01
あれから――私と殺生丸さまがお付き合いをすることになった日から、どれくらいが経っただろう。特に変わることのない日々の中、私たちは相も変わらずなにかのために旅を続けていた。 先頭を歩く殺生丸さまはやはりどこかに向かっていて、りんちゃんが乗る阿吽の手綱を交互に引く私と邪見はただそれについて行くばかり。どこに行きたいということもないから大して口出ししたこともなかったのだけど、いま思えば私は殺生丸さまが一体どこに、なにを求めて旅を続けられているのかをこれっぽっちも知らなかった。 (…とはいえ、今さら知りませんでしたーっていうのもなんだか恥ずかしいしなあ…) ちら、と殺生丸さまを盗み見るも彼は真っ直ぐ前を向いたまま。阿吽の上でぐっすり眠るりんちゃんには以前尋ねたことがあるけれど、よく知らないって言われた覚えがある。となると……残るは邪見のみ。 試しに邪見の横顔へ視線を移してはみるけれど、なんだか全然聞く気になれない。というのも、一番小言を言ってきそうなのがこの邪見だからだ。間違いなく“そんなことも知らなんだのか”とかなんとか言ってくるに違いない。 「ん? わしをじろじろと見おって、どうかしたのか?」 「えっ。あー…」 しまった…見すぎてバレた。 咄嗟に視線を泳がせたもののなんでもないと言えず、訝しんだ邪見に疑惑の目を向けられた。こうなったら潔く聞くしかない…。 私はひとまずわざとらしい咳払いをひとつして、殺生丸さまに聞かれないようにこっそりと邪見に身を寄せてみた。 「あのさ、すっっごく今さらなんだけど…この旅って、なんのためにどこに向かってるの?」 「はあ~っ? お前そんなことも知らなんだのか!」 わお。予想ドンピシャのお言葉……って、声がでかい! 慌てて声を潜めるようジェスチャーをして見せれば、邪見はものすごく不審がりながら私を見てきた。 その目をやめろ。私だって本当はこんなコソコソした感じは嫌なんだから。 お願い、という念を込めながら力強く邪見を見つめていると、ようやく呆れたように了承してくれた。顔を近付けてきて“これくらいか?”と声量を確かめられて頷いてやれば、邪見は耳打ちするように小さな声で話してくれる。 「殺生丸さまはな、犬夜叉めが持つ刀…鉄砕牙を狙っておられるのだ」 「犬夜叉…って、かごめちゃんといたあの赤い服の?」 なんとなく聞き覚えのある名前を記憶から探って聞いてみれば、そうだとしっかり頷いてくれた。…なるほど、だから犬夜叉くんと出会った時、あんなに一触即発の最悪な空気だったんだ。 「殺生丸さまの父君は、殺生丸さまと犬夜叉それぞれに一振りの刀をお譲りになられたのだが…強い鉄砕牙を半妖の犬夜叉なんぞに譲られてしもうたのだ。そのうえ殺生丸さまには癒しの刀などという使えん刀、天生牙をお寄こしになられて…それが心底気に食わぬが故に、殺生丸さまは明くる日も鉄砕牙を追い求めておられるというわけだ」 「ははあ…」 なんだか私には次元の違うお話で全然ついて行けやしないけど、とにかく分かることは大きなため息をこぼす邪見の苦労が相当でかいということ。なんだかんだ、邪見も大変なんだなあ。 「あれ? でもさ、殺生丸さまなら簡単に奪い取れちゃうんじゃないの?」 ふと気になってそう聞いてみれば邪見は眉間に深いしわを刻み込み、ものすごく難しい顔を見せてきた。 …どうやら殺生丸さまはすでに二度ほど犬夜叉くんへ挑んだことがあるらしい。けれど鉄砕牙には妖怪が触れられないよう結界が張られているとのことで、真の妖怪である殺生丸さまにはそれを持つことすら困難だという。対して、半分人間だという犬夜叉くんはその辺問題ないらしい。 そういうことで色々試すも結局のところ鉄砕牙を手に入れられてはおらず、また次の機会を窺っているのだと聞かされた。 「あ。じゃあもしかして殺生丸さまがたまにいなくなるのは、その犬夜叉くんを捜したりしてるってこと?」 「それだけではないが…まあそんなところであろう」 邪見はなんだか煮え切らない返事をくれながらうんうんと頷いてくれる。 しょっちゅう姿を消すからなにをしているのかと思っていたけど…なるほど、そういう事情があったのか。どこかへ行くことの全ての理由がこれではないにしろ、話を聞く限り殺生丸さまはよほどその鉄砕牙が欲しいと見える。物への関心が薄いあの殺生丸さまが欲しがるくらいだ、そりゃーもう“最強!”って感じなんだろうな。うん、私にはよく分からない。 きっと殺生丸さまはどうしてもそれが欲しかったのに、お父さまがまんまと犬夜叉くんに渡しちゃったから二人の関係により深い亀裂が…… って、んん? 