08


地面を歩いて探すより飛んでいた方がよく見えるだろうと思って上空から邪見を探してみるけれど、彼が小さすぎるせいか中々その姿が見つからない。一体どこまで行ったんだ。もしかして、どこかへ連れ去られた…? なんて思いが浮かんだその時、りんちゃんが「あっ」と小さな声を漏らした。その声に釣られるように視線を向けてみれば、森の開けたところになにやら蠢く小さな影を見つける。 邪見だ。赤い布で縛ったなにかの棒を引き摺って走っている。 「邪見さま見つけたーっ」 りんちゃんが高らかに声を上げる中、邪見の元へ阿吽を降ろしていく。するとようやく私たちに気が付いた邪見がひどく驚いた顔でこちらを向いた。 「志紀、りん! どうしてここへ!?」 「だって帰り道が…」 りんちゃんが邪見の強い声に少し怯えるように答えた瞬間、遠くから「待てーっ!」と女の人の声が響いてきた。あれは…遠くてよく見えないけど、たぶんかごめちゃんと一緒にいた人だ。ということはまさか邪見、本当に鉄砕牙を…? そう思って邪見の背後を覗き込んでみれば、引き摺っていた棒の正体が見えた。刀だ。ということはそれが鉄砕牙なんだろう。しかもそれを縛っている真っ赤な布は恐らく犬夜叉くんの衣。 どんな手を使ったのかは分からないけれど、邪見は見事宣言通りに鉄砕牙を奪取することを成功させていた。 「お前らっ。これを持って早く殺生丸さまの元へゆけ!」 人間のこやつらなら…とかなんとかブツブツ呟いていた邪見が途端に顔を上げたかと思うと、間髪入れずに鉄砕牙をりんちゃんへ投げ渡してきた。この様子、まさか邪見は残る気なのだろうか。それを感じ取った私がわずかに顔をしかめていると、りんちゃんがどこか戸惑ったように「でも…」と声を漏らした。 次の瞬間、女の人の声が大きく響いたかと思えば、白くて大きいブーメランのようなものがこちらへ向かって勢いよく放たれるのが見えてびくっ、と体を跳ね上げる。 「うっウソでしょ!?」 「きえええっ!!」 思わず目を見張ったその瞬間、邪見が声を張り上げて人頭杖を地面に突き立てた。直後、人頭杖から凄まじい炎が噴き放たれ、その勢いのおかげでブーメランは女の人の方へと打ち返される。邪見のおかげでなんとか助かったようだ。すぐさまお礼を言おうとしたものの、彼はそれどころではない様子を見せながら大きく振り返ってきた。 「わしが食い止めとる間にゆけ、志紀!」 「わ…分かった!」 つい気迫に押されて返事をしては阿吽を高く飛ばす。咄嗟に逃げてしまったけど、本当にこれでいいんだろうか。邪見は置いて行ってるし、鉄砕牙も結局勝手に頂戴してしまっている。 もし本当にこの作戦が上手くいったとして、私は次にかごめちゃんと会えた時平穏でいられるんだろうか。……いや絶対ムリだ。すごく険悪ムードになりそうだし、なんなら今度は私が犬夜叉くんたちにボコボコにされそう。 「や、やっぱ返しに…」 「逃がさないよ!」 身を震わせた私が引き返そうとした瞬間またあの人の声が響いた。咄嗟に振り返ってみればクリーム色をした二又の獣に乗るあの女の人が中々の形相で追いかけて来ている。 やっぱり返さないとまずくない!? とは思うけれどこのまま襲われるのも怖くて逃げ惑うように阿吽を急がせようとした。するとそこへ下方から炎が放射されてあの人が追い払われていく。 「ナイス邪見っ」 思わずそう声を上げて視線を向けてみれば、森の中から人が数人飛び出してくるのが見えた。よく見たら上裸の犬夜叉くんだ。その後ろにはかごめちゃんたちもいて邪見を追いかけている。 「邪見っ後ろ!」 咄嗟に声を投げかけると、それによって気が付いたのか邪見が慌てて逃げ出そうとする。けれどその行く手を犬夜叉くんが阻んでしまった。 これはフルボッコだぞ…なんて思ってどうするか悩んでいれば、心配そうな表情をしたりんちゃんが縋るように私の方へ振り返ってきた。 ……仕方ない。一度くらいは痛い目を見てもらおうかと思っていたけど、りんちゃんに免じてここは助けてあげよう。私が返事代わりに頷いてあげれば、りんちゃんはすぐさま阿吽の轡に手を掛けた。 「阿吽、お願いっ」 「当てちゃダメだよ。ちゃんと外してね」 りんちゃんに続いてそう囁いてあげれば阿吽は露わにされたその口を大きく開いた。そこからすぐに勢いよく雷撃を放つと私の指示通り当人たちを外し、犬夜叉くんのすぐ傍の地面を大きく穿ってみせる。その衝撃によって犬夜叉くんが吹き飛ばされたのを確認してから、私たちは邪見を拾いに行くように阿吽を向かわせる。 