんが不思議そうにぼくを見上げた。 「せっかくの誕生日で…デートとか言ってたのに、こんなところでよかったんですか?」 「うん。別に場所はどこでもよかったんだ。重要なのは、#name#ちゃんがぼくとデートしてくれるってことだから」 「はぁ…」 ぼくの説明に#name#ちゃんはなんだか腑に落ちていないような、釈然としない声を漏らす。人を好きになったことがないって言ってるくらいだし、好きな人とならどこにいても楽しいとか、そういう気持ちが分からないのかもしれない。それを表すように、#name#ちゃんは「そういうものかな…」とほんの小さな声で呟いていた。 今回のデートでその気持ちを分かってくれたらいいな。そんな淡い期待を抱きながら、ぼくは#name#ちゃんに首を傾げながら問いかけた。 「じゃ、どこにいきたい? #name#ちゃんが決めていいよ」 「え? 私が決めるんですか? 今日の主役は寿さんだと思うんですけど…」 「そんなことは気にしなーい! 今日はデートなんだから、ぼくは可愛い彼女に尽くす彼氏、だよ。あ、もしかして#name#ちゃんは彼氏にエスコートしてもらう方が好みかな?」 そう思って試しに少し身を屈めながら手を差し出してみるけれど、#name#ちゃんは相変わらず釈然としない様子。どこか戸惑っているようにも見えるところが可愛いな。そう思いながらじっと見つめていたけど、#name#ちゃんはフイ、と顔を背けて別のものに目を向けてしまった。 「地図、見ましょう。私はエスコートするのもされるのも慣れてないので、二人で行き先を決めながら歩きたいです」 「OK~! 案外そっちの方がカップルっぽいかもね」 「それは分かりませんけど…」 笑顔で言うぼくに対して#name#ちゃんは小さく首を傾げながら歩き出そうとする。けれど、その足はすぐに止められた。ぼくが差し出していた手で彼女の手を取ったからだ。少しばかり眉を上げた様子で振り返ってくる#name#ちゃんに、ぼくはにっこりと微笑んで 「今日はぼくたち、恋人でしょ?」 そう言った。すると彼女は呆然とぼくの顔を見て、繋いだ手に視線を落として。ふ、といつも通りの表情に戻ってしまった。 「あまり目立つようなことは…と言いたいところですけど、今日だけは黙っておきます。その代わり、絶対に気付かれないでくださいよ」 「大丈夫。今日は邪魔されたくないからいつもよりしっかり変装してきたし。それに、#name#ちゃんがちゃーんと合わせてくれれば、きっと普通のカップルにしか見えないよ」 変装用の眼鏡越しにウィンクをすれば、#name#ちゃんは「荷が重いです」なんて言いながら少し不服そうな顔をした。だけど、その手を離そうとはしない。それが嬉しくて、ぼくはぎゅうっと彼女の手を握ったまま店内地図に向かって歩き出した。 覗き込んだそこには地図と一緒に飲食店の写真が並んでいる。とりあえずお昼ご飯を食べてからにしようか、と話して飲食店が並ぶエリアに目を走らせた。レストラン街の方へ行こうかとも思ったけど、「お昼だし、フードコートでもいいですよ」という#name#ちゃんの意見を汲んで、上階にあるフードコートを目指すことにする。少し歩けばそこにエスカレーターがあって、ぼくは敢えて#name#ちゃんに先を譲った。すると彼女はなににも気付かない様子で平然とエスカレーターに乗り込む。それに続くように一段後ろに立ったぼくはちらりと視線を落として、その視線を#name#ちゃんへ向けた。 「エスカレーターってさ、」 「はい?」 「縦に並ぶから、手を繋ぎにくいよね」 そう言えば、#name#ちゃんは少しぽかんとしたような顔をした。なに言ってんだって、心の声が聞こえるみたい。