待てよ? なんで殺生丸さまのお父さまが犬夜叉くんに刀を渡すんだ? 「ねえ邪見。犬夜叉くんと殺生丸さまって一体どういう関係なの?」 「そっ、それすら知らなんだのか!?」 愕然と驚く邪見がもはや後ずさるレベルで衝撃を受けている。 そんな顔されても、知らないものは知らないんだから仕方ない。そう思うと同時に、私は邪見の口を思いっきり強く押さえ込んでいた。 これはダメだ絶対に聞かれた。咄嗟にそう悟りながらまるで軋むロボットのようにギギギ…とゆっくり振り返ってみれば、案の定殺生丸さまは足を止めてこちらへ振り返ってきていた。 「どうかしたか」 「い、いやっなんでもないです! 気にしないでくださいっ!」 「……そうか」 潔白を示すように手をひらひらさせれば、殺生丸さまはわずかに視線を残しながらも踵を返して歩き出していく。よし…なんとかバレずに済んだ。……はず。 思わず安堵のため息を大きくこぼしていると、突然小刻みに震え始めた邪見が私の手をばしばしと叩きまくってきた。しまった、邪見の口を押さえてること忘れてた。 「ぶはっ。志紀っ、貴様わしを殺す気かっ!」 「だって邪見が大きい声出すから、つい」 「“つい”で殺されてたまるかっ」 「ごめんごめん~」 ぽんぽんと頭を叩くように撫でてやりながら謝れば、邪見は照れくさそうに「今回だけは許してやるわい」とぼやいて顔を背けてしまう。ちょろい。ちょろすぎて心配になるよ邪見さん。 詐欺なんかに簡単に引っかかってしまいそうな彼を心配していれば、その彼は小さく咳払いをして「話を戻す」と語り始めてくれた。 「あやつと殺生丸さまは、腹違いの兄弟なのだ。無論、殺生丸さまが兄君だぞ」 「へえ~兄弟かあ…兄弟…兄弟!? えっ、うそ、犬夜叉くん弟だったの!? なにそれ早く言ってよっ。ちゃんと挨拶しとけばよかった~!」 「バカもんっ。挨拶なんぞせんでよいわ!」 私が本気で驚いて悔やんでいれば思いっきり邪見に殴りつけられてしまう。殴るにしても人頭杖を使うのはやめようよ。頭かち割れるじゃんか。 痛みに涙を浮かべながら殴られた頭をさすっていると、突然邪見が顔を近付けるようちょいちょいと手招きしてきた。 「よいか? あまり殺生丸さまの前で犬夜叉なんぞの話はするなよ」 声を潜めて耳打ちしてきたのはそんな言葉。理由はさっぱり分からない。それをありありと表情に出してみせると、邪見は殺生丸さまの姿を何度か盗み見ながらこっそりと訴えかけてきた。 「半妖であるという時点で嫌っておられるのに、幾度か返り討ちにされておるくらいなのだ…その腹は煮えくり返っていて、名前を聞くことすら嫌に決まっておろうが」 「へ? 殺生丸さまが返り討ち…?」 今なんだかとんでもない情報を吹き込まれた気がする。思いっきり耳を疑って邪見を見てみるも、しっかりと頷かれて聞き間違いではないことを証明されてしまった。 信じられない。あんなに強いのに…。 そんな思いが浮かんでは、無意識のうちに殺生丸さまの背中をじっと見つめていた。悠然と銀の髪を揺らすその姿からは、やはり返り討ちにされたなどとは到底想像がつかない。それでも永きをともにした邪見が言っていることは嘘ではないはずだ。 そんなことがあったなんて、思いもしなかったなあ…。 (……あれ…? もしかして私…殺生丸さまのこと、全然知らない…?) ふと至ったそんな思いに小さく顔をしかめてしまう。 考えてみればそうだ。私は自分の世界に帰ることや、ただ殺生丸さまのお傍にいたいという思いだけでついて行っていて、碌に相手を知ろうとしたことはなかった。 それに気付いた私はいつしか、“殺生丸さまのことを知りたい”という思いに駆られていた。大雑把なことでも些細なことでもなんでもいい。知りたい。知っておきたい。 まるでそう願うように思いを馳せながら殺生丸さまの背中を見つめていると、不意にその足が歩みを止めて音もなく振り返ってきた。 「…………」 目が合った。そのまま私を見つめる殺生丸さまはしばらく黙り込んだまま立ち尽くすと、その瞳を閉じて「休息をとる」とだけ告げられた。すると隣の邪見はそれに潔く返事をして、阿吽の手綱を引きながらあっという間に木陰へその身を移して行ってしまう。 「志紀」 「は、はい」 私も邪見の方へ行こうとしていたら、突然殺生丸さまに呼び止められてほんの少しだけ驚いた。ゆるりと振り返って表情を窺ってみれば、殺生丸さまは私に「来い」とだけ言い残して踵を返してしまう。 どこかへ行くのだろうか。どこにかは分からないけど、呼ばれたならついて行かなければ怒られる。そう思っては拒否することなくすぐさま殺生丸さまを追いかけた。 