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叢雲牙の邪気と匂いで跡を辿るうちに日を跨いだ。この竹林の奥で奴はなにをしていたのか。そこへ歩を向ける間、私の脳裏には叢雲牙とは別の、もうひとつの存在が焼き付いて離れなかった。 (志紀…) 犬夜叉と剣を交えたあの時、去ろうとする私を呼び止めた志紀の顔が…いまにも感情に押し潰されんとする志紀の顔が、離れぬ。 (志紀…お前は一体、なにに怯えている…) ここ数日そのような雰囲気を纏っていたようだが原因が思い当たらぬ。この私が叢雲牙に追い詰められるようなことはないと志紀は知っているはずだ。ならばなぜ…なにに対して、怯えることがあるというのか。 それを問い質しておくべきかとも思ったが志紀は気にするなと、自分の道を進めと私の背を押した…… (ことが終わればお前の不安など払ってやる…だから、待っていろ…) 届くはずのない想いを胸にしたまま竹林を進むに連れて、徐々に気に食わぬ臭いが強くなる。やがて開けた地へ出れば、立ち尽くす犬夜叉の前に掘り返された墓が見えた。 こちらに気付いた犬夜叉が抜刀の構えで振り返ってくるが、私はそれに構うことなく墓前へ足を運んだ。どうやら中身が抜け出したらしい穴の傍に、朽ちた兜が転がされている。 「刹那猛丸(せつなのたけまる)…叢雲牙はあの虫けらを選んだのか…」 「知ってんのか!」 「………」 声を荒げる犬夜叉へ視線をくれてやれば、鉄砕牙を抜いて挑発的な声を上げてきた。 「珍しいじゃねーか。こいつは人間の墓だぜ…一体てめえとどんな因縁があるんだ?」 「虫けらとの因縁などない。あるとしたら、それはお前の方だ」 「おれの…?」 「貴様は知らんだろうな…なにも知らずに生まれ、なにも知らずに生きている半妖だ」 反応の薄い犬夜叉へ正論を突きつけると明らかに、不満そうに表情を歪めた。相変わらず短絡的で分かりやすい奴だ。 ――あれはお前が生まれた日のことだったはずだ。赤子であったお前が、あの時のことなどなにひとつ知るはずがない。そう、知らないのだ。 「ならば、なにも知らぬままに…死ね!」 「!」 踏み出すと同時に振り抜いた闘鬼神が周囲の竹を斬り倒す。しかし目障りな犬夜叉は生意気にもかわしていた。 「死んでその鉄砕牙を…寄越せ!」 振り降ろされた鉄砕牙を正面から受け止めると同時に振り払ってやる。一度離れて体制を立て直した犬夜叉は懲りることもなく再び剣を交えてきた。 「へっ、てめえこそ忘れてんじゃねえか!? てめえは鉄砕牙の結界に拒まれるってことをよっ」 「例え拒まれたとて、虫けらを殺すわずかな時間があれば十分!」 「親父の剣はおれがぶっ壊す! てめえは引っ込んでろっ」 「父上の顔も知らぬくせに知った風なことを言うな!」 強く鉄砕牙を叩き払えばもう一度振り抜いてくる。相も変わらず見え見えの太刀筋をかわせば代わりに幾本もの竹が飛ばされていた。 「ただ…父上の剣をもらっただけの半妖の貴様に、なにができる!」 幾度となく金属音を響かせながら剣を交えた直後、犬夜叉の体を断ち斬ってやらんと強く振り切った。しかしそれを跳躍しかわした犬夜叉は勢いよく着地するなり構えを取る。 「けっ、半妖で悪かったな! だが、その半妖に何度もやられてるてめえは…ただの負け犬だぜ!」 声を張り上げ全身で振り降ろした鉄砕牙から風の傷が放たれる。その程度のことで、この私が屈するとでも思っているのか。 「ふん…奥義…蒼龍破!」 自身の前に構えた闘鬼神から蒼龍破を放つ。地面が抉り返される中、犬夜叉は好機と言わんばかりの笑みを浮かべてきた。 「そういうのを待ってたんだ! 爆流破っ!」 奴の掛け声とともに振り切られた鉄砕牙から渦巻く波動が迫りくる。地響きに近しい音を轟かせたそれが私の妖気を押し返してくるが、私は闘鬼神を構えたままあの日の父の声を聞いていた。 『殺生丸よ…なぜお前は力を求める…』 ――父上…私は最強であるあなたを倒したかった…なのに父上は、人間の女と犬夜叉などのために死んでいった… (この殺生丸が戦って倒すはずだった最強の存在を…犬夜叉! 貴様ら親子が惨めに死なせてしまった!) 「うおおおおっ!」 一層気を強めれば犬夜叉の悲鳴に近い雄叫びが上がる。