「邪見さまー!」 りんちゃんが持っていたお土産の花を私に押し付けて必死に呼びかけると、こちらの姿に気が付いた邪見が驚愕の様子を見せてきた。 「志紀、りん!? バカもん、なぜ戻って来た!」 「掴まって、邪見さまっ」 邪見が怒鳴りつける声も聞かずにりんちゃんは手を差し伸ばす。その姿にようやく観念したのか、邪見はすぐさま飛び跳ねてりんちゃんの手に掴まった。その瞬間に私が阿吽の手綱をはたいて空高く飛ばしてみせる。 「しっかり、邪見さま!」 中々持ち上げられず宙吊りになる邪見を引き上げようと、りんちゃんが大きく身を乗り出す。その姿に落ちる! と慌てた私が咄嗟にりんちゃんの腰へ腕を回したその時、無我夢中のりんちゃんの手からなにかが呆気なく放り捨てられた。 い、いま捨てたのって、気のせいじゃなければ…… 「お前ら。なぜ戻って来たっ」 「! だって…邪見さまが心配だったから…」 私が捨てられたものへ視線を向けている間に邪見に怒鳴られたりんちゃんが弱々しく呟いて身を縮こまらせる。すると邪見はりんちゃんの“心配だった”という言葉に目を丸くして、すぐにそれも伏せては深く俯いてしまった。 邪見は一体なにを思っているんだろう。心配してもらえたことの嬉しさか、それともりんちゃんを少しでも危険に曝してしまった後悔か、或いはなにか…。 私には知ることのない思いを抱える邪見がふと顔を上げてくると、突如けろっとした表情でこちらを見つめてきた。 「あ。そうじゃ、鉄砕牙は?」 「…………」 「え? ああっ」 私が思わず無言で顔を逸らしてしまう中、りんちゃんが思い出したように下を向いて邪見も同じようにそこを見た。その視線の先は遠ざかっていく地面で、無造作に投げ出された鉄砕牙を拾い上げる犬夜叉くんの姿が見える。 そう、鉄砕牙はりんちゃんがあの時…邪見を引き上げる時に思わず投げ捨ててしまっていたのだ。 「そんな…」 がーん。 邪見が小さく声を漏らしたかと思うと、あまりの衝撃に打ちひしがれて阿吽の首元にぱったりと力尽きてしまった。今日一日ものすごく頑張って作戦成功も目前にした邪見にとって、その結末はあまりにもショックが大きすぎるのだろう。 「あれ? 邪見さまどうしちゃったの? ねえ邪見さまー、ねえーっ」 そんな邪見の苦労など露ほども知らないりんちゃんが必死に呼びかける声は、なんだか虚しくなるほどに夜の空へ鮮明に響き渡っていた。 * * * 「あーあ。骨折り損のくたびれもうけじゃった…」 がっくりとうな垂れながらそうぼやく邪見の背中を慰めるようにぽんぽんと叩いてやる。それでも邪見は大きくため息をこぼしていて心の底から疲弊しているようだった。 「仕方ないよ。勝手に鉄砕牙を奪おうとした邪見が悪い」 「志紀…少しでもわしを慰めはせんのか」 「これでも慰めてるつもりなんだけどなー。ほらほら」 これが証拠、と言わんばかりにぽんぽんぽんぽん叩けば邪見はいまにも怒鳴らんと身を震わせる。けれどそれもやめて、まるでしぼむようにもう一度はあー、とため息を落とした。 そんな時、私たちの背後で作物を物色しているりんちゃんが無邪気に声を上げてくる。 「どれもおいしそー。どれがいいかな」 「どれでも勝手にせいっ」 「二、三個持って行こうかなあ」 つんつんと作物をつつくりんちゃんは嬉しそうに作物を眺めている。私は申し訳なさからついその様子に苦笑して、隣の邪見は何度目かのため息をこぼしていた。 ――そんな私たちの居場所、それはどこかの誰かの畑だ。本来ならば人さまの畑から頂戴するなんて悪事は避けたかったんだけど、ずいぶん予定がずれ込んでしまったために仕方なくここで食糧を調達することにしている。 (まあ…今回ばかりは、ね…) 「わあ、これもあまーいっ」 頬杖をついて私までため息をこぼせば、背後からりんちゃんの嬉しそうな声が響いてくる。その声を聞いていたらなんだかどうでもよくなってくるけれど、今後はちゃんとした方法で食糧を手に入れさせてあげよう。 なんてことを考えていると不意に邪見が背後のりんちゃんを盗み見て、次いで私を見やってからぽつりと呟いた。 「殺生丸さまも物好きな…人間の娘など連れ歩いて…」 「はあ。すっっごい今さらだね」 私が合流してからずいぶん経つというのに、今さらそんなことを言うかという思いが浮かんでしまう。というか声に出てしまった。 確かに話を聞く限りでは殺生丸さまは元々大の人間嫌いだ。それなのになんの力も持たないし闘うことも防ぐこともできない私たちを連れていくどころか、私に至ってはお付き合いさえさせていただいている。