その足は案外近いところで止められたかと思うと、邪見たちの姿が小さく見える程度の距離に腰を降ろされる。私が躊躇いながらもその隣に腰を降ろせば、殺生丸さまは私の目を見据えてはっきりと問いかけてきた。 「邪見となにを話していた」 「えっ…そ、それは…」 あまりにも直球な質問に思わず口籠ってしまう。いまさら旅の目的を知ろうとしたのが恥ずかしくて隠してたんだし、ついでに聞いた犬夜叉くんの話は殺生丸さまの前ではするなと邪見に釘を打たれたばかりだ。 これは…どう答えればいいんだろう… 「…私には言えぬことか?」 私が言葉に悩み言い淀んでいれば、ス…と細められた瞳が射抜くように見つめてくる。やばい。このままだとご機嫌を損ねてしまい兼ねない。かと言って適当なウソを騙ってみたとしても、このお方は絶対に見抜いてしまうだろうし…もうはっきりと言うべきだろうか。いやでもどこまで言っていいものか… なんて悩み続けていると、突然殺生丸さまの腕が私の腰に巻き付いてきた。かと思えばそのままグッと至近距離に引き寄せられてしまう。 「この口は誰が主だか分かっておらぬようだな」 近すぎる殺生丸さまの顔が一層迫ってくると、腰に絡んでいた手を私の唇へと持ち上げられる。そのまま親指の腹でツウ、となぞられる感触がくすぐったい。殺生丸さまの唇が、近い…… 「い゙っ!?」 ぐにっ。 という感触を与えられたかと思うとそれはすぐさま頬を抓られる痛みへと変わっていた。いやいやいや痛い痛い痛い痛いもげる!! 「い、言います! 話します! 全部話しますからあっ!」 「…それでよい」 フ、と小さく意地の悪い笑みを浮かべた殺生丸さまが手を離してくれた途端、じんじんと痛む頬を押さえ込んだ。少しくらい手加減してくれないとほんとにもげるわ。リアルこぶ取りじいさんどころじゃないよ。 頬を何度も何度もさすってあげてようやく痛みが引いてきた頃、私は大きなため息をひとつ吐いて殺生丸さまへと全てを語り尽くしてみせた。 「……というわけで、私って全然殺生丸さまのこと知らないんだなって思った始末でございます」 さっきの…恐らく私を油断させるための殺生丸さまの行動といい、私が隠そうとしていた話の内容といい…そろそろ恥ずかしさが限界突破しそうで顔を上げることすらできない。殺生丸さまは一体なにを思っているのか黙り込んだままだし、もう妖怪でもなんでもいいから出てきてこの沈黙をどうにかしてほしい。 そんなことを思っていると、殺生丸さまが再び小さく笑った気がした。 「そんなことを気にしていたのか」 「そ、そんなことって、せっかくその…こ、恋人…になれたのに、相手のことを全然知らないなんておかしいじゃないですか…」 自分で言っておいて余計に恥ずかしくなってきた。やっぱりいまでも“恋人”だってはっきり言うのはなんだかはばかられる気がして仕方がない。ふいっ、と顔を背けてしまえば、不意に殺生丸さまの手が私の頬へと触れた。 「そんなもの、いつ知ろうが関係ないだろう。これからともに、知り合って行けばよい」 「…殺生丸さま…」 わずかに浮かべられる微笑みに、いつしか恥ずかしさも忘れて頬を緩ませていた。いつも意地悪なことばっかりしてくるけど、なんだかんだで優しいんだよね。その温かい手に自分の手を重ねてみれば、殺生丸さまはそれを絡め取るように握ってくれた。 「いい機会だ。知りたいことがあるならば遠慮なく聞け」 殺生丸さまは優しくそう言って下さるけれど……私はむしろ逆に黙り込んでしまった。いざ聞けと言われるとどれから聞けばいいか迷って、頭の中が真っ白になるのだ。 とは言えせっかく殺生丸さまが与えてくださった機会だし、無碍にもできないし… 唸るような声を小さく漏らして俯いてみると、突然ぽん、と頭の中でひとつの質問が浮かんだ。けれど、それを聞いていいものかどうか悩ましくて、つい機嫌を窺うように顔を覗き込んでしまった。 「あの…お、弟くんのこととか聞いても…怒りませんか?」 「…………」 (あ。嫌そう) ほんのわずかに寄った眉根が殺生丸さまの感情をありありと示してくる。それをすぐに察してやっぱり断ろうとすれば、殺生丸さまはどことなく不機嫌そうに顔を背けて言ってきた。 「…志紀が知りたいのならば構わん」 「その…無理しなくてもいいんですよ」 「無理などしておらぬ」 さらに眉間のしわを深くし始める殺生丸さまに思わずふふ、と笑みがこぼれる。案外殺生丸さまは分かりやすいものだ。けれど私がくすくすと笑っていたのが気に食わなかったのか、殺生丸さまはもう一度黙り込むと私の頭をがしっと掴み込んできた。 それから私の悲鳴が森に木霊したことは、言うまでもない。 back