そう思っていたら#name#ちゃんはさっきのぼくと同じように視線を落として、呆れたような顔を見せてきた。 「そう言いながら、しっかり繋いでるじゃないですか」 「だって離したくないしー。それに#name#ちゃんが、繋ぎやすいように体の向きを変えてくれてるじゃない?」 「!」 #name#ちゃんがはっとした顔をする。そう、普通前後に並んでいたら手を繋いでおくのはしんどいんだけど、前に立った#name#ちゃんが横を向くようにしてくれているからこうして難なく繋いでいられる。ぼくとしてはそれが少し嬉しかったわけだけど、彼女は無意識だったのか、気付かされてからはフイ、と目を背けてしまった。 「別に手を繋いでいたいからじゃなくて…友達と遊ぶ時でも話すためにこうしてたから、その、ただの癖です」 「うんうん、いいんじゃない? そうやって振り払わず、無意識に合わせてくれるところが可愛いなぁって思うよ? 照れ隠しみたいな言い訳もねっ」 「振り払いますよ」 「ダーメ。絶対に逃がしてあーげないっ」 言いながら指を絡めとるように握り直せば、#name#ちゃんはまた少し眉を上げた。いわゆる、恋人繋ぎ。もしかしてと思って「初めて?」って聞けば、#name#ちゃんは小さく考え込むように黙って、「幼稚園の頃はよくやってました」なんて色気のない返事をくれた。「幼稚園はノーカンでしょ!」、ついそんな声を返してしまうと、やっぱり特に大きな反応のない#name#ちゃんはいつも通りの様子で「じゃあ初めてでいいです」なんて素っ気なく言いながらぼくを引っ張るようにエスカレーターを降りる。 やっぱりこれくらいじゃ靡かないか…。手強い#name#ちゃんにこれでもかというくらい思い知らされたぼくは、彼女に手を引かれるままフードコートへ足を運んだ。 お昼の時間を少しずらしているからか、フードコートもそれほど人は多くない。数々のテーブルを囲むように並ぶ飲食店をぐるりと見渡しながら、ぼくは「なにが食べたい?」と#name#ちゃんに問いかけてみた。#name#ちゃんも色々見渡して考えているみたい。 「どうしようかな…ちょっと悩みますね」 「こんなにあるとね~。友達とくる時はいつもなに食べてるの?」 「友達とは…やっぱりマックが多いですね。安いですし、軽く食べられるので」 「そっか。じゃあマックにしようよ」 ぼくがそんな提案をすると、#name#ちゃんは「え、」と声を漏らして訝しげな目でぼくを見上げてきた。 「なんでそうなるんですか…無理に私に合わせず、食べたいもの選んでくださいよ」 「とか言ってー、#name#ちゃんだってぼくが一緒だからっていつもと違うもの選ぼうと頑張ってるんでしょー」 「そ、そういうわけじゃ…」 ぼくの指摘に#name#ちゃんは目を背ける。一緒にいる相手のことを無意識に考えてしまう子だ、きっと今もぼくの誕生日だからとか、ぼくがアイドルだからとか、そういうことを考えているに違いない。そんなぼくの予想通り、#name#ちゃんは小さな声で「寿さんは普段こういうの、食べなさそうじゃないですか」と呟いた。確かにあんまり食べないけど、嫌いなわけじゃないし。ぼくは「#name#ちゃん、」と呼びかけて彼女を振り向かせた。 「そんなに気を遣わなくていいんだよ。今日は恋人なんだし、いつも通りで、ね? それとも、ぼくとのデートは特別なものにしたい?」 「…いつも通りで」 「はーい。じゃあいつもの#name#ちゃんでよろしくねん☆」 ほとんど誘導するように#name#ちゃんから答えを引き出しては、ウィンクをしながら手を引いて歩いた。そんなぼくに#name#ちゃんは少し戸惑うようにしながらついて来てくれる。 カウンターの前に立っては二人でメニューを見ながら、他にいるものはない? これはいる? ドリンクは? とお互いに聞き合って注文を済ませた。