雷のような光が幾度か走り視界を埋め尽くすほどの衝撃が呆気なく消え去った目の前の地は、辺りを囲んでいた竹も消し飛び地面へ巨大な跡を残す荒れた土地へと変貌していた。 「鬼の牙の闘鬼神ではこの程度…また殺し損ねたか…」 鉄砕牙の鞘の結界が働く瞬間が垣間見えた。故に奴は瀕死にも陥っていないだろう。だが深追いするほどのものでもないこれは捨て置き、私は叢雲牙の跡を再び辿り始めた。 (志紀…) お前を安心させるためにも、叢雲牙を一刻も早く片付けねばならぬ。 * * * 「…………」 ふと、目が覚めた。ぼんやりと見える空は巨大な樹の葉に覆われていて多くは窺えないけれど、それでも夜が明けて晴天であることだけは伝わってきた。 「殺生丸さま、」 おはようございます。 そう伝えようとした口からは、ほんの小さな息が漏れただけ。肝心の言葉は姿のない主へかけられず、喉に詰まるような感覚だけを残していた。 (そうだ…殺生丸さまは叢雲牙を追って…) それを思い出すと、なんだか胸にぽっかりと穴が開いたような感じがする。殺生丸さまが帰って来なかった日なんて、今まで何度もあったはずなのに。それなのに今日はいままでとは違って寂しさというか、もどかしさというか、言葉にできない気持ちが胸の奥で渦巻いて仕方がなかった。 「殺生丸さま…」 「……お前さん、本当にあいつのことが好きなんだな」 「えっ!?」 唐突に掛けられた声に驚きながら振り返れば大きな牛にもたれ掛かる刀々斎さんが不思議そうにこちらを見ていた。…き、聞かれた…独り言を思いっきり聞かれてしまった…。 自覚した途端とてつもなく恥ずかしくなって「ま、まあ…」と苦笑いで誤魔化したら、刀々斎さんはじっと私を見定めるように見つめて言い出した。 「…陽光蝶は見つかったのか?」 「! し、知ってるんですか? 私の中の…」 まさか刀々斎さんからその話が出ると思わなくて驚いてしまった。咄嗟に聞き返したら刀々斎さんは当然のように「まあな」なんて言う。 …どうも私のことを知ってるのが当たり前みたいになってるけれど、殺生丸さまのお父さまの古いお知り合いさんたちはみんな口が軽いと思います。プライバシーもへったくれもないよ。 「陽光蝶は…まだ見つかってないです。それであの、私なにも教えてもらえてないんですが…月光蝶たちが幻夢蝶になった時、私になにかあるんですか?」 「なんだお前。知らんのか?」 「はい全くこれっぽっちも知りません」 驚いた様子を見せる刀々斎さんへはっきり言ってやる。むしろなんでみんなはそんなに知ってるの。知ってるなら少しくらい教えてよ。教えてくれないのは最悪の事態が待ってるからとかじゃないよね。 「ま…まさか私…死んだりしませんよね?」 中々教えてもらえないこの状況によぎった不安から、私は冗談半分で苦笑いを浮かべたまま問いかけていた。もちろんそんなことはまっぴら御免だし、いくらなんでも死ぬことはないはずだ。 だから鼻で笑われること覚悟で聞いてみたんだけど、突然隣から「やだ!!」と大きな声が上がって思いっきり肩を跳ね上げてしまった。 「りっ、りんちゃん…起きてたの?」 慌てて振り返ってみれば、いつの間にか目を覚ましていたらしいりんちゃんが眉根を寄せて険しい表情を見せていた。かと思えば弾かれるように飛びついてきてぎゅうう、と私の服を握り締めてくる。 「志紀お姉ちゃんが死んじゃうなんてやだっ。それなら蝶なんて捜さない! いらないもんっ!」 「りんちゃん…」 いまにも泣いてしまいそうな声で訴えかけてくるりんちゃんの姿に胸が痛む。聞かれてるなんて思わなかったから仕方がないけど、それでも滅多なことは口にするもんじゃなかったな… 「ごめんねりんちゃん…いまのは私が適当に言ったこと…冗談だから、気にしないで?」 「まー、いままで月光蝶が宿った奴に死者はおらんから安心せい」 私の胸に顔を埋めるりんちゃんへ刀々斎さんも否定の言葉を並べてくれる。するとそれが効いたのか、りんちゃんはゆっくりと顔を上げて頷いた。なんとか納得してくれたみたい。 不安にしてごめんね、いい子いい子、と頭を撫でてあげれば気持ちも落ち着いたらしく、りんちゃんはそのまま甘えるように私のお腹にぐ、と顔を押し当ててきた。 こんなに小さいのに家族をみんな失っちゃったんだもん…お姉ちゃん代わりの私がいなくなったら、また寂しい思いしちゃうよね…。 