友の始まり

「犬夜叉に会ってみないか、巫女」 普段通りの日々、人の立ち入らない森の奥で薬草を摘んでいた時のこと。不意に告げられたその言葉に思わず「え…」と声を漏らした。そんな巫女が顔を上げた先、そこに腰を落とす桔梗は特に変わった様子もなく、普段通りの穏やかな表情でこちらを見ている。 恐らく、この誘いに特別な理由はないのだろう。それは彼女の様子から察せられたが、しかし、彼女が人と会うことを勧めてくるなど滅多にないことだ。それも相手は時折話に聞く、“半妖”の少年。 それを思えば彼女の発言の意図が掴めず、巫女はただ戸惑うように声を返すこともできないまま静かに視線を落としてしまった。 「…ああ、すまない。少し唐突だったか」 巫女の様子からその気持ちを悟ったらしい桔梗が穏やかな表情のまま言う。やはりそこに悪意や企みなどは感じられず、特段変わった様子もない桔梗は変わらず足元の薬草を優しく摘み取りながら続きを口にした。 「犬夜叉と話していると、時折巫女の話になるんだ。素直に口にすることはないが、あいつも巫女のことが気になっているようだから…一度話をしてみたらどうかと思ってな」 「…もしかして、話したの…?」 「心配するな、不死の御霊のことは話していない。かくまうことになった粗方の事情くらいだ」 「それだけでも、あいつはお前のことを気にしていたぞ」と続ける桔梗。 聞けばどうやら犬夜叉自身も様々な妖怪に襲われてきた経験があるため、“そいつの立場とか、なんとなく分かる気がする”、といったことを口にしていたようだ。それを知っては少しくらい気を許してもいいだろうか…と考えられるが、やはり胸の奥のどこか拭いきれない場所に、これまで味わってきた恐怖や不安が警鐘を鳴らすように存在している。 おかげで、すぐには気持ちの整理がつかなかった。だがそれさえ桔梗には伝わっているのか、彼女は「大丈夫だ」と囁き、足元に注がれていた視線をこちらへと持ち上げてくる。 「お前が人や妖怪を恐れる気持ちは分かるが、あいつはお前を襲うような奴ではない」 「……」 「私の言葉が信じられないか?」 なおも言葉に詰まっていれば、桔梗は顔を覗き込むようにしてそう問いかけてくる。そんな桔梗の瞳は普段通り自信に溢れるよう凛としていて、到底人を騙そうとしているものには見えなかった。 否、そもそも桔梗はそのようなことをする人間ではない。それが分かっているからこそ、本来ならばすぐに断わっているような提案も迷ってしまっているのだ。 それを実感するように思い、しばらく黙り込むまま考えた巫女はやがて、「ううん…」と小さく漏らしながら首を振るう。そして微かに眉を下げ、困ったような微笑みで言った。 「桔梗はウソなんてついたことないもの。分かったわ、その犬夜叉に会ってみる」 そう告げれば、桔梗は「巫女…」と口にしながら表情を一層柔らかくする。 彼女がこれほど勧めてくるのは、きっと犬夜叉が巫女を気にしていたからというだけではないだろう。それはどことなく感じられていたが、この時の巫女にはまだ詳しく知ることができず、少しの緊張を抱きながら彼との接触の日を待っていた。 ――後日、昼を過ぎた刻限に桔梗に誘われるまま森の奥より先へ進めば、「ここで落ち合うよう話してある」といった桔梗の言葉で足を止めた。森を抜けたそこは、広大な丘陵が望める高台。奥まったここなら人も来ず、開けているため妖怪が近付いても分かるだろうと考えて選んだ場所らしい。 しかし、そこには肝心の犬夜叉の姿が見当たらない。まだ来ていないのだろうか、と思ったそんな時、微かな妖気が近くで止まった気配を感じた。それを窺うように振り返れば、桔梗も同様にそちらを見据えている。 「分かっているぞ犬夜叉。なぜお前が隠れる」 「別に隠れたわけじゃねーよ。