◆ 貴方との幸せな一時
私が生まれた。
その時からこの男、奈落はずっと私の目の届く場所にいた。
いや…"私が"奈落の目の届く場所にいたのかも知れない。
気になって仕方がないから、この前思い切って『生みの親なの?』と聞いてみた。
けれど彼は全く答える素振りを見せなくて。
その後、代わりに神楽が答えてくれた。
"あんたは私たちと同じ──奈落の分身だよ"
はっきり言うと、呆然とした。
そんなこと言われても、最初は全然理解できなかったもの。
今でも…たまに分からない。
神楽たちはみんな、奈落に命令され、動き続けている。
──……私は?
今まで命令なんて、一度も聞いたことがなかった。
私がこの奈落から生まれた分身なんて…中々信じ切れない。
それでも神楽や神無たちは、私が生まれてくるところを見たって言ってた。
やっぱり、分身…なんだろうな。
「何で今まで教えてくれなかったの?」
「……何の話だ」
奈落は私の言葉に、表情をひとつも変えないで答えた。
視線さえ、こちらに向けずに。
そんな彼に、よく分からない感情が胸の奥に渦巻いて来て。
それを紛らわすように、次の言葉を口にした。
「私が、奈落の分身だってこと」
「……………」
どうしてだか、奈落は口を閉ざしてしまった。
答えて、と言わんばかりに顔を除き込む。
すると奈落はただ真っ直ぐ、目の前を睨むように見つめていた。
「誰に聞いた」
「…みんなから。自分でも、薄々は気付いてたけど…」
「そうか。…確かに、お前はわしの分身だ」
それだけ言い残すと、奈落は目を閉じて黙り込んでしまった。
奈落に寄りそい、閉じた目を見つめながら、私は言った。
「何で私には命令、してくれないの?」
「お前に命令する必要がないからだ」
それから私は言葉を失った。
ただ、それだけ…?
それだけ…なの?
絶対この奈落は、私の思いに気付いてない。
分身なら分身らしく、貴方の役に立ちたいのに…。
いつも思ってたのに…気付いてよ…。
「っ…奈落のバカ…!」
私は込み上げてくる何かに押され、この場を立ち去ろうとした。
その瞬間だった。
右腕を力強く掴まれ、動きを止められてしまった。
やだ…今ここにはいたくない…。
奈落のところにはいたくない…!
振り払おうともがくけれど、奈落の力には敵わなくて。
抵抗を諦めると、後ろから声が掛かった。
「何故逃げる?」
「っ……」
そんなこと、説明できるわけがなくて。
下唇を噛みしめて、私はいたたまれない気持ちで立ち竦む。
すると奈落は、私の腕を離してくれた。
どうして…?
思わず私が振り返ると、奈落はいつもより微かに、優しい声で言った。
「私の傍にいろ」
「えっ…?」
「聞こえなかったのか?私の傍にいろ、と言ったんだ」
「それって…命令…?」
「ふん、好きなように思っていろ」
言い方は素っ気ないけれど、私には何よりも嬉しくて。
精一杯笑って、私はすぐに奈落の傍に寄り添った。
彼の温かみが、直接肌に伝わって来る。
私がずっと、待ち望んだこと。
胸の奥の変な感情も、浄化されたように消えて行った。
end.
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