相当の矛盾だ。 でもきっと、今頃そんなことを本人にこぼしてしまったら間違いなく怒られるだろう。下手をすれば一発で沈められる。それを悟った私はすぐさま思考を掻き消すように首を振るった。 そんな時、邪見が空をゆるりと仰ぎ見て「ま、しょうがないか」と呟いたのが聞こえて私は静かに彼へ視線を向けてみた。 「あの時…お前とりんが戻って来なかったら、わしは犬夜叉にギッタギッタにやられておったもんなあ…」 「だろうねー。邪見こそ、少しくらい私たちに感謝してもいいんじゃない?」 にやりとした顔でそう言ってやれば、邪見は悔しそうに「ぐぬぬ…」と声を漏らす。言い返せないんでしょう。だって事実だもの。 得意げに邪見をからかうような目を向けていれば、突然柔らかな風が私たちの頬を優しく撫でてきた。 「あ…殺生丸さま」 「殺生丸さまっ。おかえりなさいっ」 その風の元に振り返ってみるととうとう待ちくたびれたのか、殺生丸さまが緩やかに髪を揺らしながら歩み寄ってきていた。 りんちゃん、どちらかといえばおかえりなさいを言うのは殺生丸さま側だよ。向こうから来てくださってるから微妙なところだけれど。 「随分と時間がかかったようだな」 なぜだ、と言わんばかりの殺生丸さまの言葉に「ぎくり」と声に出して肩を揺らした邪見がいっぱいの冷汗を滴らせる。そりゃ言われるでしょうよ。一晩経ってるわけだしね。 けれどどう言い訳しようか悩み、あのうそのうとぶつぶつ声を漏らす邪見をなんだか見ていられなくて、私は小さくため息をこぼしてから殺生丸さまの前に歩み出た。 「すみません。また私が妖怪に襲われて、逃げてるうちに日を越えてしまって…でも、邪見が助けてくれたんです。今日の邪見、珍しくかっこよかったんですよ」 たまには花を持たせようと指し示しながら言うと邪見がぼそっと「珍しくは余計じゃ」なんて呟く。私が上手いこと誤魔化してるんだからいまは黙ってなさい。じろりと見据えてやった邪見から様子を窺うように殺生丸さまへ視線を移してみると、彼は相変わらず無表情の無言だった。 たぶん嘘をついていることがバレてるんだ。殺生丸さまは風の匂いだけで周囲のことを知れるというから。それでも殺生丸さまは一向に咎める様子を見せず、じっと邪見を見つめてはそれすらも逸らして踵を返してしまった。そしていつも通り、 「行くぞ」 と、それだけを言い残して歩き始めてしまう。追求しないところもきっと、彼なりの優しさなんだろう。それを思うとなんだかくすりと笑みがこぼれて、私たちはすぐさま返事をしながらあとを追った。 あとから小走りでついて来るりんちゃんがたくさん食糧を得られて満足そうに微笑んでいる。その姿を見た私はふと思い出して、わずかに開いていた距離を詰めて殺生丸さまへ手を差し出した。 「殺生丸さま、これを。りんちゃんからのお土産です」 私が差し出した手の中には紫色の小さな花。ずっと水にも浸けられていないからもう萎れてきているけれど、りんちゃんが殺生丸さまにあげたくて摘んできたものだ。捨てるわけにもいかないし、ちゃんと渡しておく方がいいはず。 そう思って差し出したのに、殺生丸さまはじっとそれを見つめた後に私を見据えた。 「それは志紀が持っていろ。私が持っていても枯らすだけだ」 殺生丸さまはそう言いながら私の手をそっと押し返してくる。確かに正論だ。とはいえ、私だってこれを渡されても困る。絶対枯らしてしまうから。 確かに私は現代の知識で枯れる前に押し花にするとか色々な策は知っているけれど、実際にはなににすればいいのかなんて思いつかなかった。押し花だって、よくある栞なんかにしてもこっちの世界じゃ使いどころもないし結局意味がない。できればなにか使えるもの、身に着けるものにできたら…… 「そうだ! 明日、現代に帰ってもいいですか?」 ふっと降りてきた案に顔を明らめた私は咄嗟に殺生丸さまへ問いかけてみる。するとあまりに突然のことだったからか、殺生丸さまがほんの少し訝しげな表情を浮かべられた。 「用でも思い出したのか」 「用事、というほどでもないんですけど…ちょっといいことを思いついたので」 そう言って笑いかければ、殺生丸さまは「いいこと…?」と声を漏らされる。けれどそれも束の間のことで、すぐさま快諾してくれた。殺生丸さまだけじゃなく邪見やりんちゃんも気になってるみたいだけれど、“いいこと”はまだ秘密。 私とりんちゃんの“いいこと”を合わせて、みんなにあげるんだ。 喜んでもらえるといいなあ。 back