いきなり出ていったらそいつがびびるかと思ったんでい」 桔梗の声にどこか不躾な声が返ってくる。かと思えば視線を向けた先――そこに立つ木の陰から、赤い衣を纏う一人の少年が姿を現した。彼は身を潜めていた木に手を突きながら、こちらの様子を窺うように目を向けてくる。 彼が、犬夜叉…。初めて見るその姿にそんな思いを抱いてしまう巫女は、どこか驚くような感覚で立ち尽くすままに犬夜叉を見つめていた。 というのも、わずかな既視感を抱いたのだ。彼のその長い銀色の髪に。満月のような金色の瞳に。初めて見たとは思えないくらいのそれらは巫女に馴染み深い人物と共通していて、思わずその姿を想起してしまうほどの感覚に苛まれながらただ呆然と見入ってしまっていた。 「巫女? どうかしたか?」 「え、あ…ううん、なんでもない」 ふと呼び掛けられる声で我に返っては咄嗟に笑い掛けながらそう返す。どうやら考え込んでしまっていたようだ。 確かに彼の髪や瞳は“あの人”と同じ色をしているが、兄弟がいるなどの話は聞いたことがない。それに顔立ちは犬夜叉の方がずっと幼い気がして、とても似ているとは言い切れなかった。きっとたまたま同じ色であっただけか、もしくは同じ種族…といったところだろう。 そう考えては、改めて目の前の犬夜叉という少年に向き直る。すると桔梗がそれに合わせるようにこちらを手で示しながら犬夜叉を見た。 「犬夜叉。以前話していた巫女だ。最初はお前を警戒するかもしれないが、大目に見てやってくれ」 「分かってらあ」 「それで…巫女。もう分かっていると思うが、こっちが犬夜叉だ。愛想はないが、根はいい奴だから安心してくれ」 「え、ええ」 「おい。一言多いんだよ」 桔梗の紹介に犬夜叉が目を細めながら吐き捨てるように言う。確かにかなり不愛想だ。だがどうしてか、桔梗はそれを疎ましがる様子も咎める様子も見せない。もうそれも慣れてしまうほどの間柄なのだろうか…そう思うも、彼女からはそれとは違う、もっと柔らかな雰囲気を感じる。 …もしかすると、犬夜叉と会うよう勧めてきた理由が、そこにあるのだろうか――そんな思いをよぎらせたその時、遠くから確かな妖気を感じ取った。まだ距離はあるが、それはこちらに近付いている様子。ここへ向かってきているのは確かだろう。 それを悟った時、同様に妖気のある方角を見つめていた桔梗が踵を返した。その手には念のためにと持ってきていた弓が握られる。 「…腰を据えて話したかったのだが、早々に邪魔が入ったらしい…私が片付けてくるから、二人はここで待っていてくれ」 「桔梗、一人で大丈夫…?」 「ああ。妖気もさして強くない。大したものではないだろう。すぐに済ませるさ」 不安を覗かせる巫女に桔梗はそう言いながら小さく笑んでみせる。その顔を妖気の元へ向け直すと同時、桔梗は「犬夜叉、巫女を頼むぞ」と言い残して躊躇いもなくその足を進め始めてしまった。 その姿にえ、と声を漏らしそうになるほど驚く巫女だが、対して隣の犬夜叉はただ気だるげに「勝手なこと言いやがって…」と不満げな声を漏らすだけ。その表情も一方的な桔梗に呆れているもので、とても邪な感情や企みを隠しているようには見えなかった。 だからだろうか。驚きはしたものの、不思議と恐怖や不安といった感情が湧き上がらないのは。 いや、それだけではない。明々白々な桔梗の信頼こそが――彼女が迷いなく二人きりにさせてしまうというその事実が、“犬夜叉は安全だ”という絶対的な証拠となっているような気がした。 おかげで巫女は、犬夜叉への警戒心を少しずつ薄れさせるような感覚を抱く。そしてそれを表すように、離れゆく桔梗の背中を見つめるまま同様の犬夜叉へそっと話を持ち掛けた。 