きっとこの時のぼくらは、なんの変哲もない仲のいい普通のカップルに見えていたはずだ。そう思うと、なんだか嬉しくなる。 「…寿さん、なんだか楽しそうですね」 トレイを受け取って席に座ると、不意に#name#ちゃんがそんなことを言ってきた。表に出していたつもりはなかったけど、もしかして伝わってたのかな? 「楽しいよ。#name#ちゃんと一緒にいられるのがすごく楽しい。ずーっとこうしていたいくらい」 「まだご飯食べるってだけなのに…変な人ですね」 「#name#ちゃんもそのうち分かるようになるよ。ぼくがその気にさせるからね☆」 ばちん、そんな音が聞こえそうなほどウィンクをしてみせるけど、#name#ちゃんは黙り込んだままぼくを見つめたあと、ハンバーガーの包みを淡々と開きながら「どうでしょうね」と言った。小さな口を開いて、包み紙で口元を隠すようにしながらハンバーガーを食べる#name#ちゃん。一口が小さいな。#name#ちゃんは頬張るほど口に入れないらしい。ハンバーガーを両手で持っているし、こうやって見ていると可愛らしい仕草が多くてつい微笑んでしまう。 …けれど、さすがに見つめすぎていたのか、ピタリと止まった#name#ちゃんが目を細めてぼくを見た。 「なんですか、人をジロジロと…食べづらいんであっち向いててください」 「あっちって…後ろ!? ぼくら向かい合って座ってるのに!? だったら#name#ちゃんの隣に…」 「狭いからダメです」 言い切るよりも先にばっさり切り捨てられた。まだ立ち上がろうともしてなかったのに、隣の空席に荷物を置いて阻止までされる。それにがっくりと肩を落としては、「#name#ちゃん厳しー」なんてぼやきながらぼくもハンバーガーを手に取った。時々ポテトをあーんしようとしたりしてもらおうとしたけど、それは全部冷ややかな目でスルーされて一度も叶わなかった。 泣く泣く自分で食べ切ったぼくは黙々と食べる#name#ちゃんを見つめる。また怒られるかなと思ったけど、残りも少なかったからか彼女が文句を言うよりも先に最後の一口が終わった。 「…食べ終わった? 追加でなにか欲しいものとかはない?」 「大丈夫です。次に向かってもいいですよ」 「じゃあ片付けて次にいこうか。どこに行きたい?」 「そうですね…」 ぼくに聞かれることを予想していたのか、#name#ちゃんはすぐに考えるように辺りを見回し始める。その時、ふと巡らされていた視線が止まった気がした。その先には有名チェーンのドーナツ屋さん。しばらくそこを見つめていた#name#ちゃんは突然はっと我に返ると、すぐに逸らすように目を泳がせた。 「#name#ちゃん…もしかして、ドーナツが食べたいんじゃない?」 「えっ。いや、その…」 明らかな様子に尋ねてみれば、#name#ちゃんはぎくりと肩を揺らして戸惑った。だけどすぐに観念したのか、そろそろと振り返ってきた#name#ちゃんはどこか気まずそうに話してくれる。 「…たまに、食べたくなるんです。あそこのドーナツ…」 「分かるよ~、美味しいもんね。ぼくもドーナツは好きなんだ。おやつに買っちゃう?」 ドーナツ屋さんを指差しながら言えば、#name#ちゃんはどこか驚いたような顔をした。あれ、ぼく驚くようなこと言ったかな? そう思って目を瞬かせると、#name#ちゃんは「なにも…言わないんですね」と控えめに言った。「え? なにが?」、思わず率直にそう聞き返せば、#name#ちゃんは少し気恥ずかしそうにしながら変わらず控えめな声で言い出した。 「その、私、ご飯食べてすぐでも甘いもの食べたくなっちゃって…いつも友達に“食べすぎじゃない?”