それを思いながらよしよしと優しく撫でてあげていると、 「志紀お姉ちゃん、甘くて優しい匂い…」 と小さく呟いてきた。唐突なその言葉に思わず「え?」なんて声を漏らすも、りんちゃんはゆっくり立ち上がって阿吽の方へ駆けていく。 「阿吽にご飯食べさせてくるね」 「あ…うん。遠くはダメだよ」 少し戸惑いを残しながら返事をしてあげるとりんちゃんは阿吽と一緒に歩いていく。さっきのはなんだったんだろう…。少し疑問が残るけれど、機嫌も元通りになったことだし気にしなくても大丈夫かな。 安堵に似たため息をふ…と漏らした私は一応邪見を叩き起こしてりんちゃんのお供に向かわせた。ここらは安全らしいけど念のため。 そうして起きている人が誰もいないことを確認して、私はもう一度刀々斎さんに向き直った。 「…それで、私はどうにかなっちゃうんですか?」 「どうって言ってもなあ…お前さんが生きる時代は違うから、一概にこうなるとも言い切れねえんだが…いままでの宿主は月光蝶を宿していた期間の記憶を失くしとるわけだ」 淡々とそう語る刀々斎さんはほじった耳くそを吹き飛ばしながら危機感もなにもない様子を見せてくる。事実刀々斎さんは当事者じゃないからそんな態度もおかしくはないんだけど、当事者である私からすればその言葉は声を詰まらせるには十分すぎるほどのものだった。 (宿していた期間の記憶を、失くす…) それは殺生丸さまたちに出会ってからの全てを失うということ。戦国時代のことでの出来事が、なにひとつ分からなくなってしまうということだった。 「…気になるのも分かるが、無理に考えすぎるなよ。気が滅入っちまうからな」 私が険しい表情でも浮かべていたのか、こちらを見てきた刀々斎さんが気を遣ってくれる。その優しさに「すみません」なんて苦笑いを見せると、私はたまらず空を仰いでいた。 頭上では遥か高くでたくさんの葉がゆったりとした風に揺れている。 そんな爽やかな景色とは裏腹に胸が気持ち悪さを覚えるほどざわめき立てる中、私を押し潰さんばかりに膨らみ続ける不安につい顔をしかめていた。 * * * やがてみんなが起きた頃、私たちは阿吽や牛の猛猛や化け猫の雲母と、それぞれの妖怪に乗って青い空を飛んでいる。向かう先は叢雲牙。そこに殺生丸さまと犬夜叉くんがいるはずだから。 叢雲牙が相当危険なものだということは実際に目にした私たちもよく理解している。けれどかごめちゃんが犬夜叉くんを追うと言い出して、殺生丸さまに会いたい私も賛同したためにこうして叢雲牙を捜している。どこにいるのかなんて、はっきり分かるわけじゃないけれど。 「犬夜叉は今までお父さんのことを話そうとはしなかった…」 不意に、かごめちゃんの声が聞こえた。釣られるように視線を向けてみれば、刀々斎さんの背後で浮かない表情を見せるかごめちゃんが俯いている。 「どうして? って聞くと、顔も知らないからって言ってた…でも、だったらどうして、親父の剣、親父の剣ってこだわるの? どうして自分だけで解決しようとするの?」 「男の子というものはそういうものですよ…父親の存在がいつも頭の上にのしかかっていて…なんというかこう煩わしくてたまらないのです…」 弥勒さんがかごめちゃんの問いかけに宥めるような声色で応えた。 「父親にできたことは自分にもできる…いつかは父親を超えてみせる…結局、父親を基準に考えているものなんです」 遠くを眺めながら物憂げに紡がれた言葉はやけに気にかかった。というのも、きっとそれに当てはまる人物に心当たりがあったからだ。 (殺生丸さまもきっと、お父さまのように…ううん、お父さまを超えたいから、強さを求めてる…) だからどうしても、お父さまの鉄砕牙が欲しかった。そしていまは叢雲牙を…。 「思えば、犬夜叉が四魂の玉を手に入れて妖怪になりたいと思うのも、父上のような、大妖怪になりたいという願いなんでしょう」 「そうだね…もう十分強いのにね…」 そっか、兄弟揃って…お父さまに憧れてるんだ。 でも殺生丸さま…あなただってもう十分な強さを持ってます。それでもまだ…足りませんか。 弥勒さんと珊瑚さんが徐々に暮色を見せ始める空へ向かってこぼす中、同じく空の彼方を眺める私は会いたくとも会えない主に届かない想いを馳せていた。 back