「いつも、彼女一人に任せて大丈夫かなって思うんですけど…桔梗がすぐ済ませるって言ってしまうのを聞くと、なんだか信じられるような、本当に大丈夫なんだろうなって思える気がするんですよね…」 「…まあ、あいつの霊力はバカみてえに強いからな。実際、すぐに戻ってくるんだろうぜ」 巫女の声に犬夜叉は分かり切った様子で平然と返しながらその場に腰を落とす。すると巫女も釣られるようにそこへ座りながら、もう一度桔梗の後ろ姿を見た。 犬夜叉からもそんな風に思われるくらい、桔梗は本当に強いんだな…。彼の言葉にそんな思いを抱いては、改めて桔梗に感心するような思いを抱いてしまう。それだけ、彼女に実力があるということ。時折感じるように、やっぱり彼女の強さは羨ましい。 なんてことを考えていると、「…それより、」と発した犬夜叉が半眼で訝しむような顔を向けてきた。 「その堅苦しい喋り方やめろよ。むず痒くて気色わりー」 「きっ気色…!? えっと、ご、ごめんなさいっ、つい癖で…」 まさかそんな言葉を向けられるとは思ってもいなかった巫女は驚き、慌てるままに頭を下げる。巫女は元々の性格に加えて各地に治癒の旅をしてきたためどうしても敬語で話してしまうのだが、犬夜叉は半妖という生い立ち上、他人から敬語を使われるということに慣れていないのかもしれない。 それをありありと示すようなんとも渋い顔をする犬夜叉に焦った巫女はすぐさま言葉を崩そうとしたのだが、 「わかり…わ、分かった。頑張って気を付けます。あっ、気を付けるねっ」 と、あまりにぎこちない言葉を発し、犬夜叉から“ダメだこりゃ”という呆れ果てた顔を向けられてしまった。 巫女はそれになおもおろおろとしてしまうのだが、落ち着くためにもなにか別の話題を…と考えては、控えめながらそっと犬夜叉の顔を覗き込んだ。 「それで、その…桔梗から聞いたのだけど…あなた…い、犬夜叉が、私を気にかけてくれてたって…あれは、本当なの?」 それは桔梗の誘いを飲んだ理由のひとつ。それを素直に尋ねてみれば、犬夜叉は口をへの字に曲げながら少し難しい顔をした。 「気にかけたっつーか…ただ、どんな奴か気になっただけだ。桔梗の奴がやけに大事そうにしてんのが話してて伝わってきたからな」 「そ、そうなの…?」 少し想定外ともいえる言葉に目を丸くする。 自身のことを話したというのは聞いた。だが世間話程度の、本当に他愛のない簡単なものくらいにしか話していないと思っていた。だが犬夜叉に聞けば、桔梗は巫女のことを実の姉妹のように思い大切にしていることがその声にも表情にも、端々から表れていたという。それくらい、巫女を思っていることが分かる話し方であったと。 それを聞いては胸が温かくなる感覚に言葉を失くしてしまう。確かにいつも助けてくれるくらいとても大事にしてもらっているが、彼女はそれを疎ましく思わないどころか、それほど親身になってくれていたなんて。 そんな思いにたまらず顔を綻ばせてしまうと、不意に犬夜叉から「まあ、」という声が発せられた。 「確かにあいつが構うのも分かる気がするぜ。おめー、見るからに弱そうで危なっかしいからな」 「え!? わ、私、そんな風に見えますか…!?」 「そうにしか見えねーだろ」 犬夜叉の言葉にまさかという思いで驚けば、彼はその反応に“正気か?”と言わんばかりに訝しげな表情を見せてくる。 彼女自身は巫女としてやっていけているほどの力強さ、頼もしさがあると思っていたようだが、どうやら周囲から見た印象はずいぶんと違っているらしい。それを初めて思い知らされた巫女は捨てられた子犬のようにしゅん…と肩を落としてしまい、「だからそーゆーとこだろ」と犬夜叉に指摘されていた。 ――そんな時、「犬夜叉。巫女」とこちらを呼ぶ声が投げかけられる。それに振り返れば、先ほど妖怪の元へ出向いたばかりの桔梗の姿がそこにあった。 