とか、“太るよ”とか、口うるさく言われるんです…けど…寿さんは、なにも言わないんだなって思って…」 友達の言うことに自覚があるのか、#name#ちゃんは言いながらちょっぴり気恥ずかしそうにしていた。彼女のこんな姿は初めてだ。なんだかとても新鮮な気持ちになりながら、ぼくはひらひらと手を左右に振った。 「そんなこと気にしない気にしなーい。いっぱい食べる女の子は可愛いって言うし、実際にご飯を食べる#name#ちゃん、可愛かったよ。もちろん、ドーナツに惹かれちゃう今の#name#ちゃんもね」 「それ、褒められてる気がしません…」 「ちゃんと褒めてるよ! それに#name#ちゃんは細いんだし、むしろ食べ過ぎくらいがちょうどいいんじゃないかな?」 言いながら両手で#name#ちゃんの腰を掴むように触ると、はっとした#name#ちゃんが咄嗟にぼくの手をばしっと叩き払って逃げてしまった。中々痛かったし、これでもかというくらい睨み付けてくる#name#ちゃんの目が怖い…。 「せ、セクハラ反対です。しかも…食後にお腹周りを触るなんて…」 「え。あっ…ご、ごめーん! そうだよね、女の子のお腹周り触っちゃダメだよね! 今のはぼくちんが悪かった! ドーナツ好きなだけ選んでいいから、許して~!!」 咄嗟に手を合わせて謝ると#name#ちゃんはむすっとした顔でぼくを見つめて、やがてドーナツ屋さんの方に歩いて行った。トレイとトングを持って、どうやら本当にドーナツで謝罪させられるらしい。 普段素っ気なくてサバサバしていて、あまり女の子らしいところを見せてくれないから、そういうことは気にしていないのかと思ってつい油断してしまった。これはどう考えたってぼくが悪い。むくれた顔を見せる#name#ちゃんの隣へ並びながら、「本当にごめんね…」ともう一度謝っておいた。 「…私以外の女の子だったら、絶縁ものですよ」 「ごめんってば~…#name#ちゃん以外にはしないから。触らないから。ね?」 「私にもしないでください」 「でも、今の言い方だと#name#ちゃんは許してくれるんでしょ?」 「ドーナツのおかげだということを忘れないでください」 言いながらトレイの上に次々とドーナツを乗せていく#name#ちゃんから威圧を感じる…。ついついもう一度謝ってしまいながらぼくもドーナツを選んで、それぞれ持ち帰り用に包んでもらった。「いま食べなくていいの?」って訊いたら#name#ちゃんは一つだけ食べて、「残りは持って帰ります」って言いながら大事そうに持ち歩き始める。 どうやら、ドーナツ一つでかなり機嫌が治ったみたいだ。けど、それを口にしたら途端にあの威圧が戻ってきそうで、とても言う気にはなれなかった。 ――それから、ぼくらは#name#ちゃんがよく行く服屋さんに足を向けた。もちろん行きたいと言ったのはぼくだ。#name#ちゃんは相変わらず不服そうだったけど、ぼくは彼女の好きなお店で彼女の服を選んで買ってあげたい。お気に入りの店があると知っては、それだけは譲れなかった。 #name#ちゃんのことだから派手なものは着ないんだろうな。どんなものを選んであげよう。そんなことを考えながら歩いていると、#name#ちゃんがまたなにかを見つめている気がした。彼女は分かりやすい。気になるものを見つけると猫みたいにそれを見つめる。今度はなにを見つけたんだろうと思って同じ場所へ視線を向けてみると、そこには小さめの雑貨屋さんがあった。 「#name#ちゃん、なにか欲しいものがあった?」 「…いえ、大丈夫です」 ふい、と顔を前に戻した#name#ちゃんは「行きましょう」とだけ言ってペースを取り戻すように歩き出す。遠慮しなくてもいいんだよと言っておいたけど、どうしてか彼女は譲らなかった。もう一度雑貨屋さんに振り返ってみたけど、彼女が気になっていたものがどれかは分からない。彼女の好みが分かっていれば気付けたんだろうけど…ぼくもまだまだだな。 なんてことを思っていると、しばらく歩いたところで#name#ちゃんが「すみません」と声を掛けてきた。 「ちょっとお手洗いに行ってくるので、ここで待っててもらえませんか?」 「いいけど…こんなところで待たせなくても、ぼくも近くまで一緒に行くよ?」 「いえ。すぐに戻ってくるんで、座って待っててください」 半ば押し切るように言う#name#ちゃんはすぐに背を向けて行ってしまった。ぼくが引き留める間もないくらい、すぐ。 …さっきの遠慮と言い、やっぱり、まだどこか距離を感じるな。#name#ちゃんの性格からも、ぼくらが知り合った期間の短さからも、それは仕方がないと思う。だから深くは追及しなかった。…けど、やっぱり少しもどかしさを感じるなぁ。女の子のエスコートにはそれなりの自信があると思っていたんだけど、まだ全然未熟なのかもしれない。さっき雑貨屋さんで#name#ちゃんがなにを見ていたのかも分からなかったし…。 せめて、彼女の好きなものはできる限り知っておきたいな。今度は#name#ちゃんの誕生日にサプライズをして驚かせてあげたい。…と思ったけど、そういえばまだ#name#ちゃんの誕生日を聞いていなかったっけ。#name#ちゃんが戻ってきたら聞いてみよう。 ――…なんて考えてしばらく経つ気がするけど、#name#ちゃんはまだかな。すぐ戻ってくる、って言っていた割には時間が掛かっている。もしかして迷子? でもあの子はこのモールに慣れてるし、それはないと思う。なら、なにかトラブルに巻き込まれたとか…。そんな騒ぎは聞こえてこないけど、一応捜しに行ってみようか。 そう思って立ち上がると、遠くに#name#ちゃんの姿が見えた。よかった、なにもなかったみたい。ほっとした感覚を覚えながらお互いに歩み寄ると、#name#ちゃんは「遅れてすみません」と一言謝ってきた。 「大丈夫だよ。それより、本当にトイレ? ずいぶん長かったみたいだけど」 「…女の子相手にトイレが長いとか言うのはどうかと思います」 「えっ。ご、ごめん! ちょっと心配になっただけで! 他意はないから睨まないでっっ」 #name#ちゃんの睨みが強くて素直に謝れば、#name#ちゃんはふっ、と小さく笑った。「冗談ですよ」、困ったような笑顔でそう言う彼女は肩に掛ける鞄をぎゅっと握った。 「やっぱり買おうと思って、さっきの雑貨屋さんに行ってたんです。心配させてすみません」 「なんだ…よかったぁ。行くなら行くって言ってくれればいいのに。もう少しで迷子センターに行くところだったよ」 「それだけはやめてください」 色んな意味で大騒ぎです。そう言って呆れたように目を据わらせる#name#ちゃんに「ぼくも冗談」と笑いかけた。 そうして気を取り直し、#name#ちゃんお気に入りのお店に向かった。 ――それからのぼくらはお互いに服を買い、ゲームセンターへ行ったり本屋さんへ行ったりと時間の余す限りに歩いて回り、とうとう日が傾き始めた頃にぼくの車の元へ戻っていた。後部座席に荷物を載せて、助手席に#name#ちゃんを乗せる。回り込んだぼくは運転席に乗り込んで、手にしていた鍵を挿し込もうとした。そんな時だった。 「寿さん。これ、どうぞ」 そう言いながら、#name#ちゃんが鞄から取り出した小さな包みを差し出してきた。綺麗なラッピングで、緑色のリボンが飾り付けられている。しばらく状況が呑み込めなかったぼくは、それを受け取りながらぽかんと#name#ちゃんを見つめていた。 「えっと、これは…?」 「その…誕生日プレゼント、です。