「向こうから近付いてきたおかげで、思いのほか早く済んだよ」 「おかえりなさい。怪我はない?」 「こいつに限ってそれはねーだろ」 「ああ、大丈夫だ。やはり大した奴ではなかったからな」 犬夜叉の分かり切ったような言葉に桔梗はそう返しながら二人の傍へ腰を下ろす。 ――そうして、三人はようやく落ち着いて他愛のない話をした。犬夜叉と桔梗はいつどこで出会ったのか、犬夜叉は普段なにをしているのか、巫女の治癒能力とそれを発揮した旅はどうだったのか…等々、犬夜叉も巫女もそれぞれが話したがらないことには触れないまま、それでも穏やかな雰囲気でしばしの会話を楽しんでいた。 やがてそれもひと段落を迎えた頃――燃えるような空の色を見てこの日はお開きとなった。別れを告げる桔梗と巫女に、犬夜叉はひらひらと手を揺らしてどこかへと歩いていく。 その去りゆく後ろ姿が、やはり“あの人”を想起させる。そんな思いを抱えながら、巫女は踵を返す桔梗とともに村の方角へ足を踏み出した。 すると道中、薄暗くなる森の中を歩みながら桔梗に「どうだった?」と尋ねられ、巫女は柔らかな笑みを浮かべてみせる。 「桔梗の言った通りね。犬夜叉、悪い人じゃないみたい」 「ああ。付き合いが下手な奴だが、巫女ならばきっと仲良くなれるはずだ」 そう言う桔梗の横顔はどこかいつもより穏やかに見えて、少しばかり嬉しそうであった。そんな錯覚を抱いてしまいながら一層表情を柔らかくした巫女は「そうね」と呟き、先ほど別れたばかりの彼の後ろ姿を思い返す。 そこに重なるのは、何度も頭をよぎった想い人の姿。 「それに…あの人にも、どこか似てるし…」 「あの人?」 「あっううん、なんでもないの。気にしないで」 たまらず漏らしてしまった声に不思議そうな顔を向けられ、慌てて誤魔化すように笑いかける。思えばまだ桔梗には彼のことを話していないのだ。相手は列記とした妖怪であるため、巫女である自分がそのような者と親しくしていたらなにを思われるか分からなかったから。だが今回犬夜叉と会ったことで、それは杞憂だったのかもしれないという思いを抱くことができた。 いずれどこかで、なんらかの機会があれば話してもいいのかもしれない―― そう考える巫女は犬夜叉の衣のように赤く染まる木漏れ日を受けながら、穏やかな気持ちを満たして桔梗とともに帰路を辿った。

- - - - - - リクエストの『巫女と犬夜叉の出会いのお話』でした。以前書いた幕間のお話同様、目立った展開もオチもなくてすみません…! ただ、巫女の立場といったようなものは表せたかなと思います。 巫女のお話は前々からなにか書きたいなぁと思いながらも全然思いつかなかったんですけれど、今回リクエストをいただいて「これがあったか!」と思わず跳ね上がりました。目から鱗です。出会いのお話なんて普通はすぐに思いつきそうなんですけどね…どうしてなの私の脳みそ…。笑 お気付きの方もいらっしゃると思うのですが、このお話は本編10話でちらっと出てきた会話が基になっています。出会いといえばこのシーンだなと思ってそこを広げてみました。ただ長くなるのであまり書き切れず、本当に出会いだけとなってしまったので、可能なら今後も過去編としていくつか書けたらいいなぁと思っていたりします。 この先何度も会うようになって、巫女が犬夜叉に敬語を使わないようになれたりもしますからね…。そういうとこ、どんどん出していきたいです。 もしまた書けた際にはぜひ読んでやってくださいませ。 それでは改めまして、このたびはお題箱へのリクエスト投稿ありがとうございました! 少しでも楽しでいただけていれば、そして、巫女についての魅力を少しでも伝えられていましたら幸いです!

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