大したものじゃないんですけど」 誕生日プレゼント? だってプレゼントは、今日一日ぼくと恋人としてデートしてくれるっていうことで…。 驚いたぼくは確認するようにそれを思い返しながら、それでも呆然と「開けても、いい?」と聞いていた。#name#ちゃんが頷くのを見て、包みを開いてみる。するとそこから出てきたのは、小さなキーホルダーだった。緑色のクリームにデコレーションされたドーナツの、可愛らしいキーホルダー。 「好きなものとか分からなかったんですけど…これならどうかなって思って」 ドーナツ、好きって言ってましたよね。そう続ける#name#ちゃんに言葉を失う。自分でもびっくりするくらい、すごく驚いていた。まさか#name#ちゃんが、ぼくのためにそんな用意をしているなんて思わなかったから。今日のことだって、渋々付き合ってくれたものだと思っていたから。 …でも、いつの間に用意したんだろう。もしかして、一人でトイレに行った時? だとすると…#name#ちゃんは最初からこれを買うつもりで、わざとトイレだって言ってぼくをお店から遠ざけたのかな。 そう考えては、#name#ちゃんを見つめる。すると彼女はこういうことが不慣れなのか、なんだか落ち着かない様子で「な、なんですか」と呟いた。ぼくはそんな姿にふつふつと沸き上がる感情を覚えては、ずいっと助手席の方へ身を乗り出した。 「もーっ、#name#ちゃんったら素直じゃないんだからー! 可愛い奴めっ! このっ、このっ」 「うわ、うざい…渡すんじゃなかった…」 「うざいとか言わないのっ」 引き攣った顔で遠ざかろうとする#name#ちゃんを捕まえて頬擦りする。けど、さすがにそれはやりすぎたのか「暑苦しいです」と突き放すように押し返されてしまった。相変わらずだなぁ。そこがまた可愛いんだけど。 なんて思いながら、ぼくはもらったキーホルダーを車の鍵に付けた。それを静かに見つめる#name#ちゃんに振り返れば、彼女もまたそっとぼくに視線を上げる。#name#ちゃんの瞳が、夕陽に照らされて幻想的に輝く。 「#name#ちゃん、今日は本当にありがとう。一日付き合ってくれたことも、プレゼントも。すごく、嬉しいよ」 揺れることなく真っ直ぐに見つめてくるその瞳を見つめ返して、言う。#name#ちゃんはぼくの真剣な声に一度視線をずらして、また戻しながら「…どういたしまして」と小さく返してくれた。彼女の瞳は、変わらず揺るがない。それにふ、と小さく笑みをこぼしてしまっては、持っていた鍵を挿し込んでハンドルを握りしめた。 「よーし! 今日はこのまま#name#ちゃんをお持ち帰りしちゃおっかなー!」 「えっ」 「ぼくと眠れない夜を過ごさない? なーんて…」 「通報します」 「わーん! #name#ちゃん冷たーい!」

- - - - - - 連載を始めて間もないため、短編の方が関係が進んでいるというまさかの事態になってしまいました。すみません。これは私の段取りと頭の悪さのせいです。 でも連載を始めた今年こそは誕生日用の短編が書きたかったんです…なのでめちゃくちゃ必死に書きました。ただ書き始めたのが遅くて、他にも書きたかったところはバッサリカットという始末です。また後日、服屋さんとかゲームセンターなんかのお話を書き起こしたいと思います。それより本編進めなければ、って感じですけどね…。 最後にプレゼントで渡したドーナツのキーホルダーのモチーフは今年の彼のバースデーケーキです。可愛いですよね、ドーナツ型のケーキ。私も購入しました。しっかり写真に残して、じっくり堪能したいと思います。楽しみ。 Happy Birthday 嶺二!

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